過ぎていく日々に 3
連絡が入ると同時に、彼はトリスタンの元を訪れた。
今度は、待たされず地下に案内される。
トリスタンは不愛想な顔で立っていた。
彼が来るのを見越し、待っていたらしい。
「女を追っていた、という男3人を捕らえましたよ」
「それで?」
トリスタンが、不愛想な顔を、さらにしかめる。
黒縁眼鏡を押し上げ、ついっと顎で奥の部屋を示した。
「尋問くらい、己でしては?」
無言で、示された部屋に向かう。
その背に、声がかけられた。
「ああ、殺さないでください。殺さず、適当な魔術で苦しめておいていただけますか?」
彼は、扉に手をかけたところで、ぴたりと足を止める。
肩越しに、トリスタンを振り返った。
「言われずとも、そうするさ」
くくっと、トリスタンが嬉しそうに笑う。
不愛想な顔が、喜色に満ちた表情に変わっていた。
きっと、彼のかけた魔術を解く「実験」でもする気なのだ。
それが楽しくてたまらないのだろう。
トリスタンとは、そういう男だ。
彼は扉を開け、中に入る。
男たちは縛られもせず、イスに座っていた。
見張りらしき男が、黙って部屋を出て行く。
塞間の魔術は必要なさそうだ。
一見、単純な石造りの部屋に見えるが、床や天井に刻印が刻まれている。
物音が、外に漏れない仕組みになっているに違いない。
だが、魔力疎外はかかっていなかった。
ここは、魔術の使用が許されている部屋だということだ。
実験のためには、魔術の使用もやむなし、と考えているようだ。
魔術に対抗するためには、魔術を知る必要がある。
トリスタンの思考は「魔術に頼らない方法」の構築にしか向かっていない。
手段など、どうでもいいのだ。
「追っていた女性は、どこにいる?」
彼は、冷たい瞳で3人を見つめる。
なにがあったのかはわからないが、男たちは、ひどく怯えていた。
彼に会う前から「恐ろしい目」に合ったらしい。
だが、このあと、もっと「恐ろしい目」に合うことを知らずにいる。
「お、俺らは……下っ端なんで……」
「ただ女を捕まえろと言われただけだ」
「……と、とにかく、男は殺す。女は捕まえて……適当に遊んでから売る……」
「金髪の女は高値が……」
ぱき。
軽い音が響いた。
とたん、最も怯えていた左端に座っていた男が絶叫する。
残りの2人は、みるみる真っ青になり、ガタガタと震え出した。
額からは、大量の汗が流れ落ちている。
「質問に答えたまえ。無駄話はいい」
彼は、悲鳴を上げ続けている男には、視線も向けない。
両手の指を折っただけのことだ。
彼からすれば、かなりの手加減だと言える。
最初から、その男に聞く気はなかった。
ああも怯えきっていては、まともな話などできないからだ。
まだしも言葉を詰まらせずにいた真ん中の男に話させるための生贄に過ぎない。
ぎゃあぎゃあと、男はうるさく叫んでいる。
彼は見向きもせず、軽く指を弾いた。
上位の魔術師であれ、どんなに素早かろうが、必ず、発動前には動作しなければならない。
だが、実際は、彼は魔術の発動に動作を必要としないのだ。
相手に、次の恐怖を想像させることを目的に、指を鳴らしている。
叫んでいた男が静かになっていた。
残された2人が、喉を引き攣らせたような小さい悲鳴を上げる。
「無駄口は嫌いでね」
男の口は、黒糸でぎっちりと縫い合わされていた。
痛みに叫びたくても、叫べないのだ。
まだ「縫われていない」男2人は、ようやく正しく恐怖している。
そして、彼に、訴えかけても無駄だと悟っているはずだ。
「彼女は、どこにいる?」
ガタンッと音を立て、右端の男がイスから転がり落ちる。
本能的な恐怖に抗えず、逃げようとしたのだろう。
彼は、その男を一瞥もしない。
ぱちん。
男の体が半分溶けたようになり、床にへばりつく。
当然に、口は縫われていた。
まるで馬車に轢かれた蛙のようだ。
真ん中の男だけに、彼は視線を向けている。
男が、全身を震わせながら、口を開いた。
何度か、ぱくぱくと動かしただけだ。
声が出せないらしい。
だが、彼が、ツ…と眉を吊り上げた途端だ。
「か、川……っ……川に、ながっ、流され……ッ……」
「川に流された?」
がくがくと、男がうなずく。
恐怖からか、涙をだらだらとこぼしていた。
「それで?」
「み、見失った! し、沈んでっちまって……姿が……どこまで流されたかは……わからねえ! ほ、本当に、知らねえんだ……ッ!」
「それ以上は、追わなかったのか?」
「どうせ死んじまっ……っ……」
最後の言葉が、彼の「逆鱗」にふれる。
室内は、凍りつきそうなほど、冷たい空気で満たされていた。
明かりを与えていたランプが、すべて音を立てて壊れる。
部屋は、闇におおわれていた。
地下だから、明かりがないから、という理由以上の闇だ。
それでも、彼には3人の男が見えている。
この3人が、サマンサを追わなければ、彼女は川に入ることはなかった。
川に入らなければ、流されることもなかったのだ。
沈んで姿を消すことも。
サマンサを失うかもしれない。
失ったのかもしれない。
その想いが、彼を闇の底に落とす。
漆黒の髪を、闇の風が揺らした。
「こ、殺さないで……」
男のかぼそい声が聞こえた。
彼の闇の瞳には、同情も憐憫もない。
「殺してなどやらないさ」
それでは、温情をかけることになる。
彼の「たった1人」に手を出して、殺してもらえると思っているのか。
その程度の想いなら、アドラントに10日も雨は降っていない。
ぱちん。
あえて指を鳴らす。
先に、口は縫っておいた。
男は見た目には、なにも変わっていない。
だが、体の内側に、針を生やしているのだ。
彼は、3人に命を繋ぐ「治癒」をかけておく。
命さえあれば、どんな傷も癒せる魔術ではあるが、傷を癒やさず、命だけを繋ぐという選択もできた。
怒りは鎮まっていないが、サマンサを探すのが先だ。
万が一のことがあれば、自分がどうなるかわからない。
彼自身ですら、わからずにいる。
扉を開け、彼は部屋を出た。
トリスタンは、部屋には入らず、中を覗き込んでいる。
その向こうに、心配そうな表情のフレデリックの姿があった。
彼は、深く息を吐く。
「さすがだね、スタン」
「当然でしょう。こちらには、これしかないのですから」
彼の力を受けても、部屋は壊れていない。
刻印には傷も入っていなかった。
そのために用意された部屋だったのだろう。
「レスターの血に、きみがのまれないことを願うばかりだよ」
「よしてください。あれと一緒にされるのは不愉快極まる」
トリスタンが、たちまち嫌悪感をあらわにする。
彼は、軽く肩をすくめた。
トリスタンの魔術師嫌いは信用できる。
彼の曾祖父、大公が、ある城に閉じ込めた殺人鬼、レスター・フェノイン。
フェノイン辺境伯の次期当主とされていた人物だ。
レスターは、若い女性ばかりを殺し回っていた。
だが、遊び人でもあり、殺さず遊蕩目的でのみつきあっていた女性もいたのだ。
その血が、巡り巡って、トリスタンの血には混じっている。
「あれは魔術に固執していた狂人です。私とは真逆ですよ」
「わかっているさ」
レスターは、刻印の術を使った城に閉じ込められていた。
国防特務機関を創設したユージーンは、そこから刻印の術が魔術に対抗するすべとなることを思いついたのだ。
トリスタンは、それをさらに発展させている。
右手に刻んだ術は、どんな魔力も弾くことができた。
彼が、ふっ飛ばされた理由だ。
なにしろ魔術を発動するもなにもない。
トリスタンの意思次第で、魔力を持っている相手を弾き飛ばせるのだから。
左手は、その逆だ。
だから、使うな、と警告している。
相手の魔力を奪う力だが、彼の魔力は奪われたところで尽きない。
逆に、トリスタンのほうが壊れてしまう。
「私は、もう行く」
「その女は死んでいません。川周辺を調べさせましたが、遺体はありませんでした」
「……そういう故意の情報隠しは、不愉快極まりない」
「新しい開発のために、貴方を怒らせたかっただけです」
悪びれもせずに言うトリスタンをにらんだあと、地下室を出た。
彼は不愉快になりながらも、わずかに安堵する。
まだ、サマンサを失っては、いない。




