第1話 魔女は魔女狩りを目撃する
全95話予定です。お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
目深に被っていたフードにこぼれた髪を押し込みつつ、テネリは町を見渡した。国境を越えて辿り着いた最初の町には、クリーム色をした石壁の家々が立ち並んでいる。
魔女のいない国リサスレニス。おおよそ100年の周期で聖女が生まれるとされるこの国には、魔女の悪意が向けられることもなく穏やかな空気が流れていると聞く。
そろそろ、次の聖女が目覚める頃だ。この十年の間、魔女はこの国に足を踏み入れることさえ避けている。だからここへ来るのは薔薇の魔女テネリ・ローザにとっても勇気のいることだった。
「綺麗なところね、ミア。私ひと目で気に入ったわ!」
テネリが誰にも聞こえないような小さな声をこぼすと、肩にかかったバッグがモゴモゴと微かに動いた。
「はぁ? アタシ外なんて見えてないし!」
「もー。オヤツ買ってあげようかと思ったのに」
「にゃぁん」
花屋、雑貨屋、服屋にレストラン。両脇に立ち並ぶ店に忙しなく視線を向ければ、頬が自然と緩んでいった。
黒猫ミアのために美味しそうな匂いを求めてマーケットを歩く。
「まるいパンに四角いパン、ふわふわのパンと、クリーム入りのネコ型パン! どれも素敵で選べないわ」
「この3つを買ってくれたら、ネコのパンはおまけしてあげるよ!」
「わぁ、おじさんありがとう」
パン屋が袋詰めをする間、窓から外の様子を眺める。
どうも住民たちは皆同じ方向を目指しているようだが、その表情はどれも不安げだ。走り出そうとした子どもを抱き上げ、逆向きにゆっくり歩きだす女性の姿も。
「今日は何かあるんですか?」
「ここいらじゃ見ない顔だと思ったが、お嬢ちゃんは旅の人かい? だったら残念だけど今日は広場には近寄らないこった。この町に薔薇の魔女がいたんだよ」
「えっ、あの薔薇の魔女?」
「そうさ! 王都から聖騎士団も来て、今日が処刑の日だって言うじゃないか。朝から物々しいったらないよ」
テネリは品物を受け取って店を出ると、何気ない風を装って人の波に乗った。町の中心にある広場は、普段なら人々の憩いの場なのだろう。聖女の像の噴水とそれを囲うようにベンチが置かれている。
しかし人々は噴水には目もくれず、奥に設置された処刑用に組まれたと思しき櫓の周りに集まっていた。
「まさか見物するつもりじゃないでしょうね」
バッグの隙間からテネリとそっくりな黄金色の瞳が覗く。さらにツヤツヤとした前足が出て来て、パンの入った紙袋をつついた。
「だって薔薇の魔女の処刑だよー? 私も有名になったもんだね」
ベンチに上がって背伸びをすれば、騎士団員と思しき制服姿の男たちが、櫓に近づく人々を押し返している様子が見える。
ちょうどそこへ、若い女が引きずられるようにしてやって来た。ゆっくり処刑台へと上ると、人々は水を打ったように静かになる。
夕焼けみたいなオレンジ色の髪と、今の空のように澄んだ青い瞳が印象的な、背が高く線の細い女だ。
「ありゃーソフィアちゃんじゃねぇか。あの子が魔女だったって噂はホントだったんだなァ」
「いい子だったのにねぇ、人はわかんないもんだねぇ」
「だーけど、川向こうの爺さんの怪我を治してやったんだろ? 悪ィ子じゃねぇと思うんだがなァ」
「しかし魔法なんてもの本当にあるんだねぇ。そんなん使っちゃったんじゃ申し開きもできないってもんだよ」
すぐそばで壮年の夫婦が首を左右に振りながら溜め息を吐いた。
なるほど状況がわかったぞとテネリは腕を組む。
ソフィアと呼ばれたあの罪人は、聖女に違いない。魔法を用いて怪我を癒したという言葉が真実であれば、それは聖女にしかできない芸当だ。
それにテネリだけは彼女が魔女でないと断言できる。この国へ来る前に顔を出した魔女集会には、珍しくこの大陸にいる全ての魔女が一堂に会していたし、それに何より薔薇の魔女はテネリを置いて他にいない。
「うーん、どうしたもんかなー」
ソフィアを助けてやる義理はないが、しかし聖女となると話は別だ。
聖女はこの国の、ひいては大陸の平和の要である。彼女がいるから、魔女と人間、国と国とのバランスがとれていると言っていい。
「ありゃレナート様だな。これに立ち会うとはお気の毒に」
思案にふけっていたテネリは、何とはなしに声の主の視線の先を追う。
どうやら少し離れたところから処刑台を見つめる、青ざめた顔の男を指しているらしい。揃いの白銀の胸当に青灰色のマントを羽織っていることからして騎士団員、しかもマントには金糸により豪華で精緻な刺繍がふんだんに施されている。騎士団長という立場に違いなかった。
日の光を受けてまるで銀のように輝く薄鈍色の髪が、風を受けるたびさらさらと揺れて形のいい耳を露わにする。ツンと通った鼻筋も、優美ながらもどこか強い意志を秘めて跳ねあがった眉も、今は少し陰を帯びていた。
「ねぇミアも見て、すごいかっこいい。レナート様かー。あんな器量がいい男の人は見たことないね。パーツがこう、全部キリっとしててさ」
「あら。アンタが男の話するなんて珍しい……確かにそうね、品があって素敵。ただ翠の目はちょっと好きになれないわ」
「ていうかあの切なげな表情! 処刑されるのは恋人か片想いか、どっちかなー」
テネリがベンチから飛び降りると、ミアは引き留めるようにローブに爪をたてた。
「ちょっと、何するつもり? アンタここで平和に暮らすんじゃなかったの? あれリサスレニスの聖騎士団よ、わかってるでしょうねぇ」
「わかってるよー。国境で見かけた騎士様のマントは緑だったもんね。魔女の処刑に立ち会うんだから、あの青いマントがどこの所属かなんてわかるって。でも、平和に暮らすためには見過ごせないと思わない?」
バッグの中へミアを押し込んで、足早に歩き出す。
「人助けする魔女なんて聞いたことないわよっ」
「イケメン聖騎士サマに恩が売れる絶好のチャンスじゃん!」
ミアはまだ何か文句を言っているようだったが、人混みをかきわけて前進するテネリの耳には届かなかった。