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過ぎていく日々に 1

 

「楽しめたか、ジェシー?」

「それなりにね。オレ、あいつ、欲しくなっちゃった」

「探させておるのだがな。まだ見つからん。地に潜っておるようだ」

 

 カウフマンも「隠れ家」から出ずにいる。

 ここを知っているのは、厳選した者だけだ。

 たとえ殺されようと、拷問されようと口を割ったりはしない。

 

 ソファに座っているカウフマンの膝に、ジェシーが座って来る。

 甘えた仕草で、首にしがみついてきた。

 

「早く、捕まらないかなー。あいつ、面白いんだよ」

「ラペルの息子が、愚鈍な者でなかったとは、確かに面白い」

「超嘘つきで、まんまと騙されたー」

 

 ジェシーは、がっかりした様子もなく、笑っている。

 カウフマンも、それほど大袈裟なことだとは思っていない。

 ジェシーには、失敗も必要だからだ。

 大きな力を持っていると、時に「なんでもできる」と過信する。

 

「そういや、ティンザーの娘のほうも見つかってないみたいじゃん?」

「ああ、あれは、しばらく放っておくことにした」

 

 きょとんとしているジェシーの頭を撫でた。

 カウフマンは、薄く笑う。

 

「アドラントに雨が降っておろう」

「ここんトコ、ずっとだってね」

「あれが怒っておるのさ」

「へえ。こーしゃくサマって、そんなこともできんだ」

 

 公爵の心が乱れているのは間違いない。

 ジェシーの頭を撫でながら言った。

 

「お前が出たことで、あれは追い詰められたのだろうよ」

「オレぇ? でも、オレ、ティンザーの娘の居場所も知らねーぞ?」

「探しておる、というのが、あれに伝われば、それで良かったのだ」

「えー! じぃちゃん、オレのこと、そーいうふうに使ったのかよー」

 

 むうっと口を尖らせるジェシーに、微笑んでみせる。

 本気で怒っているのではないとわかっていた。

 ジェシーは、甘えているだけなのだ。

 

「お前も遊びたがっておったろう?」

「そりゃ、そーだケド!」

「おかげで、最後のひと押しが叶った。お前の手柄だ」

「実感ねー手柄でも、手柄は手柄か。ま、いいや。そいで?」

 

 ジェシーには感情というものがない。

 言葉や口調とは裏腹に、実際には感情の起伏もない。

 そのため、すぐに意識の切り替えができる。

 もうカウフマンに「遊ばれた」ことなど、どうでも良くなっているのだろう。

 

「あれが、ティンザーの娘を探す」

「あー、オレらに見つかる前にってコト?」

「そうだ。ほかのことは後回しにしてでも、探すだろう」

「つまり……こーしゃくサマは、恋に落ちた?」

 

 ジェシーの言葉に、カウフマンはうなずきながら笑った。

 公爵の怒りの大きさからすれば、ティンザーの娘に対する想いは、並々ならないものがある。

 公爵は「愛」という弱味を持ったのだ。

 

「あれは、今、ティンザーの娘のことしか考えられまいよ」

「じぃちゃんの狙った通りだな。けどサ、あっちが先に、ティンザーの娘を見つけたら、困るんじゃねーの?」

「ジェシー?」

「まぁね。わかってんだけどね」

 

 へへっと笑い、ジェシーが肩をすくめる。

 公爵がティンザーの娘を先に見つけても、なにも困らないのだ。

 

 ジェシーには、公爵の「絶対防御」も役には立たない。

 

 人ならざる者であった大公が、戦時中に使ったとされる魔術だった。

 公爵も使えるに違いない。

 かけられた領域では、物理的にも、魔術でも、攻撃が効かなくなる。

 人が足を踏み入れることすらできないのだ。

 

 ただし、絶対防御は「人」に対して発揮される魔術だと、わかっている。

 かつて、大公が、常に絶対防御を張り巡らせていた森があり、人の出入りは許された者に限られていた。

 だが、動物は「例外」だ。

 

 ジェシーは、動物に姿を変えることができる。

 

 たとえ絶対防御がかけられていても、容易く入り込めるだろう。

 姿を変えている間、ジェシーを遮れるものは、なにもない。

 人の体でさえ、簡単にすり抜けられる。

 

「オレ、あいつのこと気に入っちゃってね。殺さないように手加減したんだ」

「それで逃げられたのだな」

「そう。殺す気なら、心臓をぶち抜いてたんだけどサ」

「ティンザーの娘に、手加減はいらん」

「するつもりはねーよ。てゆーか、心臓でも、うっかりってコトあるから、そン時には、アタマふっ飛ばす」

 

 ティンザーの娘の居場所は、放っておいても、公爵が探すはずだ。

 見つかれば、あとは、隙を突くだけだった。

 その隙を作るのが、カウフマンの役目と言える。

 一瞬でいい。

 公爵の意識をほかに向けさせられれば、ジェシーには十分なのだ。

 

「ティンザーの娘が死ねば、あれには大きな隙ができる。怒りに変わる前に仕留めれば良い」

「んー、簡単そうだケド、一応、注意はしとく」

「それが良い。魔術での打ち合いでは、勝ち目はないからの」

「そーなんだよなー。逃げ道は作っとかねーとヤバい」

 

 言いつつも、ジェシーは笑っている。

 勝算があると見込んでいるのだ。

 カウフマンも、ジェシーに勝ち目はあると思っている。

 もし公爵に隙ができず、怒りに憑りつかれていたとしても、だ。

 

「逃げる算段さえできておれば良い。それが、こちらの強みだ」

 

 ジェシーさえ逃げ切れれば、ほかを根絶やしにされてもかまわない。

 極端な話、ロズウェルドという国がなくなっても、カウフマンの血筋は残る。

 

「商人には、粘り強さと忍耐強さがある。時間さえあれば、どうとでもなるわい」

 

 種ひとつ残れば、そこからまた広がっていけるのだ。

 その種が、より強い血であれば、これまでよりずっと短期間で拡散できる。

 現状の維持に、カウフマンは固執していなかった。

 

 カウフマンとは「(しゅ)」だ。

 

 各々が持つ「個」には執着しない。

 ただただ「種」の繁栄こそを目的とする。

 国や家督などというものに縛られていないのが、強みだった。

 いつでも、同胞を切り捨てられる。

 

 ただひとつ「種」の保存のために。

 

 それさえできれば、ほかは些末なことなのだ。

 カウフマンは、ジェシーの頭を撫でる。

 ジェシーは、カウフマンという「種」にとっての宝だった。

 カウフマン自身の命とさえ引き換えにはできない。

 

「万が一の時のルートは、覚えておるな?」

「トーゼン! そっちはそっちで、面白そうだもん」

 

 カウフマンにとっては、最も辿りたくない道だ。

 だが、ジェシーは、その道筋も頭に入れている。

 なにもかも捨てることになろうと、振り向かない。

 カウフマンを、躊躇なく見捨てる。

 

 ジェシーの心に「愛」はないのだ。

 

 それは、育てかたによるものではなかった。

 ジェシーは「そういうもの」として存在している。

 公爵以上に「人ならざる」者だった。

 

 愛を持たず、知らず、必要としない。

 

 人の形を取りながらも、人としてあるべきものを持っていないのだ。

 ジェシーには感情がなかった。

 まさに植物に近い。

 意思のようなものはあっても、それは「心」とは違う。

 

 カウフマンに甘えているのも、蔦が大きな木にまとわりつき、養分を吸い尽くすのと同じことなのだ。

 その木と一緒に倒れたりはしない。

 用がなくなれば、ほかの木に移るだけだろう。

 

(私は、本当に良い血を手に入れた)

 

 カウフマンが創った、ほかのどの血とも異なっていた。

 新種というより、古代種の蘇りだ。

 新種は弱く、脆い。

 簡単に創れるが、簡単に亡ぶ。

 

(こちらとローエルハイドの血だけでは、こうはいかんかったであろうな)

 

 カウフマンは、正真正銘の「偶然」に感謝していた。

 それは、行きずりの出会いに過ぎなかったからだ。

 血をばら撒くとの意識さえなかったのを思い出し、口元が緩む。

 偶然というのは、そのようなものなのだろう。

 

 意図せずして起きる事態。

 わけのわからないものが、最も恐ろしい。

 ジェシーは、そう言っていたが、それを体現しているのがジェシーでもあった。

 

「あいつの父親は、息子が行方知れずでも平気なんだろ? 嫌ってるんだもんな」

「問うてはみたが、知らんと言っておった。もう帰らずともよいらしい」

「それなら、オレんトコ、来ればいいのに。殺そうとしなきゃ良かった」

「ずいぶんと気に入っておるのだな」

「うん。あいつに、嘘のつきかた、教えてもらいたいの、オレ」

 

 フレデリック・ラペルは「嘘つき」なのだそうだ。

 ジェシーを欺けるのは、どうやら魔術ではないらしい。

 経験値の差が出たのだろう。

 言葉の真偽を測る能力が、ジェシーにはまだ不足している。

 

「1度は会っておくべきだったかもしれんな。人というのは、実際に会ってみねばわからんことも多い。報告だけでは惑わされる。私もやられたということだ」

「じぃちゃんなら、あいつの嘘を見抜ける?」

「おそらくな。だが、見抜かれるとわかっていて、嘘をつく馬鹿はおらん」

 

 ジェシーが、カウフマンにへばりついて、うーっと唸った。

 

「オレには嘘が通じるって判断されたのかよー! 悔しい!」

「しかたなかろう。向こうは、お前より十年も多く生きておるのだぞ」

「そんでも、悔しいもんは悔しいの! やっぱ、あいつ、欲しいー!」

 

 じたじたしているジェシーの頭を、カウフマンは撫でる。

 それから、穏やかな声で言った。

 

「そうさの。お前が欲しがっておるのだから、巣から追い出さねばな」


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