第19話 聖騎士様は戦友と難局を乗り越える
アレッシオの意味深な笑い声を背に執務室を出て、テネリの部屋を目指してひた走った。
今夜はお披露目会のせいか、城の中はまだまだ活気があるし廊下にも人の姿がある。レナートは舌打ちをして、テネリに被せたシーツを改めて深く被せ直した。
仕方なくアレッシオが仮眠に使う簡素なベッドから剥がしたシーツだが、アレッシオのだと思うだけで無性に腹が立った。
「なななななによ! あんたテネリに何したのっ」
部屋に飛び込むなり、黒猫のミアが騒ぎ立てる。
レナートに何かしたつもりはまるでないのだが、それでも何かした罪悪感は吐きそうなほど感じていた。
テネリを抱いたままソファーへ腰かけ、赤子をあやすようにゆっくり体を揺らしてみせた。このテネリを連れた状態で、ベッドに近寄りたくない。たっぷりレナートの身長ふたつぶんくらいは距離をとっておかないと、自分が信用できないのだ。
「証拠品の薬を飲んだ」
「はぁ? あんたたちパーティー行ってたんじゃないの?」
ミアに説明しようと口を開きかけたとき、腕の中でテネリがぐずった。
「暑……レナート、苦し……」
もぞもぞとテネリがシーツから顔を出し、美しく真っ赤な髪がふわりと広がる。瞬間、漂う薔薇の香りにレナートは慌てて息を止める。
上気した頬としっとり汗ばんだ額を見る限り、確かに暑そうだ。しかしテネリはまるでレナートから離れようとはしなかった。それどころか、しがみつく腕の力を強めるほどだ。
「目が……」
「なんてことっ! 離れなさい、すぐ!」
テネリの瞳が花の形に見えた気がして声をあげると、ミアが音もさせずテーブルに乗ってレナートを威嚇した。レナートはミアがテネリの誓約を心配しているのだと気付く。
「大丈夫、大丈夫だ。いま離して暴走するほうが危険なんだ」
魔女は空を飛ぶことができると聞く。聖都へ来る道中でテネリも馬車の旅を「遅い」と言っていたではないか。
もし、このままレナートの手の届かない場所へ羽ばたいてしまったら? 誰かに見つかったら? こんなにも魅力的な女性を前にして手を出さずにおれる男がいるか?
「レナ……ト」
「ああ。ここにいる」
まるでそうしたらくっついて一つになれると思ってるみたいに、テネリがぎゅっと体を密着させる。首元に顔を埋めたテネリの頭を撫で、大丈夫だと語りかけ続けた。
「あんた、絶対動かないで頂戴よ」
ミアがふたりの脇からシーツの中へと入り込んだ。苦しそうに上下するテネリの背中のあたりが、不自然にモコモコと動く。
黒猫がシーツの中から這い出てくるのと、テネリが深く息を吐いたのはほとんど同時だった。ドレスやコルセットなどの拘束具を解いたのだと理解して、レナートは体を固くする。
「そうだな、ちょっとでも動いたら大変なことになる」
「テネリから聞いたのね?」
「ああ。よく200年も無事でいられたもんだと思うよ」
「まさかテネリが秘密を打ち明けるほどあんたを信頼したとは思わなかったわ」
「9割は仕方なく、だったろうな。……何か気の紛れるような、そうだな、テネリの昔ばなしとか聞かせてくれないか」
苦しそうなテネリをあやしながら、見張り役の黒猫を横目で見た。少しでも動いたら容赦しないと言いたげな鋭い眼光が、ほんの少し和らぐ。
「生みの親に酷い目に遭わされた話は小屋で聞いたわよね。テネリは『子が魔女』でそんなに大変なら、『親が魔女』は不幸の中の不幸だって言ったの」
「魔女は子を産めるのか?」
「もちろんよ。確率はかなり低いって聞くけどね。そして魔女から魔女が生まれることもほとんどない」
レナートはなるほどと頷き、彼女の胸にある傷の一端を思い出した。
魔女から生まれた子どもが真っ直ぐ生きていけるほど、この世は優しくないだろう。魔女のいない国にすらそれを追うための組織、聖騎士団があるのだから。
「自分のせいで苦しむ人間は見たくないからって、純潔の誓約を。困ったことに、時間が経つにつれてどんどん魔力が増すタイプの誓約なのよね」
「困ることなのか?」
「他の魔女にとっては面白くない」
「ああ……でも誓約については誰も知らないんだろう」
警戒を解いたらしい黒猫が、テーブルへ戻って前足を折り畳むように体の下へ隠して寝そべった。
「集会の度にイタズラを仕掛けて力量を図る面倒な奴は少なくないのよ。具体的な誓約内容はわからなくても、徐々に力をつけてることはわかっちゃうの」
「どこの世界も似たようなもんだな」
レナートがうっすら笑ったとき、しがみついていたテネリの腕が離れる感触があった。様子を窺おうと身じろぎすると、ミアが立ち上がる。
「大丈夫だ」
目でミアを制してからテネリに視線を移すと、先ほどまで苦しそうだった呼吸が規則正しいものに変わっていることがわかった。
「寝たみたいね」
「自分で自分を褒めてやりたいよ」
「もう少しそのままで。寝入りはすぐ起きちゃうから」
「任せてくれ、俺は清廉潔白で有名なんだ」
「声が震えてなかったら満点だったわ」
ごろりと丸くなった黒猫に、レナートはいつの間にか共に戦った戦友のような仲間意識を感じて苦笑した。