29話 悪党は森の中で眠るのです
魔の森。王都へと繋がる裏街道を夜を徹して駆ける馬がいた。騎乗している男は深く紺色のローブをかぶり、その顔は近づかなければ見えない。
本来、馬に乗っているとはいえ、魔の森を駆け抜けようなどとは正気ではない。魔物に殺してくれと言っているようなものだ。
だが、ローブを着込む人物はその危険を敢えて無視していた。それよりも危険なことがあったからだ。
「はいよ、はいよ」
手綱を鳴らして、馬を走らせる。だが、港湾都市『アクアマリン』から駆け抜けていたために、馬も限界そうであった。その様子を見て、騎乗している人物は舌打ちすると手綱を緩める。
待ってましたと、ようやく休憩となり、一度身震いすると馬は足を止めた。かなり疲れていたのだろう。
「仕方ねぇ……少し休むとするか」
舌打ちをしながら馬を降りるとかぶっていたフードを取り払う。魔物の徘徊する魔の森で視界が悪いまま歩きたくなかったのだ。
取り払われたフードの下には、疲れきった男の顔があった。目に隈はでき、髪にも白いものが混じっている。
「ここまで来たら追手は来ないだろ」
疲れたため息を吐くのは、傭兵のザモンであった。ローブの下には革鎧と長剣を身に着けており、愛用の短槍は目立って傭兵だと周りに告げるようなものなので捨ててきた。どうせ安物であったのだ。
「ラルグスの旦那は犯罪奴隷として、鉱山送りの上に、全財産の没収。配下の傭兵たちはとっ捕まえて同じく犯罪奴隷としようなんて、領主め、悪どい奴だ、畜生め」
本当ならば、ラルグスだけが全責任を負い処刑されるはずであった。そうだと思っていた。だが、精霊神エレメンタルが、船を復活させて、領主に天罰を与えたことにより、次の領主、まぁ、領主の息子は罪あるものを全て捕らえると息巻き、ラルグスは鉱山行きに、そして精霊酒毒薬をばら撒いた傭兵たちを全て捕らえようと動いたのだ。
恐らくは精霊神の神罰を恐れたのだ。前領主は目を潰されて、海に落とされて溺死した。数々の魔道具を身に着けていたが、『水中呼吸』だけはなかった上に、『重鎧』という付与魔法がかかった魔法の鎧を身に着けていたのが運の尽きであった。『重鎧』は鎧の重量を2倍に上げて、防御力を大幅に上げる魔術だ。海に落ちては、もはや浮かび上がるのは不可能だったのだ。
王国でも1、2を争う金持ちであり権力者、体も鍛えて、腕も立つし、魔術も使える侯爵は、しかしその最後は溺死というもっとも苦しむ最後であったので、息子は肝を冷やしたのだ。私は清廉潔白な領主になると宣言し、賄賂が横行し、一部の者が権力を持つ港湾都市を改革すると宣言していた。
その一つとして、領主は傭兵を捕縛すると宣言していた。傭兵は金で動くだけの存在、雇い主が罪を犯して捕まっても現行犯でもない限り罪に問われることはない。問われても鞭打ち程度ですむ暗黙のルールがあるはずなのに、新しい領主は無視して、捕縛をすることにした。
知り合いの傭兵に匿ってもらい1週間。港湾都市の衛兵が気が緩んだ隙に逃げ出したのである。傭兵などはよほど有名でなければ、他の街に行けばすぐに埋没する。人口の多い王都に入れば、もはや安全だ。気をつけるべきは追手のみと、ザモンは馬を駆けさせていたのである。
とはいえ、夜も駆けていたのは失敗だったかも知れない。魔物に襲われてもおかしくないと、周りを見渡して、指に着けている魔術具を起動させる。
『暗視』
その一言で魔術は起動して、暗闇が真昼のように明るく見えるようになった。そのことに少しだけ安堵すると、馬をひいてゆっくりと街道を進む。
ほぅほぅとフクロウの声が聞こえ、コボルドか狼の遠吠えが遠くから聞こえてくる。真夜中の森林は不気味であり、カサカサと風で草むらが鳴るだけで、ザモンはビクビクと目を忙しげに動かしていた。
どれぐらい進んだだろうか。1時間か2時間か。魔物に出会いませんようにと、ザモンは祈りながら歩いていると、街道脇に火の灯りがポゥっと光っているのが目に入ってきた。
山賊かもしれないと、ザモンは警戒しつつも商隊ならば、万が一の時に魔物の囮にしようと考えつつ近づく。
そうして近づいた先、焚き火がパチパチと燃えて火の粉が飛び散っているのを見て、多少驚いた。
焚き火を囲むのは商隊の面々ではなかった。まだ16歳程度だろうか。年若い少年が焚き火を囲んで座っていた。黒髪黒目で、ここらへんではあまり見かけない風貌だ。外国人だろうかとザモンは考えつつ、背中にやけにでかい杖を担いでいるのに気づく。
「魔術師のガキかよ。なんでこんなところに? …、お貴族様の武者修行ってやつか?」
たまにいるのだ。魔術師となって、調子に乗って魔物を退治しに行く貴族の坊っちゃんが。たいていは騎士としての訓練も積んでおり、正面から戦うと傭兵が束になってかかっても敵わない。無論正面からという条件付きだ。傭兵はずる賢く、戦い方を選ばない。束になって狡猾な戦闘を繰り広げれば勝てるだろう。
だが、それだけ危険な存在だ。
そして、転がしやすいカモでもある。
「申し訳ない。焚き火に当たっても良いでしょうか?」
結界系統の魔術で身を守っているだろうから、少し離れた場所からザモンは心持ち背を伸ばして礼儀正しい様子を見せて声をかける。
と、少年はザモンに今気づいたとばかりに、顔を上げて、目を細めて見てきた。
「あぁ、傭兵か。……まぁ良いだろう。下手な真似をすればどうなるかはわかっているだろうしな」
上から目線の少年の返しに、やはり貴族なのだろうとあたりをつける。たぶん護衛がいないところから、下級貴族出だ。腕一本で成り上がることを夢見て、たった一人で魔の森に、来ているのだろう。
ますます都合が良い。取り入るのは高位貴族が一番だが、平民出の傭兵などは使い捨ての兵士としか思われない。騎士と戦える力があるとわかれば、生意気だと、こき使われる未来もある。
だが、下級貴族なら別だ。手足となり、忠誠を尽くしてくれる部下を喉から手が出るほど望んでいる。夢を見ていると言っても良い。プライドが高く、自分には未来があると盲信している青臭い少年なら尚更だ。
これは幸運だと、ザモンは真面目で丁寧な礼儀正しい傭兵を演技することにした。どうせ傭兵などと少年が関わったこともあるまい。部下になってくれる理想の傭兵を演じてやろうと心に決める。
「どうやらお貴族様でいらっしゃる。このような危険な森にお一人でいるとは、腕の立つ方でしょう。ぜひ高名だろうお名前をお聞きしても良いでしょうか。私の名前はザモンと申します」
焚き火を挟んで少年の反対側に座り、騎士のような言葉遣いを心掛けて、下手に出ることもなく堂々とした態度でザモンは話しかける。吟遊詩人が唄うお伽噺では、このような話し方の者が多いのだ。
案の定、少年は気を良くしたようで、僅かに口元を笑みに変えていた。ザモンはこれはチャンスだと内心では喜びながらも、表情は厳格そうな傭兵を演技する。
「僕の名前はトオル。軍畑トオルだ」
「イクサバトオル殿?」
「あぁ、トオルが名前で、苗字が軍畑だ。………不思議に思うんだが、なぜ異世界に来たら皆は苗字は後なんですと、なんの疑問も思わずに言うんだろうね? それが不思議なんだ。それは地球の風習だろうって、いつも思う」
焚き火がパチリと弾けて、火の粉が舞い散る。ザモンはなんのことだと疑問には思ったが、貴族しかわからないことなのだろうと、沈黙で返すことにした。
少年も返答は期待していなかったのか、ザモンを興味なさげにちらりと見てくるだけであった。ザモンは話の取っ掛かりを作ろうと、話しかける。
「ここには魔物を退治しに?」
武者修行だろうとザモンは尋ねるが、トオルはつまらなそうに鼻を鳴らす。そばに置いてある薪を焚き火へとトオルは放り投げる。
「いや、逃れた悪人を退治しに来たんだ。恐らくはここを通過するだろうと待っていた。手土産代わりと言うわけさ」
予想外の言葉にギクリとザモンは身体を強張らせ、腰をゆっくりとあげる。
「悪人? ここを通る悪人とは?」
違っていてくれとザモンは心で祈りながら尋ねる。
「それは自分自身がわかっているだろ。ザモン」
「くそっ!」
少年の返答にザモンは間髪おかず、剣を抜き放つ。焚き火を飛び越えて、横薙ぎの一撃を繰り出す。その一撃は既に『身体強化』を終えており、風のように速い。この距離での一撃ならば騎士であろうと殺せるとザモンは確信していた。
「僕は魔法使いを目指しているんだ」
だがザモンの自信の一撃は少年が持ち上げた木の杖にあっさりと防がれた。カツンと乾いた音を立てて、弾き返されてしまう。
「チッ」
舌打ちをして、ザモンは強い踏み込みから、身体を捻り、角度を変えて連撃を繰り出す。杖を弾き少年を切ろうと、相手の力が入りにくい角度を狙う。対人の経験が豊富な傭兵である。この年まで生き残ってきたのは伊達ではない。
だが、少年はつまらなそうな顔でその全てを受けきってしまう。杖を的確に動かして、ザモンの攻撃をゆらゆらと受け流してしまう。座りながら躱すとは、信じられない腕前だ。
ザモンは後退り、焚き火を少年へと蹴る。燃えている薪がトオルへと向かう。お行儀の良い騎士の剣術ならば、動揺を見せるはずだと、その間隙を狙ってやろうとザモンは目を細める。
しかしザモンの狙いどおりにはいかなかった。少年は自身に向かう薪を気にしなかった。身体にぶつかり、熱いであろうにまったく表情を変えずに受けて、つまらなそうに立ち上がる。
まるで歴戦の戦士だとザモンは舌を巻き、身体を翻す。この少年はザモンよりも遥かに強いと理解したのだ。ならば逃げるのみである。少年を倒すことはできなくても、逃げるのは可能だ。
少し離れた場所にいる馬へと駆け寄り、飛び乗ろうとする。
ゴスン
だが、馬に駆け寄るザモンの背中に強い衝撃が走り、倒れ込んでしまう。
「ガハッ」
背中の痛みに呻き、ザモンは呼吸ができなくなる。
「石弾さ。君は僕の話を聞いていなかったのかな。僕は魔法使いだと言っただろう? いや、この世界では魔術師と名乗らないといけないんだったな」
「ま、魔術?」
詠唱はまったく聞こえなかったと、ザモンは呻きながら後ろを振り返る。トオルはつまらなそうに立っている。
「そう。僕は脳筋のパパとは違うんだ。脳筋の七光りと呼ばれないためにも、知性ある俳優を目指す。というか、パパは見かけが脳筋なだけで、頭が良いのに脳筋脳筋と。そんなイメージを僕まで持たれたら堪らないからね。僕は尊敬する人のようになるんだ」
「な、なんのことだ」
未だに痛みで立ち上がれないザモンを冷たい視線でトオルは見つめる。その冷え冷えとした視線は人を殺すことをまったく気にしていない視線であった。
「君が知る必要はないよ。それじゃさようなら」
それがザモンの聞いた最期の言葉であった。
闇夜が広がる森林に野太い男の断末魔が響き、やがて静寂が戻るのであった。