3話 とにかく始まるのです
枝葉からポツンポツンと雫が落ちて、水溜りが青空を映す。清々しい緑の匂いが風にのって薫ってくる。生命の息吹を強く感じる中で、老魔術師は皮肉げに口を歪めて、息絶えた女戦士を見下ろしながら呟いた。
「愚かなる人間よ。貴様が聞きたかった最後の問いに答えてやろう。なぜ、貴様の罪状をこの私が知っていたかを」
羽織るローブを掴むと、老魔術師はニヤリと皺だらけの顔を笑いに変えると、力を込めてローブをバサリと脱ぎ捨てる。
「それは私が地獄の獄卒。いわゆる転生者だからだ」
フッとダンディな笑みを浮かべて現れたのは、年老いた老人ではなかった。だが、若くはない。30〜40代。格好に気をつければ、1番若作り出来る年代の為、年齢不詳なおっさんであった。
人の良さそうな柔らかな目つき。柔和な笑みが似合う中肉中背の男であった。背丈は175センチ程度で、一見すると普通のお人好しに見える。少しくたびれていそうなところが哀愁を誘うかもしれない。
「ギャハハ! 良かったじゃねぇか、転生できて!」
けたたましい笑い声と共に、おっさんの肩の上に煙と共に現れた。それは漆黒に染まっている革張りの立派な本であった。百科事典のように分厚い本は宙に浮き、鳥の翼代わりのように、バタバタと、本を開いて羽ばたきながら、ページから牙の生える不気味な口を開いて楽しそうに声をかけてきた。
「ありがとう。いや、この場合はありがとうなのか? 予定と随分違った転生なんだが? ジャンボ早期退職クジって、こんなんなのか? 私は地球に転生したかったのだが」
おっさんは訝しげに首を傾げて、疑問を口にする。その口振りから、今の現状に納得していないのは明らかだ。
地獄よりの転生者。即ちおっさんは地獄の獄卒であった。ジャンボ早期退職クジと言う詐欺臭いクジを万魔殿の購買で買ったところ、見事3等当選したのである。1等ではなくて、3等といったところが、普通のおっさんらしい。
「前世の記憶を持つ転生者として、地球で産まれれば、私は地球一の偉大なる劇作家となるはずだったのだが? なんで異世界なんだ?」
おかしくない? と首を捻って不思議がるおっさんであるが、地球に産まれて、私は前世の記憶を持つのだよと口にすれば、もれなくイタイ男だと扱われるだろうから、異世界におっさんは転生して良かったと思うがどうだろう。
「まぁ、3等じゃ仕方ないだろ? 異世界でも、地球でも、あんまり変わらねぇよ。さて、チュートリアルは終わりだ。改めて自己紹介といこうか、あんたがどれほどの特典を持って、転生したか知りたいしな」
女戦士の屍や、他の死体を路傍の石のように気にせず宙に浮く本は話を続ける。男も眉根を僅かに上げただけで気にする様子もなく、返答する。
ふざけてはいるが、死体が辺りに散らばっていることを気にもしないところから、このふたりの性格が薄っすらと透けて見える。
「私は元人間。死して地獄で20年間の刑罰を終えて、獄卒試験を受けて合格。晴れて獄卒として死者を監督して暮らしていた。ちなみに獄卒5級だ」
「へぇ〜。5級とは人間にしてはやるな。普通は頑張っても7級が良いところだからな」
獄卒になるには試験がある。最低が9級で、最高が1級。ただし3級以上は元死者ではなく、神やら悪魔やら妖精やらがなれるものなので、実質は4級が最高だ。なので、5級であるのはかなり凄かった。会社でたとえると部長職レベルだ。
「で、30年程働いて、金を貯めて地球への転生切符を買うつもりだった。記憶保持は無理だろうから、スタートダッシュセットを買ってな」
元死者である男が獄卒をしていたのは、未来のためだった。給料を貯めて、地球に人間として転生出来る権利を買うつもりだったのだ。スタートダッシュセットを買って、小金持ちの産まれで、健康体、身体能力も知能もそこそこ高い人間に転生するつもりだった。
買わなくても、地獄からの生者への転生はランダムだ。それ以上の産まれになるかもしれないが、男は確実性をとったのである。下手をすれば蚊に転生する可能性もあったので。
信じられないことに、地獄の沙汰も金次第であるのだ。閻魔大王様と会った時に、現実は世知辛いと閻魔大王は笑っていた事を覚えている。
なので、ジャンボ早期退職クジ3等の賞品を片手に、意気揚々と転生したのだが、なぜか異世界である。剣と魔法の世界らしい。閻魔大王からは説明を受けたが、記憶保持をしたまま人間に転生できると聞いて、渋々頷いたのだ。
「私は地球で財を成し、有り余る金で劇団を経営したかった。……まぁ、趣味の世界を超えないのだがね。なぜかファンタジー世界に転生されたが」
死者になってから、劇におっさんはハマった。輪廻転生をしたら、必ず金持ちになってから、劇団を持ちたいと心に決めたものだ。貧乏劇団の団長にはなる気は無かった。やはり余裕があればこそ芸術作品を生めるのだと、おっさんの過去がわかるブルジョワな考えを持ってもいた。
「ふ〜ん。ファンタジー、ファンタジーねぇ……本当にファンタジーなら良いけどな。ケヒヒヒ」
不吉なことを本が宣うので、男は嫌な顔となる。転生前に閻魔大王から、この世界の話は聞いているのだ。その内容は酷く嫌な内容であった。だが、それは承知の上だ。
「劇作家として名を残したいと願ったら、この世界に転生させられたからな。お前の言うこともわかる気がする。まぁ、いいだろう。情報を集めればすぐにわかることだ」
「だな! では、名前を決めるんだ。面白いやつを頼むぜ!」
本はバタバタと身体を揺らして、男を見てくるので、うむと頷き、自身の名前を伝える。
この世界における自分という存在を決める名前を。
自信に満ちた真剣な表情で。考え抜いた名前を。
「闇澤アキ。偉大なる劇作家に相応しい名前となるだろう」
どこかの偉大なる映画監督をもじった安易な名前だった。こんな単純な名前を付ける発想力で偉大なる劇作家になれるか、早くも暗雲が漂っていた。
「良いじゃねぇか! 俺はニアだ! ニアに決めたぜ! ギャハハ! 俺はお前の描いたストーリーを叶える魔法の脚本だ! よろしくな」
ニアは己の名前を決めて、機嫌よく宣言する。少しこいつうるさいなと、アキは思ったが、顔はニコニコとお人好しそうな表情を崩さずに拍手してやる。これから仲間として頼りにしなくてはいけないのだからなと、腹黒いことを考えていた。
バチパチと拍手をして、周囲のゴブリンたちも合わさせて拍手をしてくれるが
「あたちの名前は時乃メイなのです。主演女優から端役まで。なんでもするのですよ」
待機していたゴブリンたち。モスグリーンの肌色に、子供のような小柄な体躯、その釣り上がった目と、三日月のように醜悪そうに歪める笑み。薄汚れた腰布を身に着ける有名すぎる魔物、若しくは妖精ゴブリン。その中で、子猫のような可愛らしい声音で一人のゴブリンが歩み出てきた。
アキはジト目でゴブリンを見て、なにを言うのだろうかと待つ。
「フッ。大成功なのですよ。どうやらあたちの変装はまったく見抜けなかったようですね」
自信を持って、幼女ゴブリンはムフフと口元を押さえて可愛く笑う。
ライトグリーンの安っぽい肌色というか、薄っぺらい布地、目のところに穴が空いている適当極まる簡単な造形のゴブリンの顔。背中にはご丁寧に銀色に輝くチャックも付いている。めちゃくちゃゴブリンの中で浮いていた存在だ。
だが、この幼女は他のゴブリンの中に埋没したと自信満々であった。アキと同じく自信だけは無駄にありそうな幼女である。
ていやと、被り物を脱ぐと、金糸のような流れる金髪と煌めく碧眼の美幼女の顔が露わになった。むちむちほっぺはつついたら柔らかそうで、元気いっぱいな様子だ。
「これからよろしくです。この天才たるメイがアキの女優さんになるのですよ」
フワサと髪をかきあげて、大人びた様子を見せるメイに、アキはジト目を返す。
「女優か。私の劇団の女優をやってくれるのか……」
ジロジロとメイを眺めて思う。幼女だと無理じゃね? さっきもゴブリンの群れの中で物凄い目立っていたので、アキは冷や汗を内心かいていたのだ。
だが、人手不足は否めない。なので、仕方なく頷き、ニアへと視線を向ける。
「では、今回の劇の売り上げを見せてもらおうか。早くも1000万GPはいくだろう」
死んだ女戦士をちらりと見てから、アキは薄く嗤う。アキの描くストーリーに沿って、踊ってくれた女戦士。王道の馬車を助ける一幕がどれだけの売り上げになったかを知りたがった。
自信満々のおっさんは、きりりと凛々しい表情で結果を待つ。自信が無駄にありすぎなおっさんであるが、大丈夫なのだろうか。
「いいだろう。アキの初めての劇。さて、地獄の死者にはどれぐらい楽しまれたかな?」
魔本であるニアは牙の生えた口からベロリと舌を出すと、バタバタと本を羽ばたかせて叫ぶ。
『女戦士の悲劇。売り上げ発表!』
その言葉と共に、宙に半透明なボードが現れると、アキが望んだ結果が表示される。
『売り上げ決算:プラス3万GP』
『人件費:コボルド30体、ゴブリンアーチャー20体、ホブコボルド、メイ:合計金額マイナス61000GP』
『幼女への投げ銭:プラス5万GP』
『悪人退治:名声プラス200』
『純利益:19000GP※100GP以下は手数料として、ニアが徴収させてもらいます』
大丈夫ではなかった。結果は無惨なものだった。危なく赤字になるところであった。
「……幼女への投げ銭って、なんだ?」
口元を引きつらせながら、アキは赤字を助けてくれた項目を尋ねる。なにこれ?
「幼女が出るだけで、投げ銭をしてくれる一定層があるんだぜ。ギャハハ」
ライブ動画と同じく、投げ銭システムを導入しているらしい。紳士たちが投げ銭をしてくれる模様。
「スタートダッシュは幼女が良いと友だちに聞いたので、あたちのチートは幼女にしたのです」
元は幼女ではないとカミングアウトをするメイである。あまり幼女にしては可愛げのない喋り方の理由が早くも判明した瞬間であった。選んだチートを幼女にする転生者。そんな転生者はメイだけではなかろうか。
「そうか。……メイ、君はうちの大黒柱だ。よろしくな、我が劇団のエース女優」
手のひらをくるりと返して、アキはメイとガッシと握手をした。もはや幼女を頼る気満々であった。
おっさんはかなり迷った。幼女に頼って良いかと。劇作家のプライドが天秤にかけられた。
そしてあっさりと、売り上げに天秤は傾いて、アキは現実に立ち向かうことにしたのだった。劇団の経営に資金は絶対に必要なので。
「任せておくのですよ! あたちが世界一の劇団にして見せるので、豪華客船に乗ったつもりで安心して欲しいのです」
自信満々で、平坦なる胸をそらして、メイはふんすふんすと鼻息荒く威張った。可愛らしい幼女である。
たぶんその豪華客船の名前はタイタニック号と呼ぶのではと、アキは思ったが口には出さずに、頼りにしているからなと笑顔で頷く。とりあえず木とか岩とかの役にしておけば良いのではないだろうか。
「とりあえず街に向かいがてら、これからの予定とスキルの内容を確認しようぜ」
「そのとおりだな。……で、街まではどれぐらいだ?」
「たぶん後50キロはあるな」
「そうか………」
ニアの返答を聞いて、アキは周りを見渡す。泥濘の続く歩きにくい街道。街道を逸れれば、鬱蒼と生い茂る草木。恐らくは虎視眈々と魔物や獣、山賊が隠れているかもしれない。
ゴブリンたちに護衛を頼もうと視線を向けると、仕事は終わったのでと、俳優ゴブリンたちはその身体を砂に変えて元の世界へと戻っていった。
うんうんとアキは頷いて、真剣な表情でニアとメイへと告げる。
「新たなる幕が開いた。名前は『幼女の初めての馬車の旅』だ」
早くも幼女への投げ銭に頼ろうとする偉大なる劇作家闇澤アキであった。