6話 薬屋さんの少女なのです
『リーフリーフの薬屋』
店先に吊るされている看板にはそう書いてある。文字を読めない人も多いので、薬屋のマークの下に記載してあった。
風でキィキィと看板が揺れるのを見ながら、薬屋の主人であるリーフは溜息を吐いてしまう。全く客が来ない。
薬草摘みに行って、命を落とした両親に代わって、店を継いでから1年半。ほとんど売上がない。生活は困窮し、薬草を仕入れるお金もなくなり、自分で街の外に摘みに行く始末。今や品質の悪い薬草だけが並ぶ人通りのない細道にある薬屋だ。自分だって、こんなお店に薬を買いに来ることはないだろう。
さりとて、他の仕事を始めるには歳をとりすぎている。もう見習いとしても雇ってくれる人はいないだろう。特に薬師として生半可な知識を持つリーフは雇用主には扱いにくいに違いない。
このままだと、祖父の時代から構えてきた店を手放し、誰かの嫁となるか、傭兵は無理なので、娼婦落ちとなるかである。
娼婦はさすがに嫌だ。高級娼婦となって、行く末は貴族の妾として暮らしていく未来があっても嫌だ。リーフはこれでも花も恥じらう少女なのだから。
遥か昔に精霊の血が混じったとされる緑色の髪、肩まで切り揃えた外ハネの髪の毛をリーフは触り、ハーフエルフのような少し尖った耳をピクピクと動かして、再びため息を吐く。
緑色の髪に、エメラルドグリーンの瞳を持つ少し勝ちきな目つきの少女リーフは、可愛らしい顔を俯けて、グデンとカウンターに頬をつける。頬をカウンターにつけても、自身の胸がまったく邪魔にならないことが少し悲しい。精霊の血のせいだとリーフは己の小柄な体躯と悲しい胸を見て、固く信じている。母親は普通だったので、未だに成長期かもしれないと、無駄な希望も持っていたりした。
「あぁ〜、今日も客は来ないか〜。まいっちゃうよね〜」
もう一度溜息を吐く。溜息を吐くごとに幸せが逃げていくと言うが知ったことか。もう何回も溜息を吐いているのだ。幸せのストックは空だろう。
ゴロゴロとしていると、ドアに取り付けられているベルがチリンと鳴った。リーフは慌てて顔を上げて笑顔で客へと向ける。久しぶりの客だわと。
輝くような笑顔で、ドアへと向けて、直ぐに冷ややかな表情へと変わる。
「なんだ、ドーソンか。なんのよう?」
そこには小さいころからの幼馴染。鍛冶職人見習いの男友だちが立っていた。頑丈そうな皮の服には、鍛冶職人である証拠にポツポツと焦げ跡がある。茶髪は丸刈りに近い短髪でそばかすがあり、歳よりも幼く見える。だが、体力の必要な鍛冶職人であるために、ガタイはがっしりとしており、背も185センチ程度と高い。
最近になって急に顔を出しては心配げに気遣ってくる幼馴染だ。……見た目はだが。
「つれないことを言うなよリーフ。お前が心配だからこそ、顔を見せに来ているんだぜ?」
「それじゃ、なにか買っていってよ。なんでもいいから」
ジト目でドーソンを睨むように言うと、ニヤニヤと笑いながら、ドーソンは目を彷徨わせる。裏通りにある薬屋なので、棚に薬を置いていたりはしない。盗んでくれと言っているようなものだからだ。そんな慈善事業をする余裕はリーフにはない。
「それじゃ、火傷した時用に低位ポーションを1つくれよ」
「はい。火傷用ポーション1つだね」
ドーソンは鍛冶職人に必須アイテムである火傷を治すポーションを買おうと嫌味的に言ってくる。リーフはその注文に、チッと舌打ちして棚からポーションを取り出すフリをする。
「お、おい。あるのかよ?」
リーフがポーションを取り出そうとし始めたので、ドーソンは慌てふためく。リーフのお店がポーションを扱っていないと知っていて注文したのだ。実際に置いてあると困る。低位ポーションでも大銀貨1枚はする。酒代にも困っているドーソンに支払えるわけがなかったからだ。
冷たい視線を向けて、リーフはわかっていたわよと、手をひらひらと振って演技だとばらす。ドーソンは安堵で胸を撫で下ろし、その姿に軽蔑の眼をリーフは向ける。
「で、なんの用で来たわけ? 娼婦に貢ぐ金が無くなったから、無料のお店に来たわけ? 私はそんなに安くはないわ」
「い、いや、ちげえよ。お前が心配でさ。飯でも一緒に食べないかと」
両手を振って焦るドーソン。額から汗が流れ、口元がピクピクと動いている。ドーソンは娼婦通いの鍛冶職人に1年前に娼館に連れられて以来、金を馬鹿みたいに使うようになって、父親に最近叱責されたと噂であったのだ。
「大銀貨の1枚も持っていないのに? 私の手料理でも食べたかった? ついでに私も食べたかった? 馬鹿にしないでよね! 寂しい暮らしの女性に笑顔を見せて心配げに声をかければ落ちると思っているのかしら! それなら、船乗りの未亡人を狙うのね、まぁ、あんたじゃ無理だろうけど」
いつもいつも下心丸出しでウザかったのである。いつもは近所の付き合いもあり、ドーソンは鍛冶職人のフーガンの跡継ぎの息子だから我慢していた。が、最近はますます落ち込んでいたリーフには限界が来た。堪忍袋の緖が遂に切れてしまい、リーフはカウンターをバンと叩いて怒鳴り散らす。
ドーソンは怒鳴り散らすリーフのセリフを驚いて聞いていたが、段々顔を赤くして、怒気を纏ってくる。
やってしまったと、リーフは自分の行動を後悔した。鍛冶職人は短気な上に怪力だ。喧嘩っ早くて危険な相手であるのだ。見習いでもドーソンは鍛冶職人だ。その身体も筋肉の鎧に覆われている。リーフが敵う要素はない。
「お前を心配してきてやっているのに、生意気な!」
建前の言葉を吐き、ドーソンは顔を真っ赤にして腕を振り上げる。殴るつもりだと、リーフは慌てふためき青褪めるが、狭い店内だ。逃げる場所はない。
ぎゅっと目を瞑り、リーフは腕をあげて顔を守ろうとする。大怪我をするかもしれないと、恐怖で心を締め付けられながら。
チリンチリン
だが、それは店に響く鈴の音で止められた。ドアがキィと開き、男が入って来たのだ。頑丈そうな旅人用の服を着込み、変わった背負い袋を背中に担いでいる。旅人なのだろう、お人好しそうな中年の男性だった。
「すまない。薬を欲しいんだが」
のんびりとした口調で、ニコニコと警戒心のなさそうな笑顔で入って来た男性に、ドーソンもリーフも気が抜けたような感じとなるが、すぐにドーソンは怒声を浴びせる。
「おい、おっさん。今は立て込んでいるんだ! 他の店に行きな!」
久しぶりにやって来たお客様に、ドーソンはあろうことか怒声を浴びせるので、リーフは怒り心頭となる。が、頭に血が登ったドーソンを叱りつけるのは無理だ。それどころか危険しかない。
「悪いが痛みが酷くてね。この店で薬を買う」
ニコニコと笑顔で、まったく動じる様子を男性は見せない。男性よりも背も高く、筋力もあるガタイの良いドーソンに危機感を持たないのだろうかと、リーフはその気楽そうな男性に危ないと注意をしようとするが
「死ねっ!」
短気なドーソンはその行動も早かった。男性へと拳を振り上げて、その顔面に全力の拳を叩きこもうとする。
リーフは男性の歯が砕けて、顔が陥没して倒れ込む姿を想像して、悲鳴をあげようとし
パシッ
と、ドーソンの拳があっさりと受け止められたことに驚きの表情となった。
「な、こいつ!」
リーフ以上にドーソンは驚愕していた。まさかここまで簡単に受け止められるとは思わなかったのだ。
「ふむ?」
簡単に受け止めた男は、なんでもないかのように、笑顔を崩さずに小首を傾げる。と、ぐるりと受け止めた手を返す。
ドーソンは身体を泳がせてたたらを踏むが、体勢を立て直そうと踏み出した足を男性は足払いをかけて、あっさりと転がすと、スッとドーソンの首に足を乗せる。
「私を殺す気だったのか。とすると殺し屋だったと。せっかく襲ってくるのならば、しっかりと劇の出迎えをしたかったよ。では、さようなら」
ドーソンは背中から床に倒れた衝撃で呻くが、首元に置かれた男性の足と、笑顔を崩さずに自分を殺し屋扱いする男性に青褪め恐怖する。
この男は普通ではない。笑顔を崩さずに荒事を熟すこいつは普通ではないと気づいた。
「ま、まっで! ころすぎはながったんだ、け、げんかのせりふだったんだ」
首元に置かれている足が力がこもり、喉を押し潰そうとしてくるので、慌てて弁明をしながら、男の足を掴んで退けようとするが、鉄の柱のようにビクともしない。
殺される。簡単に殺されてしまうと、ドーソンは涙を浮かべて、謝罪の言葉を口にして命乞いをする。
息がつまり、段々と死が近づいてくる中で、男の足がようやく止まった。
「ん? それでは喧嘩を売られていたと? だとすると賠償金は払ってもらえるんだろうね? もちろん君の命の値段に釣り合う金額を」
「あぁ、支払う。支払うよ!」
首を傾げて、ニコニコと笑みを近づいてくる男へと、ドーソンはガクガクと首を縦に振る。命の値段に釣り合う金額など、とんでもない金額が請求されると頭の隅では理解していたが、命には代えられない。
危険な男に絡んでしまった自分の不幸をドーソンは嘆く。簡単にやれる場所を欲しかっただけであり、リーフは顔立ちもそこそこ良いので、金のかからない良い場所だと考えただけなのにと。
ちょっと優しくすれば落ちる女だと思っただけだったのにと、どこまでも自己中心的な考えを持ち、男ではなく、リーフに見当違いの逆恨みからくる怒りを向ける。
「そうかそうか。では。後で君の家に行くから待っていてくれたまえよ。あぁ、家の場所は知っているよドーソン君。だから説明は不要だ」
名乗ってもいないのに、自分の名前を知っている男に、いよいよ不気味さを覚えて、ドーソンは立ち上がると脱兎の如く逃げ出した。
ドアベルが荒々しくチリンチリンと鳴り、ドアがけたたましい音をたてて閉まり、ドーソンは振り向くこともせずに去っていった。
男は呆れるように肩をすくめて、ドーソンを見送ると、くるりと振り返り、リーフへと笑顔を向ける。
「どうやら大変なことになっているようだね、リーフ君」
「え、えぇと、私を知っているんですか?」
ドーソンだけではなく、リーフの名前すら知っている男に、まじまじと見つめてしまうが、見覚えがない。知り合いだったろうか?
「あぁ、君が知らないのも無理はない。私は行商人でね。君のご両親ウッド君と少しばかり付き合いがあったんだが、その時の君はまだまだ小さかったし、私も若かったからな」
ハハッと快活に笑う人の良さそうな男性の言葉に安心した。そうか、両親の知り合いだったんだ。かなりびっくりしてしまった。
「あ、あの、助けてもらってありがとうございます! 私はリーフと、いや、私の名前は知っていますよね」
あたふたとしながら、リーフが頭を下げると、男はパタパタと手を振る。
「私の名前はアキだ。助けられたことは気にすることはない。ご両親にはお世話になったからね。で、ご両親はどこだい? ご挨拶をしたいんだが。……何やらトラブルに巻き込まれているようだしね」
ニコニコと笑顔を崩さずにアキはリーフを安心させようとする。
リーフは実はと、自分の近況を話し始める。
アキが入って来た時は薬を買いに来たと言っていたことは、すっかり忘れており、その瞳が面白そうなことを見つけたと怪しく光っていることには気づかなかった。