21話 薬の用法用量には気をつけるのです
豪雨となり人足たちが船から卸した積み荷を濡らさないように慌てて防水のために革のシートを被せている。船乗りたちは船に戻るか、仕事がなくなったとばかりに、酒場へと走っていく。
埠頭は雨の中、水溜りをバシャバシャと蹴りながら人々が蜘蛛の子を散らすように去っていき、あれだけ騒がしかったのに、人気がなくなり雨音だけが残る。
その様子を豪雨の中、一滴もその身体を濡らすことなく、老齢の魔術師が目を細めて見ていた。先程、リーフのダンス発表会を眺めていた老エルフだ。
皺は老人を老いたというよりも、威厳を備えている。細めた眼光は鋭く、威圧感を与えてきており、ただのエルフには見えない。
なによりも、エルフの身体を雨が避けていくことであった。まるで水の膜がエルフを包んでいるかのように、雨粒は弾けていく。
実際にそのとおりである。水の7級精霊術『雨避け』だ。この魔法は雨程度なら、自分が濡れないようにすることができる。老エルフにとっては、簡単な魔術だ。
「ふん。豪雨の中でも仕事熱心な者たちがいるようだな。侯爵殿の騎士団はあそこまで仕事熱心だったか?」
皮肉げに口元を歪めて、埠頭を警備している騎士団と衛兵を見つめる。衛兵隊長は豪雨のために、家屋に入って雨宿りをしましょうと、ずぶ濡れで身体を震わせて騎士に提案していた。だが、不思議なことに、騎士はその提案を跳ね除けていた。
「騎士様。このままでは風邪を引いてしまいます。身体を温めないと、明日には衛兵は熱を出してベッドの中です」
「黙れ! 今日は警備の訓練日なのだ。雨が降ったから止めるなどと、そんなことできるわけなかろうが!」
騎士も雨宿りをしたいという嫌そうな表情を浮かべ、ずぶ濡れの姿となっているが、訓練日だからと嘆息混じりに答えていた。その様子を見て、雨宿りの提案は駄目なのだろうと、衛兵隊長は肩を落として下がる。
「常日頃からあれだけ熱心ならぱ、ここの騎士団は精強だ」
濡れておらず、寒さに震えることもなく、老エルフは皮肉げに嘲笑う。ここの騎士団がそこまで真面目だとは聞いていなかった。なにしろ騎士団は戦争の花形だ。人間や魔物相手に華々しい戦闘をするが、その反面地味な警備などは嫌がる傾向にある。それが、熱心に警備をするなどと…………何かしらの思惑があると言っているようなものだ。
「このような豪雨でも雨宿りはしないなどと、怪しんでくれと言っているようなものですね、師マーブリよ」
隣に立つエルフの青年が、フッと薄く笑い肩をすくめる。老エルフと同じく、その身体は魔術により守られており、雨は全て弾かれていく。
マーブリと呼ばれた老エルフは頷いて青年へと目を向ける。
「準備は問題はないかサーダ?」
「はい。既に『精霊酒毒薬』の在り処は調査済みです。どうやらラルグスという木材商人が持つボロ船に大量に運び入れています。騎士団の様子から、本日敢行するのでしょう。残念ながら、アクアマリン侯爵の所有する船ではありませんでした」
サーダと呼ばれたエルフの青年は片眉をあげて、クールに笑って、びしょびしょの髪を押さえる。カッコつけたい様子だが、残念ながら濡れネズミのように濡れそぼっており、情けない。
「そうか。さすがに侯爵所有の船ではそんなことはしないか。それと、もう少し精霊術を鍛えよ」
ジロリとマーブリは隣に立つ青年を睨むように見て言う。マーブリはまったく濡れていないのに、サーダはずぶ濡れである。
「仕方ないんですよ、マーブリ様。精霊術を行使するのが間に合わなかったんです」
残念な返答をするサーダである。マーブリは雨が降ってきて、すぐに『雨避け』を使用した。だが、精霊術がようやく一人前の腕となったサーダは、軽い雨なら大丈夫ではと、面倒くさがり雨足が強くなるまで精霊術を行使しなかった。その結果である。
それでもサーダはカッコつけたい年頃なのか、濡れていませんよという態度でいた。マーブリは困った弟子を見て呆れるが、放置でも良いかと気を取り直す。
「薬を撒いた時を狙って捕縛せよ。証拠として必ず薬を確保するのだ」
「フッ。お任せください。『風の妖精よ。我が言葉を伝えておくれ』」
マナを籠めて精霊語をサーダは口にする。目の前に小さなつむじ風が巻き起こる。つむじ風へと、サーダは伝える。
『作戦を開始せよ。作戦を開始せよ』
『風の伝言』
近くにいる人間に風の精霊を使い、メッセージを伝える魔法である。数キロ圏内なら伝えることができる。それだけならば使い道の多い魔術に見えるが、欠点がある。予め教えておいた場所に精霊は伝言を伝えるだけだ。そこに味方がいるかなどは精霊は判断してくれない。なので、敵がいても伝言は伝えられる。しかも片言しか伝えてくれない。慎重に使わないといけないのである。
「成功すれば、『閃光球』が空に放たれるはずです」
「うむ。では、待つとするか」
マーブリは満足そうに腕を組む。サーダも同じくクールに腕を組み、身体を震わしていた。
王国次席宮廷魔術師マーブリ。老人の正体である。観光に来たエルフを演技しているが、本当のところは、アクアマリン港湾に発生しているこの数年の精霊暴走について調査に来た水の精霊術のスペシャリストだ。
その腕前は王国でも1、2を争う。筆頭宮廷魔術師は、通常の黒魔術師のために、実質のところ精霊術ではナンバーワンであると言えよう。
自らが足を運び、この都市を調査することを王に進言したのである。精霊の暴走とは、繰り返されれば危険なことになると、王を説得したのである。
精霊術の使い手としては、見逃せない危険なことであったのだ。そのため、部下の精霊術師と王国騎士団を20名程度連れてきていた。
「侯爵への繋がりは確認できたか? 精霊を弄ぶなどと絶対に許すことはできぬ」
エルフは精霊と共に暮らす民だ。その精霊を悪戯に弄ぶなどと決して許せぬと、目元を険しく変えて、口元を厳しく結ぶ。
「はい。ラルグスの館にも何人か騎士が待機しております。作戦が成功すれば、書類なども接収できるかと」
「よいか、必ず侯爵との関係がわかる書類、その関係を匂わすものでもよいから確保するのだ。これが成功すれば、3年は侯爵家の上納する税金を上げることができる。そのうちの何割からは儂が貰える予定なのだ。精霊を弄ぶなどと決して許せぬ」
「はっ! 期待しております。精霊を弄ぶなどと許せないですな」
この弱みを侯爵から手に入れることができれば、王家は侯爵家へと貸しを作ることができる。その貸しの返済は税金という形で帰ってくるはずなのだ。その返済のいくらかはマーブリの懐へと入ってくる。
即ち、マーブリは正義のために行動していた。精霊を弄ぶなどと許せないと、言葉の最後に言うほどに、怒っていた。
「港湾都市の税金は莫大だ。その欠片でも大いに懐は潤う。精霊を弄ぶなどと絶対に許せぬからな」
「そうですね。この情報を掴んだ師には敬服します。さすがは水の魔術師マーブリ様。精霊を弄ぶなどと絶対に許せませんからね」
正義の味方であるエルフ2人は顔を見合わせてクククと笑うのであった。
ちなみに、精霊術の一番人気は干ばつや井戸探しに使える水。続いて連作障害などを防げたり、癒せる土である。風も伝言から、矢よけの魔法まで使えるので、そこそこ人気だ。最低は火。戦場でしか役に立たないので。
この世界。貴族たちにとっては魔術は生活を豊かにする術だと考えられているので、テンプレな戦場でだけ強い火の魔法人気はなかったのである。
まぁ、普通はそうであろう。軍事に最初に使っても、その技術を生活に使用することを思いつくのは当り前だった。
やはりファンタジーはどこにも存在しておらず、現実的な異世界であった。
しばらくすると、僅かに雨足が弱くなり、視界が通るようになってきた。マーブリはその様子を見て、ピクリと眉を動かす。
「精霊が苦しみ始めたぞ!」
「はい。始まったようですね」
精霊を感知できる2人はその目に海面がざわつき始めるの感じた。港湾は船が出入りすることもあり、魔法も使用されて精霊力も多少乱れている。
そのために騒がしさを嫌う自我のある中級精霊は寄り付かない。いるのは自我のない下級精霊だけだ。彼らは多く存在し、その嘆きがマーブリたちの耳に入ってくる。
『ふわふわ』
『たのしい』
『おどる』
『のめのめ』
片言だが、苦しむ精霊たちの声を聞き、マーブリは海面からバレーボール大の水の塊がいくつも浮かび上がってくるのを見た。魔法しか効かない精霊たちである。その数は200はあるだろう。マーブリたちは苦しむ声が聞こえたことにしておいた。
苦しみもがく精霊たちは、そばに停泊している船に近づき、船体の板を引っ掻き、マストに絡みついて帆を破る。止めてくれと、船員が追い散らそうとするが、チーズに齧りつくネズミのように、水の精霊たちは絡みついて、ちまちまと船体に傷を負わせていく。悪酔いした酔っ払いが、バシバシと飲み仲間の肩を叩くようなものである。
しかしながら、水の塊がスライムのように船体に絡みつくのは脅威である。多くの船はちょっとした修理をしなくてはなるまい。修理代、修理が終わるまでの停泊料、船乗りたちへの追加の給与などなど、大損害だ。
「精霊が暴れ始めているぞ! 警戒していた甲斐があったぞ!」
「栄えある騎士団の力を見せよ! 人々を守るのだ」
悲痛の声をあげる人々に、騎士たちは剣を引き抜き、颯爽と走り出すと精霊たちに対峙する。
「師よ! 閃光球が空に上がりました!」
「うむ! ではラルグスの捕縛指示も出せ! 儂らはここの精霊たちを宥めることにする! 王国宮廷魔術師としてな!」
サーダが指差す先には、ボロ船から放たれる閃光球が見えた。作戦成功の合図だ。閃光球を見て、騒ぐサーダへと視線を向けて、騎士たちの中では青褪めている者も多くいる。事情を知っている者たちなのだろう。なにかまずいことが起きたと悟ったのだ。
だが、今そのことを口にするわけにはいかない。多くの水精霊を追い払わないといけない。
「儂は王国宮廷魔術師マーブリ! 休暇にて観光に訪れていたが、この状況。儂らも救援致す!」
「同じく王国宮廷魔術師サーダ! お助けします」
「王国宮廷魔術師……お、お願い致します」
青褪めながらも、騎士団の団長らしき男が頭を下げてくる。立場を明確にすれば、もはや暗殺もできないと、マーブリは薄く笑うと手を翳す。
『水の精霊よ。その身を清め給え』
『浄水』
マナを籠めて、ドブさらいなどに使うと便利な魔術を発動する。青い光粒がキラキラと水の精霊へと向かっていき、命中する。苦しんでいた精霊は、酔いが覚めたよと、再び海に返っていく。
老エルフが使ったことにより、なんだか凄そうな魔術だと周りはその様子にどよめく。サーダも俺もやってやるぜと、無駄に手を振り、体をひねり、格好つけながら『浄水』を使い水の精霊を素面に戻していく。
エルフたちの活躍を見て、騎士団も慌てて水の精霊へと攻撃をしていく。傷つけたら、反撃をしてくるので、魔法を篭めていない攻撃で。
見栄えの良い茶番が続く。たちどころに数十の水の精霊が散っていき、今年もこれで精霊の暴走は終わりだと、誰もが思っていたが
「な、なんだ、これは!」
突如として海面から黒き光の柱がいくつも立つ。海中から禍々しいなにかが現れる前兆のように、いくつものサーチライトのような黒い光が交差してライトアップするように辺りを照らす。
そうして、闇の光の中で、ズルリズルリと、なにかが這い出てきた。
「ウボぉ」
「ウァァ」
「グルァ」
人の頭蓋骨を頭に持つ苔の塊が何百匹も這い出てきた。ずるりずるりと、埠頭へとその姿を現す。
「なんだこれは?」
「まさか、本当に神話の怪物が復活を!」
騎士団たちの台詞に、マーブリは聞き逃せない内容があることに気づく。
「神話の怪物? どういうことだ?」
「そ、それは後ほど領主様から説明があるかと。それよりもあの怪物たちを倒さなくては!」
マーブリが詰め寄ると、顔を背けて騎士は言い逃れるように答える。
「うぬ……必ず後で説明をしてもらおう!」
苦々しい表情をして、マーブリたちは現れた化け物を倒さんとするのであった。
遂に劇作家アキの劇が始まったのである。
しかし、誰も気づかないことがあった。
港湾の海底。そこには何かが存在していた。
港湾の海底深く、積み重なった多くの腐った木材や石の中で、なにかが蠢く。同じように辺り一面港湾の海底のほとんどが蠢いた。
海面が騒がしく、自らの安寧を乱すなにかをそれは感じ取った。精霊力が乱れて、自分の棲家が崩れる。多くの魔術が使われたことにより、影響を受けていた。
そのなにかは、ゴポリと泡を吐き出すと、海面に浮き始める。海底全体が浮かび上がり、海上へと向かうのであった。




