第18話 魔女は謎の薬を摂取する
「ご苦労だったね」
机に両肘を立て、組んだ手の上に顎を乗せたアレッシオが満足げに笑った。
「以上の状況から、聖女の誤認逮捕とベッファの殺害は同一の魔女が仕組んだものと考えられます。現場に残された丸薬を調べることで、ドゥラクナ領の一件にも当該魔女が関与しているかわかるでしょう。また、ベッファの持っていた商取引に関する書類とカフェ・ファータの仕入れを照会すれば、カエルラ古国の関与が確認できる可能性も」
生まれも育ちもカエルラであるテネリにとって、故国の名を悪いニュースで聞くのはいい気分ではない。帝国から独立を果たしたカエルラは、古き良き時代を取り戻すのだと誇りを持って「カエルラ古国」と名付けたはずなのに。
しかしテネリの郷愁にはおかまいなしに、レナートとアレッシオの話は続く。
「これも魔力を感じるって言ったね。丸薬がなんのために作られたものかわかる?」
「私が食べてみる。ちょっとなら大丈夫だし成分もわかるから」
レナートの提出した薬がアレッシオの机に並んでいる。テネリが挙手するように右腕を高らかにあげて主張した。
ドゥラクナ領でテネリが魔法薬の混入に気づいたところを見ていたレナートも、それが最も効率的であろうと同意する。実際、魔女のいない国リサスレニスにおいて、魔法薬の研究は最も遅れている分野である。テネリの協力なしに解析しようとするなら、かなりの時間がかかるだろう。
「レナートとの結婚を了承してくれた上に協力的だ。いいね。んじゃ、僕が直々に割ってあげよう」
アレッシオが引き出しからナイフを取り出して薬に刃を当てる。テネリは、せめて先に拭けと思いつつ作業が終わるのを待った。
カツッという硬質な音がして、薬が形を変える。半分と、半分より小さいものと、ボロボロに崩れた残りと。
「不器用な殿下の割には……お怪我をなさらなければ上々だろうと思いましたが」
「僕のことちゃんと王太子だってわかってる?」
「どんな効果かわかんないし半分はさすがにやめとくかー。そっちの小さいの貰うね」
テネリがひょいと小さいほうの塊を摘まみ上げる。そのまま口に放り込もうとした手を、レナートが掴んだ。
「君に何かあった場合、我々にできることは?」
「んー、人間が飲む薬で魔女が死ぬことはないから大丈夫!」
言うが早いか指を離して、摘まんでいた小さな塊を口に放り込む。しばらく舌の上で転がしてから飲み込んだ。レナートは手を離して一歩下がり、上下するテネリの喉を確認する。
テネリはじっと見つめる二人の男を交互に見てからフニャと笑った。
「大丈夫か?」
「少なくとも即効性の毒ではないみたい。舌におかしな刺激はナシ。吐き気とか違和感もナーシ。成分も魔力の効果の方向性もドゥラクナのとよく似てると思うな。材料はツキシズクと呼幸草と……ん、これなんだろう? ちょっとお水貰える?」
味を思い出すかのように斜め上を見つめながら眉を寄せた。差し出された水を受け取ると、一気に喉に流し込んでグラスをレナートに返す。
右手で胸を、左手で腹を押さえるテネリにレナートとアレッシオが身構えた。次第に呼吸が荒くなり、肌がほのかに赤みを帯びる。
「思ったより早く症状が表れたな」
アレッシオが呟く間にも体中に広がって行く体の異常に、テネリは腰を曲げ、両腕で自らの身体を強く抱き締めた。魔法を維持することもできず、髪がみるみる深紅の薔薇色へと戻っていく。
「なに、これ……」
生まれて初めての感覚だ。腹は減っていないのに、体全体が何かを欲しがっている。圧倒的な飢餓感。しかもそれを訴えているのは胃よりもずっと下のほうだ。
息が苦しい。胸が苦しい。助けを求めて顔を上げると、レナートが心配そうな表情でテネリを見つめている。何か言っているようだが聞き取れない。聞き取る余裕がない。
「レナ、ト……あっ」
どうにかしてほしくて伸ばした手に、レナートが触れる。その瞬間、テネリの身体は雷が落ちたかと思うほどの衝撃を感じてビクンと跳ねた。
顔が熱い。いや、体中が熱い。レナートに触れたい。いや、触れて欲しい。よくわからない切なさで胸がいっぱいになって、理由もわからないまま涙が溢れた。ボロボロと零れ落ちる涙を拭く余裕さえない。
「おい。レナート、それ」
「くそっ! こっち見んな!」
頭から布のようなものを被せられた感覚。それに続いて浮遊感がテネリを襲った。抱き上げられているのだと理解したのは、耳元でレナートの声が囁かれたときだ。
「部屋に戻る。下向いてろ」
「ひゃっ」
耳にかかる吐息さえテネリには刺激が強い。思わず力いっぱいにレナートの身体にしがみついたが、それ以上の力で抱き締められ、そして扉の開閉音が響いた。
レナートが走るのに合わせてドレスや布がテネリの肌を撫で上げる。その刺激のひとつひとつがテネリを震わせた。近くで聞こえるレナートの呼吸音がテネリの胸を締め付ける。
体の真ん中にぽっかり穴が開いたような感覚。どうやったらそれが埋められるのかわからなくて、より一層力を込めてレナートにしがみついた。