42話 キケンな小人に要注意です
裏ぶれた酒場。外は闇夜が広がり、蝋燭を買う余裕もない貧困層の住む区画のために、この酒場以外に明かりは見えない。酒場だって古びている。石造りの壁に、木の床。木の床の所々は腐っており、穴が空いているところもあるが、放置されている。部屋の隅には藁くずとゴミが重なり、腐臭が臭う。
暖炉の薪がパチパチと音をたてて燃えており、その上に置いてある鉄鍋に入っているクズ野菜しか入っていないシチューは焦げそうだ。壁に掛けられているランプの油も消えそうで、炎が小さくなっており、薄暗い部屋に人影がゆらゆらと炎の揺れに合わせて踊る。
30人程いるが、前祝いをしていたために、半数は酔い潰れており、酒の匂いが充満していた。残りの半分も、酔っており赤ら顔でしゃっくりをしている者もいる。皆は真っ当な人間ではなく、押し込み強盗から、誘拐、殺しと、裏の稼業をしており、暴力を振るうことに躊躇いを持たない者たちだ。
危険な酒場。一般人がこの酒場に入れば、すぐに危険に気づきUターンするであろう。
しかし、その危険な酒場内に場違いの子どもたちが立っている。クスクスと笑っており、昼の陽射しの中でその無邪気な姿を見れば、子供が遊んでいるのだろうと、気にもしないで通り過ぎるに違いない。
だからこそ、異常がわかる。平気な顔をして、強面の男たち、しかも暴力を振るうことに躊躇いを持たない上に、酔っている男たちを前に、怖がる様子もなく、クスクスと笑っているのだ。
お伽噺に出るような大きな宝箱の中から現れた子供たち。金貨を頭に乗せて5人程の男の子たちは、悪戯そうな顔で宝箱から出てきた。金貨が箱から零れ落ち、チャリンチャリンと音が鳴る。
「な、なんだよ、餓鬼ぃ。お前ら悪戯でもしようってのか、えぇっ?」
男の子の頭に乗る金貨をとった男が腰を屈めて、子供の顔に近づくと睨みながら凄む。酒臭い息を吹きかけて、殴ってやろうかと、片手を振り上げてもいた。5歳程度の子供に見えるが、男は容赦をするつもりなどない。押し込み強盗では女子供も皆殺しにしてきた男は、ここで殴って子供が死のうと気にしない。
周りの連中も、止める気もなくニヤニヤと笑っている。グレックスも、なぜ子供が宝箱から現れたかは分からないが、殺しても問題はない、いや、それどころかいい余興だと眺めていた。
「おじさん、僕の宝を奪ったね?」
「あぁっ? てめえの宝? んなわけねぇだろ! これは金貨だ、てめえよりも遥かに価値があるもんなんだよ!」
ニタリと笑う子供の口元はまるで三日月のように裂けているようで不気味であった。だが、酔っている男はその異常に恐怖を感じたものの、アルコールのせいで頭もよく回らなかったために気のせいだと思ってしまった。それどころか、子供の笑いに少しでも恐怖を覚えたことに恥じて、怒気を露わにした。
「お仕置きだ!」
全力で子供の顔へとパンチを繰り出す。その容赦のない一撃は小さな子供にとっては致命的となるであろう威力を持っていた。きっと殴られて、普通の子供は吹き飛び、下手をすれば死んでしまうだろう一撃。
パシッ
だが、その一撃は子供の小さな手のひらにあっさりと受け止められた。暴力を仕事にしている男のパンチだ。本来なら子供程度では受け止めることなどできないはずなのに、受け止められた。
しかも、子供は赤ん坊の拳を受け止めたかのように、後退ることも、体幹が揺れることもなく、平然と立っていた。
「な、なんだよ、生意気だな、てめぇ……」
受け止められたことに恐怖を再び感じながらも、男は強がりを見せるが、変なことに気づいた。
「お、お前、なんか変じゃないか?」
小さな手のひらに受け止められたはずなのに、徐々に男の拳は子供の手のひらに包み込まれそうになっていた。
それどころか、男の視線は少しずつ高くなる。最初は子供を見下ろしていたはずなのに、いつの間にか自分と同じ目線の高さに、そうして見上げなければならなくなった。
「僕の宝を盗む人にはお仕置きだ〜」
「な、なんだよ、お前、その姿? 背丈おかしくな、ないか?」
3メートルを超える大男が男の前に立っていた。もはや子供ではない。子供であった顔は筋肉の塊を捏ねたように変わり、その身体は膨れ上がり、服はその身体に合わせて大きくなっているが、張り付くようにぴったりであり、その下が筋肉の鎧に覆われているのが簡単に分かる。
何より見上げないといけないほどの巨漢になっていた。オーガのようにその背丈は高く、男は先程と反対の立場であり、見下されている。
震える声で、これは酔って寝てしまったのかと、夢の中なのかと男が思う中で、目の前の大男は腕を振り上げる。
「僕、スプリガン。盗人はお仕置き〜」
『剛撃』
声だけは無邪気な男の子の声のままで、スプリガンは男が先程躊躇いなく殴りかかってきたのと同じく、岩のような拳を振り下ろす。
「ゴガ」
男は頭を殴られ、スイカのようにぱっくりと割れて鮮血を撒き散らし倒れ伏す。
「はぁ?」
グレックスはなにが起きたのか、見た光景が信じられなくて、呆然と口を開く。周りの面々も同じであり、酔っているのだろうかと、お互いに顔を見合わせていた。
「皆、盗人だぁ」
他の子供たちも身体が膨れ上がり、筋肉達磨のような巨漢へと変わっていく中で、スプリガンは近くのグレックスの仲間を腕を振り、胴体へと食らわせて吹き飛ばす。
まるで小石のように吹き飛ばされた仲間は他の仲間を巻き込んで、テーブルを倒して床に転がる。
「グハッ」
「おい、どけよ、お前!」
内臓をやられたのか、血を吐いて痙攣する男を、巻き込まれた他の仲間へと怒鳴りながら、手で退けようとするが、ヌッとスプリガンの姿が影を落とす。
「盗人は死刑〜」
「や、やめ」
悪戯が成功したような声音で、スプリガンは拳を振り下ろす。グシャリと音がして、肉が潰れる鈍い音が響く。グシャリグシャリと何度も音がして、人の悲鳴がする中で、スプリガンは無邪気な笑い声をあげて、何度も拳を振り下ろし、ようやく止まった時には、なにか潰れた赤黒い塊が床にはあった。
「死んじゃった」
テヘと拳を真っ赤に染めて、化け物は筋肉の塊の顔をクシャリと歪める。
「盗人は死刑〜」
「宝は守るのだ〜」
「人間の30倍の力を発揮するのです〜」
周りの巨漢たちはその様子を見て、ケラケラと嘲笑う。ケラケラと子供たちの声がシンと静まり返った酒場内に響く。
グレックスはその様子を猟奇的な光景を見て、恐怖と怖気から気を取り直した。
「魔物だっ! てめえら、魔物だぞ! 武器をとれ!」
斧を手にして立ち上がると、手近なスプリガンに素早く迫る。強い踏み込みで肉薄すると、斧を全力で振るう。ブオンと風を切る音をたてて、スプリガンの胴体に斧はめり込んだ。
「へっ、化け物が……な、何だこいつ!」
スプリガンの胴体に斧はめり込んだ………はずであった。しかし、その強固な筋肉の鎧は予想以上の硬さを持っていた。斧はその身体に僅かしか食い込んでおらず、ダメージを与えられていない。
「スプリガンの筋肉は銃弾すら弾き返すのです」
そのスプリガンは笑いながら、食い込んでいる斧を掴もうとする。グレックスはチッと舌打ちをして斧を引くと、後ろへと下がる。
「グワッ」
「ギャッ」
周りの部下たちは、ハンマーのような拳を食らい、次々と倒されていく。素手であるのに、その威力は凶悪で、防ごうと腕を掲げても、気にせずに腕をへし折り、頭を叩き潰していく。
酔って寝ている者たちにもスプリガンは容赦を見せずに、次々と殺していき、血風が舞う。なんとか武器を手にして戦おうとする者もいたが、剣を振るってもかすり傷しか与えられず、反対にたった一撃の攻撃で倒されるざまだ。
強い。この魔物は強い。グレックスは今の酔った部下たちでは対抗できないと目を険しくさせて、ターゲットを変える。
「てめえ、魔物使いだな! こいつらの動きを止めやがれ!」
ゆらりと佇むローブの男へと、怒りで顔を歪めながら斧を突きつける。
魔物使い。魔術師でもめったにいない希少な者たちだ。何しろ凶悪な魔物を扱える。戦闘において、安全に敵を倒せる魔物使いたちは、国では重宝されている。なにせたとえゴブリン一匹しか扱えることはできなくとも、損害を気にしない死兵が一人使えるということなのだから。
なので、このような裏ぶれた酒場にいるはずもないのだが、それしか考えられなかった。グレックス自身も魔物使いを見たことはない。噂話しか知らないが、そうとしか信じられない。
「お届け物です……金貨を持ってきました……」
「ふざけやがって!」
先程と同じようなセリフを言うローブの男へと怒りで斧を振るう。豪風と共に斧がローブの男の首元へと入る。ザンッと布を切る音を立てて、斧は通り過ぎた。
「は?」
ポトリとフードが落ちて……落ちて、それだけであった。手応えがまったくなかった。
そして、頭には半透明の人間の頭があった。目鼻はぼんやりとしてはっきりとはしておらず、青白い燐光を放っている。
「お届け物です………金貨を持ってきました……」
またもや同じことを言う。そこには感情など感じられず、どこか不安を感じる声音であった。
「死霊……な、なんで死霊が?」
魔物使いは不死者を扱えるのだろうか? 生者を憎み、その命を狙う死霊たちを使役できるのだろうか?
他のローブを着込んだ者たちもフードを取り払う。そこにはやはり半透明の頭があり、地の底から響くようなうめき声をあげていた。
「全員、死霊? なぜ、なんだよこれは」
周りからは部下の悲鳴が響いている。死霊たちは、そばに倒れている部下を触れる。
『吸命』
倒れている部下の肉体から生気が抜けていく。ドレインにより、その生命を吸われた部下の肌はカサカサに乾いていき、髪は白くなっていった。
「あぁ? なんだよ、なんで死霊が」
死霊は魔術付与された武器、魔術、神聖術でしか倒せない。それ以外では、人間は対抗できずにその命を吸い取られて死ぬ。幽霊ならば、たんに浮いているだけで害はないが、死霊は危険な魔物なのだ。
目の前の部下は、老人のようにシワだらけとなり、息絶えている。
グレックスももちろん対抗できるような魔道具など持っていない。周りの部下たちはスプリガンにより殴り殺されていき、死霊は寝ている男たちの生気を吸い取っている。
肉塊となるまで殴られて死ぬか、枯れ木のような老人のようになって殺されるか、どちらかしかないのかと、グレックスは死の恐怖に襲われる。何人ものチンピラを倒し、騎士とも戦った経験があるグレックスだ。死にそうな時は何度もあった。だがこれ程、死の恐怖に襲われたことはなかった。身体が恐怖でガタガタと震える。
もはや戦う気など微塵もなく、グレックスはドアへと視線を向ける。ほんの数歩で逃げることができるように見える。グレックスはあっさりと部下を見殺しにして逃げ出すことにした。
「くそがっ!」
何が起こっているのか、さっぱり分からないが、なにか恐ろしいものに触れたのだと思いながら、弾かれたように飛び出す。死霊の横を通り過ぎ、酒場のドアへと手をかけて、ニヤリと笑う。
逃げることができる。スプリガンは動きは鈍そうだ。死霊は周りの人間の生気を吸うのに夢中。追いかけてはくるまいと、扉を開こうと力を込める。
だが、扉を開けようとしても、びくともしなかった。木の感触ではない。鉄の塊を引っ張っているような感触だ。
「な、なんでだ? なんでだよ、おい」
この酒場は敵の襲撃を防ぐために木窓は小さく大人は通り抜けることはできない。扉から出るしかないのに開かない。焦りながら力を込めるグレックスだが
「おや、金貨に子供たち。君の望んだ物を全て持ってきたのに、外出する気かね?」
後ろから男の声がした。冷徹な凍えるような声だ。グレックスが後ろを振り向くと、カウンターで銅のコップを傾けてエールを飲んでいる男がいた。
肉が潰れる音がして血が舞い、子供たちの無邪気な笑い声と部下の断末魔の声が響き、死霊が宙を漂い生気を吸収する中で
「寂しいじゃないか。どうだい、1杯? 私が奢ろうじゃないか」
阿鼻叫喚の地獄の中で、ニコニコとお人好しの表情をした男が脚を組んでいつの間にか椅子に座っていた。