34話 森林の目玉なのです
「ひいっ。何だこりゃ!」
女衒ヨルヌの商隊は大混乱となっていた。なぜならば、鬱蒼と茂る木々と草むらが広がる森林内。そこは魔物や盗賊団の絶好の襲撃ポイントであったために、油断なく警戒をしていたが、それは地上だけであった。
だが今は頭上から襲われていた。木の枝の上から土色のミミズのようなものが襲いかかってきたのだ。既に2人が頭を喰われており、残りの傭兵たちは慌てて混乱しながらも対抗していた。
「シュラララ」
「シュラララ」
「まみ〜、まみ〜」
金属をこすり合わせるような不愉快な音をさせながらミミズのようなものは傭兵たちに襲いかかる。その数は20はあるだろう。矢のような速さで迫ってきて、その先端がグワッと開く。その先端は口のようで、内部にはびっしりと短い牙が奥まで生えている。喰われたら最後、石臼で擦り潰されるように、ぐしゃぐしゃになるだろう。
なにより気持ちが悪い魔物であった。嫌悪を持たせる造形だ。元の太さは小枝よりも太い程度だが、餌を前にすると蠢動し膨れ上がるとその口を大きく広げて、人の頭も呑み込めるぐらいになる。一人の傭兵が腕に吸いつかれて、ミミズのようなものに短槍をがむしゃらに突き刺す。
紫色の血を流すと枝の間に引っ込んでいくが、傭兵の腕は肉が抉れており、骨が見えていた。激痛により、傭兵は膝をついて腕を押さえる。
「い、いてぇ、ぎゃ」
だがその隙に他のミミズのようなものがその傭兵に襲いかかると頭を呑み込んでしまう。そのままビクンビクンと痙攣したかと思うと、力が抜けてだらりと腕を落として死んでしまうのであった。
一人減ってしまい、他の傭兵たちへのミミズのようなものの数は増えてしまう。負の連鎖だ。殺られれば殺られるほど、追い詰められてしまう。
「この化け物がっ!」
『雷よ』
傭兵たちが全滅する前に、ヨルヌは手に嵌めた切り札を使用する。魔術の指輪だ。トパーズが嵌め込まれており、一回だけライトニングが使える魔術具だ。
直線状に雷が指輪から放たれて、うぞうぞと襲いかかるミミズのようなものへと命中する。紫電がその身体を走り抜けて、焦げるような音がすると、木の上からドサリとなにかが落ちてきた。
「な、この化け物はな、なんだ?」
地面にのたうち回るのは、目であった。目玉だ。血走った大きな目玉。1メートルはあるだろうか。目玉がギョロリと存在し、その周りからミミズのようなものを生やしていた。即ち、この化け物は多くのミミズのようなもの魔物たちではなく、数匹の魔物なのだろうと、恐怖で顔を引きつらせながらヨルヌは理解した。
「てめえら! きっと木の枝に化け物は張り付いていやがるんだ。恐らくはあと2匹程度だぞ。なんとか見つけて倒すんだ」
ミミズのような触手を捌き防いでいた傭兵たちに怒鳴る。これならば元を断てば、倒せるかもしれないと希望を持つ。
見るとライトニング一発では倒せなかったのか、落ちてきた目玉の化け物は触手を足代わりに立ち上がろうとしていた。
「まずはそいつを倒せや!」
「お、おう!」
目玉に傭兵の一人が駆け寄ると短槍を勢いよく突き刺す。
「ギシャア」
意外と目玉は柔らかいようで短槍は簡単にその目玉に深く突き刺さり、断末魔をあげると化け物はヘタリと触手から力が抜けて地に伏せる。意外と弱いと胸をなでおろす。
「やったぞ!」
「木の枝だ。木の枝に張り付いているんだ、探せ探せ!」
傭兵が歓声をあげて、ヨルヌは意気込む。このような命の危機は何度も潜り抜けてきた。女衒は優しい仕事ではない。金貨3枚も払って買い込んだ商品たる人間を取り戻そうとする田舎者や、商品が足りない時に、寒村に盗賊に扮して襲いかかった時など、ひやりとする場面はあったのだ。危険な魔物に襲われたことも数え切れないほどある。
そんな修羅場をヨルヌは潜り抜けてきたのだと、醜悪な笑みを浮かべる。倒せそうでなによりだ。対抗手段がわかれば、ヨルヌが雇った傭兵たちは『身体強化』が短い間だが使える。負けることはないだろう。
「商品を囮にしなくて良かったが、魔術具を使っちまった。もったいねぇ」
チッと舌打ちする。指輪に嵌められたトパーズは砂となって崩れ去っていた。金貨20枚もしたのに大赤字だ。商品1体分の金を損しちまったと苦々しい表情を浮かべた。早くもこの危機を乗り越えたあとを考えるヨルヌ。
だが、それは早まった考えであった。
「いた。いたぞ!」
傭兵たちは触手を上手く捌きつつ、頭上に目を凝らしていると、木の枝に張り付いている異形の目玉がいるのを見つけた。
「俺に任せろ!」
短槍を振りかぶり、『身体強化』を使用して傭兵の一人が投擲しようとする。目玉を睨むようにじっと見つめて、敵と視線が合う。大きな目玉が傭兵を見つめてきて、その不気味さに一瞬頭がクラリと揺れる。
「おい、早く投げろ!」
「わかってる!」
すぐに力を入れ直し、投擲をした。ブンと風切り音をたてて、ズンと命中し深く突き刺さった。
隣の傭兵の胸に。
「は、え? な」
なんでと驚いた表情で胸に刺さった槍を見て、刺された傭兵はその瞳から光を失い事切れる。血が地面に広がり、槍を投擲した男は腕を曲げてにやりと嗤った。
「この化け物野郎が! いつの間に俺の隣にいやがった。だが、甘いぜ。そんな簡単に殺られるものか」
そう叫んで殺した男の胸に突き立てた槍を引き抜くと、呆然としている残りの傭兵に視線を向ける。
「もう一匹いやがった! いや、周り全部化け物だらけだ! ちくしょうめ、俺は殺られないぞ!」
「止めろ! 止めるんだ、正気に戻れ、がふっ」
猛然と槍を突き出してくる狂っている男の攻撃を慌てて最後の傭兵は防ぐが、それが致命的な隙となってしまった。意識を槍に集中させた隙に触手がその頭を呑み込んで砕いてしまうのであった。
「ば、バカヤロー! 『混乱』の魔術を受けやがったな! ちくしょうめ」
『マナの矢』
ヨルヌは慌てて、『マナの矢』を使用できる魔術具の指輪を向ける。青白い矢が一本生み出されると、ヒュンと飛んでいき狂っている男の胸に吸い込まれるように命中した。
なにが起こったのかヨルヌは理解したのだ。時折エルフの精霊魔術師が使う精神魔術だ。数分の短時間だが、効果を発揮すれば受けた人間は周りの味方に襲いかかる恐ろしい魔術だ。あの目玉の化け物が使ったのだろう。
だが痛みであっさりとその魔術は解除されることも知っている。かすり傷でも良い。マナの矢なら確実に正気に戻る。マナの込められない魔術具のマナの矢は弱いので、かすり傷程度となる筈だ。
「がっ、お、俺は、がっ」
予想通りに男は頭を振って正気に戻った。が、その男に触手が襲いかかると、他の傭兵たちと同じように頭を呑み込まれてしまった。
「へ、ヘヘッ。し、仕方ねぇ。お前らの何人か! この化け物たちを足止めしろ!」
見たところ、数匹。腹が空いているのであれば、何人か喰わせれば良いと、慌ててヨルヌは馬車の隅に集まって恐怖に震えている商品を掴み、引っ張り出す。この囮戦法で魔物相手には逃げ切れなかったことはない。
かなり痛いが仕方ないと、自分の命が大事だと商品を外に放り投げる。ドサリと商品が地面に倒れ込み呻き声をあげる。
「や、やめてくれ!」
商品の一つが抵抗しようと体当たりを仕掛けてくるので、思い切りその顔を殴って、同様に地面に転がすと御者席に移動して手綱を手にする。
「はっ。俺の命を助けるんだ。お前らの価値は金貨以上だよ」
そう言い捨てると、手綱を叩こうとして
ニョロリ
と、その腕に触手が絡みつく。
「ひいっ。離れろ、この化け物が! そこに肉が柔らかい餌があるぞ。そっちにいけ、そっちにいけよ!」
短剣を引き抜くとがむしゃらに振り回す。触手が数本傷つき緑の血を流すが、次から次へと絡みついてくる。
「ちくしょう。こんなところで死んでたまるか。俺は金をためて屋敷を持つんだ。こんなしけた商品を扱う仕事じゃねぇ。将来は砂糖や香辛料を扱う商人に、ががが」
自分には大望があるのだ。寒村を周って貧相な商品を仕入れるつまらない仕事ではなく、大海に船を持って貿易に向かうという夢が。人買いだと、仕事を聞かれたら眉を顰められるのではなく、大陸間貿易をして、誰もが羨み尊敬する。そんな商人になるのだと、血だらけになりながら短剣を激しく振るう。
しかし、触手はどんどんと増えてきて、体に吸い付き肉を抉ってくる。やがて、激痛と出血で朦朧となったヨルヌは御者席から転がり落ちた。
「夢が……おれのゆめが……」
最後の言葉を残し、ヨルヌは頭を呑み込まれて、その命の炎を食べられるのであった。人を使い捨ての商品として扱う男の成れの果てであった。
グチャグチャと咀嚼音がヨルヌに絡みついた触手から聞こえてきて、少年少女たちは青褪めてガタガタと震える。
「に、逃げなきゃ。逃げなきゃ!」
一人の少女が阿鼻叫喚の地獄絵図となった光景を見て、なんとか心を奮い立たせて、皆へと叫ぶように言う。このままでは皆が死ぬだろう。
自分たちを痛めつけてきた傭兵も商人も死に絶えて、触手がその死体に食いついている。肉が食べられ、血が零れ落ち、耳を塞ぎたい咀嚼音が聞こえてくる。ここにいちゃ駄目なのだ。
「で、でもどこに?」
一番小さな八歳の少年が歯をガチガチと震わせて聞いてくるので、少女は周りを確認する。廻りは鬱蒼と繁った木々と草むらで、森林内は昼でも薄暗い。街道は続いているが馬車でかなり進んでいた。どちらに向かえば森林から出れるかわからない。
泣きそうになる。逃げられない。ここを逃げても、他の魔物に襲われるか、餓死するか。
「で、でも、それでも逃げなくちゃ! さ、立って!」
地面に放り投げられた仲間に向けて手を差し出す。いつ魔物がこちらに気を向けるかわからないのだ。ちらりと少女が見ると、触手はゆらりと揺れて、こちらへと先端を向けてきた。
「シャァ〜」
グワッとその先端を大きく広げて、びっしりと小さな牙が生える口内を威嚇するように見せてくる。
「ひ、ヒィッ」
少女はその恐ろしさと不気味さに、腰を抜かして座り込んでしまう。逃げなきゃと思っているのに、身体が言うことを効かない。魔物も逃げることはできないとわかっているのだろうか。ゆっくりと近づいてきて
『魔法矢』
突如として飛来してきた蒼い光の矢に吹き飛ばされた。4本の蒼き矢が飛んでくると、バンバンと弾けて触手は吹き飛ぶ。
え? と、少女がなんとか矢が飛んできた方向に振り向くと、猫の獣人女性が大剣を手にして、猛烈な勢いで走ってきていた。
「まみ〜、まみ〜」
だがその途上に目玉の化け物が木の上から落ちてきて、襲いかかる。
「むん!」
「まみ〜!」
大剣で女戦士は目玉の化け物を力強い振りで横薙ぎにすると、化け物は吹き飛び草むらの中へと消えていった。女戦士は吹き飛ばした化け物には目もくれずにこちらへと走り寄ってくると、再び手を翳す。
『雪矢』
その言葉と共に、氷の矢がその手から4本うまれると、木上へとキラキラと氷の破片を撒きながら飛んでいく。
『雪矢』
もう一度魔術の矢を撃つと、ドサドサと氷漬けとなった目玉の化け物が落ちてきて粉々に崩れる。
「大丈夫か?」
全ての魔物が死んだのか触手は現れることはなく、女戦士は凛々しい笑みで聞いてくる。
どうやら助かったらしいと少女は頷くのであった。