51話 教会での戦闘なのですよ
眼魔ゲイザー。女神像の上に不敬にも立ち、こちらを見下ろしてくる目玉の塊のような体躯の異形の前へと、エルフと思われる少女は勇敢にも立つ。
恐らくは、いや確実に高位の悪魔だとブロンは悟った。人語を解する悪魔。お伽噺の中の怪物だ。ブロンは生まれて初めて見た。その姿を見て、知らず身体が震えてしまう。本能が囁いていた、あれは邪悪なる者だと。
「我は眼魔ゲイザー。恐れよ人よ。崇めよ我を。古代より生きる魔神ゲイザーを!」
その声音が礼拝堂に響き渡り、稲光が鳴り響く。ステンドグラスが破壊された天井の穴からシトシトと雨が降る中で、稲光はゲイザーの姿を一瞬であるがはっきりと表した。
瞼のない目玉が体中に貼り付いており、その全てがギョロギョロと蠢いている。腕はぶよぶよに膨らんでおり、関節がないのか蛇のようにくねらせている。その肉体からは闇の瘴気が視覚化できるほどに漂っており、邪悪なものであると教えてきていた。
空気が凍え、吐く息が白い。どこからか不気味なる心を恐怖で縛らせるような音楽が聴こえてくるのは気のせいであろうか。
「ルーシズの御名により、貴方を討伐します、古の邪悪なる者眼魔ゲイザー!」
本来は金髪のはずのエルフでは見たことのない白銀の髪をサラリと後ろに流すように靡かせて、美しい少女は綺麗な人差し指をゲイザーに突きつける。その気迫と少女の醸し出す清らかなる空気により、瘴気に覆われ始めた礼拝堂は浄化されていくような感じがした。
「我が主、魔神バロール様の復活のため、貴様はここで倒させてもらう! 現れいでよ、我が眷族よ!」
ゲイザーがバッと両手を翳すと、その言葉を合図にしたかのように、床が震え始める。教会全体が揺れ始めて、パラパラと天井から埃が落ちて来る。
「地震? いや、違うのか!」
ブロン神父たちが動揺して、周りを見渡すと同時に床が砕けて、数メートルはあるワームたちが一斉に現れ始めた。
キシャアと金属をすり合わせるような鳴き声をあげて、そのすり鉢のような口を開きワームたちは威嚇してくる。その口からはヨダレが落ちて床を汚す。
「神聖なる教会に魔物が!」
見習いシスターが口元に手を当てて悲鳴をあげる。シスターも顔を険しくさせて、ブロンも驚きで目を見張る。
「このような雑魚で私が止められるとでも?」
『女神の書よ』
冷たい声音で呟き、少女が手を翳すと、『力ある言葉』を紡ぐ。閃光が一瞬走り魔法陣が描かれる。魔法陣から宝石が散りばめられている分厚い黄金の本が現れて、その白魚のような手に落ちると、少女はパラリと本を開く。
『7級魔術 熱炎』
少女の周りに風が巻き起こり、白銀の髪をバタバタとたなびかせて、本が赤く光ると、礼拝堂に現れたワームたちが蠢くその動きを止める。キュィィと苦しむように鳴くとボコボコとその体が内部から膨らみ、炎が吹き出して燃えていった。
7級と聞こえたが、ここまで威力のある魔術は初めてだとブロン神父たちは驚愕する。
「ぬうっ!」
一瞬の内にワームたちは燃え尽きて、篝火のように礼拝堂を照らす。あっさりと倒されたことにより、ゲイザーはうめき声をあげるが、すぐに哄笑し始めた。
「さすがは女神の使徒よ、その一端でも凄まじい力だ。だが、この我も力を取り戻し始めている!」
『魔眼の使徒よ』
新たにゲイザーが魔術を使用する。ゲイザーの前に漆黒の魔法陣が描かれて、その中から3人の女性が現れる。白いローブを着込んだ美しい顔立ちの女性であった。
その髪が全て小さな蛇でなければ。ウネウネと絡まり蠕き、その口からチロチロと先端が割れた舌を見せて蛇たちは爬虫類の黄金の瞳を輝かす。女性は目を閉じており、その肌は白すぎるほど白い。まるで陶器のようだ。
「メデューサ!」
シスターがその魔物の正体を看破して目を険しく変える。ふふふふとメデューサたちはルージュを塗りたくなった唇を三日月のように歪めて床に立つ。
メデューサは時折現れる中位の魔物だ。肉体の強度は低く、たいした攻撃力は無いが、厄介なことで有名である。
その頭に生えた蛇の毛は、本物の蛇であり、毒を持つ。致死性の毒は放置すれば死に至るし、その数をいなすのは厄介だ。しかし、それだけでは中位には至らない。メデューサの恐るべきところは、その魔眼にある。魔眼を使用されると、目があったものは石化してしまうのだ。石化したが最後、後は死を待つだけとなってしまう。
「メデューサを召喚できるとは! そこまで力が回復していたとは予想外です」
エルフの少女が身体を引いて警戒して身構える。その様子を見てゲイザーはせせら笑う。
「ふっ。この王都には愚かにして瘴気を纏う贄が大量にいたからな。我の力は貴様の想像以上に回復している。さぁ、女神の使徒をた」
「偉大なる創造神、女神ルーシズよ! 悪魔が貴女様の金蔵に侵入いたしました。金蔵を護りぬく力を女神の娘である我らに与え給え!」
ゲイザーが攻撃をせよと叫ぼうとした時、ブロンは神聖なる祝詞を口にして、懐から金貨を取り出すと天へと放る。
『女神衣付与』
金貨が宙で激しく光る。そのあまりの明るさにゲイザーたちが腕で目を覆う。その中でブロンの神官服に金糸が舞い降りて、衣を神聖なる光で覆い硬質化させる。そして、ブロンの体格が2回りほど大きくなり筋肉の鎧で服がはち切れんばかりとなった。
「ぬぅ、その姿は?」
神官服が鎧のように変わり、肉体も立派な体格へと変わったブロン神父に、ゲイザーが忌々しそうに問いかける。
「フッ。ルーシズ教の神父、シスターは全てルーシズ様の金蔵を守るために、戦闘訓練を受けている。教会を守りし最高位神父、シスターは全てモンクの技を修めており、『女神衣』を女神より授かる神聖魔法を使用できるのだ!」
こおぉぉぉと息を吐き、手を揺らめかせて、体格が熊のように大柄となり凶悪さを見せるブロン神父は、邪悪なる悪魔へと鋭い視線で睨みつける。
教会は多くの金が集まる。その女神に捧げる予定の金を守るために自身よ強くあれと、ルーシズの絶対の教義があるのだ。
「えぇっ!」
「ええっ!」
ゲイザーとなぜか少女も驚いて、ブロンを見てくる。ゲイザーはすぐに咳払いをして立ち直る。
「まじですか! コホン、ぬぅ、ルーシズめが忌々しい教徒よ! あの女神ろくなことしないのです」
ブロン神父はなぜ悪魔が教会に近づかない理由を教えてやる。ここは悪魔退治のスペシャリストたちが揃う兵舎でもあるのだ。
女神衣は触媒として金貨一枚必要なので滅多に使わないが、『神聖付与』、『衣服鎧化』、『肉体倍化』が付与されるルーシズ教の第7級の神聖魔法だ。この魔法を行使できなければ、神父と名乗ることは許されない。
「この教会に侵入せしこと、後悔せよ! 皆さん、戦闘です!」
「はっ!」
「わ、わかりました」
戦意あふれる凶悪な表情でシスターがスカートの下からチャクラムを取り出して、動揺しながらも見習いシスターが神聖魔法を唱え始める。
「受けなさいっ!」
シスターが指にチャクラムを絡ませると、腕を振りメデューサへと投擲する。高速回転するチャクラムは礼拝堂の中を突き進み、未だに動かないメデューサの瞳へと向かうと突き刺さった。
「ギャッ」
目を押さえて苦しむメデューサの一体。チッと舌打ちするとゲイザーは指示を出す。
「メデューサたちよ、その愚か者たちを殺せっ!」
「キュィィ」
その指示によりメデューサたちは動き出し、手から細長い針のような長い爪を生やしてブロン神父たちへと襲いかかってくる。
「はあぁぁっ!」
裂帛の声をあげてシスターは身体をひねり追加のチャクラムを取り出すと投擲する。投擲されたチャクラムはクンと宙で曲がり、カーブしながらメデューサに向かう。
「キェェ!」
爪を振りかぶり、チャクラムを弾くメデューサたち。不意打ちでなければ回避できるようだと遠隔攻撃は無意味と考えて、シスターはスカートの下から小剣を取り出し身構える。その動きは手慣れた戦士のものである。
「ルーシズ様。貴女の子らに祝福を!」
『祝福』
見習いシスターがブロン神父に祝福をかける。あらゆることに僅かだが抵抗力の補正をかける便利な魔法だ。
「ぬぉぉぉ」
『グレータータックル』
チャクラムの投擲を防ぐために立ち止まったメデューサたちへの、ブロン神父は咆哮をあげながら肩から突撃を仕掛ける。ドスドスとその踏み込みは轟音をたてて床を捲りながら猪の如し突進だ。
「グハァ」
先頭のメデューサがその突進に吹き飛ばされて勢いよく床に倒れ込む。その隙を逃さずに、シスターが飛翔して、小剣を煌めかせながら倒れたメデューサへと襲いかかる。マウントを取ると一気に小剣で突き刺して、その命を奪った。
「くっ!」
「人間メ!」
残るメデューサの一人が頭を振りかざし、蛇の髪の毛を向かわせる。うじゃうじゃと向かってくる蛇の群れを前に、しかしブロン神父は怯みもしない。
「ルーシズ様よ、我に聖獣の武器を!」
『聖熊爪』
「ぬうぅぅぅん!」
その手に小剣の如き爪を生やす。右腕に力を込めると、血管が浮き出てミシミシと筋肉が膨れ上がる。クハァァと息を吐くと宿せし聖獣の力を解放した。
『猛攻爪撃』
ゴウと暴風が吹き荒れて、肉薄する蛇の群れを弾き飛ばして、メデューサの顔に4本の爪痕を残す。グシャリと嫌な音をたてて鮮血が舞い散り倒れ込む。
『石化眼』
残りの一人が目を開くと赤き禍々しい瞳を輝かす。見た者を石化させる恐るべき魔眼だ。だが、ブロン神父は顔を俯けて、前傾姿勢となりメデューサの姿を見ずに突進する。メデューサの弱点は視線を合わせなければ、その石化を受けないところだ。
『グレータータックル』
メデューサの胴体に突撃し、その身体をまるで小石のように吹き飛ばし女神像へとぶち当てる。口からゴボッと血を流し、最後のメデューサは息絶えた。
「ゆくぞ、悪魔よ!」
女神の闘士は騎士と同等の力を持ち、神聖魔法による強化で騎士すらも上回る。そして悪魔への特効を持つ。
床を蹴り、爪を振り上げて、ゲイザーへとブロン神父は襲いかかる。だが、ゲイザーは余裕の態度であった。
『魔法破壊眼』
ゲイザーは魔眼であるその瞳を輝かす。黒き光がブロン神父に命中すると
「なにっ!」
自身に宿された無敵の女神衣が抵抗することもできずに消えてしまい、強化された肉体も元に戻ってしまう。硬質化していた神官服はただの布切れに戻り、膨れ上がっていた肉体は元の老いた身体に戻ってしまう。
『怪腕乱打』
ワームの如き怪腕を神聖魔法が解除されたブロン神父へと叩き込む。いくつもの残像が残り、拳の乱打がブロン神父に食い込み衝撃が波のように肉体に奔る。
「ぐはっ。ま、まさか神聖魔法が……」
「ブロン神父!」
床に叩きつけられて、うめき声をあげて驚愕するブロン神父。その口からは血が流れて、内臓もかなりのダメージを受けたとブロン神父はふらつく身体で倒れ込む。シスターたちが駆け寄り、慌てて治癒魔法を使う。
その様子を睥睨しながら、ゲイザーは嘲笑う。
「ふはは。惜しかったな! 力を取り戻す前であれば我を倒せたかもしれぬぞ。さすがは女神の金蔵?を守る闘士よ!」
神聖魔法を解除できる魔眼の持ち主だとブロン神父たちはゲイザーを睨む見ながらも恐れを抱く。神父たちの天敵のような悪魔だと悟ったのだ。
「ゲイザー。私が相手です」
「おっと、では次はこれだ!」
『魔眼の使徒よ』
少女がブロン神父たちを守るように立ちはだかると、ゲイザーは新たに魔法陣を描く。魔法陣からは今度は5メートルの背丈を持つ毛皮を着込んだ1つ目の巨人が現れた。その手には丸太のような棍棒を持ち、凶悪そうな魔物だ。
「やれ、サイクロプス! その間に我は封印を解く!」
「ウォォォ」
「させません!」
少女がサイクロプスとの戦闘が始まり、ゲイザーは女神像へと手を付けて魔眼を光らせるのであった。