27話 去ったあの男の人なのです
精霊の血が混じり、緑の髪の毛とハーフエルフのような尖った耳を持つリーフはため息混じりに、ガランとした棚を眺めていた。午前中であるのに、完売してしまったのである。
原因は一週間前、復活した神代の時代に封じられていた怪物カリブディスのせいだ。埠頭から離れたこの場所からでも、巨大なる悍ましい怪物の姿は見えた。その邪悪なる思念を聞いた時には世界の終わりかと思ったものだ。
精霊神とやらに倒されたあとも、その爪痕は大きく残って人々に影響を与えていた。いざという時の薬草やポーションを。持ちやすいように財産として宝石を。
人々はそれは競い合うように買い集めていた。おかげで薬草はすぐに売り切れる。宝石も高騰しているらしい。命の危険を感じた人々の行動というわけだ。
リーフの薬草は水の加護を受けている。そのために、人々はリーフが加護を付与すると同時に買いに来るのだから、今やリーフはちょっとした小金持ちである。
人々には悪いが、薬師には幸運なことであったと言えるのだろうか。しかし多くの船が破壊されたために、船乗り相手の商売をしている人たちは苦境に陥っている。回り回って、港湾都市が不景気にならないか不安を覚えてしまう。
「アキさんも旅にでちゃったしな〜」
カリブディスが現れたことにより、商売相手がいなくなったと言って、王都に行ってしまったのだ。つまらないことに。
「そういえば、アキさんはなんの商品を扱っていたんだろ?」
錬金術師だからポーションかなと思うが、違う感じもする。何を売っているのか聞くのを忘れてしまった。リーフが出会った中でもダントツに不思議な人であった。
コテンとカウンターに頬をつけて、やっぱり引き留めれば良かったなぁと少し後悔する。なにしろ、自分の救世主だ。アキさんと出会わなかったら、この店も人手に渡っていただろうし。
だが、きっとあの人を引き留めることはできなかっただろうとリーフは理解もしている。隙の無い人でもあった。酒毒薬入りのお酒は全部ニコニコと笑顔で飲み干したのに、まったく酔うことはなかったし。
それにアキさんは何か大きな目的があるようにも思えた。リーフも鈍感ではない。復活したカリブディス。それを退治した精霊の巫女、そして精霊神。不可思議な力を持つアキさん。
なにか関係があるのではと予想している。物語でもあるではないか。英雄を助ける人が。アキさんはそのような人ではないかと予想している。
「………なーんて、考え過ぎか」
う〜んと、背伸びをして立ち上がる。港湾都市を離れる人などいくらでもいる。ただの偶然だろう。窓から外を覗くと、太陽が真上に来ていた。もうお昼らしい。
「売り物もないし、なにか昼ご飯を買いに行こうかな」
気分転換だと、財布を手にしてリーフは出かけることに決めた。扉を施錠して外出する。チリンチリンとドアベルが鳴る音を後ろに、リーフは街中へと歩き出した。
いつもは多くの人々が行き交う市場へと足を伸ばし、食堂でなにを食べるかと考えながら歩く。
「市場も閑散としているよね」
いつもは活気があり、売り子の客引きや店主との値引き交渉の駆け引きを行う市場はカリブディスのせいで、あまり人がいない。船がなくなり、魚などの商品も入ってこないからだ。遠方からやってきた船が運んでくる香辛料などは入ってきているが、景気が悪くなることを恐れて、買おうとするお客はあまりいない。
陰鬱な空気が流れているとリーフは顔を顰めてしまう。これでは自分だけ儲かっているようで気分が悪い。もちろんここが儲けのチャンスだと、王都から港に訪れた商人が買い込む姿も見える。高騰すると考えていることは明らかだ。
だが、ほとんどの者は意気消沈して、顔を俯けていた。
この調子だと食堂は開いているのかなぁと、リーフは不安に思いながら歩いていると、雑踏の中で、見慣れた大柄な男が歩いてきているのを見つけた。
「ドーソン、なんだか久しぶり」
冷たい声音でリーフは声をかける。近づく男はこの間店を襲ったドーソンであった。リーフを見るとビクリと体を震わせて恐怖の面持ちとなり、周りを見渡す。アキさんがいないか確認しているのだ。
いないとわかると、大袈裟に息を吐き安堵の表情となる。以前と違って、少しオドオドしており、自信なさげだ。風の噂だと、あれからはおとなしく仕事を頑張って、酒場にも顔を出さないらしい。
それもいつまで続くのやらと、リーフは思うが口には出さずに、一応挨拶をしておく。
「お、おぅ、リーフじゃねぇか。久しぶりだな。ラルグスの処刑を見に行かないのか?」
「なにそれ?」
処刑とはなんのことだろうと、リーフが首を傾げると、知らないのかとドーソンは意外そうな顔をした。
「カリブディスを復活させるために暗躍していた木材商人だ。知らねぇのか? 今日、埠頭で処刑が行われるんだと」
「ラルグスって、大商人じゃなかったっけ?」
世間に少し疎いリーフでも名前を聞いたことのある相手だ。木材商人として、港湾都市では有名な商人だった。
「そうさ。どうやら木材商人というのは表の顔で、実際は神代の魔物を復活させて、永遠の命を手に入れようとした悪党だったらしい。恐ろしいことを考える者もいるもんだぜ」
「はぁ〜、そんな人がね〜。恐ろしいことを考える者もいるんだね」
ドーソンは恐ろしげに体を震わせて語ってくるが、リーフは素直にその話を受け取れなかった。ラルグスは領主様の御用達の商人だったはず。なにやらきな臭い感じがしてしまう。
だが、この話を吹聴しても良いことはないだろう。そんなことをすれば明日には死体になって海に浮かんでいるかもしれない。
「それじゃ、私も見に行こうかな」
市場が閑散としている理由の1つがわかり、リーフも処刑を見に行くことにした。こんなことをしでかした男の顔が見たい。たとえきな臭い話でも実行したのはラルグスだろうから。
それじゃ一緒に行くかと、ドーソンが提案してきて、少し嫌だが気にするほどでもないかと、ドーソンの変貌っぷりを見て了承する。
そうして埠頭に到着すると、人々が大勢集まっていた。何人いるのだろうと、ひしめき合う人々を見て驚く。
「あの家の屋根に登ろうっと」
これでは人の頭しか見れないと、リーフは身軽に空き家と思える家の屋根に登る。ドーソンは屋根に登ろうとするが、大柄な体躯が邪魔をして登れない。諦めて、他の場所へと歩いて行った。
屋根にはリーフと同じことを考えた人たちが登っており、鈴なりに立っている。ここからなら、埠頭が見れるとリーフは視線を向けると、簡単な木組みの舞台が作られており、その壇上には魔法の光で輝く立派な鎧を着た髭を切り揃えている立派な偉丈夫の男性と、ボロ切れを着て座らせている髪がボサボサで無精髭を生やす男がいた。
「この男ラルグスは自らの不死などという禁忌の技を求めるため、港湾都市を滅ぼそうとした天下の大罪人である。この私、アクアマリン侯爵が正義の鉄槌をこれより下す!」
どうやらラルグスを断罪するところだったらしい。領主様を初めて見たと思いながら、俯くラルグスだろう男を見るが、何も言おうとしない。本当にラルグスがやったのだろうか?
「しかしながら財産の没収とこの者の処刑を以て、港湾都市に降臨なされた神の恩寵もあることから断罪は終わりとする」
話の内容に、珍しく一族郎党への罪が及ばないことに気づく。そういうことかと、リーフは苦々しい思いになってしまう。家族を助けるために、罪を引き受けることにしたのだろう。気の毒であるが、罪の一端を背負っていたとしたら、仕方ない。自業自得と言うやつだ。
「俺の船を返せ!」
「そうだ!」
「俺は素寒貧になっちまった!」
最前列に並ぶ人たちが怒号を発する。他の人々も同様に罵声をあげていた。港湾都市はこれから大変な時代になると皆は理解しているのだ。
リーフとしても気持ちは分からなくもないが、これは領主にも何か秘密がありそうなのだ。なので、言葉を荒げる人たちを冷静に見ていて気づく。
もっと大勢の人々がラルグスを非難しても良いはずなのに、怒号を発するのは船主の数十人だ。立ち並ぶ騎士たちはもちろんのこと、船乗りたちなどの残りは気まずそうにしていた。皆はなにか知っているのだろう。この街は華やかな世界の裏にドロドロとした闇を抱えているなと、リーフはため息を吐く。
「もう帰るかな」
これは生贄だと薄々勘付いたリーフは処刑を見ることなく帰ろうと考えた。周りでも多くの人々が肩をすくめて帰ろうとしていた。処刑を見ないなんて珍しいことだ。それだけなにか嫌なことがあるのだろうと踵を返す。
未だに領主様の演説は続き、見ていく人も多いが、スケープゴートとされる人の処刑をまた見るのは嫌だった。ゆっくりとリーフは屋根から降りようとする時であった。
カッ
と、眩しい光りが海から放たれた。盲目になるのではと思うほどに強烈な閃光だ。それは数十メートルは円周がある巨大な光で、人々は目を押さえて大混乱に陥る。
「ウァァ、目が、目が〜」
領主様は海の方を見ていなかったにもかかわらず、なぜか閃光を目の当たりにしたようで、目を押さえて苦しんでいた。そのままヨロヨロとよろけると、壇上から足を踏み外し、海へと重たそうな鎧を着たまま落下していってしまった。
リーフも痛いほどの閃光に、涙を流しシパシパと瞬きをする。
「なにが起こったんだ?」
「領主様が落ちてしまったぞ!」
人々はざわめき、騒然となるが
「あれを見ろ!」
一人の男性が光の柱を指差す。神々しい光の柱。その中からなにかが現れてきた。
いや、なにかではない。それは多数の船であった。新品同様の船は柱から現れると、埠頭に停泊する。
「あ、あれは、俺の船だ!」
「間違いない。あの船首の彫像はうちんだ!」
「見ろ、破壊されたはずの魔導船もあるぞ!」
それはカリブディスに破壊されたはずの船であった。魔導船もある。遊弋するように船は港湾を進んでいく。慌てたように、船乗りたちが海に飛び込み、船を追いかけていく。
「奇跡だ……」
「船が、船が戻ってきた!」
涙を流し、祈りを捧げる人たちや、手を取り合って喜ぶ人たちもいる。
『海を汚した悪人以外の船を返しましょう』
そうして、清らかな女性の声が脳に届く。その思念は港湾にいる人々全てに届いた。
人々は悟った。精霊神が人々を気の毒に思い、助けの手を差し伸べてくれたのだと。
悪人以外という言葉に、青褪めている者もいる。見ると、魔導船は他国の旗を掲げており、自国の魔導船はなかった。つまりはそういうことなのだろう。
海を汚した悪人の船は戻ってこないのだ。しかし、多くの船は戻ってきた。積荷もあるぞと叫ぶ人たちもいる。
「精霊神エレメンタルバンザーイ」
「精霊神エレメンタルに祈りを!」
多くの人々が喝采をあげる。先程までの重い空気は消えて、喜びの声が響き渡る。
「やはり最後は、めでたしめでたしでなくてはな」
リーフの耳元に男性の声が聞こえてくる。驚いたリーフは慌てて振り返るが、大勢の人々が涙を流し、抱き合ったりと、喜んでいるだけで、聞こえてきた声の持ち主はどこにもいなかった。
やはり、あの人が絡んでいたのだろう。
「そうですね、アキさん」
はにかむようにリーフは微笑むのであった。
それ以降、海を汚す者には精霊神エレメンタルの天罰が下ると、船乗りたちの間では噂となるのであった。