44話 拠点を手に入れたのですよ
裏びれた酒場と言っても、表通りと面している酒場だ。ここは良い拠点だとアキは満足げに頷く。なにせ表通りに数歩離れているだけ。スラム街との門の役割をしているとの話は本当らしい。
石造りの頑丈な作りなのは、敵の襲撃を防ぐためだろう。窓も小さくて守りに適しているので気に入った。
「というわけで、掃除の時間だな」
サンサンと陽射しがさしてくる中で、アキは腕組みをして酒場を外から眺めていた。酒場の裏には細道があり、スラム街へと続いている。正面扉から眺めると、表通りが目に入り、人々が歩いている姿が目に入る。絶好の立地だが、いかんせん汚い。
通路にはゴミが積み重なり、腐臭が鼻に来る。酒場の中も赤黒い染みがあるし、床は腐っている上に、藁くずとゴミが隅に溜まっていた。食べかけの肉が付いた骨とか、野菜屑や、なんか潰れた肉塊とか、汚すぎるのでため息を吐いてしまう。
「お掃除するのです? 皆でするのです?」
ぽてぽてとメイが歩いてきて、裾を引っ張ってくる。金髪のおさげをぶんぶんと振って、その顔は面倒くさいと訴えていた。幼女はお掃除嫌いなのだ。
「そういうのは下女に任せるのさ。ちゃんと仕事を与えることも富を持つ者の義務なんだってパパは言ってたよ」
私の腕に引っ付いているトオルがドヤ顔で胸を張る。背中に杖を背負っており魔術師風剣士である。魔術師風なのは、この娘はメモを読まないと魔術が使えない上に、武術が天才的だからだ。
「たしかにそのとおりだな。金持ちが節約するとろくなことがない。派手に使ってこそ下は潤うというものだ」
壁にもたれかかり、クールに言ってくるのはニア。最近は本に戻らずに、褐色の凄腕剣士風魔術師をやっている。剣士風なのは、背中に背負っている大剣は飾りだからだ。まともに振ることもできない女性だった。
「そのとおりだな。金持ちは金を使うのも義務だ。もったいないと金持ちが節約したら経済は回らない」
余裕があれば、金持ちは金を使うべきというのがアキの持論である。宝石やドレス、調度品に金をかけるのはもちろんのこと、侍女やメイドを雇い入れると、それだけでメイド服の費用、光熱費、食費とかかる。服屋や八百屋は儲かるし、輸送する人間も必要となるだろう。農家に始まりお針子にも仕事が回る。上流にいるものが少し金を使うだけで、潤う人間が大勢いるのであるからして。
「だから一人でできるからと、何でも一人でやらないようにって、ママも言ってたよ」
「同じ持論を持っているようで良かった」
トオルのサラサラの赤毛を撫でるとエヘヘと顔を真っ赤にしてグネグネと身体を揺らすので見ていて飽きない娘だと、微笑みを浮かべてしまう。
「王政のこの世界なら、貴族は金を使う義務があるのだが……貴族でなくとも金は使って良いだろう」
後ろを振り向くと子供たちが並んでいる。エメラを先頭にふんふんと鼻息荒く掃除をする気満々だ。どこから買ってきたのかモップや木のバケツも手にしている。だが、肉塊とかを子供たちに片付けさせるのは少し教育に悪い。
「そこで覗いている君たち。あぁ、逃げなくとも良い。少し仕事があるんだよ」
ボロ切れのような汚れた服を着て、裸足の人々が裏道の影からこちらを覗いていたので声をかける。ビクリと肩を震わせて、逃げようとしたので、手のひらに銀貨を乗せてピンと指で弾く。
チンと銀貨が響く音に逃げ腰であった者たちはピタリと動きを止めて、私を見てくるので、ニコニコとお人好しの笑顔を見せてあげる。
「簡単な話なんだ。この近くにごみ捨て場はあるのかね?」
「あ、あります。女神が作ったごみ捨て場です。そこに捨てると浄化されて、普通の土になるんです」
恐る恐る手を挙げて男が声をかけてくる。アキの笑顔で少しだけ警戒を解いたようだった。私の滲み出る善性が周りに伝わったんだろうね。
「ほぅ。そんなものが……ファンタジーだな」
銀貨を弾いて、答えてくれた男に放り投げてやる。慌てて男は銀貨を受け取り、卑屈な笑みを浮かべて頭を下げてきた。
本当は金貨でも良いんだけど、その場合、この男は一時間もたずに殺されそうだからな。銀貨は嵩張るから嫌なんだけど仕方ない。スラム街では銀貨中心で使う予定。
「それじゃ、そのごみ捨て場にゴミを捨てに行けば良いんですね?」
ニコリと微笑み、聞き返すと騒然となって人々は手を挙げて口を開く。
「あそこは表通りの役人がいるんです」
「だからスラム街の俺たちは使えません」
「運ぶだけ無駄です」
「すらむーすらむー」
約1名、ふざけているのでスルーして、ふむと顎に手を当てて、その内容を考え込む。スラム街の連中は使えないのか、まぁ、よくある話だよな。
だがまったく問題はない。とりあえず銀貨を一人ずつへと投げながら、ニアへと顔を向ける。
「ニア。ここらへん一帯のゴミを捨てたいんだけど、役人に話をつけてくれるかい?」
「ゴミか。良いだろう。あまり多くのゴミを作るなよ」
片眉をあげて、苦笑を浮かべる褐色剣士に金貨の詰まった袋を渡しておく。
「さて、では君たち。まだまだ仕事はあってね。とりあえずゴミ捨てを手伝ってくれれば助かるんだが、どうだろう?」
「やります!」
「ぜひとも!」
「やった、今日は飯を食えるぞ」
「ゴミ作り〜ゴミ作り〜」
一人嫌味を言ってくるが余計なお世話だ。他の面々は仕事があるのならと集まってくるので、ニコニコと微笑み頷く。とってもゴミが多くなりそうなんです。
「オラァ、その酒場寄越せや〜」
「俺たちのもんじゃ!」
「金も女も奪え!」
ドタバタと裏道の奥から誰かの叫び声が聞こえてくる。金属音がガチャガチャと響き、石床を荒々しく走る音が聞こえてくる。
「な、なんだ、お前ら」
「ちょ、まて」
「こいつら殺しのプロ」
「ぬんじゃーぬんじゃー」
続いてバタバタと倒れる音と悲鳴が聞こえてくる。なんだろう、祭りだろうか。結構たくさんの音だな。
「数日はゴミが大量に出るだろうが、スラム街だからな。それも仕方ない」
肩をすくめて、酒場に戻ることにする。掃除は大事だよな、うん。
結局、ゴミを片付けるのは2日かかった。予想よりも時間がかからなかったので、大変結構。
『30人の忍者』
『売り上げ決算:プラス50万GP』
『人件費:下忍30体、メイ:合計金額マイナス31万GP』
『幼女への投げ銭:プラス5万GP』
『悪人退治:名声プラス2700』
『純利益:24万GP※100GP以下は手数料として、ニアが徴収させてもらいます』
そして3日後である。ゴミも粗方片付けが終わり、新たなゴミは出なくなり、ようやく酒場を綺麗にすることに着手できた。
外にゴミはなく、スラム街に入る細道も結構な範囲が綺麗となっているし、酒場周辺の家屋は奇特な人がぜひとも使って下さいと寄付してくれたので貰い受けたので、アキの物だ。
頑丈なだけの古ぼけた木の扉や木窓に床、酒場内の洗っても臭気が取れないテーブルや椅子、カウンターや棚も全て交換することに決めた。
なので、家具屋や大工が大勢出入りしている。源さんに床を修復してもらい、綺麗なものだ。ベッタリと石に染み付いた赤黒い染みが消えなくて困っていたが、源さんが綺麗にしたくれた。さすがは妖精だ、素晴らしい。
「けっ。こういうのは簡単に汚れはとれるんだ。石の染みってのは意外と簡単なんだ」
べらんめえと鼻をこすり、仕事をしてくれる源さんには感謝しかない。
この酒場はラム酒やラムレーズンを売る店舗にするつもりだ。ラムレーズンを入れたパウンドケーキも日持ちがして良いだろう。なので大改装中なのである。
「あの、このテーブルはここで良いんですか?」
「ガラスケースはここに置くのですか?」
家具屋たちが、新調したカウンター前に置いてある椅子に座るアキに揉み手をしながら聞いてくる。金払いの良い南大陸から来た商人の話は広がっており、下にも置かぬ扱いをアキは受けていた。
手持の金貨は山程ある。商売を始める前から、なぜか金貨が1000枚程増えているのだが、遺産相続とだけコメントしておきます。
「あの……通路は綺麗にしました」
おずおずとスラム街の住人が手を挙げてくる。細道も裏道も掃除が終わり、劇的ビフォーアフターとなったのだ。やはり腐臭がなくなると、イメージも変わるというものだな。
「ありがとう。随分綺麗になったものだな」
酒場を始めとして、ここに来たときは鼻をつまみたかった臭いが消えて、私はニッコリと微笑んで次の指示を出す。
「それじゃ大量の湯をトオルが沸かすから、皆は身体を洗うように。ニア、風呂にできる家屋の用意はできたかね?」
脚を組み、頬杖をつきながら確認すると、最近忙しいと文句を言っているニアは頷く。
「あぁ、できるだけ排水の良い家屋を源さんが改造してくれた。まぁ、仮小屋だから大雑把だが、皆が体を洗うことはできるだろうよ」
「木材があったからな。こんなもんチョチョイのチョイだ」
「よろしい。それでは君たちは風呂に入るように。申し訳ないが君たちは臭いのでね。石鹸を大量に使って、綺麗にしてくれ」
大量に石鹸も買い込んであるからと、デリカシーゼロの言葉を屯しているスラム街の住人に伝える。人に臭いとは失礼極まるけど、何年も風呂に入っていない者たちだ。近づくだけで臭いのだ。
「はい、ありがとうございます!」
「風呂なんて初めてだよ」
「新しいボスは良い人だよな」
「あと、古着を一人につき数枚買ってある。それも受け取っておくように。風呂から出たら、君たちに飯と銀貨を与えよう」
そう伝えると、気の早い者は走り出し、親子らしきボロ布を着た者たちは笑顔となる。古着は3枚で銀貨1枚だった。スラム街の住人たちは20人はいるが、まったく問題はない。
「あの……シチューもパンもたくさん用意してありますよ〜」
外にいるエメラたちが、寸胴鍋を前に皆に笑顔で伝える。シチューの中にはたっぷりの野菜屑や少しのベーコンが入っており、良い匂いを周りに広げている。
「これで、拠点ができたのですよ」
「そうだな。なぜかここらへんを仕切っていたチンピラたちは軒並み旅に出たらしい。平和な通りとなれば、ここを店として使用できるだろうよ」
直に他のスラム街の住人も集まるだろう。銀貨を惜しげもなく配っていると聞けば、短期間で人は集まるかもしれない。
「1000人でも、金貨30枚あれば、余裕で一月は雇える」
「金貨で雇わないのですか?」
ぽいぽい金貨を配らないのかと、メイが尋ねてくるが、そりゃそうだ。
「いきなりスラム街の住人が金貨を持ったら、普通の平民に反感を買うに違いない。少しずつ環境は変えていこう。まぁ、うちの掟は単純だ。風呂には3日に1度は入ること。小綺麗な格好をすること。裏切らないこと。大罪を犯さないことだ」
小綺麗になれば、公共施設の風呂も使えるだろうしな。収入の面で入らないだろうから、トオルにしばらくお任せだ。
「しかし少し強引にやりすぎたな。悪党共はスラム街の奥に集まり、連合を組むぞ」
ニアが懸念を口にするが、そうなると思う。スリ、空き巣までは見逃しているが、この周辺にいた罪科として殺しが表示されていた人間は軒並み自分探しの旅にでかけたし。
「きっと大規模な劇ができるだろうよ。ヘンシデンがあれから何も言って来ないところを見ると、暗躍しているに違いない」
「あいつ魔道具を大量に持っていたのです。いつもとは少し違うのですよ」
魔術師がいたり、魔道具持ちがいれば、これまでのように楽には戦えないとメイが忠告してくるが、たしかにそのとおりだ。
「スラム街のボスの連中にも魔道具持ちはいるだろうしな。それについては考えがある。汎用魔道具というのは、誰でも使えるんだよな?」
「平民でも使えるようにしてあるから、きっと魔力を流すだけで魔術が発動するのです」
「予想通りだ。それならば試したいことがあるんだよ」
きっと面白いことになると、アキは笑ってトオルの様子を見に行くことにする。あの娘はポンコツだから気をつけないとな。
さて、何日頃に劇は披露できるかね。