1話 始まりのプレなんちゃらなのです
黒雲が空を覆い、眩い雷光と共にいくつもの雷条が墜ちる。地上では豪雨が降り、夜でもないのに暗く、激しい雨のために前を確認することも難しい。ザァザァと降り注ぐ雨に木々は枝葉を揺らし、大地は雨により溶けた土を抱え込み、川のように流れる泥水の濁流となっていた。
稲光の後に轟音が響く。光った瞬間、その地上では豪雨の中で微かに金属音を鳴らしながら、多数の何かが争っている光景が映し出された。
動物たちの縄張り争いであろうか。よくよく見ると、争っている場所は深い森林の中、不自然に何もない地面であった。動物たちが争うには、何もない場所だ。果物が生えている木々がある訳でもなく、清流が湧く泉があるわけでもない。
ただ今は泥沼と化した地面が森林を貫くように存在するだけだ。だからこそ動物たちが争うような縄張りには見えない。
ならばなにかと言うと……。
「コーサス! 馬を守れ!」
豪雨の中で、男性が金属製の槍を構えながら怒声をあげていた。びしょ濡れであり、雨により視界も塞がれて、目をひっきりなしに拭わないと、周りも見渡せない様子だ。濡れてズシリと重たくなった革鎧と革の小手にレッグガードも身に着けている。
豪雨で周りがほとんど見渡せない中で、男は槍を振り回しながら、指示を出していた。
「てーちょう! 馬はどこですかい? ちっとも周りが見えやせんよ!」
酒を飲みすぎて痛めた喉を酷使して、コーサスと呼ばれた男が返事をする。禿頭の赤ら顔。飲みすぎて、酒焼けをしている不健康そうな男だ。錆びた斧を両手に持ち、雨の中をやたらめったら振り回して、仲間をも危険に晒していた。
「馬鹿野郎。馬車の前方に走り込め! 馬が殺られたらおしまいだぞ! ジーハン、ニルデ、誰か馬の守りにつくんだ!」
てーちょうと呼ばれた男はコーサスを諦めて、他の部下へと豪雨に負けないようにと声を張り上げて指示を出す。この豪雨の中で、仲間がどこにいるか、さっぱりとわからない。焦りと死の予感に追い立てられながら叫ぶ。
泥沼と化した街道は男の足をとり、豪雨は体温を奪い、着々と体力を奪っている。先程から息も荒くなってきており、身体が休息を求めていた。
だが、ここで座り込むわけにはいかない。それは死を齎し自分の魂を奪われるだけだからだ。胸に息を吸い込み、もう一度叫ぶ。
「ジーハン、ニルデ! 馬を守れ! 馬を守るんだ」
「た、隊長! 馬の護衛につきます!」
「ジーハンか! 頼むぞ。俺は雇い主を守る!」
知っている声だと男は安堵し、振り回す槍の速度を少し緩めて、辺りへの注意がほんの僅か疎かになってしまった。
その隙を狙い、豪雨の中で何かの影が飛び込んできた。隊長と呼ばれた男は槍を下段に構えながら、目を凝らす。自分の膝の高さほどしかない奴だ。這うように走り込んでくるが、その体格は1メートルもない。
しかし、目に入る雨水を顔を振って飛ばしながら、男は憎々しげに口元を歪める。
「生意気なコボルドが!」
吠えると右足を踏み込み、力の乗った突きを繰り出す。コボルドと呼ぶものへと槍は雨水を弾きながら迫る。
小さき体躯の者が喰らえば、簡単に死ぬだろう手慣れた一撃。型などなく戦場で覚えたのか、荒々しさしかない突きだが、それでも強力な一撃はわかりやすすぎた。近づく影はその踏み込む機動を変えて、斜めに走り、槍を躱してしまう。
「がうぉ」
そうして、咆哮をあげると小さくジャンプをして飛び込んできた。牙の生えた口を大きく開き、よだれを垂らしながら隊長へと迫るのは犬であった。
いや、犬ではない。さりとて狼でもない。しかして、狼よりも知性があり、犬程度の攻撃力しか持たない魔物。
コボルドと呼ばれる魔物である。
1メートルにも満たない体躯のコボルドは豪雨で身体をびっしょりと濡らしながら、その爛々と光る獣の目を血走らせて、噛み付いてきた。
隊長の身体を守る革の鎧のある胴体でもなく、蛇などの噛みつきを防ぐための分厚い革の靴を履いた足でもなく、レッグガードに守られた脛でもなく、薄手のズボンしか守りがない太腿へと。
「グァァ、こいつめ、こんちくしょう!」
犬程度しかない攻撃力。反対に言うと犬程度は力のある魔物、コボルドは牙を思い切り突き立てて、隊長の太腿を食いちぎろうとする。
苦悶の声をあげて、隊長は天を仰ぎ叫ぶ。口内に雨水が入るが、それどころではない。苦痛をこらえて、槍を逆手に取り、石突を噛み付いているコボルドに叩きつける。何度もガンガンと叩きつけると、ようやくコボルドは力を失い、口を離して地に落ちた。
噛みつかれた部分のズボンの布地が裂けて、血がどくどくと流れていく。雨水でその血すらも押し流されて、体温が冷えていく。
「くそったれめが!」
雨の中でコボルドの影が何匹も見えたために、隊長は焦りながら後退る。
「コーサス、俺の援護に回れ! 雇主は無事か?」
「なんとか無事でさ! だけんども、雇主の部下が殺られちまった」
「豪雨じゃなければコボルドなんぞ簡単に蹴散らせるものを」
忌々しげに呟きながら、片手で腰に取り付けられているポーチを開けて、緑色の草団子を取り出すと、一口で食べきる。
食べ終えた途端に、隊長の噛まれた太腿をぼんやりと仄かな光が覆うと、コボルドに噛まれた傷跡が跡形もなく消えてなくなった。失なった血も僅かに増えて、体力も多少回復した。
ポーションによる治癒である。隊長はとっておきの魔法のアイテムを使ったことに落ち込む。今のポーションは金貨1枚したのだ。今回の護衛に使用するつもりは全くなかった。赤字になる可能性があると舌打ちしてしまうが、命の方が大事だと気を取り直す。それに、この護衛任務が失敗すれば大赤字決定だ。
「隊長、コボルドの数が多すぎます! こちらには10匹近いコボルドが来ています」
「俺のところは5……いや6匹」
「おでのところは8匹でさ。守りきれねぇよ、てーちょう」
部下の悲鳴が薄っすらと豪雨の中で聞こえてくる。その内容は全く嬉しくない。豪雨の中から飛び出してくるコボルドに強引な突きを入れて殺す。すぐにもう1匹近づいて来たので、突き刺したコボルドを蹴り飛ばし、無理矢理槍を引き抜くと、横薙ぎに振り抜き叩き飛ばす。
だが、左右から新たなるコボルドが飛び出してくる。すぐに間合いを詰めてくると、2本足で立ち上がり爪を繰り出してきた。
これがコボルドの厄介なところだ。4足で駆けて来ると思うと、2本足で立ち上がり爪で攻撃してくる。
小さな体躯に、小さな牙と弱々しい爪。だが、知性のあるコボルドは、それらを上手く使い、犬特有の連携攻撃で追い詰めてくるのだ。
事実、隊長の手のひらや腕を引っ掻いてくる。地道に攻撃をしてきて、まずは槍を持てなくしようとするつもりなのだろう。
革の小手を着込む隊長の前には効きはしない。だが優勢かと尋ねられると難しいところだ。こちらが攻撃する素振りを見せると、4足になり後退る。
追撃出来れば良いが、他のコボルドたちが爛々とその隙を狙っている。槍のモーションは大きい。もしも突き刺して倒せても、引き抜く際にもたつけば、また噛まれるかもしれない。今度は太腿ではなくて首元かもしれない。その恐れが、男の動きを鈍くしていた。
吐く息が荒くなる。予想以上にコボルドが多い。5匹以上の群れなど初めて出会った。そして5匹程度ならば、簡単に蹴散らせてきた経験が男の判断を鈍らせていた。
倒すのではなく、全員馬車に乗って逃げれば良かったのだ。たとえ、豪雨の中で見通しが悪く、事故の可能性が高くとも、2頭立ての馬車ならば逃げながら迎撃すれば逃げ切れたかもしれなかったのだ。
男たちは商人の護衛だった。魔物があらわれる可能性が高い森林を突っ切るルートを使い、街へと向かう最中であった。豪雨で立ち止まった際に、不運にもコボルドの群れに襲われたのだった。
多少雨足が弱くなっただろうか。視界が良くなり、2頭の逞しい馬が目に入り、頑丈な木製の箱馬車の無事な姿があった。箱馬車にはいくつもの爪跡が残っているが、破損している様子はない。
部下が3人。2人が馬を守り、箱馬車の扉を1人が守っている。その脇に血溜まりの中で倒れている男が2人。
「コーサス! なぜ雇主の部下が死んでるんだ?」
「わかんねーだ。なんでか、こいつら外にいたんだよ」
コボルドが近づかないように、槍を大きく振り回して牽制しながら尋ねるが、コーサスもわからないようだった。箱馬車に入っていれば助かったはずなのに。
「さっさと。あ〜、どうすれば良いんだ!」
うめき声をあげて、男は雨の中で森林から這い出てくる4足のコボルドを見て青褪める。そのコボルドは体格が2メートル近くあった。毛皮の下でも、筋肉が蠢いているのがわかり、その力の強さがわかる。牙も鋭く、爪も短剣のように長い。
「ホブコボルド………」
なぜコボルドがこれだけ多く群れをなしていたのか理解した。ホブコボルドが居れば話は違う。コボルドは1体なら雑魚だが、ホブコボルドは雑魚どころではない。自分たちが命をかけて戦って犠牲を出してようやく倒せるレベルの魔物だ。そしてホブコボルドはコボルドたちを率いることでも有名だった。
こちらをもてあそぶかのような醜悪な笑みで口元を歪めて、唸り声をホブコボルドはあげる。
そして自分たちのような傭兵は命をかけるつもりなど毛頭ない。雇主との関係もこれまで。馬を奪いとって逃げるかと目を怪しく変えたその時であった。
「うおりゃあ」
バシャバシャと泥を蹴散らしながら、女戦士が剣を翳して突撃してきた。古ぼけた剣は分厚い剣身をしており、斬るより叩きつけることを主としており、戦場で刃こぼれをしても戦い続けることができるための物だ。
女戦士は軽く跳躍すると、ホブコボルドとの間合いを詰めて分厚い剣身の剣を叩きつける。ホブコボルドはその奇襲に驚いたのか、仰け反るが既に遅く、頭を削るように攻撃を受けた。剣の威力が高く、脳震盪でも起こしたのか、ふらつき身体を泳がせる。
女戦士はその隙を逃さずにニヤリと嗤うと、強く足を踏み込み、泥水を弾きながら剣を切り返す。前のめり気味に跳ね上がった剣に顎をかち上げられて、さらによろめくホブコボルド。女戦士は再度体勢を立て直し、脳天へと剣を振り下ろしかち割るのであった。
「おぉ、あいつ、やりやがったぞ!」
正直、剣の力に頼った雑な攻撃であったが、奇襲が効いた。上手く連撃が入り倒した女戦士に喝采をあげる。運も実力の内だ。
しかも想像以上の力を使う。
『魔技 咆哮』
「ヴォぉぉぉ!」
深く息を吸い込むと、女戦士は獣のように咆哮した。魔力の籠もった咆哮が響き渡り、隊長たちを取り囲んでいたコボルドたちがふらつく。混乱したのだろう。そのまま、女戦士へとコボルドたちは向き直り、ハッハッと息を吐くと襲いかかる。
「あいつ、魔技を使えるのか……」
魔技。貴族たちのように教養もなく、魔術を教わることができない平民が使う技だ。だが、強力なイメージとそれなりの魔力が必要なために、使える者はだいたい『身体強化』を鍛える。地味ではあるが継戦能力が高く、一撃必殺技よりも遥かに使えるからだ。超常の技を躱されて魔力が尽きて、ハイおしまいと命を失った戦士が多いために、魔技を使う者は珍しい。魔力が多いか、凄腕かのどちらかだ。
女戦士が剣を振るうと、コボルドたちはなぎ倒されていく。あれほど苦戦したコボルドたちであったが、ホブコボルドが倒されて統率を失い、魔技により混乱もしているのだろう。まるで女戦士の剣に当たりに行っているように次々と倒されていく。
「ここがチャンスだ! お前ら、俺たちも行くぞ!」
馬を狙うコボルドはいなくなった。今が殲滅のチャンスだと、隊長は狂暴な笑みを浮かべて部下と共に、戦いに加わるのであった。
しばらく後に、コボルドたちは殲滅されて、隊長たち一行は九死に一生を得たのである。