41話 金貨の詰まった宝箱には要注意なのです
グレックスは笑いが止まらなかった。終始機嫌よく高笑いをしていた。
裏ぶれたスラム街と表通りを繋ぐちょうどよい立地にある酒場兼グレックスの拠点。酒場は荒くれ者で埋まっており、汚れ仕事を依頼してくる後ろ暗い者たちを相手にしている。貴族の場合は奥の個室だ。
間違えて入ってきた一般人は、弱そうならば身ぐるみを剥いで、強そうならば仲間に誘うこともある。知っているものは知っているスラム街に続く門の役割を担っているのが、グレックスの拠点であり、他のスラム街のボスよりも一つ頭を抜けて存在している理由でもある。
豪奢な内装の自室にて、壁際に部下を立たせて機嫌よくソファに座り、テーブルに脚を乗せて、醜悪に口元を歪めている。
「話が通るとは思わなかった金貨3000枚が苦労なく手に入るとは思わなかったぜ! あんなお人好しが世の中にはいるもんなんだな!」
昨日脅しにいった商人。そのお人好しっぷりに笑いが止まらないのだ。なにしろ払われる訳がないと思って言った金貨3000枚。それをあっさりと支払うと言ったのだ。田舎のガキを守るために。
「俺ならガキを放り捨てるね。まさか、支払うとは。本来は金貨3枚も価値はねぇ奴等だぜ?」
また思い出し笑いをして、クハハと笑い、周りも追従して笑う。部屋は愉快な笑いが響き渡り、これから手に入るだろう金を期待している空気となっていた。
「………だがどうするんだ? その金貨を受け取れば、奴に絡む理由が無くなる。ラム酒やラムレーズンはどうやって手に入れれば良いんだよ!」
約1名。対面に座るヘンシデンを除いてだが。
苛立ちを隠すことなく、貧乏ゆすりをして尋ねてくるヘンシデンへと馬鹿にしたようにグレックスは鼻で笑う。
「そんなことを気にしてやがったのか。おいおい、頭を使えよヘンシデン。金を受け取って数日経ったら、やはりこの程度の金じゃ足りないなと脅しに行けば良いんだ。奴が音を上げるまで、とことん搾りとってやろうぜ」
グレックスは裏の仕事を請け負う集団だ。ヘンシデンと組んで最近は酒問屋を脅し、その権利を譲ってもらい、言うことを聞かない奴は葬ってきた。伯爵の後ろ盾があったので、かなり強引に、それだけ自由にやってきたのだ。今更約束を守るなどと、そんな気持ちは毛頭ない。
その程度がわからないのかと、ヘンシデンを馬鹿にして鼻で嗤うが、対面に座るヘンシデンはかぶりを振って眉根を顰める。
「お前、おかしいと思わなかったのか? 金貨3000枚だぞ? いくらお人好しでもポンと支払える金額じゃない。金遣いの荒さは調べて聞いていた。ポンポンと大金をチップにする男だとな。だがこの金額を普通に考えて払うか? いや、払えるか?」
その真剣な言葉に、グレックスも笑うのをやめて、考え込む。
「……たしかにそうだな。普通はそんな金持ってないよな。ならなんでだ? もしかして噂通り『無限の袋』を持っているんじゃないか?」
『無限の袋』とは、生き物以外は何でも入る魔道具だ。商人の垂涎のアイテムである。その価値は金貨10000枚は最低でもするだろう。その金額でも、なかなか手に入らない希少なるアイテムが『無限の袋』なのだ。
もしもそんな魔道具があったら、奪ってやろうと考えて、またニヤニヤと笑い始めるグレックス。
「違う違う。実際に持っているかではなくて、それだけの金貨を支払っても問題ないと考えているだろうアキが問題なんだ。どうしてそれだけの金貨を支払えるほどの資金力があるんだということだ」
手を横に振って、ヘンシデンが顔を顰めて言ってくる内容に、ようやく頭の回転の鈍いグレックスでも合点がいった。たしかにおかしい。お人好しでも、簡単に支払えることのできる金額ではない。
「なら、なんだってんだ?」
「資金力を持つ南大陸の有力貴族が後ろ盾ではないのかと言うことだ。アダマス王国に圧力をかけられるほどの貴族がいるんじゃないか?」
「そういうことか。あぁ、ヘンシデンは頭が良いな」
納得して頷くグレックスの落ち着きぶりにいよいよ余裕がなくなるヘンシデンは、バンと強くテーブルを叩き怒鳴る。
「これ以上手を出したら、その貴族が文句をつけてくるかも知れないんだぞ? そうしたらどうなる? 伯爵はきっと俺を切り捨てるに決まっている!」
「まぁ、そうだろうな」
金切り声をあげるヘンシデンに、グレックスはつまらなそうに耳をほじりながら、つまらなそうにあっさりと認める。たしかにあの伯爵なら切り捨てるだろう。利に聡く、害があるとなれば容赦なく捨てる男だ。きっとヘンシデンはこれまでの奴隷の不自然死の罪も被せられて死ぬだろう。
「そうだろうな? そうだろうなじゃないっ! そうしたら俺はおしまいだ!」
「お前はな。俺は大丈夫だ。スラム街に入って、俺様を捕まえに来ようとする命知らずなんかいないしな。騎士様だって、この臭い地区には入らなぇ。騎士の誇りが汚れるからな」
ガハハハと可笑しそうに笑うグレックスをヘンシデンは睨みつけて、手を怒りでぶるぶると震わせるが、元々この話を持ってきたのは自分であるし、グレックスの言うことは正鵠をついている。文句をこれ以上言うことはできない。
「良いじゃねぇか。犯罪者にされたら、名前を変えて戻ってこい。お前は俺と同じぐらいに強いんだからよ」
体格もよく、腕っぷしもあるグレックスは、痩身のヘンシデンへと同じ程度の強さだと認めて、スラム街に戻ってくるようにあっさりと誘ってくる。
ヘンシデンはグレックスよりも強いと自負している。今は魔道具もあり、昔よりかは腕は落ちたが、落ちた分のカバーを充分できるだろう。だが、そういう問題ではないのだ。
ここまで成り上がるのに、スラム街出身の読み書きもできなかった男がどれだけ苦労をしたと思っているのだ。幸運にもジルコニア伯爵に気に入られて、汚い仕事をしつつ成り上がった。それをあっさりと捨てろというグレックスの気軽な言葉に怒りを覚えるが、なんとか耐える。
「俺は伯爵のところに、ご機嫌伺いに行ってくる。お前も少しは気をつけるんだな!」
吐き捨てるように告げると、荒々しい足音を立てて、ヘンシデンは去っていき、グレックスはその様子を馬鹿にして冷ややかな笑みを浮かべる。
「あぁいうのが嫌なんだよ。ったく、スラム街にいれば自由気ままにできるのによ。馬鹿な男だぜ、まったく」
内心ではヘンシデンとの付き合いもここまでかと計算していた。ああは言ったが、万が一騎士が来れば自分たちは捕まり処刑されてしまうだろう。これまでたっぷりと稼がせて貰ったが、情けなどはない。あっさりと切り捨てるつもりであった。
ともあれ、今はその時期ではないと思いながら立ち上がる。
「お前ら、今日は前祝いだ! 酒場を貸し切りにして、浴びるほど酒を飲むぞ!」
「おーっ!」
「さすがは親分!」
「わかりました!」
部下はその言葉に歓喜して、酒場へと向かう。グレックスも笑いながら酒場に向かい、皆へとこれから入る金のことを告げて、終始機嫌よく酒を飲むのであった。
………そうして、とっぷりと日が暮れてからしばらく経ち、外も暗くなり犬の遠吠えがどこからか聞こえ、暖炉の火がチロチロと燃え、薄暗くなった夜半であった。
トントン……。
酒場の扉を叩く音がして、部下の一人が赤ら顔で首を傾げて向かう。
「なんだってんだ、こんな夜中に?」
酒場で飲んでいた半分は酔い潰れており、酒臭さが充満している中で、部下が扉を開ける。グレックスは密かに立て掛けてある愛用の斧に手を添える。こんな時間にやってくるのは敵対組織の可能性があるからだ。頭は悪くともどんな時も油断はしないので、グレックスはボスになれたのである。
「もし……。商人のアキ様の遣いのものです……お金をお持ちしました」
扉を開けると、そこにはフードを深くかぶりを口元しか見えない、やけにひょろりとした人が立っていた。灰色のローブは目立たなく、ともすれば、闇夜に消えてしまいそうだ。なんだか、ガラガラ声で不気味だと、心が冷えるような感じを覚えたが、酔っている男は気のせいだろうと、気にしなかった。
フードをかぶった人の後ろから同じ格好の者が4人現れて、やけに大きな宝箱を運んできた。2メートルは横幅がある宝箱だ。まるでお伽噺で見るような宝箱である。
重そうな宝箱をローブを着た男たちは、辛そうな様子もなく運んでくる。ごくりとつばを飲み込んで、酔った部下は深く考えることもなく酒場へと招き入れる。
まだ起きていた仲間たちは運び込まれた宝箱を見て、ギョッと驚く。そんな大きな箱で持ってくるとは思わなかったからだ。
グレックスは宝箱を見て、疑いの表情となりローブ姿の者たちを睨むように観察する。もしかしたら、宝箱はダミーで、グレックスを殺しにきた殺し屋かと思ったからだ。
だが、ローブから覗く腕は枯れ木のように細く、陰気な空気を醸し出している以外はひ弱そうだ。腰に剣をさしている訳でもなく、不用心にも程がある姿だった。こんな奴らが金貨3000枚を持ってきたのだろうか? こんな夜更けに?
「夜半の方が目につきにくいと思いまして……グレックスさんも目立つと困るでしょう………」
嗄れた声音で、ようやく聞こえるようなささやくような小声でローブの男は言う。たしかに大金なので、周りにバレたらまずい。金庫に仕舞うまでは安心はできない。途中で襲撃される可能性は昼のほうが意外と高いかもしれない。夜半はもはや後ろ暗い者しか出歩かない。まさか金貨を運ぶ者がいるとは考えないだろう。
たしかに一理あるなと思いながらも、宝箱とは変だ。しかもかなり大きい。
「ここに金貨3000枚が入っているのか? まさか大銀貨支払いじゃねぇだろうな?」
3000枚は大金だが、この箱に入れるには少なすぎる。大銀貨なら3万枚。大銀貨払いなのだろうか? まぁ、貰えれば何でも良いが数えるのが少し面倒だ。
疑いの表情を向けるグレックスに、ひょろりとしたローブの者は首を横に振り否定する。
「いえいえ、金貨です……ご確認を……」
「あぁん? 金貨? ……まぁ、良い。お前開けてみろ」
もしかしてトラップなのかと思いながら、部下に指示を出す。部下は金貨がたくさん入っているのとか、ごくりとつばを飲み込んで、宝箱に手をかける。
キィと音を立てて簡単に宝箱は開き……。
「すげぇ! 金貨でいっぱいですぜ、親分!」
宝箱からは黄金の光が放たれていた。ぎっしりと金貨が詰まっており、部下は喜びの顔でグレックスに報告してくるが、グレックスにもその輝きは目に入っていたので、驚きで目を見張る。
「こりゃ金貨3000枚どころじゃねぇ! 3万、いや、もっとあるだろ! なんのつもりだ、えぇっ?」
これほどの金貨を支払うなどとはさすがに変だ。酔いは醒めて、警戒心を露わにして詰問する。
「ばあっ」
ローブの者が答える前に、宝箱から子供が姿を現す。小さな男の子たちが、金貨を頭につけて、箱から出てくる。
「うおっ! な、なんだ? 驚かせやがって。金貨は上だけで残りは子供か?」
ぞろぞろと子供たちが箱からニコニコと笑顔で出てくる。驚かせたことが成功して嬉しそうだ。
「なんだ? 子供も返すってのか?」
尋ねるグレックスにローブの者は何も言わずに佇む。何なんだとグレックスが混乱する中で、驚かされた部下が怒りで顔を真っ赤にすると、子供の頭についている金貨をつまみとる。
「驚かせやがって、このガキ! なんのつもりだ」
その言葉に、それまでの無邪気そうな顔をやめて、子供はニタリと笑った。
「僕の宝を奪ったね?」
その笑みは口が裂ける程で、三日月のように広がっていた。