第10話 魔女はお庭を散策する
テネリがミアと共に、どこまで続いているのかわからないような広い庭を散歩し始めてから、1時間以上が経過した。
前日に聖都へ到着し、聖女宮で一晩を過ごしたテネリは暇を持て余していた。聖女の目覚めを祝う各種行事が早速行われているらしく、レナートもソフィアも朝から不在にしているのだ。
「さすがにお城の中は警備も結界もしっかりしてて、全然調査できないわ!」
「仕方ないよ。それにもし見つかって私が魔女だってバレたら困るし、今はおとなしくしとこ?」
「寝てる間も髪色を維持できるようになってから言ってくれないかしら、このポンコツ魔女! リベルならそんな基礎……」
テネリにとってリサスレニス聖国の王宮は敵陣真っ只中だ。こちらに敵対するつもりがなくても、相手はそうではない。
だというのに頼りない主人のせいで、ミアは睡眠不足らしい。テネリの腕の中で不貞腐れた顔をし通しだ。
「パレードくらい見たかったなー。ソフィアきっと綺麗だっただろうね」
「駄目よダメダメ。人目が多いってことは、どこで正体がバレるかわかんないのよ」
「今夜のお披露目会には出席させてくれるって言ってたし、そこでソフィアにおめでとって言おうか」
聖女宮は代々の聖女にのみ住まうことを許されている場所で、先代の聖女が亡くなってから40年近く使われていなかった。
その割には美しく整えられている、とテネリは感心した。季節の花々が咲き乱れる庭、綻ぶことのない結界、塵ひとつない廊下。
テネリは庭の造りに既視感を覚え、その不思議な感覚に誘われるまま歩き出した。その足取りは目的があるかのようにしっかりしている。
「ちょっと、どこ行くのよ」
「なんだか心がポカポカすると思わない? 懐かしい気持ちがするの。ほら、こっちに行ったら――」
背の高い植物の壁を右に曲がると、そこには敷地を区切る鉄製の柵と開かれた小さな門があり、さらに向こう側にも広い庭が広がっていた。
聖女宮の庭と違って華やかさは控え目だが、随所に据えられた彫刻と緑の調和は荘厳という言葉が最も適している。テネリは感嘆の声を上げながら門の向こうへと足を踏み入れた。
「テネリ! そっちは駄目って……」
「おや、お客さんがいるとは珍しい」
テネリの進行方向で、土の世話をしていたらしい老齢の男が立ち上がった。動きやすさを重視した質素な服は至るところが泥で汚れている。
ミアは「ニャア」と鳴いてテネリの胸に顔を埋めた。
「こんにちは、あなたは庭師? とっても素敵なお庭ですね!」
「こちらは立ち入り禁止のはずだが……もしや、聖女宮のお客様ですかな」
「あっ、ごめんなさい。なんだかこのお庭が気になって、つい」
「いや、門を開け放していた儂が悪い。聖女宮の庭を綺麗な花で飾ろうと思ったものだから」
ふっと細めた瞳は年齢のせいか白く濁ってはいるものの、元は美しい翠色だったろうと思われた。
テネリは今しがた来たばかりの後方を振り返って、大きく頷く。
「ええ、とっても綺麗だった! 色とりどりで華やかで、きっとソフィアも喜ぶわ。でも私はこっちのお庭も大好き。落ち着くというか……少し見てもいい?」
「もちろんですとも。しばらくは警備も来ないだろうから、好きにご覧になるといい」
「カモミールは今が旬だし、こっちのはオレガノかしら。そうか、このお庭はハーブが多いんだわ!」
ハーブは魔女にとっても馴染み深い植物だ。多様な薬はどれもハーブをベースにして作られるため、よく使うものはテネリも自分で育てていた。
人間は食用にすることが多いし、ここに植えられているものは食べられるものが多い。つまりはそういうことなのだろう。
庭師の老人はテネリの後ろをニコニコしながらついて歩き、料理ではどのように使うのかという話をする。テネリも、人間用に薬効のある植物についてはその旨を付け加えたりして、ふたりは次第に打ち解けていった。
「こんなに植物について詳しいお嬢さんには初めてお会いした」
「えへへ、それほどでも……。あら、これは」
照れ隠しに視線を彷徨わせたテネリは、庭の一角を占拠する不思議な植物を見つけた。ノニッタと呼ばれるもので一見すると普通のタイムなのだが、葉の裏側が紫色をしている。
腕の中でミアが「ニャア」と鳴き、テネリも小さく返事をする。
この植物に含まれる成分はそのままだと毒にしかならず、食用にすることは不可能だ。だが魔女の手にかかれば、これは強力な回復薬となる。調理の材料となるハーブばかりが植えられている場所に、どうしてこれが。
「先々代の聖女様が絶やさないようにとおっしゃったそうです。何のためだかわかりませんが、ただここに生やしておくだけだから、やめろと言う者もない」
「先々代の聖女って言うとステラ様かな……確かに、食事や飲み物に混ぜれば変色するから悪用もできないしね」
「おや、よくご存じで」
庭師が目を丸くしたとき、遠くで足音がした。恐らくは定時巡回の騎士であろうと言って、テネリは庭師によって聖女宮の庭へと案内されたのだった。