48話 エメラは暮らしの変貌に驚くのです
王都『ブラックダイアモンド』にて、女衒に連れられて、アキに救われた子供たちのリーダーであるエメラはほぇぇと口を開けて驚いていた。
アキさんが拠点としている酒場を改造した商店。ラム酒やラムレーズン、そして砂糖や香辛料を扱うお店にエメラたちは雇われた。村に戻ってもどうせまた売り払われるだけだと知っていたので、それならばと雇用されて今に至る。
王都は驚きの連続であった。まず人の多さだ。村の全員を集めてもこれだけの人はいないだろうと市場を目にして思ったものだ。
そして、ご飯だ。お肉なんてお祭りで狩人さんがこの日のために集めておいた鹿肉などが配られるくらい。とはいえ、手のひらよりも小さなお肉がひと切れだ。それでも夢中になって食べた。美味しい美味しいと大事に大事に食べた。固くて固くてなかなか噛み切れなかったけど、当時はご馳走だと思ったものだが、そのお肉よりも大きなお肉を毎日食べている。
今も同じくお肉を食べている。改装された酒場で食べている。ずらりとテーブルには料理が並んでいる。私は小皿に料理を乗せて、フォークを刺してパクリと食べていた。
「ほらほら、お嬢様。もっとたくさん食べておくれよ。あんまり良い肉でなくて悪いけどさ」
色々な料理を食べたいなぁと、パクパクと食べていると、ふくよかな体格の中年のおばさんがワハハと笑いながら、私の背中を軽く叩いてくる。それでも結構な力で私は身体が揺らいで苦笑してしまう。
やけに親しげな様子の人だ。いや、ここにいる人々は皆そうだ。アキさんやトオルさんに、メイさんにニアさん、それと従業員のハーフリング?の人たち。そして私の仲間の子供たちと、なぜか宿屋の侍女さんたち。
そしてそして、この酒場の近辺の人たちだ。どんな人たちかというと……。
「ねぇ、お嬢様? うちのパンはどうだい? 最高の白パンなんだけどね?」
この人はパン屋さんの奥さんだ。アキさんに呼ばれて集まった商人の一人である。
「えっと、はい、あ、えっと美味しいです」
籠に入っている白パンを手に取り、一口サイズにちぎると口に入れる。ガチガチの黒パンなんかより全然美味しい。でも、宿屋のパンの方が少し美味しかったなぁとも思ってしまう。もちろん顔には出さないけど。
それに充分美味しい。村では一週間分をパン屋が焼いて、皆に売る。だいたいカチカチで野菜がちょっぴり入っている薄い塩味のスープに浸して食べる。最後の方は石よりも固くなり、スープに浸しても柔らかくなるのに時間がかかるし、黴臭い。
小麦粉の味がしてとてもこのパンは美味しい。それは間違いない。
「だろう? 人足に売るのは黒パンだけどさ。それでも充分に美味しいって旦那様に伝えておくれよ」
「おいおい、うちのパンの方が美味しいぞ。ほれ、嬢ちゃん食べてみろ」
横合いから他のパン屋さんが私に自分の焼いたパンを食べるように勧めてくる。やはり白パンだ。
「なんだいあんた、この子にはあたしのパンを勧めていたんだよ」
「どちらが良いか味比べといこうぜ。どうせ俺たちが人足のパンを受注するんだし仲良くな」
「そうだな。儂のパンもどうだい?」
他のパン屋さんたちも集まって勧めてくる。ここの人たちはこの先のスラム街?と言う土地の一部をアキさんが買ったので、大規模な作業をするために集められた。
大勢人足を集めるために、その前準備らしい。パン屋さんを何人も集めているのはそのせいだ。パン屋さんはその近所の分と後少ししか数を作らない。なので、急に多くのパンを注文されても焼くことができないので、お願いするべく集めたらしい。数店が頑張って焼いて、ようやく人足の分が集まるらしいから、どれだけの量なのか想像もつかない。まだまだ数は覚えている最中だし。
「人足分はもちろんだけど、ここの旦那様が買う分もあるだろ? そんな言葉に騙されると思っているのかい」
「ちっ。騙されなかったか。旦那様は最高のパンを求めるからな。なぁ嬢ちゃん食べてみてくれよ」
「うちのパンが一番だよ」
アキさんの求めるパンは最高級に決まっている。人足分は別として、こちらの注文もとりたいらしい。笑顔だけど、その顔にどことなく押し負けちゃうよ。
はわわと私は慌ててしまう。こんなに人々にお願いされるのは初めてだ。食べきれないよぅ。他の子のところにいかないかなぁと思って周りを見ると……変なことに気づいた。
仲間の数人には同じように商人さんが料理を勧めている。肉屋さんに八百屋さんだ。でも、ほとんどの仲間には商人さんたちは声をかけていない。どうしてだろうと疑問に思う。どこか変なところがあるだろうか? 私たちと違うところ?
ハッと気づいた。気づいてしまった。私を含めて数人は小皿に料理を乗せるとフォークを使って食べている。でも他の子たちは違った。
手づかみで食べている。もちろんパンは手づかみだけど、肉や野菜の料理も手づかみだ。私もこの間までは手づかみだった。村では皆手づかみだったからだ。でも、宿屋で侍女さんが注意してくれた。手づかみで食べると下品と思われます。将来的に非常に困ることになりますよと。
当時は意味がわからなかった。でも困るならフォークとかを使おうと、使い方を教えてもらい、最近はフォークやナイフにスプーンを使って食べている。難しいことではないし。
でも、ほとんどの子は気にしなかった。そういえば文字や数も侍女さんにこっそりと教わっているけど、同じように学んでいるのは、今もフォークを使って食べている子たちだけだ。後の子は頑張って仕事をしているけど、数の数え方だけしか学んでいない。
商人さんたちはにこやかに話して、侮蔑の表情などは浮かべない。アキさんにそんな表情を見られる程、愚かな商人はいないということだ。商人さんたちは、手づかみで夢中になって食べている子供たちを見ないふり、いないふりをして、スッと避ける。視界にそもそも入れていない。
………侍女さんの言葉の意味が初めて実感できた。新しい服、美味しい食事、やりがいのある仕事。アキさんはそれらを用意してくれた。奴隷となるのを防いでくれた命の恩人だ。大切な恩人だ。
しかし、そこまでだと気づいた。アキさんは私たちに何も言わない。侍女さんが教えてくれたことも。文字なども教えてくれない。いや、それは甘えすぎ。でも、必要だと教えてくれることもなかった。
ニコニコと優しそうな笑みで、アキさんは私たちを助けくれたが、ある意味残酷なところもあると気づいた。努力をしなくてはこのままでは置いていかれるはず。それは不確定な未来ではなく、確定した未来に思える。いや、きっとそうなるだろう。
今は南大陸から来たばかりで、雇える人も少ないから私たちも雇って貰えている。だけど来年は? 再来年は? きっと頭の良い人たちが多くなり、私たちはクビになっているかもしれない。なっていなくても、こんなパーティーに出れない遠くに位置する労働者になっている。
その未来は早くも目の前に現れていた。小石かなにかだと。自分とは関係のない人間だとパン屋さんたちからすら無視される仲間たち。今しか見えていない仲間たちだ。
「どうしたんだい? ボーッとしちゃって?」
「い、いえ、このパンとっても美味しいですね」
おばさんに肩を叩かれて、ハッと気を取り直すと、私は動揺を押し隠すようにニコリと笑みを作る。口元が引きつっていないか不安だったが、おばさんは気づかなかったか、それとも私の視線の先に何かを感じたのか何も言わなかった。
少し失礼しますと、ペコリと頭を下げてその場を離れると、とてとてとアキさんの下に向かう。アキさんはトオルさんに片腕を絡まれていながらカウンターの椅子に座って、対面に座る商人さんたちと話していた。周りにはパン屋さんたちよりも遥かに上等な服を着た人が集まっている。大店の商人さんたちだとひと目でわかっちゃった。
……パン屋さんたちがアキさんに近づかないで、私たちに近づくはずだ。古着を着たパン屋さんたちは明らかにその集まりには場違いだった。近づくことは許されない空気を醸し出している。
パン屋さんたちが、私の仲間を無視したように、大店の商人さんたちもパン屋さんたちを無視している。話しかけもしない。
「どうでしょうか、アキさん。うちの建築家を雇いませんか? 貴族の屋敷も手がけたことのある信頼できる方ですよ」
「お金に糸目をつけないと聞いています。良い絵画もあるんです」
「ラム酒に貴族も興味を持っておりまして」
「今度簡単な茶会を開こうと思いまして。トオル様はこちらの大陸のお茶会にご出席なされたことは?」
和気あいあいと、ワイングラスを燻らせて、上品な笑顔でアキさんたちは話し合っている。私はゴクリと息を呑み、アキさんへと声をかけようとして
「エメラさん。こちらに焼きたてのクッキーがありますよ」
肩に手をかけられて、さり気なく止められた。振り向くと宿屋の侍女さんがニコリと優しげな微笑みを浮かべている。
「なにかに気づいたようですが、ここで話す内容ではありません。そんなことをすればパン屋たちにも厄介そうな娘だと無視されますよ」
こっそりと耳元に話しかけられて、私は赤面してコクリと頷く。先走っちゃったと反省する。なにか難しいお仕事がないか聞きに行こうと思ったのだ。
「さ、こちらへと」
手を引かれて、その場を離れる。とてとてと離れていくと、アキさんが不思議そうな顔になったが、すぐに商人さんたちとの会話を再開していた。
部屋の隅には小さな円卓が配置されており、クッキーがずらりと並んでいる。メイさんたちがクッキーを食べながら、お喋りを楽しんでいた。幼女たちのお菓子の時間を邪魔する人はいないらしくほのぼのとした空気だ。
「私……このままだと駄目だと思ったんです……」
「ほう? 今の仕事では不満がおありと?」
「いえ、そうではなくて……。このままだと多分アキさんたちの視界に入らなくなると思うんです。恩人に恩返しすることもできなくなっちゃう」
悲しげに口にする。今の仕事だけでは足りない。それは確実なのだ。
「あの……マナーとか教えてもらえませんか?」
侍女さんはマナーなどを知っている。なにしろ貴族様の利用する宿屋の侍女さんだ。
「危機感を持ったのですね。ですが簡単な数の数え方や文字をたまに教えるのとは訳が違います。私にとっての利益はあるのでしょうか?」
スッと眼を凍えるような視線に変えて侍女さんは私を見てくる。その視線に心が縮まるけど、勇気を絞り出す。これしか方法はない。
「お給料の半分を。それと将来私が偉くなったら恩返しします。お願いします!」
バッと頭を下げて、必死な思いでお願いする。全部のお給料と言いたいけど、きっとこれからはお金が必要になることもあると思う。だから全部とは言えない。
お願いを聞いてくれるかと、恐る恐る窺うとくすくすと侍女さんは笑っていた。
「貴女には現在も非常に強力な武器があります。それに給料半分というのも良いです。これからは身なりも気にしないといけないでしょうし」
「それじゃ?」
「良いでしょう。その代わり侍女を宿屋から引き抜きませんかとアキ様にお願いしてみて下さい。その際は子連れの侍女が良いですよと」
クッキーを一枚、そっと上品な所作で摘むと、カリッと一口齧って青い髪のメイドさんは妖しく微笑む。
「私の名前はサーファといいます。よろしくね、エメラさん」
私はそうして王都での暮らしに目的ができたのである。強い強い想いを宿して。