23話 呪われしカリブディスなのです
アキは離れた場所にて劇を観戦していたが、さすがに驚愕し、目を疑った。
「なんだ、あれは!」
思わず叫んでしまうが、無理もない。埠頭に集まっている騎士たちも、驚き叫んでいる。狂乱の叫びだ。
「なんだ、あれは!」
叫び声をあげたアキとまったく同じセリフを騎士たちは口にして、混乱のさなかにある。
無理もない。繰り返すが、無理もない。
港湾都市『アクアマリン』の港湾は広大だ。天然の入り江となっていた三日月型の港湾は一回り小さくはなっているが東京湾に似て広々としており、百隻の船が湾内に停泊できるほどだ。石造りの埠頭は立派なもので、端から端まで歩くのに半日はかかるかもしれない。
その広大にして、港湾都市『アクアマリン』を夢と希望と悪徳の街へと変えている源泉である港湾。その港湾に何かが現れてきていた。海中から現れたそれは、本来は格安海魔カリブディスであるはずだった。
全長10メートルの怪物は、アキが練りに練って考えた造形で、これならば見た目は怖がってくれるだろうと、昨日は満足して寝たのだが、カリブディスを台無しにするものが現れた。
なにしろ、カリブディスを乗せて海中から浮上してきたのだ。まるで山のような大きさ。見ると、停泊している船もその体に乗せられて持ち上げられている。それだけ巨大なのである。
まるで封印されし大地が浮上してきたようだ。見る限りには埠頭のある港湾全てにおいて、船は持ち上げられて、海水が津波のように埠頭へと雪崩れこんでいる。大量の海水が埠頭に流れていき、騎士や放置されていた積み荷を押し流す。
巨大すぎるのだ。全長1キロはあるのだろうか。その大きさは少し離れたところで見ていたアキですらよくわからない。中心部が火山のように盛り上がり、頭と手が生える。
蝋燭が溶けたような頭や手は苔と積み重なる腐った木材や過去に沈んだであろう小さな船により形成されており、死者の怨念が集まったように見える。その身体も大量の腐った木材や船を寄せ集めて、なにか粘着したものがそれらを繋げている。
なおかつ、その化け物はどす黒い赤色をしていた。まるで腐った血のような色合いで、腐臭を発して、表皮は不気味に蠢いていた。
誰もが悟った。この怪物はこの世にいてはいけない存在だと。
『グハハハ。我グラーゲンの願いは叶ったり! 愚かなる人間共よ、貴様らの用意した『精霊酒毒薬』と我の秘術により呪われしカリブディスは復活できた。地獄にて貴様らの末路を見ていてやろうぞ。グハハハ』
アドリブで劇の内容を変えたのか、ニアが周りへと思念を送る。その思念は怖気と邪悪さを感じさせた。カリブディスからグラーゲンに転職したメイが操る格安張りぼて魔物は、新たにオーディションもしていないのに選ばれたカリブディスさんが生やす触手に掴まれていた。
見ると、その体表から赤い触手が雨後の筍のように生えていき、その身体に乗せた船に絡みついていっていた。
「カリブディス? まさかコラーゲンが復活させようとした神話の封印されし怪物のことか!」
グラーゲンに1番近い騎士が怒鳴るように尋ねてくる。どうやらラルグスの話を知っている者のようだ。
『フハハハ。我はカリブディスに吸収され、永遠を栄華の中ですごそう。フハハハ』
グラーゲンは触手に侵食されて、その身体を赤く変えていく。だが、グラーゲンにとっては永遠を生きることができる福音だった。
『おい。コックピットは壊されるなよ? なんとしても回収するんだ。コアブロック方式なんだから、使い回す予定だったんだ』
あれは高かったんだ。貧乏劇団の機材は大切に使わなくてはならないのだ。アキはメイへと抵抗してくれと、お願いをするが
『無理なのです。既に敵に掴まれて脱出不可能。コラーゲンの身体はどんどん敵に侵食されており、コックピットも危険なことになるのですよ。それにボロすぎるので、買い換えることにするのです』
『何者か知らないが、コラーゲンをここまで簡単に侵食するとは普通じゃないぜ』
『グラーゲンだ! コラーゲンだと、食べられたら敵は肌がピチピチになるだろ!』
アキの意見を2人は聞いてはくれなかった。もはや既に諦めている模様。
『倒されたら消滅する設定だから、証拠は残らないです。では、楽屋へと転移するのです。ポチッとな』
メイがアバター脱出ボタンを押してしまい、グラーゲンは抵抗をやめて、おとなしくなり、霧のように消えていく。
「ただいま〜、なのです」
『あ〜、驚いた』
楽屋として設定していた空き家から幼女が軽い口調で出てくる。脱出成功したらしい。ニアもフヨフヨと浮いて後から出てくる。
「……おかえり。これは失敗か……」
肩を落として、アキは項垂れる。デビュー作は失敗に終わったのだ。予想どおりにアキの目の前にボードが浮かび上がる。
『配給中止』
『売り上げ決算:0GP』
『人件費:泥スライム改200体、光源妖精、メイ:合計金額マイナス24万1000GP』
『機材費:海魔コラーゲン:マイナス20万GP』
『純利益:マイナス44万1000GP※100GP以下は手数料として、ニアが徴収させてもらいます』
がくりと膝を落として俯く。やはり失敗だった。主演が飛び入り参加に奪われたのである。この劇は失敗だと判断されたのだ。あと、グラーゲンだから。コラーゲンじゃない。
「まぁ、失敗の方が経験になるのですよ。最初に失敗した方が良かったのです」
『まぁ、仕方ないぜ。インパクトが違ったしな』
思いの外、落胆するアキを見兼ねて、メイとニアが慰めてくれる。
「たしかになぁ。あの港湾を埋め尽くす巨大な化け物はなんなんだ? 本当に神話時代に封印されたやつ?」
『情報収集』
嘘が真になったのかと、駄目元で港湾を埋め尽くす巨大な化け物へと情報収集を使用する。神話時代の化け物ならば、情報収集ではわからないだろうが。
『赤潮スライムキング:泥スライムを支配して一つの群体として行動するスライムキング。栄養過多の海に時折現れる。精霊酒毒薬により、精霊力が港湾の海底は少しだけ乱れて、泥スライムが大量発生していた。その泥スライムを海底のゴミごと取り込んだスライム。7級魔物 物理中耐性、魔術脆弱』
ファンタジー感なさすぎな化け物だった。
しかもあまり強くない。7級なら新米騎士でも倒せるレベルだ。
「なんだよ。人災か」
工場排水を垂れ流しにして、赤潮が発生したようなものである。スライムは魔法に弱いから、あっさりと倒されるであろう。
『いや、これはまずいかもだ。あの赤潮スライムキングは類を見ないほどに育ちすぎだ。あれだけ巨大なスライムなんていないぜ』
ニアの懸念のとおりなのか、触手に絡まれた船が次々と軋みをあげて押し潰されていた。船は水がなければ逃げようがない。その破砕された船の残骸を赤潮スライムキングは吸収していっている。
慌てた騎士たちが、その身体の上に飛び乗り触手を剣で切り裂く。魔術を使用しようとした騎士もいたが、水の精霊がまだまだ多く居るので、他の仲間に止められていた。
剣では触手を切り裂けるが、それだけである。象に蟻が噛み付いているようなものだ。しかもスライムは痛覚を持たない。
なおかつ、巨大なスライムを誰もスライムだとは考えなかった。カリブディスが復活するとの情報もあり、誤った行動をしていた。
「赤潮スライムキングって、どのように倒すんだ?」
7級ならば騎士ならば苦戦はしないはずだ。そこまで強いはずはない。
『さぁ? 俺も知らないが、火の範囲攻撃を何発かぶつければ倒せるんじゃないか?』
魔本は特に魔物に詳しいというわけではない。ニアはパタパタと本を羽ばたかせる。
火球とかかねと、アキは騎士と新カリブディスの戦闘を眺める。なにしろ巨大な魔物だ。その身体を地面代わりにして立てるほどだ。
象に群がる蟻のようにちまちまと攻撃を与えていく騎士団。その周りで楽しそうに宙に浮いて邪魔をする水の酔っ払い精霊たち。水の精霊に当たらないように、魔力の籠もった攻撃すらもなかなか使えない騎士たち。
「まずいな。勝てる未来がまったく見えない。このままだと、マナ切れで奴ら倒されるぞ」
騎士たちは身体強化でマナを消耗している。赤潮スライムキングの攻撃は、たとえ自分が立つ地面から生えてくる触手だろうと、身体強化で余裕で回避できているが、そのために身体強化を切らすことを恐れているのだ。切れた場合は掴まって殺されると考えているのだろう。
だが、だからこそ、騎士たちは殺される可能性が高い。本来は魔術の一斉射撃を何度も行えば楽勝に勝てる敵なのだ。このままだとマナが保たない。
2人の精霊使いが水の精霊を追い散らそうとしているが、人手が足りない。
「公害って、本当に危険だよな」
普通はここまで巨大化はしないのだろう。すれば、すぐにその正体に勘づくはず。精霊酒毒薬なぞを使うからだと、アキはウンウン頷く。
「即ち新しい劇、私のデビュー作を披露するときだ」
魔法のペンを取り出して、脚本を考えようとする元地獄の獄卒である。早く倒さないと、地上に這い出してきて、恐ろしい被害を出すに違いない。港湾内で倒す必要がある。
「スライムを倒せる方法ねぇ」
周りを見渡すと、人々が新カリブディスの威容を見て、慌てて逃げていた。荷物を持って逃げようとする者たちもいる。このような場合、だいたいそのような人々は死んでしまうので早く逃げてほしいんだがと嘆息して空き家に入り込む。
「あれだけ巨大なスライムを倒せる方法はあるか?」
巨大なスライムだ。大規模範囲魔術でないと倒せないのではなかろうか。
「燃やすと、港湾都市は大火事です」
「わかっているじゃないか。そのとおりだ」
グラーゲンが勇者幼女に負けた際、種火で燃え尽きたのだ。新カリブディスはもう少し耐性があるようだが、巨大なオイルの塊が燃えながら、街へと這い上がったら、かなりの範囲が灰になる可能性が高い。
仕方がないので、悪魔の知識を活用することにする。こっそりと変身を使い、倒し方を検索すると、すぐにわかった。
「なるほど。魔術小耐性といっても、泥スライムは元の耐久力が無いから魔法の矢にも耐えられないのか」
普通に初級魔術で倒せると悪魔の知識は伝えてきた。群体なので、攻撃しても、攻撃をした部分しか倒せないとも。たぶん泥スライムはヒットポイント1である。
「ううむ………もう1本脚本を書くか。資金の問題から、あまり主演に金をかけられないが」
倒す方法は考えついた。しかしながら資金がなぁと、アキは考え込む。見栄えの良い姿にしたいのだがと。
「仕方ありませんです。あたちのスキルを活用する時がきましたです」
「なにか良い方法があるのか?」
メイが秘策ありと、目をキラキラとさせて、手をあげてぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「あたちのキグルミは大成功なら、姿を変えられるといったはずですよ」
「あぁ、たしかにそんなこと言ってたな。でも大成功なんて無理だろ」
この幼女は大失敗を出すに違いないとアキは半眼で見つめるが、メイは人差し指をチッチッと振るうと得意げに平坦なる胸を張る。
「1日に1回と決めていますが、薄暗いこの部屋なら大成功を出せるのです」
なんだか怪しいセリフを吐いて、幼女はダイスを取り出した。余程自身がある模様。
それじゃ、任せてみるかと、アキは頷いてメイのダイスに運命をかけるのであった。
デビュー作は成功したいと思いながら。