第16話 魔女はヒトの作法がわからない
「つまり君の誓約は……なんでそんな大切なことを」
「婚姻を結んだら純潔じゃなくなるんでしょ? そしたら私、レナートと結婚した時点で今持ってる魔力を失うことになる」
テネリはこめかみを揉みながら嘆息する。リベルの杖をレナートに渡すと、不思議と成人の儀式を行った日が思い出された。
――可愛いけどその名前はダメね。
リベルが笑いかける。木の枝で地面に文字を書き連ねながら、こっちのほうがきっとアナタの力になるわよと笑った。
あどけない顔立ちをしたテネリが首を傾げる。
――これはどういう意味?
――大体同じような意味。ちょっとだけ違うけど、それはね……
リベルがテネリの耳へ口を寄せたところで、レナートとテネリはハッと我に返った。
「今のはなんだ? 虹色の髪の女が師匠?」
「嘘、レナートにも見えたの? そう。夜明け色の髪だったでしょ、彼女が夜明けの魔女リベル・ノックス。とにかくね、私は魔力を失うわけにはいかないから結婚はお断りしたいの」
「その件は城に戻ってから改めて話そう。先に現場の確認を終えてしまわないと」
レナートが遺体にかけられた白い布をめくりあげる。テネリは泣きまねをしてみたが、遺体の調査を免除してはもらえなかった。
十分ほど遺体と向き合って限界を感じ始めた頃、テネリとレナートはほとんど同時に顔を見合わせた。部屋の外に人の気配があるのだ。
「親衛隊かな」
「いや、こちらから連絡するまで上がって来ないよう言ってある。仮に親衛隊や騎士団の連中なら、足音を忍ばせたりしないだろう」
遺体を挟んで小声で話し合う。
各階に二部屋ずつしかない小さな宿屋で、ここは最上階の4階。隣室の客は他の部屋に移らせたと聞いているし、この部屋の扉は廊下の突き当りだ。
「怪しいね」
「多分、これを探しに来たんだろうな」
レナートの手に乗っているのは高価な青い宝石があしらわれたカフスボタンだ。犯人の持ち物なのだろう。テネリが指で突いてひっくり返すと、イニシャルらしきものが彫られているのがわかった。
金属の擦れる音がして、レナートがテネリを部屋の隅へ押しやった。気を付けてゆっくり扉を開けようとするからこそ、軋む木が細く長く音を立てる。
部屋に入って来たのは身なりの良い中年の男だ。彼が背後を気にしている間にレナートがカフスを部屋の真ん中へそっと置き、テネリをさらに陰へ押し込みながら自らも死角に立った。
守るように目の前に立ったレナートの背中のせいで、テネリは状況がわからない。ただ慎重な男の足音が聞こえるだけだ。リベルの杖をレナートの上着のポケットから抜き取って、ぎゅっと握りながらただその時を待つ。
「あっ……!」
部屋中を見回していたのか、ゆっくりだった足音が一気に勢いと目的を持って動きだした。広い背中から顔を出して見れば、男が膝をついてカフスへ手を伸ばすところだった。
レナートの脇から右手を伸ばして男に杖を向ける。そもそも魔力のコントロールが苦手なテネリだが、さらにこの杖は先が割れている。威力の調整は絶望的だ。とはいえ相手は殺人犯であり、どうなろうと知ったことではない。
「だめだ!」
レナートがテネリの右手を押しつつ空いた腕を伸ばし、跪いていた男の襟首を掴んで引き倒した。
触れられた分だけ魔力の練磨が阻害され、目標地点にあるはずの頭部はない。テネリが殺傷するつもりで発した空気弾は、ただ床に小さな穴を開けただけとなった。
「なんで邪魔するの」
「例え犯人であっても相応の理由なく傷つけてはいけない」
「意味わかんない」
人間はたまによくわからないことを言う。犯人であることが理由にならないのは理屈に合わない。
レナートは手早く男の意識を奪って拘束し、苛立ちを隠すように頭を乱暴に掻いた。
「犯人であったとして、なぜ殺したのかを確認しないといけない。他に仲間はいないか、誰かに脅されてやったのではないか、もっと多くの人を手にかけてはいないか。聞きたいことは数え切れないほどあるんだ」
「面倒なことするね」
「人間のやり方は、可及的速やかに覚えてもらえるとありがたい」
手際よく縛り上げた男を床に転がして、テネリに向かって手を差し出した。大きな手のひらにリベルの杖を乗せると、レナートはそれを慎重に内ポケットへ仕舞う。今度こそ取られないようにと学習したらしい。
「そのおじさんが脅されたのかどうかは知らないけど、真犯人はわかるよ」
「なんだって?」
テネリに言わせれば、真犯人はわかっているのだしわざわざ殺人犯を生かしておくこともないのだ。が、人間はそういうわけにはいかないらしい。全く理解できないと頭を抱えたくなる。
レナートがさらに何か言おうと口を開きかけたとき、物音を不審に思ったのか階下からバタバタと親衛隊が上がって来る気配があった。