24話 神話の怪物を倒すのです
港湾都市『アクアマリン』の騎士団長は青褪めていた。目の前には悍しい化物がいるからだ。いや、目の前ではない。視界いっぱいにその化物はいた。
港湾の青く澄み切った海はどこにもなく、赤黒い地のような色の化け物の身体が辺り一面を埋め尽くしている。肉塊のようにどくんどくんと脈動し、腐臭を放ち蠢いていた。
「こ、こんなことが……本当に神話の怪物が封じられていたとは……」
領主と共にラルグスから話を聞いた際には、鼻で笑い飛ばして相手にしなかった。魔術を知らない平民らしいと笑ってやり、計画通りに、いや倍の精霊酒毒薬を使って、そんなデマを吹き飛ばしてやると、ラルグスには命じたのだ。
恐らくは導師級の幻影魔術師が傭兵たちを。殺したのだ。人語を解するどころか、人に化けて街中で行動する魔物などいるわけがないと考えて。
「ウォォォォォォォォォォ」
鼓膜が破れるほどの咆哮を化け物は放つ。物理的振動を持っているような大音量に、耳を押さえて蹲る騎士もいた。その騎士はピンク色の肉塊から生えてきた触手に絡め取られて、慌てて仲間が助けに入る。
「たしか呪われしカリブディス……コラーゲンとかいう化け物の言葉は真実であったか」
もはや遊びでは済まない。先程まで余裕を持って、不気味なる人骨の化け物を圧倒していた姿はどこにもない。あるのは、ただ恐怖のみ。
「うぉー、これでもくらえ!」
『魔技 鋭刃剣』
騎士隊長が悲壮な顔つきで、魔技を振るう。数メートルに渡り、肉塊はその一撃で切り裂かれる。
だがそれだけであった。切り裂かれた箇所はすぐに他の肉塊で埋まり、攻撃された跡すら残らない。
「ひいっ、こいつどうやって倒せば」
「せ、背中合わせに円陣を組め! 背後を取られるな、死ぬぞ!」
まったく攻撃が効かない相手にし騎士たちは恐怖を浮かべ、それぞれ円陣を組み、触手の攻撃を恐れて保身に走る。
なにしろ人の胴体ほどの太さを持つ触手が次々と生えて襲ってくるのだ。その攻撃は鈍くあまりダメージは負わないが、それはマナがあるからだと騎士たちは知っていた。なので、騎士たちは消耗を恐れて動きを最小限に変えていた。
「貴様らっ! それでも栄えあるアクアマリン騎士団か! 船を逃すのだ。船を!」
「で、ですがどうやって?」
触手に絡み取られて、軋みをあげている船を指差し怒鳴り散らす。部下たちが騎士団長へと反対に尋ねてくる。たしかに海の上ではない。逃すには持ち上げるしかないのだ。『浮遊』を使えばなんとかなるだろうが、船全体となると、数十人の騎士が魔術をかけなくてはならない。助けるのは非現実的なことである。
騎士団長もそれはわかっていた。わかってはいたが、そう指示を出すしかなかった。
大木が倒れるように、騎士団長へと触手がゆっくりと迫るので、バックステップにて回避して、返す刀で、その触手を切り裂く。
騎士団長の魔法の剣は、軽々と触手を切り裂き、分断させることができた。だがそれだけだ。全体で見るとちっぽけなダメージだ。
なんとかせねばと、騎士団長が考えるが、目の前に信じたくない光景が目に入って、焦りと恐怖で叫ぶ。
「やめろ、その船はやめろーーー!」
騎士団長が向ける空中には、ガレオン船大の青いボールのような物が浮いており、触手が持ち上げていた。
ボールの正体は魔導船の絶対防御魔法『魔殻 』だ。船体全体をマナの殻で覆い、嵐が来ても、ドラゴンがブレスを吐いても、びくともしない最強の障壁である。船内部から外へは攻撃が可能なために、その魔法を使われたら、『魔法解除』が使えなければ、逃げるようにと言われる程の魔法だ。弱点はほとんどない。
弱点はほとんどない。だが弱点はある。わかりやすい弱点はというと、『魔殻』はマナを膨大に消耗することだ。船に備え付けられた魔水晶に溜められたマナが尽きれば消えてなくなる。
ギシギシと魔導船の『魔殻』は軋みをあげている。何本もの大木のような触手に絡みつかれて、強烈な締付けを受けていた。だが、その程度ならば破壊は不可能だ。船の内部から猛然と護衛であろう魔術師が火球や雷を放って対抗している。
「だ、大丈夫か?」
騎士団長はなんとかなるかもと、希望的楽観視をしたが、その考えはとてつもなく甘かった。空高く持ち上げると、カリブディスは大きく触手を振りかぶる。
「ひいっ、止めてくれ!」
「悪かった。話し合おう!」
「それだけは止めてくれ!」
船内から泣きそうな声の男たちの叫び声が聞こえてくる。カリブディスが何をするのか理解したからだ。だが、その必死な願いはもちろん叶わなかった。
カリブディスは魔導船を放り投げた。狙うはもう一隻の魔導船だ。同じように『魔殻』を展開して船を守っていた。
他国の魔導船だ。今まさに投げられたのは、自国の船だ。
お互いがぶつかり合い、紫電を発し、マナのオーラが波紋となって辺りへと広がり
パリン
とガラスが砕けるような音を立てて、お互いの『魔殻』はガラスのようにあっさりと砕け散り、船体が轟音を立ててぶつかりあった。
魔導船は、ただの木造船ではない。マナをよく通すエルフ秘蔵の木材にして世界樹の眷属と言われる『黄金の木』を材料に使い、竜骨はドワーフにより鍛えられた柔軟性が高く、それでいて硬度が高い少量のアダマンタイトとオリハルコンを大量のミスリルに混ぜて作り上げた最高級の魔法合金だ。
そして、その奇跡のような船を守るのは攻撃から守りまで、様々な高価な魔道具だ。山と積んてあり、無敵の船と言われていた。
『アダマス』王国でも3隻しかない貴重なる船。100隻のガレオン船が余裕で建造できるほどに金のかかった船。それが魔導船なのである。
即ち、魔導船の致命的な弱点は恐ろしいほどの金がかかり、維持費もとんでもない金額となるところだった。
年間国家予算並みであり、素材集めも大変で、腕の良いドワーフの船大工を大勢集めて、建造期間も10年は軽くかかる魔導船。相手を威圧するために存在する船は、しかし他国の魔導船と激突して、その船体はバリバリと音を立てて、真っ二つに割れた。相手の船も同様である。
どちらかが木造船なら、楽々耐えきれた。多少の傷で済んだだろう。だが、お互いに技術の粋を極めて、大金をかけた最高の硬度を持つ船体であったのが運の尽きであった。その最高の硬度の船体同士がぶつかり合うことで砕かれてしまった。
哀れ、他国の魔導船と合わせて、破壊された。修復が不可能であることは、船に乗り戦うこともある騎士団長にはわかった。真っ二つに折れて、竜骨が破壊されたのだ。しかも散らばっていく船の残骸をカリブディスはぐにょぐにょと触手を伸ばして吸収していっている。素材すらも回収は不可能かもしれない。
『アクアマリン』の不手際だと他国は烈火の如く怒り狂うだろう。金では変えない船、それが魔導船なのだから。
「あぁ……終わりだ……侯爵領は終わりだ」
敵との戦いで負けるのではない。莫大な金銭的な損害、そして他国の魔導船を破壊するなどと、王家はこのことを決して許さないだろう。
政治的な問題で、侯爵領は大敗したのだ。もはや転封の可能性は高い。それを防げても莫大な賠償金を支払わなくてはならない。
膝をついて、意気消沈する騎士団長。戦に負けるのならば仕方ない。勝敗は兵家の常だ。しかし金銭的な敗北では、泣けるに泣けなかった。
「団長! 敵の攻撃が止まりません!」
だが、副団長が泣きそうな声で叫ぶのを聞いて、ハッと気を取り戻す。それどころではない。自身の命も、それどころかこの港湾都市すらも滅亡の危機だ。
「な、なんとかして倒すのだ! カリブディスが上陸したら大変なことになる!」
騎士団長は鋭い声をあげて、部下へと指示を出す。そして、自らの魔剣を構えて、カリブディスの頭らしき場所を睨む。
「この上は、カリブディスを倒し、人々を救う盾とならん!」
騎士団長の真剣にして、悲壮な覚悟を見て、副団長たちも隣に並び剣を構えて、声をあげる。
「我らも続きますぞ、団長!」
「ここで戦わなければ、騎士の誇りが傷つきます」
ニヤリと笑みを浮かべる部下たちに、騎士団長はさすがは俺の部下たちだとコクリと強く頷く。
「ここで世界を滅ぼすカリブディスを倒し英雄とならん!」
「英雄になれば、我らは今回の罪を免れるやもしれませんからな!」
「絶対に倒さねば!」
利己的な騎士団であった。もはや自分たちもただではすまないが、見たことも聞いたこともない悍ましき怪物を倒し、華々しい功績をあげれば、助かるかもと考えたのだ。
だが利己的な考えだが、倒せる可能性は低い。己の命を賭して戦わなければならないだろうと、騎士たちは自らの恐怖に震える心を叱咤する。彼らは騎士なのだ。人々を守り、怪物を倒す。久しぶりにその誇りを思い出してもいた。
そうして騎士たちの戦意が戻ってきたと思われし時であった。
『グハハハ。愚かなる人類共よ。我こそは暴食のカリブディス。古に神々に封じられし、世界を喰らうものなり』
立てぬほどの、威圧感と重圧感を与えてくる思念が騎士たちに、港湾都市の人々全てに伝わってきた。身体がビリビリと震え、その声音に一般人は逃げることも忘れて、地に跪く。それほどの恐ろしさを魂で人々は感じ取ったのだ。
「か、カリブディス……人語を解するか」
騎士団長は呻き声をあげて、震える膝を叩いて気合いを入れる。魂がまるで恐怖という名の手に鷲掴みにされた感覚を受けたのだ。
戦意をあげて戦おうとしていた騎士たちも顔色を失い、強大なる古の怪物を見上げる。カリブディスは触手で次々と船を砕き飲み込んでいき、騎士たちを気にする様子もない。騎士たちなど相手にすらならないと理解しているのだ。
「神話の怪物よ、これを受けよ!」
そこに横合いから声があがる。見ると老エルフが手を舞うようにひらひらと動かして、額に汗をかき、顔を険しく変えてマナを練り上げている。
『勇猛果敢なる我が精霊よ。敵をその勇気で心を挫かせ、その武勇で打ち砕かん』
莫大な精霊力が老エルフへと集まっていく。強力な精霊術を使おうとしているのだ。周囲がマナの光で輝き、辺りを照らす。
『白鯨召喚!』
老エルフの切り札『白鯨』。その体躯は100メートルはある巨大なる精霊だ。空中から悠然と現れて、その白き巨大なる鯨は空を王者のように泳ぐ。
おぉ、と皆がその威容に頼もしさを感じ歓声をあげる。老エルフマーブリは大きく口元を笑みへと変えて、カリブディスへと指差す。
『我が契約せし最強の精霊白鯨よ、敵を飲み込め!』
白鯨の最強最悪の能力『呑み込む』だ。たとえ強き騎士でも、無敵の船でも呑み込み消化する。その力はマーブリを次席宮廷魔術師に上げるほどに強力であった。
『ウォォン』
白鯨は轟くような咆哮をあげて、カリブディスへと口を開けて襲いかかる。カリブディスも脅威を感じ、触手を向けるが、白鯨はあっさりと強力な吸引力を見せて呑み込んでしまう。
「無駄だ! 白鯨はいかなるものも呑み込む暴食のせいれ、い」
マーブリは得意げに叫ぶが、言葉が尻窄みになった。なぜならば
『クォォン』
白鯨は、触手を呑み込んだ途端に、身体を捻るように苦しむと、触手を吐いて精霊界へと戻ってしまったのだ。
『マズゥ』
との一言を残して。さすがの白鯨もヘドロの塊を飲み込むのは嫌だったらしい。カリブディスは泥スライム、しかも赤潮スライムキングの腐臭とヘドロのような泥の影響を受けた魔物だ。とてもではないが、食えなかった模様。精霊術の弱点、精霊は上位になればなるほど、自我が強く言う事を聞いてくれない所にあった。
ぽかんと口を開けて、全てのマナを使い切った老人は信じられないと目を疑った。
「カリブディス……古の怪物はこれほどに強大なのか」
震える体で、カリブディスを見つめ、騎士団も絶望の表情となる。なお、白鯨は古代精霊語で呟いたのでマーブリはわからない。
『アリでももう少しマトモな攻撃をしてくるだろう』
カリブディスのせせら笑う思念と、その身体から吸収した木材が突き出てくる。そうして、木材をエルフ達に向けてくる。狙いをマーブリに定めた模様。木材の中には吸収した魔法合金も見えた。
バリスタのように飛ばしてくるのだろう。あの質量を回避するのは不可能だと、皆が死の訪れに絶望する中で
『復活するとは思いませんでした、カリブディスよ』
鈴を転がすような綺麗な少女の声音が思念となって飛んでくるのであった。