16話 買い物を楽しむのです
アキはのんびりと街中を歩いていた。人の良さそうな笑顔が似合うおっさんは眠たげにあくびをする。多くの人々が交差する雑踏の中で、アキは力を抜いて歩いていた。
「アキさん、お疲れですか?」
隣を歩くリーフがアキの顔を下から覗き込むようにしながら、問いかけてくる。
「あぁ、あまり疲れが取れていなかったかもしれない」
街へと馬車をかっ飛ばして、急いで戻ってきたのである。万が一にも海魔グラーゲンと関係があるとは思われたくなかったためのアリバイ作りのためだ。少し遅くなったが夕方すぎにリーフの家に戻ることに成功したが、馬車はガタガタ揺れて、気持ち悪いし尻は痛いしと、とても疲れたのだ。
なので、一晩眠っても疲れは取れていなかった。おっさんの疲れは一晩でとれないのだ。
「今日の夜に肩もみをしましょうか? 私はこれでも父さんに肩もみが上手いと言われていたんです」
ジャッカルリーフは、うふふと可愛らしく笑った。明らかに罠の可能性が高い。
『ギャハハハ、そろそろ拠点を変えないと、羊はジャッカルに食べられちまうぜ?』
不可視の魔本ニアがケラケラと肩の上に浮きながら、本をバタバタと羽ばたかせる。たしかにそのとおりだなと、アキは片眉をピクリと動かす。
少女と同じ家に住むのは外聞がそろそろ悪くなる。まだ両親の知人であり、困窮した娘を助けたのでと、泊まっている理由はあるが、それも3日が良いところだ。それ以上は住むつもりなのかと勘繰られる。フーガンから貰った金貨もあることだし。
「おっ、リーフちゃん。旦那さんとお買い物かい?」
「やだなぁ、おばちゃん。アキさんは旦那さんじゃないですよ。両親の知人で、私の幼馴染で、困窮した私を助けるために遥々遠方から駆けつけてくれただけですよ〜」
困っちゃうな〜と、八百屋のおばちゃんの言葉を否定するリーフ。赤らめた頬に手を当てて、もじもじしながらの否定である。というか、どう考えても否定の言葉ではない。言外に含まれた意味が痛すぎる。あと、歳の差があっても、この世界では幼馴染と言うのだろうか?
『幼女に馴染むと幼馴染と言うらしいですよ』
『新説だな』
チューチューとフードに隠れている幼女ハツカネズミが思念を送ってくるので、ジト目で返答する。なんだよ、幼女に馴染むって。
もちろんおばちゃんはわかってるわかっているからと、アキをニヤニヤと見て頷く。キマイラクリエイターリーフの言葉の意味を正確に読み取ってくれた模様。隣の屋台のおっちゃんたちも聞き耳を立てており、困った状態にそろそろなっても無理はない。
「リーフさん、そろそろ行くぞ」
「はい、あなた。あ、間違えちゃいました。わかりましたアキさん」
ガシッとアキの腕を極めてくる格闘家リーフに、苦笑を浮かべてアキは目的地へと向かうのであった。
港湾都市『アクアマリン』は巨大都市だ。人口32万人。中世の都市と考えれば、超大都市となる。上下水道を完備したローマ帝国の首都でもない限り、普通ならば汚水が溜め込まれて、治安は悪く、スラム街が拡がりまともな都市運営はできないだろう。
だが、ここは中世時代の地球とは違う。剣と魔法の世界だ。魔法ではなく魔術と呼ぶらしいが。
中世時代の地球と比べて遥かに文明度は高いらしいと、街中を見て思う。馬車などを使えば、馬糞がそこらじゅうに散らばるし、窓から汚水を人々が捨てれば、臭くて歩くのが大変だ。ハイヒールや香水が発明されたのは、それが理由の1つとか聞いたことがアキはある。
だが、この街は違う。他の都市はわからないが、下水道はあるし、そのために汚水は窓から降ってこない。馬は魔力を持っているため耐性があるのか、躾けられているのか、馬車を牽きながらポロポロと馬糞を落とさない。
綺麗なのである。上水道がない理由は簡単だ。貴族は水を生み出す魔術具を使用するために、金をかけて上水道を敷設する必要がないのだ。平民はそのために、井戸を使っていた。港湾都市は潮風がきつく肌が荒れるので、そこかしこに共同サウナ風呂があり、人々が身体を綺麗にして体臭もきつくないこともある。
アキにとっては非常に助かるので、この点は幸運であった。ファンタジーらしくお風呂があれば良かったのだが、さすがにファンタジーすぎて存在しない。
小説の転生主人公はだいたいお風呂を現地人に勧めて、こんな良いものがあるなんてと喜ばれるが、そんなことはあるわけがない。地球だって、風呂が好きなのは日本人ぐらいだ。外国人はシャワーがメインだ。即ち、万人に風呂を喜ばれるのはファンタジーだというわけだ。
市場を見学がてら歩く。
「らっしゃーい。隣国から輸入したばかりの干し葡萄はいかが〜? 他にもたくさん果物があるよ!」
棚に置かれた大量の干した果物。店主が声を張り上げて、客を呼び込んでいる。港湾都市ならではなのだろう。
お客はどれを買おうかと、慣れた雰囲気で干した果物を眺めている。珍しくない光景ということだ。
「香辛料。香辛料1袋をアダマス大銀貨1枚で買えるよ〜」
「胡椒を1袋お願い」
「毎度あり〜」
小さな小袋に店主は粒黒胡椒を少し入れて大銀貨と交換する。同じように茶色い砂糖も売っており、売買されている。大銀貨1枚で100グラムぐらいだろうか。かなり高い。
地球に換算すると大銀貨はだいたい1万円ぐらいだとアキは予想している。大金貨、金貨、大銀貨といった単位でこの世界は扱われている。金貨は10万円ぐらいだろうか。ちなみに大貨幣は普通貨幣の10枚分だ。
単位は共通だが、レートは国ごとにもちろん違う。アダマス貨幣は、港湾都市『アクアマリン』が所属する王国『アダマス』の貨幣のことである。貨幣が全世界共通ではないので、そこもファンタジーらしくない。
普通は貨幣は国ごとに違うのは当たり前なので仕方ないが。自国の貨幣の発行を他国に許すのは、その国に支配されているのと同義だからな。
話を戻すと、この港湾都市は金があれば美味い料理は作れるということだ。果物に香辛料に砂糖、新鮮な魚。肉は魚よりも高いが、それでも金額的にはたいしたことはないので、この都市は恵まれている。
少し疑問に思うのが、地球と植生などが極めて似ているところだが、ニアたちは簡単に以前教えてくれた。
曰く、世界を創造する際に使う創造パッケージと言う、基本のあれこれが詰まっている便利極まるパッケージがあるとか。なので、基本の植生は似通るらしい。そのパッケージを創った創造神は大儲けしたのだろうと苦笑したものだ。
人間も神も似ていると思いながら、隣を歩くリーフへと話しかける。
「やはり大港湾都市なだけはあるな。品物が豊富で仕入れに苦労はしなさそうだ」
今日は買い物に行こうと誘ったところ、張り切っておめかしをしたリーフはコクリと頷く。薄緑のワンピースを着込んでおり、エルフをイメージしているのだろう。葉っぱ型の髪飾りをつけており、ハーフエルフのような精霊の血が混じっているリーフによく似合っている。
「そうですね。野菜や果物もピンキリなので、気をつけないといけませんが」
同じ物を売っている店は多い。どれが1番良い品物なのか目利きも必要なのだろう。行商人には必須な能力である。アキにはあまり必要ない能力だが。
なにしろ『情報収集』がある。少し検べれば分かるこの能力にかかれば、品物がよほどの曰く付きで力を入れて調べないといけない情報とかでない限り、品質はすぐにわかる。
今も小麦粉を買おうかと迷っている行商人の選んでいる小麦粉が、雑穀が2割混じっていると表示されているのを確認できる。まぁ、行商人にそのことは言わないが。駆け引き、目利きは行商人に必須だ。痛い目に遭うのも授業料である。
「金があれば、か。やはり金は必要だな。私も行商で稼がないといけない」
「アキさんなら、錬金術で稼げるじゃないですか。大銅貨1枚の薬草を金貨1枚のポーションに変えることができるんですから」
まさに錬金術ですねと、フンスとリーフが鼻息を荒くする。まずい話題に変わったと思って、軌道修正しようと言うのだろう。
「私は旅から旅の風来坊。錬金術よりも、行商が身にあっているのさ」
肩をすくめて、ダンディに笑う。多くの人々が行き交い、活気のある市場。騒々しさの中に幸せも感じる。
その幸せな人々を見て、強く思うのだ。
私の劇を見てくれと。
はた迷惑な望みを持つおっさんであった。
「そろそろ目的地に到着するかな?」
少し顔を暗くするリーフへと、のんびりとした口調で尋ねる。ここでアタフタして誤魔化すつもりはない。アキは劇作家なのである。各地で劇をする必要があるのだ。リーフから逃げようとしているわけではない。
「ここは1つ、身を落ち着けてお店を構えることの方が良いと教えないと……」
ブツブツと不穏なことを口にするリーフ。呟くように言っているが、アキの顔を窺うように、チラリチラリと目線を向けてくるので返答が欲しいらしい。
この娘は面白い娘だなぁと苦笑しながら肩をすくめる。
「私にも信用というものがあってね。宿屋を探す予定だ。いつまでもリーフさんの家には泊まれない、それにこの街は大きすぎる。市場もいくつもあるし、見て回るには何回か拠点を変えた方が効率的だ」
32万人が住む港湾都市『アクアマリン』は広大だ。市場もお店も地区ごとにあるのである。見て回るには端に住んでいたら歩くだけで日が暮れてしまう。
「行商人ですもんね。それは残念です。でも宿屋の場所は教えて下さいね」
ここで残念そうに引き留めないのが、反対に恐ろしい。ジャッカルは獲物の棲む場所を狙うつもりなのだ。
「まぁ、落ち着いたらな。行商人だからなんとも言えないと答えておこう」
「大人ですねぇ〜」
チェッと口を尖らせて子供っぽいところを見せるリーフ。これ以上、話題を引っ張るつもりはなさそうだ。
『えっ、なんだって? えっ、なんだってと、やるのですよ。テンプレなのです』
『ギャハハハ。本人の目の前で呟けば、普通は相手に聞こえるもんな。現実は残酷だぜ』
チューチューと幼女ハツカネズミがアホなことを口にして、馬鹿笑いを魔本ニアがする。ニアの言うとおりだ。相手に聞こえないのはファンタジーなんだよ。どこにでもファンタジーは眠っているのだよ。
「アキさん、この食料品市場を抜ければ、服飾小物を売っているお店の通りになります」
気を取り直したリーフが案内してくれるので、うむと頷き返す。でも、とリーフは嬉しそうだが、反面困ったような、良いのかしらという微妙な笑みで話を続ける。
「私の服を買ってもらって良いんですか? 新品は高いですよ?」
「既製品があるのは良いな。そこまで高くはないだろう?」
この世界、服の既製品もあるのである。港湾都市だからかもしれないが、潮風と、井戸に混じる僅かな塩分により、洗濯に使うので布の傷みが激しい。短期間で服がダメになることが多いために、誰かが既製品を作ることを思いついたらしい。
「それでも大銀貨数枚は必要になりますよ?」
「君の店を繁盛させるためだ。気にすることはない。フーガンからもたっぷりと貰ったからな」
ドーソンの美談を広めるために、金貨50枚をリーフには渡している。リーフは遠慮したが、ドーソンの更生のためだと、周りとの近所付き合いのためだと説得して受け取らせた。
ドーソンを縛り首にして、近所の鍛冶屋を潰す原因を作ったとなれば、たとえリーフの方が正しい行いをしていても、陰口を叩かれて嫌がらせを受ける可能性が高いからな。鍛冶屋と金銭的に繋がっている者ならば、それが顕著となるだろうし。
「あはは……それじゃ遠慮なく」
半笑いをして、リーフは小綺麗な服屋に入っていき、アキもニヤリとダンディに笑い、後に続くのであった。