2話 始まりの終わりなのです
女戦士の活躍によりコボルドの群れは退治された。雨もようやく降り止み、池のような水溜りがそこかしこに見える。
そして水溜りの中に沈むコボルドたちの死骸も。雨により血の臭いはしないが、放置しておけば直に腐り始めて腐臭を放ち始めるだろう。
「手助けをしてくれてありがとう。助かった」
隊長は頭を軽く下げると、コボルド退治の礼を言う。警戒心が目つきには浮かんでおり、少しばかり礼を言うには女戦士から離れているが。
「気にすることはないよ。人助けってのは大切だしね」
蓮っ葉な口調で女戦士が肩をすくめる。こちらに近づこうとしないので、隊長らと同じく警戒しているらしい。気持ちはわかるなと、内心で隊長も同じ思いを持ち苦笑いを浮かべる。
なにしろここは裏街道だ。港町アクアマリンに向かう街道ではあるが、普通は海岸沿いの平原に伸びる街道を使う。あちらは魔物も少なく、旅人も多い比較的安全な道だが、アクアマリンに向かうには遠回りとなる。
対してこちらは裏街道。魔物が蠢く森林の中を突っ切るいわゆる抜け道であり、危険の代わりに表街道よりも短い距離で行くことができた。だが、普通は使わない。命を賭け金に時間を一週間程度短縮するなど正気の沙汰ではないからだ。ここを通るのは、あまり人には言えない商品を扱う商人か、スネに傷を持つ犯罪者紛いの傭兵だけなのだから。
だからこそ、お互いに警戒を緩めない。たとえ命を助け、助けられた関係でも。
このまま穏やかな睨み合いが続くと思われ、さて、どうしようかと隊長が迷っていると
「礼を言おうではないか。ほれ、お前。これを渡せ」
頑丈な箱馬車から小太りの男が出てきた。革の小袋を隊長に投げてくるのでキャッチする。手の中でジャラリと鳴る硬貨の音と感触に、かなりの金額が入っているのではと驚いてしまう。
小太りの男は隊長たちの雇い主の商人である。護衛費をケチるような奴ではないが、さりとて、太っ腹な性格でもない。まぁ、護衛に金をケチる人間はほとんどいないが。ケチるとそれだけ簡単に裏切られるからだ。
雇い主をちらりと見て、本当に渡して良いのか確認すると、コクリと頷き返してくる。
なるほど、どうやらこれ以上危険な橋を渡るつもりはないということらしい。
「これは俺の雇い主のお礼だ。どうだ?」
ゆっくりと近づき、敵意のない様子を見せながら小袋を手渡す。女戦士は受け取ると慎重に小袋を開けて、ヒューと口笛を吹いた。どうやら満足したらしい。
「お互いに今度は酒場ででも会えりゃ一杯やろうじゃないか。それじゃどうぞお先に」
ニコニコと笑顔で道を譲る女戦士。強盗に早変わりするつもりはないらしい。良かったと胸を撫でおろし、隊長は御者席に乗る。
「当主! しばらく馬を酷使しますが良いですか?」
「む……任せる」
馬が傷むとか文句をつけるつもりはないらしい。ここは危険だと理解しているのだ。死骸を食らおうと、他の魔物もやってくる可能性は高いし、なにより目の前の女戦士が危険だ。そこまで腕は良さそうに見えないのに、コボルドを倒した。いつ強盗に変わってもおかしくない相手の側にはいたくないというわけだ。
命を助けてもらってありがとう。このまま護衛についてもらえないか、などと馬鹿な提案を雇い主はしなかった。用心深さが命を救う。結構なことだ。
「それじゃ、酒場で会ったら一杯奢ろう」
「あぁ、期待しているよ」
馬を操りながら、片手を振ると、女戦士も特に呼び止めるつもりもないのか、素直に片手をあげて挨拶を返してくる。
そうして箱馬車は駆け足で去っていき、隊長たちは命を落とすことなく港町へと向かうのであった。
遠ざかる箱馬車を見て、薄っすらと嘲笑うと女戦士は小袋の中身をひっくり返す。ジャラジャラと金貨が零れ出てきて、ニヤニヤと喜ぶ。
「ハハッ。金貨が20枚もあるよ! こんな大金初めて手にした!」
手のひらにあるのは金貨であった。多少汚れて歪んではいるが本物だ。平民の4人一家ならば金貨1枚でゆうに一ヶ月は暮らせる。それが20枚である。大金を手にしたと女戦士は浮かれた。
この金の使い道はどうしようかと、浮かれた表情で迷っていると
「良い稼ぎになったようだな」
木々の合間から嗄れた老人の声が聞こえてきて、女戦士はニヤリと笑い、声の方へと振り向くと金貨を摘み、見せつける。
「あぁ、こんなに簡単に稼げるとは思わなかった。もうチンケな仕事なんてできないよ。まったくあんたのお陰だ、『魔物使い』」
「ふん。つまらぬ仕事だ。だが問題はなかったようだな」
「あぁ、あんなに簡単にホブコボルドを倒せるとは、倒したアタシ自身信じられないよ」
地面に横たわるホブコボルドを見て、女戦士は浮かれた口調で返して、声の持ち主を見る。そこには灰色のローブを着込んだ老人が立っていた。先端に赤い宝石のついた節くれだった木の杖を持ち、魔術師だとその出で立ちですぐにわかる老人だ。
不機嫌そうに皺だらけの顔を歪めて、老魔術師は気に入らないとばかりに鼻を鳴らす。
そう。全ては茶番劇。自作自演であったのだ。
女戦士がこの街道を恐る恐る進んでいたときに、この老魔術師と出会った。老魔術師は簡単な仕事をしてみないかと提案してきて、怪しみながらも手に入るだろう報酬に目が眩み、首を縦に振ったのだ。
それは簡単だった。老魔術師の『魔物支配の杖』でコボルドたちを支配して、商人を襲う。それを女戦士が救い出すと言った、マッチポンプ。即ち詐欺である。出会った時に老魔術師は大勢のコボルドを支配下においていたので、女戦士はこの提案に乗った。
どこぞの落ちぶれた貴族だろうと思いながら、自分の幸運に神に感謝をして、女戦士は老魔術師へと小袋を差し出す。
「半々って約束だからね。あんたの取り分だ」
「うむ。頂こう」
老魔術師が近寄ってくる。女戦士はニコニコと媚びるような笑顔で、小袋を差し出し、老魔術師は受け取ろうと手を伸ばした。
そうして、老魔術師が小袋に手をかけた瞬間
「ウグッ」
女戦士がその懐に体当たりを仕掛けた。勢いよく体当たりを仕掛けたことで、老魔術師はくの字に身体を折り曲げて倒れ伏す。
「な、なにを?」
信じられないと目を見開く老魔術師。
「ヘヘっ。今日は幸運の日だね。金貨が20枚。それにあんたの持つ魔術具も手に入るんだからさ」
血に濡れた短剣を老魔術師に見せつけながら、女戦士は嘲笑う。無警戒に近づく馬鹿な老人がいけないのだ。
「後ろ暗い仕事をするんだ。報酬の分配時が1番危ないんだよ。世間知らずの爺さん」
「お、おのれ……」
老魔術師が憎しみを顔に浮かべて震える手で杖を女戦士に向けようとする。だが女戦士の方が早かった。スナップを効かせて素早く短剣を投擲し、老魔術師の額に突き刺さした。老魔術師は目を見開き、苦悶の表情で額から血を流して、地面に力なく倒れると息絶えた。
「ハハッ。殺される方が悪いんだよ。さて、この杖はいくらすんだろうね」
コボルドを支配下における魔術の杖。最初から狙っていたのだ。周りにコボルドがいた時は手が出せなかったが、この馬鹿な爺さんは芝居に全て使い切った。恐らくはこの森林でいくらでも補充ができると考えていたのだろうが、千載一遇の機会を女戦士は手にしたとほくそ笑んでいたのだ。
そうして、今や魔物支配の杖は自分の手にある。金貨100枚、いや200枚はするのだろうか。使えるのであれば自分で使うことも良いだろう。女戦士はニヤニヤと醜悪な嗤いを浮かべて、裏切ったことなど罪悪感の欠片も見せずに、老魔術師の死体を蹴り飛ばし、杖を手にして、しげしげと眺めて悦に入る。
だが、女戦士の幸運はここまでであった。
トスン
と、足元から音がした。
「は? なにが?」
なんの音かと足元を見ると小枝が泥濘に刺さっていた。いや、矢羽根もなく、みすぼらしいが……。
「矢? なにが」
その正体に気づき、慌てて周りを見渡すが、時既に遅かった。トスントスンと周りに矢が刺さり、自身も鋭い痛みが襲う。
「ががっ。いだっ」
女戦士の肩に、腕に、足にと矢が突き刺さった。着込んだ革鎧により弾き返す部分もあったが、カバーできていない部分に何本もの矢が突き刺さった。
痛みで呻き、女戦士はよろけて膝を落としてしまう。いったい何がと周りを再度見渡して、恐怖の顔と変わる。
「殺される方が悪い。私もそう思うよ、女戦士」
木々の合間にはボロい弓を引き、緑色の肌を持つ腰布だけをつけた子供のような人と
今殺したはずの老魔術師が立っていた。凍えるような目つきで女戦士を見ていた。
そんな馬鹿なと女戦士は殺したはずの老魔術師の死体を見ると陽炎のように薄れて消えていった。自身の手にする杖も感覚がなくなり、空気のように消えていってしまった。
「は、はは。幻影だったのかい。いや、違うんだ。これは違うんだ。悪かった。あんたはボス。アタシはこれからあんたの忠実な部下になるよ。な? 良いだろ?」
自身でも無茶苦茶だとわかるが、命乞いの言葉を口にする。矢が刺さった箇所から血が流れていく。失血が激しく、痛みが激しい。そして殺したはずの老魔術師が生きていたことに混乱と動揺をして、女戦士は子供でもしないだろう下手な言い訳と命乞いをした。
だが、その言葉はもちろん老魔術師の心には響かなかった。
「敢え無く倒れる女戦士。罪の果てに命を落とすのは天の罰だろうか。彼女はゴブリンの群れに襲われて、死を迎えるのであった。こんな感じかな?」
朗々たる声で老魔術師が謳うように告げてくる。
「ゴブリン? おい、あんたら。アタシを助けてくれよ! 身体で払っても良いからさ!」
老魔術師に命乞いをしても無駄だと悟り、女戦士はゴブリンと呼ばれた部族に助けを求める。初めて見る部族だ。どこの部族かはわからない。腰布1つに、ボロい弓とも言えない弓を持つ緑色の肌を持つ奴らは、女戦士の命乞いを聞いて、ニヤニヤと顔を見合わせて嗤い始めた。
「ギャッギャッ」
「グヒヒヒヒ」
「ガラガラガラ」
「ごぶー。ごぶーなのです」
人とは思えぬ醜悪な笑みで嘲笑う緑色の奴ら。こちらをいたぶるように見せてくる嗤い顔に助けはどこにもいないことに、女戦士は気づく。
「魔物であるゴブリンを知らぬか。まぁ、無理もない。この世界にゴブリンは存在しないようだからな」
淡々とした口調で、なんの感情も乗っていない声音で老魔術師が告げてくる。その言葉に理解した。この邪悪そうな連中が魔物であるならば、命乞いなどは、面白い余興の歌にしか聞こえないだろう。
コボルドだけではなかったのだ。この老魔術師は狡猾であり、自身のカードを全て使い切ったわけではなかった。
歯噛みをして後悔をする。なぜそのことに気づかなったのか。この男は見るからに魔術師であり、体力などよりも魔術に力を割いているのは明らか。ならば壁となる魔物を全て使い切るわけが無かった。
最初から老魔術師の手のひらの上で自身は踊っていたのだ。裏切らなくとも、きっと自分は殺されていたに違いない。
初めてこの老魔術師に出会った時に、振り返らずにひたすら逃げれば良かったのだ。選択肢を間違えた結果だと、女戦士は顔を俯けて恐怖に震える。
「さらばだ。地獄で貴様が殺してきた善なる行商人に謝罪するのだな」
老魔術師が手をあげると、ゴブリンたちが矢をつがえる。女戦士はなぜ自分の行状をこの老魔術師が知っているのかと、目を見開き尋ねようとするが
その身体に何本もの矢が突き刺さり、ハリネズミの様になり、息絶えるのであった。