15話 慌てて報告はまずいのです
アキは海魔グラーゲンを上手く使った。海魔グラーゲンは物理も魔力の籠もった攻撃も通じなかった。神話の怪物と傭兵たちが思うのも、さもありなんという強大な力を持っているよう見えた。
小山のような体躯に海藻に覆われた不気味な触手の塊。槍を突き刺しても、矢を当ててもビクともしない無敵の身体。なるほど、一見無敵の化け物である。
だが、攻撃はどうだったろうか? 魔術師が見ればちょっとした魔術だと鼻で笑うだろう『沼』と、騎士であればあっさりと防ぐのは間違いない新米騎士が使うような魔技。
見た目と違い、攻撃力は全く無かったのである。即ち、見た目重視の雑魚魔物であるということであった。その正体はというと、こんな感じだ。
海魔グラーゲン 8級魔物俳優
職業:泥スライム
スキル:鞭8級、水魔術8級、特殊メイク、変身(老魔術師)、物理中耐性、魔力小耐性、火炎致命脆弱
正体はただのスライムだった。偽イソギンチャクと藻を貼り付けたただのスライムである。ちなみに他の化け物もマッドスライムである。オプションとして、人の骨(ゴム製)を取り付けた単なる泥スライムであった。
スライムは級が低い。魔力が低く攻撃力もたいしたことはない。だが厄介な魔物の代表格でもある。魔術による攻撃か、松明でもなければ倒せない。まぁ、スライムだと分かれば簡単に倒せるので、級が極めて低い。
だが、知らなければ、苦戦する。スライムと思わずに他の魔物だと判断すれば、しかも魔術を使えない者であるならば、倒せない。窒息死させられて、殺される。
アキが操作したことも、傭兵たちを勘違いさせた。限界性能を超えた能力を発揮させたのだ。ゲームの初期で出てくる小ボスみたいなもんである。後々にザコキャラで現れる同じ魔物よりもステータスが高い感じだ。
「海魔グラーゲン。なかなかのデザインだと思わないかね?」
コストパフォーマンス抜群だと、アキは少し得意げに胸を張る。コラーゲンというお肌に良い魔物はどこかに消えたらしい。
「あたちは馬車を守るだけでしたのです。つまらなかったのですよ」
レンタルした馬車を奪われないようにと、予め伏せていた幼女は頬をぷっくりと膨らませて不満顔だ。泥スライムにしては、やけに造形がもふもふしており、骸骨の代わりに幼女が中にいるので、ザモンが恐怖で混乱していなければ変だとわかったはずである。
「さすがにその造型はおかしい。そのキグルミはなんとかならないのかね?」
いいかげん、そろそろ敵に気づかれる可能性がある。なら、使うなよと言われれば、これも未来の大女優を育てるためなのだと答える予定だ。断じて、投げ銭欲しさではない。まさか幼女に頼るなど、未来の大劇作家アキがするわけはない。
「級が上がるか、変化させた時に、大成功を出せばリアルなキグルミになるのですよ」
ぽてぽてとメイがアキのそばに近寄ると、キグルミに一応将来性があることを教えてくれる。
大成功って、あの運命のダイスのことかとアキは顔を顰めて、それじゃしばらくは使えないだろうなと半眼になり嘆息する。
と、幼女は座り込んで、カチカチとなにかを打っている。
「何をしているんだ?」
「知恵と勇気で強大な化け物を倒す主役なのです」
メイは懸命に火口箱で火を熾していた。チリチリと音がして、小さな種火を作るとキリリとした顔をする。
「ウォォォッ! これで終わりなのですっ!」
ていやと、種火をアキに投げつけると、ホラー映画の主役の決め台詞を口にして、テテテと離れていき、草むらにコロンと転がって隠れる。
「ウォォォ!」
グラーゲンは一気にその身体が燃え上がる。灯油でもそんなに簡単に燃えないだろう燃え方をして、あっという間に灰になり、退治されてしまうのであった。
種火でも倒されてしまう魔物グラーゲンである。幼女は多くの仲間の死を超えて、ようやく海魔グラーゲンを倒すことに成功したのであった。
ラストはちっこい拳をぎゅうと握りしめるメイの凛々しい表情のアップで終わりである。
『海魔グラーゲン現る』
『売り上げ決算:プラス15万GP』
『人件費:グラーゲン、泥スライム改30体、メイ:合計金額マイナス76000GP』
『馬車のレンタル代:マイナス2000GP』
『幼女への投げ銭:プラス15万GP』
『おっさんへの投げ銭:プラス12万GP』
『悪人退治:名声プラス1400』
『純利益:34万2000GP※100GP以下は手数料として、ニアが徴収させてもらいます』
おっさんへの投げ銭はラストの燃えっぷりが良かったとか。
なお、ばら撒いた金貨はスタッフが回収しました。
ザモンが街に戻ったのは結局次の日の夜中であった。あの神話の怪物が追いかけてくるのではと考えて、木々の合間や草むらに隠れながら帰途についたのだ。門は閉まっていたが、ラルグスの名前を出して、通用門から特別に通してもらい、闇夜の中で街中を走っていた。
汗だくであり、泥にまみれて隠れながら移動したので、服は真っ黒だ。防具を着けていなければ、ザモンを知る門番がいなければ、いかにラルグスの名前を出しても通してはもらえなかっただろう。
夜半に街中を駆けるその姿は怪しさしかなかったが、幸いザモンはラルグスの館まで衛兵に会わずにすんで、到着した。
「ザモンじゃないか。どうしたんだ、そんなに慌てて、こんな夜更けに?」
いつも一緒であるコーサスたちがいないことに加えて、ザモンの姿は汗だくで息を切らせており、泥だらけで真っ黒だ。そのうえ、その顔はなにか恐ろしいものを見たかのように、恐怖で歪んでいた。
門番はザモンの姿に驚く。
「ラルグスさんに会いたい。緊急事態だ、急いで会う必要がある。会ってもらえなければ、俺はこの街から逃げることにする」
血相を変えて叫ぶように言ってくるザモンの様子を見て、さすがにただ事ではなさそうだと顔を見合わせる。ここで、身なりを整えて明日に来いと言えるほど、門番は鈍感でも馬鹿でもなかった。
夜の門番は暇ではあるが、危険な仕事でもある。地球の警備員と違い、1年に数回は盗賊やラルグスを殺そうとする者が現れる。戦うことが前提の仕事なのだ。
そのために夜の方が昼よりも給金も遥かに高い。鈍感で馬鹿な門番を雇うにはラルグスは敵が多すぎて、また警備に金を惜しむことをしなかった。異変があれば、夜中でもすぐに伝えに来るようにと、門番に徹底するほどに用心深かった。
即ち、まったくファンタジーの悪党商人ではなかった。護衛も側におかず、厳重な警備もせずに、夜中は女を抱いて呑気にいびきをかくファンタジー商人はここにはいなかった。
現実の悪党ならではの狡猾さと用心深さを併せ持つ、それがラルグスという商人であった。
「待っていろ。すぐにラルグスさんに伝えてくる」
ラルグスはこのような場合、デマ情報でも門番を絶対に叱責したりはしない。そんなことをすれば、本当に命が危ない時の情報が自分まで届かないことがあるからだ。門番では判断できない情報もラルグスならばその重要性が理解できる。そのようなパターンは腐るほどある。
しかも今回はラルグスの部下でも1番の腕を持つザモンだ。『身体強化』を使えるザモンは他の有象無象の傭兵たちよりも強い。騎士と短時間ならば戦える能力の持ち主が血相を変えて、汚れた姿でラルグスに会いたいという。緊急事態なのは間違いない。
門番はラルグスにザモンが来たことを告げると、すぐにザモンはラルグスの応接間まで通された。港湾都市『アクアマリン』でも1、2の木材商人のラルグスの屋敷は広い。廊下に並ぶ調度品さえ、高価な物がある。
ザモンは門番の案内の下に、寝巻姿のラルグスに出迎えられた。夜中に起こされたためにラルグスは微かに不機嫌そうだが、それ以上に顔を険しく警戒している。何事かとザモンを見る。
「よく来た、ザモン」
手でソファに座るように指し示す。綿のたっぷり入ったフカフカのソファにザモンは座ると一息つく。ラルグスは壁際に立つ執事へとお茶を持ってくるように指示を出しながらザモンを見る。
「なにがあった?」
小太りのラルグスはでっぷりとした腕を組み、ソファに凭れかかる。ザモンは深呼吸をして、ゆっくりと息を吐くと、精神を落ち着けて、おもむろに口を開く。
「ラルグス様。神話の怪物が現れました」
「はぁ?」
真剣な表情で、いきなり神話の怪物などと宣うザモンを見て、こいつ正気なのかとその顔を窺う。無精髭を生やして、汗だくであり、その服も泥だらけのザモンは、それでも正気に見えた。
ラルグスは頭から否定をせずに、ザモンの話を聞くことに決めると、その先を促す。
「神話の怪物。馬鹿げた話に聞こえるかもしれませんが、本当なのです」
ザモンは老魔術師に出会ったところから話し始める。微妙にその内容は変えていたが。
老魔術師は、精霊が暴れる原因を知っており、穢れし妖精のキノコを欲しがっていたと。ザモンが口封じをしなくばなるまいと、手勢を集めて殺そうとしたところ……。
「化け物に変わったわけか。槍も弓も魔力水を付与した武器も効かない化け物に」
ラルグスはザモンの話に嘘があるのに気づいたが、深くその点を追求することはしなかった。小銭を稼ぐために、どうせろくでもないことを計画したに決まっている。しかし、そんなことはどうでも良い。それよりも重要な情報なのだ。
「はい。見たことも聞いたこともない化け物でした。本人はこの港湾都市に眠る呪われた……なんちゃらとかを復活させるために行動しているとのこと」
「人語を解するのはまだ良い。アラクネやナーガにスキュラ、マンティコア、ドラゴンなど、人語を解する高位の怪物は多くいるからな。だが人間に化けれるとなると話が違う。間違いないのか?」
「恐らくは。あの怪物を見ればその禍々しさがわかります。それにあの化け物は詠唱も魔術具もつかわずに多くの化け物を呼び出しました。間違いないかと」
ザモンの真剣な表情に、ラルグスは指をとんとんと叩きながら苛立つ。
「実は最近になって『精霊酒毒薬』はご禁制の能力が本当にあるのではと、領主様の魔術師から言われていたのだ。上級精霊が怒り狂うようなものではなく、やはり精霊力を乱す効果を齎すのではと」
「まさかそんな効果が? あれは精霊を酔っ払いに変えるだけでは?」
「そう思われていたのだが、少しずつ少しずつ堆積する泥のようにその地の精霊力が乱れ始めるらしい。もしも港湾に遥か昔に封じられた神話の化物がいたとなると……馬鹿げた話だが、もしかしたら封印が綻び始めたやもしれん」
怪物を封印する神々や英雄の神話はたくさんある。全て創られたお伽噺だ。だが、その話の中で真実が隠されていたとすると……?
ラルグスはゴクリと息を呑み、額から汗をたらりと流す。馬鹿げた話だと思う。だが、ザモンの話は真実味があり、そしてラルグスの集めた傭兵の中でも腕が良い連中が皆殺しにあったとの証拠もある。
「ううむ……領主様には、進言しておこう。過去のこの地にそのような話があったとな。神話の怪物というが、たんに腕の良い魔術師なのかもしれぬ。貴族の魔術はよくわからんからな」
ラルグスは慎重に考えるが、ザモンはあの化け物が魔術の幻影とはとても思えなかったが、たしかにその可能性はあると頷く。
「で、この化け物はなんと名乗っていたのだ?」
ゴクリと息を呑み、ラルグスはザモンへと問いかける。ザモンは少しの間をあけると、神話の化け物の名前を告げる。
「海魔コラーゲン。奴はそう名乗っていました」
お肌に良い魔物が産まれた瞬間であった。