12話 酒場で仲良くなるのですよ
夜半過ぎ。月の光が地上を照らし、人々のほとんどが寝静まる時間。それでも港湾都市『アクアマリン』は不夜城である場所がある。
娼館や酒場が軒を並べる繁華街だ。松明が石畳の道路にバチバチと燃え辺りを照らす。松明の光量では、闇夜では頼りなく、道路端は灯りが届かないために、闇夜よりも暗く感じられる。
それはこの繁華街を現しているのかもしれない。小金を持ち、女を抱き寄せ、酒を飲みながら騒ぐ者もいれば、その反対に金もなく虚ろな瞳で、裏道に座る者もいた。光と影。この地はわかりやすいこの街の縮図だと言えよう。
その繁華街の片隅にあるうらぶれた酒場の一卓で、4人の男女が座って酒盛りをしていた。
革の鎧を頑丈な厚手の服の上に着込み、革の小手にレッグガードを身に着けて、腰には使い込んだと思われる短剣を差している。
「あ〜、金がねぇな」
その中で、戦いを仕事にしているだろう凄みを感じさせる壮年の男がつまらなそうに木のジョッキに入った温いエールをグイと呷る。酔うためだけのエールは苦く旨くはない。腹に溜まるだけであるが、大銅貨1枚で飲めるので仕方ない。
「てーちょう。後少しで稼げるでねーか」
てーちょうと呼んだスキンヘッドの男が訛りのある口調で迂闊なる言葉を吐く。てーちょうと呼ばれた男は目を細めて、スキンヘッドの男を睨むと軽く小突く。
「しっ。黙ってろ、迂闊なことを言うんじゃない」
「そうだよ、コーサス。誰かに聞かれたらどうするんですか」
ザンバラ頭の女戦士がジロリとスキンヘッドの男コーサスを睨む。こんな酒場で誰が聞いているのかわからないのに、そんなセリフを吐く馬鹿な男に注意をした。
「だな、ニルデの言うとおりだぜ。そんな馬鹿だと、そこらの側溝で死体になってもおかしくねぇや。ねぇ、ザモン隊長?」
「ジーハンの言うとおりだ。黙ってろ、お前は頭が足りないんだからな」
ジーハンと言う痩せぎすの男がザモン隊長と金が無いと愚痴る男を呼ぶ。ザモン隊長。木材商人のラルグスに雇われている傭兵だ。
コーサス、ジーハン、ニルデ、ザモンでこの7年間、ラルグスの下で傭兵をやってきていた。長い期間組んでいるだけに、連携も他の傭兵よりも上手く、ザモンの指揮能力も高いので、ラルグスに重宝されていた。高い能力があると言っても傭兵のレベルではだが。それと傭兵にしては言葉が丁寧で礼儀正しいところもラルグスに気に入られていた。
「稼げる仕事があればな……。ポーションを使ったのは痛かった」
ザモンは先日コボルドの群れに襲われた際に切り札であるポーションを使ってしまった。金貨1枚という大金を支払って買ったものだ。ポーションの消費期限は3年。なので、3年ごとに買い換える必要があるが、先月買ったばかりだったのだ。
女戦士に助けられて、九死に一生を得た記憶はもう薄らいで、ポーションをなんであの時使ったのかと後悔しか残っていなかった。
「それじゃ、今年は薬師の荷物を狙いますか? たぶん探せば簡単に見つかりますよ」
「……そうだな。いや、金目のものが優先だ。金があればポーションも買えるしな」
自分たちでしかわからない会話をザモンたちはする。後数日でこの港湾都市は荒れる。毎年のことだが、下級精霊が暴れて、それを防ぐために傭兵が駆り出されるのだ。
普通の傭兵は暴れる精霊などと戦いたくはないので、腰が引けて及び腰となる。なにしろ魔術か、魔力の籠もった武器でしか傷つけることはできないし、精霊が使う精霊魔術は下級精霊のものでも強力だ。死んでもおかしくない。
傭兵の優先順位は、自分の命、次いで金だ。命を賭けて港湾を守るような心意気は持っていない。
だが、ザモンたちは毎年精霊が暴れる理由を知っていた。領主は大きな港湾のために、精霊力のバランスが崩れて、精霊が暴れると領民には説明をしているが嘘である。
そんなことが本当にあるのならば、鉱山都市や他の港湾都市も同じことが起きなくてはおかしいが、そんな噂は聞いたことがない。なので、港湾都市『アクアマリン』には、なにか呪いがあるのではとか、強力な魔物が海の底で寝ているからだとか言われている。
全て嘘だ。真実はラルグスが錬金術師に作らせた大量の『精霊酒毒薬』を港湾に流しているからだった。これは領主主導であり、自作自演の単なる金稼ぎであった。精霊を酔っ払いに変えて、港を多少荒らしてもらうのだ。
ザモンは薬をばら撒く際に密かに雇った人間を監督しているので、このからくりを知っていた。この壮大な自作自演の際に、偽の魔力水を武器に漬けて、精霊と戦うふりをする。酔った下級精霊は傷一つ負わず、楽しげな余興だと笑って去っていく。その際に、ザモンたちは避難した船にこっそりと潜り込み、金目の物を盗む。
毎年訪れる荒稼ぎできる大きなチャンスであった。だが、それは10日後の話だ。それまで軽い財布を持って暮らさなければならなかった。ザモンは他の傭兵に比べても金遣いが荒く、この間手に入れたラルグスの護衛料など、とっくにない。
このままでは、エールすら飲めなくなる。かと言って金を借りることはしない。明日の命も知れぬ、担保も持たない傭兵に金を貸す高利貸しがどれぐらい酷いか知っているからだ。借りた傭兵の末路も。
どうにか金を稼げる方法はないかと、酒臭い息を吐き、考え込む。ラルグスからの毎月の護衛料も支払いは半月先だ。
同じように金遣いの荒い部下たちが、なにか良い方法があるのかと、ザモンを覗き込むように見ているが、傭兵を生業として、頭を使うことが苦手な男には良い考えなど思いつかなかった。
だが、幸運は舞い込んできた。
「相席よろしいかのぅ?」
自分たちの卓に、ヨレヨレの薄汚いローブを着込む老人が座ってきたのだ。皺だらけの顔の老人はおどおどとした表情でザモンたちに話しかけてきた。
なんだこの老人はと、ザモンは顔を顰めて、部下たちへと顔を向けるが、肩をすくめて返すだけで、知り合いではなさそうだ。
とう見ても傭兵たちにしか見えないザモンたちの卓に座るのは変だ。周りを見渡すと、ガヤガヤと騒がしい。一人で呑んだくれる貧相な男もいれば、仕事が終わって機嫌が良い労働者。船乗りたちが景気よく酒を頼んで騒いでいた。
だがテーブルは少し空いており、ザモンたちの卓に座る理由はない。この怪しい老人はザモンたちに用があるということだ。
「なんだ爺さん? 俺たちは酒を楽しんでいるんだが?」
あからさまに怪しい老人だが、金になる話かもしれないと、警戒をしながらも尋ねる。と、老人はニヤリと口元を三日月に変えて嗤う。ひどく不気味な笑みに一瞬ザモンは怯んでしまう。
「実はのぅ、儂はフェアリーリングに生える『妖精のキノコ』を少しばかり欲しいのじゃ」
フェアリーリングとは、切り株の周りに環状に生えるキノコでできたリングのことだ。妖精が切り株を舞台に踊ることで作られるという伝説がある。フェアリーリングに生えるキノコは魔力が内包しており、錬金術の素材によく用いられる。
「そこらの店で買えば良いだろ? わざわざ取りに行くこともないだろう?」
妖精のキノコは普通に薬屋に売っている。高価だが、妖精のキノコを欲しがる人間ならば、決して手が出せないほどの価格ではない。
「ふぇっふぇっふぇっ。そんなことは百も承知よ。儂はそなたらが知っているフェアリーリングの場所が知りたいのじゃよ。腐れ沼のそばにあるフェアリーリングをのぅ」
ジョッキを持つ手がピタリと止まり、ザモンは老人を睨む。
「あんた、どこからその話を?」
警戒度を跳ね上げて、腰を僅かに椅子から浮かせて尋ねる。ザモンの漂わせる殺気を感じとり、ジーハンたちも腰に下げている短剣にそっと手を伸ばす。
腐れ沼とは、多くの動物が踏み入って死んだ底なし沼のことである。瘴気が渦巻きアンデッドが生まれやすい呪われた沼だ。そして、その場にあるフェアリーリングなど、めったにあるものではない。
そしてそのような場所に生える妖精のキノコは他の妖精のキノコと違う効果を持っている事をザモンは知っていた。
そして、これは機密でもある。ラルグスが懸命に隠している秘密だ。この間、年季を終えた部下2人を簡単に殺すぐらいに重要な秘密である。
ラルグスはコボルドたちを追い払えと、秘密を知っていた2人をわざとコボルドたちの群れに立ち向かわせて間接的に殺した。まぁ、ザモンに言わせれば、その2人は用心が足りなかったのだが。
その2人も同じように仲間を始末してきたのに、自分の場合は殺されないと楽観的だったのだ。独立して店を持つとラルグスに言う時点で死んでいた。
ザモンはラルグスが必要としている間は殺されないと考えていたので自身は用心深いと自賛していた。傍目から見たら、殺された2人とあまり変わらない立場であるにもかかわらず。
「蛇の道は蛇。そういうことじゃて。どうじゃろう、その場所に案内してくれれば、たっぷりと金を払おうではないか」
テーブルに老人は皺だらけの手を突き出すと、パチリとコインを置く。その手をそっとどけると黄金の輝きがあった。
「金貨ですぜ、てーちょう」
驚きの顔でコーサスが声をあげる。
「黙ってろ、コーサス」
ゴクリとつばを飲み込み、ザモンは老人の顔色を窺う。貧相な金のなさそうな老人に見えるのは見かけだけなのだ。
「前払いで1人につき金貨5枚。その場所に護衛してもらおう。成功したら、さらに1人金貨20枚。どうじゃろう?」
「き、金貨5枚? しかも後払いで金貨20枚だと?」
「凄いですよ、隊長!」
ジーハンとニルデが色めきだちザモンを見てくる。ザモンも同じ気持ちだ。金貨が合わせて25枚。精霊が暴れる時だって、そんな儲けはない。
大金を手に入れられる機会である。
「成功報酬はその場ですぐに支払ってもらう。それが条件だ」
「良いじゃろう。ただし、急を要するので出発は明日じゃて。何日かかるかね?」
「あぁ、馬車を使えば、朝早くに出発すれば、その日の深夜には街に帰れる。門は仕舞っているだろうがな」
「よろしい。では北門から少し進んだ森の中で儂は待機しておく」
取り引きは終わったと、老人は笑い、小袋を無造作にテーブルに置くと去っていった。ザモンは小袋をひったくるように掴むと、中身を確認する。
「金貨だ。本当に金貨だ」
袋の中で輝く黄金。その魔力に当てられたように、ザモンは歪んだ笑みを浮かべる。
「でも、隊長。怪しすぎますよ、あの老人。魔術師ですよ、あれ」
「そうだな。ニルデの言うとおりだ。あんなに怪しい奴は滅多にいないだろう。後ろ暗いことを生業としている爺なんだろうよ」
いかに黄金の輝きが素晴らしくとも、ザモンだって判断力はある。あの手の男に付き合うとろくなことはない。
「それじゃ、その金を持ち逃げしやすか?」
「馬鹿を言え。ラルグスの護衛を辞めて、この街から出るのか? それよりも良い作戦があるぞ」
ジーハンの問いかけを笑い飛ばし、ザモンは自身の思いついた作戦を話す。先程の交渉から、あの老人を罠にかけていたのだ。ふんふんと部下はその作戦を聞く。
「さすが隊長」
「ずる賢いですね」
「どーいう意味だぁ?」
部下が三者三様にザモンを褒めてくるので、顎を引いて得意げにチッチと舌を鳴らす。
「荒事の中で生きてきたんだ。年季が違うんだよ」
そうして前祝いだと、早速ザモンはワインをオーダーするのであった。