50話 闇夜に踊るのです
オレンジ色の空が闇夜に包まれていき、ポツポツと雨が降ってくる。木窓に水粒が当たり始めて、風が出てきたのか、ガタガタと音が鳴る。
王都『ブラックダイアモンド』の外れにある教会を管轄するルーシズ女神教の神父であるブロンは自身の執務室に設置されているソファにて、テーブルに置かれた金貨を睨みながら唸っていた。小袋から零れ落ちている黄金の光を見ても、その顔は晴れることなく嬉しそうに見えない。
「困った。困ったぞ。まさかこんなことになるなんて……。女神像の移転………」
この教会をジルコニア伯爵が建て直してくれると提案してくれたのはつい先日。本神殿もまったく問題はないと了承してくれたのであるから、素直に建て直せばよかった。しかし………。
「なぜこの教会だけ、へんてこな言い伝えがあるんだ! 王都でもここだけだ、女神像が悪魔を封印しているなど」
頭を抱えて困惑して再び解決策のない事柄に唸る。老齢の神父は出世欲もなく、この教会でのんびりとして暮らす予定だった。毎日酒を飲める程度の稼ぎはあるし、小煩い出世欲に駆られた同僚もいない。
治癒魔法は偉大だ。魔術よりもその治癒の効果は高く、面倒な魔術用語を覚える必要もない。女神に敬虔なる祈りと適当な祝詞をあげれば使えるのだ。この地区でも病人や怪我人はいるし、重い病人は金になる。穏やかな笑みと、老神父のイメージを崩さなければ、有り難がって寄付もしてくれる。暮らすのに困ることはない。
古ぼけてテカった肘掛けを掴み、背もたれにもたれかかり、建て直してくれなくても良かったのにと舌打ちしてブロン神父は金貨の袋の横に置いてあるワイン瓶を掴んで直接口につけた。
グビグビと飲んで、安ワインでもなかなか美味いと口の端に溢れたワインを手でぐいっと拭ってワイン瓶を置く。
「面倒なことになりました。あぁ、ルーシズ様。貴女の敬虔なる信者に救いの手を」
面倒くさいとゲフッと息を吐き、また考え込む。
「本当に困りましたね、神父様。もう女神像の移転をしてもよろしいのでは?」
キィと木扉を開けて部屋に入ってきたシスターがその手に持つツマミのチーズをテーブルに置くと対面のソファに座る。片手には新しいワイン瓶とグラスがあった。一緒に飲みに来たのだろう。
たしかにそのとおりだと、でもそうはいかないんだと、さり気なく金貨に手を伸ばすシスターの手を叩きながらブロン神父は半眼になってしまう。これは建築費用だ、手を付けるわけにはいかないのである。
「これが大昔の伝説ならともかく、この伝説は……たった100年前の話なのだ。信憑性が極めて高いのだよ」
「そうなのですか? ですが失礼ながら悪魔が封印されている割に、あの女神像は普通すぎるように見えるのですが」
自身のワイングラスに赤き液体をトクトクと注ぎながら、シスターがチーズを齧る。悪魔が封印されているわりに、たしかにただの石像に見える。魔力も感知されないので、不思議に思うことだろう。
「それに本神殿が悪魔の封印された神像などを放置しておく理由もわかりません。嘘なのでは?」
「うむ……。儂も実は過去にそう思ったのだ。しかしあの女神像には秘密がある。あの女神像、見た目と違い足元の台座だけ魔力が込められているのだよ。『硬化』と『保存』、『爆弾』だな。罠付きの台座なのだ」
「魔術罠が仕掛けられているのですか、神父様? ならばますます撤去の必要があるではないですか。神殿騎士団に要望をかければ良いと思いますが」
意外な言葉にシスターは顔を驚きに染める。嘘くさい話だと思っていたからだろう。ならばなぜ放置しているのかと言う話になる。
「それが………実は………あ〜……。サキュバスが封印されていると伝説にはある。………荒稼ぎをした神父がいたらしい」
言いづらそうにブロンが頬をかくと、シスターはあぁ……と遠い目をした。
「その時代は……金欲に塗れた神父が多かった時代でしたね……」
女神ルーシズの本来の教えは簡単だ。女神に貴金属を捧げよ、である。後は一日一善せよ。以上。後は結婚もできるし、何を食べても良い。悪人で無ければ良い。
過去、それを拡大解釈して金稼ぎばかりする神父ばかりとなった。高利での金貸し、娼館経営などなど……。悪人ではないからと、好き勝手したのだ。貴金属を奉ずれば女神様は何でも許してくれると。
金と退廃の悪しき時代だ。
だが、ある時、その者たちは神聖魔法が使えなくなった。慌てて貴金属を大量に女神へと奉じたが、もはや遅かった。女神の怒りを買い、神聖魔法は使えなくなり、不満の溜まっていた民衆や、真っ当に治癒魔法で金を稼いでいた神父たちが立ち上がり、当時のルーシズ教会を打ち倒した。
そして、今は金貸しや娼館などの経営は辞めて、真っ当に治癒魔法一本で稼ぐ教会へと変わったのである。たまにルーシズ祭や、教皇の誕生日祭で寄付を募ったり、孤児に屋台をやらせたりして、多少は政治に関わることはしているが、基本はもう治癒魔法一本だった。
治癒魔法一本で稼げるのだから。怪我や病人の癒やし。魔物との戦闘における支援。不死者の軍団が現れた時に主導で動き、寄付も貰える。無理することなく裕福に暮らせるので、神父最高とルーシズ教の神父やシスターは敬虔なる信者として暮らしていた。
「召喚魔術に長けた神父だったらしい……魔術に長けて神聖魔法も使用できる高位の神官だったらしいが、召喚魔術でサキュバスを召喚して娼館を経営していたらしい。人件費タダなのでかなり儲けていたらしい」
悪魔へは神聖魔法が特効だ。神聖魔法が使える召喚士は最強だったということだろう。悪魔との契約時に神聖魔法で脅していたに違いない。
「サキュバスは少数しか召喚できなかったから、娼館というより、VIP専用の会員制の小さな規模だったらしい」
「ウワァ……親父ギャグも最悪ですが、ここ元は娼館だったんですか?」
ドン引きするシスターは、嫌そうに部屋を見渡す。こじんまりとした執務室は古い家具ばかりで、おとなしい感じしかない。もはや100年前の話なのだ。娼館であった様相など欠片も無い。
「で、神聖魔法が使えなくなり、慌てて神像に封印したらしい。台座を魔道具に変えて、な」
「あぁ〜、負の遺産ですね。そんなもの封印から解いた人間は確実に処罰されますよ。魔物を操るって、性欲にあふれる魔物みたいな人間を操るってことですか!」
テーブルをバンバン叩いて呆れた声を出す。シスターは納得した。女神像を退かしたら封印から解かれた色っぽいサキュバスたちがぞろぞろ現れる……倒すのは問題ない。サキュバスはそこまで強くない。しかし、それを見られたらこの教会の信用は失墜するだろうことは間違いない。
名声が欲しいジルコニア伯爵は激怒するだろうし、地域住民もこの教会に寄ることはなくなるだろう。他にも教会はあるのだ。商売上がったりとなってしまうと口元をヒクヒクとシスターは引きつらせた。
このシスターものんびりとこの教会で暮らしていこうと思っていたのだ、そろそろ良い男を捕まえて、結婚なんかして、ここにはたまに小遣い稼ぎで顔を出し、癒やしの魔法で稼ぐ。優しく癒やしの魔法が使えるシスターは結婚相手とはしてはなかなか良い。孤児なので立場は弱いが、そこは支度金と治癒魔法と優しげな笑顔でなんとかできるし。
そろそろ支度金も貯まるかなと考えていたので、とっても困るのだ。
「どうするんですか! 私はここ以外に異動するのも面倒くさいので嫌ですよ。また1から地域住民に顔を売るなんて」
ブロン神父とこのシスターはここの教会のトップだ。また下積みから始めるのは面倒くさいのである。きっと洗濯や料理当番などを振られるに違いない。今は穏やかな優しげな笑みで、お客に癒やしの魔法を使い、下積み頑張ってと見習いシスターに命令するだけの楽な地位なのに。
「儂だって嫌じゃ! もうこの歳だと他の教会も引き受けてくれん。本神殿にいくのも嫌だ!」
「なんとかしてくださいよ、ブロン神父!」
「だから悩んでいるのだろうが!」
お互いに顔を近づけて、唸っていると
コンコンと、ドアをノックする音が聞こえてきた。
すぐに二人はソファに座り直してコホンと咳払いをして、表情を穏やかへと変える。
「あ〜、誰かね?」
「お休み中申し訳ありません、ブロン神父様。礼拝にいらした方がいまして……。礼拝堂で祈りを捧げたいと」
ドアを開けて、おずおずと年若い見習いシスターが入ってくる。そのせりふを聞いて眉根を顰めるブロン神父。ちらりと木窓へと視線を向けると外は真っ暗だ。もう普通の平民なら寝ていてもおかしくない時間帯である。
「もうこのような時間です。祈りを捧げるのは大変に素晴らしいことですが、また明日いらしてと」
「寄付もしたいと。私に金貨を渡しました」
「すぐにお会いしましょう。このような時間にいらっしゃるとは忙しい方なのかな?」
なんと敬虔な信者だろうと満面の笑みへとブロン神父は態度を変えた。シスターもしずしずとブロン神父の後ろに立つ。敬虔な信者だ。こんな時間に祈りに来るとは素晴らしい。
見習いシスターに先導されて、礼拝堂へと向かう。もはや廊下も暗く、見習いシスターの持つ蝋燭がゆらゆらと仄かな灯りで辺りを照らしている。
廊下にブロン神父たちの影が映り、少し恐怖を覚える中で、ギシギシと木床が鳴る。そうして教会の入り口に辿り着くとローブを着込んだ小柄な者が立っていた。フードを深くかぶりその顔は暗くもあり、よく見えない。旅装なので旅人なのだろうか。
「ようこそルーシズ教会へ。祈りを捧げたいと聞いております」
「はい、神父様。礼拝堂でお祈りを捧げたいと思いまして。これはルーシズ様へ」
意外なことに、その声音は少女のものであった。クリスタルを鳴らすような聞き心地の良い綺麗な声音であった。少女は懐から小袋を取り出しブロン神父へと手渡す。その際に紐が緩んでいたのだろう。中身が暗い中でもちらりと覗く。キラリと黄金の光が袋の中にはあった。
ブロン神父はゴクリとつばを呑み込むと、そそくさと裾へと仕舞い込み、ニコニコと笑顔で少女を案内することに決めた。
「どうぞどうぞ。後ほどお祈りが終わりましたら、特別に『祝福』もかけて差し上げましょう」
「ありがとうございます、神父様」
ローブからキラリと銀糸のような美しい髪が零れ落ちて、口元が薄っすらと微笑みに変える。目元は見えないが、この少女は美しいのだろうと確信しながら礼拝堂へと案内する。
少女たちは礼拝堂に辿り着く。長方形の教会といえど、神秘性を持たせるために女神像の上の天井はステンドグラスとなっている。闇夜でも仄かに女神像を照らしており、神秘的な光景を見せていた。
ブロン神父はオホンと咳払いをして片手をあげて謂れを話し始める。
「この女神像は古い謂れがありまして、え〜、大昔悪魔を封印したと言われております。有り難い女神像なのですよ」
サキュバスたちが封印されているとの伝説は忘れることにして、笑顔でガイドをブロン神父はする。ローブを着込んだ少女は女神像を仰いで、ポツリと呟いた。
「封印が解け始めている……。女神の仰るとおりでした」
その呟きは礼拝堂にやけに響き、その言葉は嫌に不吉な感じをブロン神父たちに与えてきた。
「は、封印が? いや、あ〜、それは大丈夫かと」
中身はサキュバスだしと神父が答えようとして
「ひっ! し、神父様、あれを!」
見習いシスターが恐怖からなる悲鳴をあげて女神像へと指を指す。
「な、何を? は?」
ブロン神父は何を驚いたのかと、女神像を見上げて息を呑む。
女神像の目からは血のような真っ赤な液体が涙のように流れ落ちていた。その異様に皆は驚愕して不吉な光景に言葉を失う。
「あ、あんた、何をした!」
犯人に違いないと少女へとブロン神父は困惑した声で尋ねるが、少女は首を横に振って、ため息を吐いた。
「どうやら間に合わなかったようですね」
パリーン
その言葉に合わせたように、天井のステンドグラスが砕け落ち、何者かが落ちてくると、女神像の上へと舞い降りる。パラパラとステンドグラスの破片が空中に舞う中で、女神像の上に立つ者はニタリと笑う。
「私は幸運だ。魔神の封印を解くと同時に、女神の使徒を殺せるのだから!」
その者は体中が目で覆われている化け物であった。ギョロギョロと身体に張り付いている目玉が不気味に動く。明らかに邪悪なものがそこにはいた。
「それはこちらのセリフです、眼魔ゲイザー。ここで貴方を倒し、魔神バロールの再封印をします」
ローブをバサッとはためかせて、フードをとって少女は魔物へと宣言する。
暗闇でも光る銀糸のような長髪と笹のように長い耳を生やしている、ブロンが見たこともない絶世の美少女がそこにはいた。
お互いが睨み合い、戦闘となる光景を前に、本当にこの女神像はサキュバスを封印しているのだろうかと、不吉な思いにブロン神父は襲われるのであった。