8話 薬師の家に気をつけろなのです
アキは疲れた身体を解すように肩を回す。悪魔の身体は精神と魂を蝕む。あと少し変身していたら危険だったなと。もしも悪魔の体をリーフに見られたら、リーフは病死していたに違いない。彼女が死ななくて本当に良かったよ。
「アキさん、お味はどうですか?」
「とても美味しい。リーフさんは料理が得意なのだな」
テーブルを挟んで、リーフがニコニコと笑顔で尋ねてくるので、アキもニコニコと笑顔で答える。笑顔で答えることは得意なおっさんである。過去にはこの笑顔でライバルを唆して破滅に追いやっていた経験もあるたちの悪いおっさんである。
リーフは緑髪をさらりと手でかきあげて、上目遣いで妖艶に微笑む。が、まだまだ小娘だなと、アキは笑顔を変えることはなかったので、効き目が薄いと悟り、テーブルに並ぶ料理を食べ始めた。
蠟燭が揺らめき、外は真っ暗闇で静かである。既に木窓は閉じており、たまに野犬だろうか? 遠吠えが聞こえてくる。石造りの部屋にはたくさんの料理が並ぶ木製の頑丈なテーブルと椅子があり、蠟燭の作る影がゆらゆらと揺らめき少し不気味さを齎していた。
アキは、リーフの夕食を食べてください、今日は泊まっていってほしいとのお願いを聞くことにして、ご馳走してもらっているのである。中世ファンタジーの貞操観念恐るべしと思っていたが、地球でも普通に肉食系動物小娘科はいたなと思い直す。
まぁ、いきなり夜這いには来るまい。来るのは、ボディタッチを自然としてきて、過去話とかで仲良くなってきてからであろうと、これまでの経験から予想していた。おっさんの女性遍歴がわかる予想の仕方であると言えよう。
「薬師は料理は得意なんです。分量とか計るのは得意なんですよ。錬金術師の奥さんにはピッタリだなぁと思うんですが、どう思いますか?」
前言撤回。今日にでも夜這いに来るかもしれない。
「私は一人で製作するのが得意でね。判断はつかないな」
素っ気無く答えながらスープを味わう。野菜と肉を煮込んで、塩が効いているスープだ。香辛料の類は入っていない。大皿に置かれている鶏の丸焼きは、ソースもかけられておらず、あまり美味しそうには見えない。
サラダはない。生のサラダは危険だということだ。地球でも嘗ては危険であった。茹でるか、炒めるか、手を加えないと、水洗いだけではお腹を壊すからだ。
チーズに黒パン。天然酵母はなさそうだ。これがご馳走ならば、安宿の食べ物は口に合わないなと苦笑する。貴族の料理はわからないが、それでも平民の文明度はわかるというものだ。
アキはご馳走だという料理を見て、観察し推測し、生の情報を集めていた。只者ではないおっさんである。少なくともアホではない。
『みかん箱に料理を捧げるのですアキよ。鶏は皮のついたところを所望します』
『お腹空いたのです。キグルミ脱いで良いです?』
アホな幼女たちが足を引っ張るので、プラスマイナスゼロである可能性大。いや、マイナスになっている可能性あり。
『君たちはお腹が空くのか。いや、メイは当然だが、ニアも空くのか? あと、この場にみかん箱を召喚したら叩き壊すから覚えておくと良い』
『お腹が空くに決まってんだろ! 俺たちだって生きているんだぜ!』
『絶対無敵の身体ではないのですよ。キグルミを着ているとご飯が食べにくいので脱いで良いです?』
マジかよと、額を手で押さえる。これは拠点が必要だ。宿屋で幼女2人を連れて歩いていたら、誘拐犯と思われる可能性があるし、それでなくても目立って仕方ない。
『後で飯を確保してやるから、大人しくしていてくれ』
黒パンをいくつか貰っておこうと決心しながらリーフに向き直る。
「どうかしましたか?」
「いや、気にしないでくれ。さて、それよりもリーフ君のお店を立て直す手段を考えたい」
真面目な顔にして、アキはリーフへと問いかける。
『テンプレだと、主人公が高価な薬草とかを手に入れて、リーフに渡すんじゃないか? 育てるための種とかも取ってきてさ』
『ファンタジーな解決策だな。だが、現実だと食いものにされて酷い時は殺されるぞ』
ニアの解決策は簡単だ。だが、その場合、酷い時には権力者に囲われて、愛人とかにされるかもしれない。主人公が守るパターンもあるが、有形無形に嫌がらせなどできるのだ。敵対者を皆殺しにしないと平和には暮らせまい。なので、却下である。
「そうですね………真面目な話をしますと、薬草を採取してくれる傭兵が欲しいところです」
リーフはここで、錬金術師の奥さんになりたいとは言わなかった。攻めすぎて嫌がられることを恐れたのだ。もう充分嫌がられているが、まだ大丈夫とぎりぎりの線を見極めようとしていた。
一番良いパターンは、しばらく好意を見せたあとに、興味が無くなったと、素っ気なくして、相手に寂しいと思われることだ。そこで恋愛の花が咲くと狡猾なる考えを持っていた。
そのために真面目に考えるが、薬師は薬草があってナンボである。やはり薬草が必要なのだ。そして高価な薬草は森林の奥にあり、下手をすれば両親のように魔物に襲われて死ぬ。なので、薬草を採取してくれる傭兵が欲しかった。金がかかるので新米傭兵になるだろうけど。
意外と真っ当な返答にアキは少しだけ感心しながら、考え込む。確かに無難な手段だ。だが面白くない。全然ファンタジーではない。
「この世界、一番困るのが冒険者ギルドがないところだ」
ファンタジーの屋台骨。冒険者ギルドが無いのである。世界を跨ぐ冒険者ギルドでなくても良い。国が管理する冒険者ギルドでも良い。
だが古典的ファンタジーとそういうところだけは同じであり、冒険者ギルドは存在しない。薬草採取の常時依頼はなく、大小様々な傭兵団があるだけだ。従って、個人の依頼は伝手を頼ることになるのである。
「冒険者ギルドって、なんですか?」
「ファンタジーな組織のことだ」
アキの呟きを聞いて、スープを飲みながらリーフが尋ねてくるので、なんでもないと手を振って料理を食べる。ファンタジー? と、リーフは首を傾げるがスルーしておく。説明が面倒くさい。
リーフをジッと見つめて考える。この少女、珍しいスキルを持っている。貴族などが欲しがる程ではないだろうが、そこそこ珍しい。この都市では数十人しかいない。一人でないところが良い。希少すぎると危険も増すので。
「そうだな。信頼できる傭兵は用意できないが、傭兵に支払いができる程度の稼ぎにすることは可能だ」
「そんなことができるんですか! やります!」
「私の提案を聞いてからにして欲しいのだが。浅慮は命にかかわるぞ」
食事はここまでだと、スプーンを置いてアキは立ち上がると、ニヒルに口を曲げる。
「お口にあいませんでしたか?」
まだまだ料理は残っているのにと、残念そうにリーフが聞いてくるが、そうではないと首を横に振って否定する。
「どうやらファンタジーが向こうからやってきたようだ」
楽しげにニヤニヤとアキは嗤う。獄卒法の1つ、『カメラ監視』をこの家の周りに使用しておいたのだ。獄卒法は地獄の魔法であり、死者を鎮圧、監視、捕縛するための魔法が揃っている。相手が人間とは限らないので、かなり強力な物がある。
まぁ、今は人間となったので、5級の魔法は日に1、2回程度しか使えないが問題はない。マナの消費が5級は激しいのだ。
「随分と思い切りが良いじゃないか。あれだけ震えていたにもかかわらずな。ファンタジーといったところか」
アキはカメラ監視にて映し出される細道を見ていた。そこには昼間に逃げ出した男、鍛冶職人のドーソンと、他何人かの男たちが集まっていた。
これぞファンタジーと、人の良さそうな笑みではあるが、酷薄な目を光らせて、アキは楽しげに席を立つのであった。
石造りの家々が軒を並べる裏通り。狭い細道に5人近くの男が集まっていた。既に辺りは暗く人々は寝静まっている。月の光だけが採光となっており、時折野犬の遠吠えが聞こえてきて、ねずみがカサカサと壁際を走っていた。
鍛冶職人であるドーソンは顔を多少青褪めさせて、リーフの家の側にいた。暗闇の中、なんとか目を凝らし、息を潜めている。
「ほ、本当に殺るのか? なぁ、殺さなくても良いんじゃないか?」
恐怖で声が震えて、握り締めている拳がぶるぶる震える。明らかに気が進まない様子で、目の前の先輩へと止めないかと尋ねる。
「なに言ってやがる。話を聞いた限りだとヤバいぞ、その男。お前を脅して身代全てを奪い取るつもりだと俺は思うね」
目の前の男は、脅すようにドーソンに答えると、周りの連中に顔を向ける。
「そのとおりだぜ、ドーソンよぉ。明日になれば、金貨100枚寄越せと店に乗り込んでくるぞ」
「それも毎日来ると俺は思うね」
「だな。酷いやつだ」
小声で男の仲間たちは同意して、クックと楽しげに嗤う。これからやることが楽しみだと顔を醜悪に歪めていた。
「な? こいつらは俺のダチだが、世界を股にかける船乗りたちだ。色々な体験や話を知っているこいつらが同意するんだ。間違いねぇ。その男は詐欺師な上に、殺しを仕事にしている奴だ。間違いねぇ」
怯えるドーソンの肩に手を回して、グイッと顔を引き寄せて男は凄む。
「俺たちがやることは正義だぜ。間違いねぇ、きっとリーなんちゃらも助けてもらえて、お前に感謝するよ」
「そ、そうですかね……」
酒臭い男の息にドーソンは顔を顰めるが、すぐに気を取り直して納得する。この場合は、無理矢理自分を納得させたのだが。
男はドーソンの鍛冶職人の先輩で半年前に独立を果たした有能な人だ。名前はジム。自分と同じぐらいにガタイが良く、まだ30歳になったばかりなのに、自分の鍛冶屋を手に入れて、ドーソンを含めて仲間たちは驚いたものだ。
鍛冶屋を開くには炉が必要であるが、これが高価なのだ。鍛冶職人は給料が良いが、それでも自前の炉を買って鍛冶屋を持つのは難しい。それをジムは30歳という若さで成したのである。
尊敬するのは当たり前であった。陰で娼館通いの酒好きなあの男がどうやって、炉を買えて鍛冶屋を開けるほど金を貯めたのかとやっかみの声もあったがドーソンは気にしなかった。所詮は嫉妬からの声だと思ったからだ。
娼館を教えてくれたのはジムであることもある。酒も教えてくれて、所謂悪い遊びはほとんどジムにドーソンは教わっていた。
なので、リーフの店で出会った男のことを相談しに行ったのだ。半年前に開いた鍛冶屋は閑散としており、炉に火も入っておらずジムは酒を飲んで赤ら顔であった。今日はたまたま休みだということで、ドーソンの話を親身になって聞いてくれて、それはリーフがヤバいぞと教えてくれたのだ。
そして男を殺そうと提案してきた。いや、自ら率先して仲間を集めてきた。下手に懲らしめるだけでは、そのような男はやり返しに来るらしい。
世間知らずのリーフは愚かにも、あの男を自分の家に泊めているらしい。今頃は男に弄ばれているに違いない。
「ほら、景気づけだ。薬草入りのワインだ。水で薄めていないからガツンと来るぞ」
ジムが差し出す水袋を受け取り、中身を呷る。
「ゲホッ。か、かなり強力ですね、これ」
喉が焼けるようで、咳き込んでしまう。
「あぁ、酒の効果を高める薬草入りだからな。ほら行くぞ白馬の王子様」
「えぇ、リーフを救ってやります」
酔いがまわり、判断力が低下したドーソンは、リーフを救うのだと、腰に差している鉄棒を引き抜いて、顔を険しく変えるのであった。