対面と邂逅 4
サマンサは、ずきずきとした痛みに、小さく呻く。
起き上がろうとしたのだが、体がひどく重かった。
身に覚えがあるような、ないような、そんな苦痛が体中にある。
頭の痛みと吐き気、それに熱っぽさ。
「まだ、起きるのは無理だぞ」
耳障りのいい声に、痛む首を動かし、そちらを見た。
誰かが立っている。
男性だ。
うっすらと、金色の髪が見えた。
視界が、ぼやけていて、はっきりとしない。
サマンサを見ているのは確かだが、全体的に視界が揺れていて、なにもかもが、判然としないのだ。
「若いお嬢さんが、1人で来る場所じゃない。どこかに行く途中だったのか?」
訊かれても、わからなかった。
もちろん、訊かれていることの「意味」はわかっている。
だが、自分の行動の理由がわからずにいた。
そのせいで、答えることができない。
「ま、今は、大人しくしてるしかねぇな。俺は、レジー。とりあえず、名だけでも教えてくれ。探してる人がいるかもしれねぇだろ?」
サマンサは答えようとして、戸惑う。
頭の中が、真っ白だ。
痛みがあるせいではない。
本当に、なにもなかった。
「どうして……」
「なにがだ? 名を訊いただけだぞ?」
レジーという男性が近づいて来て、サマンサの顔を覗き込んでくる。
その結果、サマンサにもレジーの顔が、さっきよりはっきりして見えた。
灰色の瞳が、彼女を見つめている。
なんとなく猫の目に似ているように感じた。
大きくて、なのに、キリッとしている。
「頭が……真っ白で……」
「思い出せねぇのか?」
小さくうなずいた。
また頭が疼き、サマンサは、ぎゅっと目を伏せる。
遠くから小さな声が聞こえた。
『……サム……ミー…………』
胸が苦しくなる。
泣きたいような、せつなさが心に広がっていた。
だが、それ以上は、なにも起こらない。
次第に、胸の苦しさも消えていく。
「……サム……というのかも……」
「サムね。了解。ひとまず、それでいい」
レジーが、背もたれのないイスを、片手で引き寄せて座る。
サマンサは、自分がベッドに寝かされているのに、ようやく気づいた。
どこかの小屋のようだ。
周りは木の板で囲まれていて、天井も低い。
「サムは川べりに倒れてた。どっかで流されたんだな。頭から血が出てたんだぜ? 石にでも、ぶつかったのかもな。そのせいで記憶が混濁してんだろ。前に、馬から落ちた奴がいたんだが、そいつが似たような状態になっててな。落ち着いたら思い出してたし、心配することはねぇさ」
なぜサマンサがここにいるのか。
レジーが、だいたいのことを語ってくれた。
とすると、レジーが助けてくれたということだろう。
(川で溺れた……? でも、どうして川に……?)
この時期に川で溺れて生きているなんて、幸運にもほどがある。
レジーに見つけてもらえていなければ、確実に死んでいた。
そこで、ハッとなる。
体は痛むが、感触がわからないわけではない。
「おー、悪ィな、サム。びしょ濡れのままじゃ死んじまうだろ? とは言っても、肌着までは脱がせてねぇよ」
「……あ、あの……ありがとう……助けてくれて……」
そう、ここは感謝をすべきところだ。
服を脱がされたと言って怒るところではない。
レジーの言うことは、間違っていないとわかっている。
とはいえ、恥ずかしさは、消えはしないけれども。
「腹はどうだ? なんか食えそう?」
「……無理みたい……頭が痛くて……気持ち悪いの……」
「頭を打ったら、たいていはそうなる。それに、ちっと風邪もひきかけてるんじゃねぇかな」
レジーが、サマンサの頬にふれてきた。
冷たいというほどでもないのに、冷たく感じられる。
おそらく、自分の頬が熱いからだろう。
熱っぽいのは風邪のせいかもしれない。
「この時期に川に入ったんだ。風邪くらい引くさ。どっちにしろ、しばらく安静にしてりゃ治る。こんなボロい小屋だけど、薬もあるしな」
「ご迷惑をおかけして……ごめんなさい……」
「俺が拾うって決めたんだぜ? 拾った責任は持たねぇと、だろ」
たいしたことでもない、というように、レジーが笑った。
悪い人ではないようだ。
サマンサは、ホッと息をつく。
確かに、この状態では、安静にしているしかない。
(体が動くようになったら、お礼をしなくちゃ……でも、どうやって……?)
自分のことも、なにがあったのかも思い出せないのだ。
レジーは、落ち着いたら思い出すと言ったが、どうなれば落ち着いたことになるのかも、わからない。
具体的に、いつ思い出せるのかという保証がないので、不安になる。
(……体調が回復するまでは……なにもわからないわね……)
体調の悪さもあり、気分が落ち込んだ。
自分で自分のことが思い出せなくて、ひどく心が不安定になる。
ぬかるんだ、底の知れない沼地を歩いているような気分だ。
次の1歩を、どこに定めればいいのか、わからなくなる。
「まぁ、そう心配す……」
「う、ぅわーぁあッ」
「えっ? な、なに?!」
「おー、悪ィ」
レジーが立ち上がり、少し離れた場所に移動していく。
サマンサは体を動かせないので、よく見えなかった。
戻ってきたレジーは、手になにかを抱えている。
「こ、子供……? あなたの?」
「違う。こいつは、あずかりもんだ。ほら、泣くな、泣くな」
抱えられた子は、レジーに、ひっしとしがみついていた。
顔をレジーの肩に押しつけ、泣いている。
「どうした? 目が覚めたら、知らない人がいて、びっくりしたか?」
「あ、あの……わ、私のせい? 私が、泣かせたの……?」
サマンサは、小さい子供の扱いかたなんて知らない。
覚えてはいないが、子供を扱ったことはないように思える。
自分のことは思い出せなくても、日常的なことは覚えているからだ。
ここが小屋だとわかったり、ベッドに寝ていると理解したりはできている。
「いやいや、こいつ、元々、人見知りするんだよ。気にすんな」
子供は、ぐしぐしと鼻を鳴らし、レジーにべったりくっついていた。
サマンサのせいではないと言われたが、なにか申し訳ない気持ちになる。
その子供を抱えたまま、レジーが体を折り曲げてきた。
「ほら、この人は、サム。挨拶しろ」
「ひぐ……っ……」
「れ、レジー、む、無理は……」
無理はいけないと言う間もない。
「うぎゃぁああぅぅっ!」
「失礼な奴だなぁ。そんなんじゃ、将来、女の子に”モテない”ぞ」
「ぅあ、うぅぅ……きゃぅううあああっ」
「いや、それ、挨拶になってねぇから」
「レジー、も、もうやめてあげて……挨拶なんていいから……」
サマンサに近づけられた子供は大泣きしている。
なのに、レジーは笑っていた。
大笑いしている。
子供を泣かせて、なにが面白いのか。
「サムはなぁ、病気なんだぞ? かわいそうだと思わねぇのか? ん?」
騒いでいた子供が、ぴたっと声を止めた。
そろりと、サマンサのほうに顔を向ける。
大粒の涙が、その瞳からこぼれていた。
ブルーグレイの髪と瞳。
サマンサは、その容姿に見惚れる。
ちょっぴり狐っぽい目つきではあったが、そこに愛嬌があった。
「まぁ……なんて可愛らしい子なのかしら……」
子供が、サマンサを、じいっと見つめてくる。
思わず、にっこりした。
「……サム、病気……死んじゃうの……?」
「死なねぇかな? 死んじゃうかな? どっちだろうなぁ」
「レジー……サムを、助けない?」
「お前は、どうしたい? 助けてほしいか?」
子供が、しばらく迷うように、サマンサを見たり、レジーを見たりする。
それから、小さく、こくりとうなずいた。
レジーが子供の頭を、くしゃくしゃと撫でる。
「よし。それなら助けてやるよ。けど、お前が頼んだんだからな。忘れるなよ?」
再び、子供が、こくりとうなずいた。
サマンサを、じぃっと見つめてくる。
なんとなく、サマンサも、じいっと見つめ返した。
「……リシャール……だけど……みんな、リスって呼ぶ。サムも……」
「私も、そう呼んでいいの?」
「……いいよ……サムは、弱いから……助けないと……」
レジーが「死ぬかも」などと言ったのを、本気にしているらしい。
それが、なんとも可愛らしくて、サマンサは微笑む。
子供を扱ったことはないが、胸が、ほわっと暖かくなった。
「ありがとう、リス。頼りにしているわ」




