覚束ない足でも 4
ここに来て6日目。
昨日から、起き上がれるようになった。
食事も、ちゃんとテーブルの前に座ってとっている。
(少し安心したみたいね)
小屋の外に、リスと2人でいる。
少し離れた場所で、レジーが薪割りをしていた。
周りの木々には、まだ雪が残っている。
昨日の昼間だ。
元気になったサマンサに、リスは気後れがしている様子でいた。
もう必要ないと言われるのではないかと不安になっていたらしい。
気づいて、サマンサは言っている。
『あら。元気になったら、お世話はしてくれないの?』
そして、リスと交互に食べさせ合ったりしたのだ。
食べさせてくれたお返しだと言って。
『俺を仲間外れにしないでくれよ』
『大人の男性はお呼びじゃないの。リスは特別』
レジーとの会話に、リスは、ちょっぴり嬉しそうにしている。
その顔が愛らしく、思わず抱き締めてしまったほどだ。
レジーは、いよいよ「好色」になると言って笑っていた。
そうしたサマンサの態度に、リスの警戒心が少しだが緩んでいる。
「そういえば、レジーがあとで川に行くと言っていたわね。魚釣りに」
リスも行きたがるだろうか。
そう思って言っただけだ。
なのに、リスが深刻そうな表情になり、サマンサに駆け寄ってきた。
ぎゅっと、サマンサの服を掴んでくる。
「どうしたの? 川は嫌?」
「サムは……川に行ったら駄目……」
不安げに見上げてくるリスに、胸がきゅっとなった。
サマンサが、また川に落ちるのを恐れているのだろう。
同時に、いなくなってしまうのを心配している。
サマンサは、しゃがみこみ、リスを抱き締めた。
「リスが言うなら、行かないわ。危ないものね」
「ん……川は……危ない……魚はレジーに獲らせればいい……」
「そうね。釣りなんてしたこともないし、レジーに任せましょう」
言うと、リスが、ホッと表情を崩す。
そういうリスのひとつひとつに、サマンサは胸を痛めていた。
そして、腹を立てている。
(こんなに可愛くて、いい子を放っておくなんて……なぜ愛さないのか、ちっともわからないわ! 私なら乳母に任せるのも嫌よ)
自分に子がいるようには思えなかったが、それでもリスを愛しいと感じていた。
必死でしがみついてくる子の手を、振りはらえるほうがおかしいのだ。
決めつけるのは良くないものの、禄でもない親に違いないと思ってしまう。
「今日の晩御飯は、レジーの腕次第ね」
「中くらいのは、釣ってくると思う」
「中くらいなの?」
うなずくリスに笑っていた時だ。
なにかの気配を感じ、サマンサは立ち上がる。
振り向くと、フード姿の、おそらく男性と思しき者が立っていた。
咄嗟に、リスを背中に庇う。
(……魔術師……?)
なぜか、胸が、ずきりと痛んだ。
切ないような寂しいような感覚が広がる。
が、すぐに、その感覚を振りはらった。
相手が、リスに危害を加えようとしているのではないかと思ったからだ。
「お迎えにあがりました」
魔術師は、予想に反して、丁寧な挨拶をして、頭を下げる。
そういえば、レジーはリスを「あずかっている」と言っていた。
しかも、4,5日だと。
リスが、サマンサの後ろから出て来る。
そして、彼女を見上げてきた。
「じゃあね、サム……」
小声で言い、歩き出す。
自らの先行きを諦めているような表情をしていた。
サマンサは魔術師に向かって歩いて行くリスを見つめる。
その小さな背中に、どれほどの理不尽を背負っているのか。
きゅっと、唇を噛んだ。
碌でもない両親かもしれないが、リスには、れっきとした親がいる。
サマンサの出る幕ではないのだろう。
思っても、割り切れなかった。
その割り切れなさに、サマンサは走る。
走って、リスに駆け寄った。
リスの小さな体を、背中から抱きしめる。
「帰ってちょうだい!」
「なにを……」
「帰ってちょうだいと言ったのよ? 聞こえなかった?」
「ですが……私は、お迎えに……」
サマンサは、魔術師をキッとにらみつけた。
あんな寂しい背中をさせたまま、リスを行かせるわけにはいかない。
「この子は、しばらくここであずかります。ご両親に、そうお伝えください。もし不服があれば、私から説明させていただいてもかまいません!」
そうまで言っているのに、魔術師は立ち去ろうとせずにいる。
今にも手を伸ばしてきそうで、サマンサは、リスの体を引き寄せた。
(迎えに来たというけれど、また別のところにあずけられるだけよ! つききりでいてくれる人なんていやしないくせに!)
リスにつきっきりで面倒を見てくれる者がいるのであれば、レジーにあずけられたりはしていなかったはずだ。
レジーからも、あちこち点々としているというような話を聞いている。
リスが諦めたような態度なのも、厄介者扱いされていると知っているからだ。
厄介者。
胸が、ずきずきと痛む。
自分も、そんなふうに感じたことがあるような気がした。
親から愛されていたのか、いなかったのかまでは思い出せないけれど。
「おー、どしたあ?」
のんびりとした口調で、レジーが近づいて来る。
魔術師は、あからさまにホッとしているようだった。
レジーがサマンサをとりなしてくれると思っているに違いない。
だが、レジーにとりなされても、サマンサには聞く気はなかった。
「レジー、この人を追いはらってちょうだい」
レジーは、魔術師に向き直り、両手を広げてみせる。
それが、どういう意味かはわからない。
お手上げ、なのか、関与しない、なのか。
レジーのことを、よく知っているとも言い難いため、予測がつかなった。
だとしても、レジーは信じられる人だと、勝手に思っている。
「ま、そういうことだ」
「しかし……っ……」
「お前の責任にはしやしねぇよ。文句はウチに言え」
魔術師が、サッと顔色を変えた。
レジーは、薪割り用の斧を肩に担ぎ、しれっとした顔をしている。
サマンサの中で、レジーへの信頼度が高まっていた。
ともあれ味方をしてくれたのだから。
「よろしいのですね?」
「よろしくなけりゃ言わねぇから」
「かしこまりました」
不服そうな声で返事をしたあと、軽くリスに頭を下げ、魔術師が消える。
はあ…と、サマンサは大きく息をついた。
気づけば、リスが、じいっとサマンサを見上げている。
「なぁに?」
「どうして……サム……?」
「もっと一緒にいたかったからに決まっているでしょう? せっかく仲良くなれたのに、リスがいなくなってしまったら、寂しいもの」
リスが振り向き、きゅっとサマンサに抱き着いてきた。
その体を抱きしめ返す。
「いいねえ。俺も仲間に……」
「大人の男は、お呼びじゃない」
リスに、きっぱりと言われ、レジーが、きょとんとした顔をした。
しばしの間のあと、大笑いする。
笑いながら、斧を放り出した。
「サムを独り占めするとは、いい度胸だ。こいつ!」
バッと、サマンサの腕から、レジーは、リスを取り上げる。
高く掲げられたリスに、サマンサのほうが、おろおろしてしまった。
「ちょ……っ……やめて、レジー! 落ちたら、リスが怪我をするじゃないの!」
「落としやしないさ。俺は、そんなに軟弱じゃないんでね」
『私がきみを落とすだって? ありえないな』
『どれほど軟弱だと思っているのか、わかるというものだ』
ずきずきっと頭が痛む。
あまりの痛みに、目を閉じた。
声が聞こえたような気がしたが、一瞬だ。
認識する前に、かき消えていて、思い出せなくなっている。
「サ~ム、平気だって、ほら!」
見れば、レジーがリスを肩に乗せていた。
サマンサが、不安から目を伏せていると思ったらしい。
「平気……レジーは、落とさないよ……」
「そうね。見晴らしはいい?」
「まあまあ」
「まあまあだと? 高いところまで、放り投げてやってもいいんだぞ?」
「それはやめて! あなたたちは大丈夫でも、私は卒倒するわ!」
リスが、ほんの少し笑う。
胸が、ふんわりと暖かくなり、さっきの頭痛のことは忘れてしまった。
「それじゃ、サムが卒倒する前に、昼にするか」
リスを肩に担いだまま、レジーが歩き出す。
サマンサはリスを心配しつつ、隣に並んで歩いた。




