対面と邂逅 3
フレデリックの腹には、穴が空いている。
口からは、大量の血があふれていた。
けれど、心臓は、まだ動いている。
重症ではあるし、このままでは、いずれ死ぬ。
たいして時間も残っていない。
フレデリックは、片手で腹を押さえ、無理に顔を上げた。
ブルーグレイの瞳を見つめて訊く。
「お前……名は……? 僕の名は知っているのに、ずるい、だろ……?」
「オレ? オレはジェシー。ただのジェシー。貴族じゃねーから、姓はねーんだ」
「ジェシー……か……」
話すたびに、血が口からこぼれた。
ジェシーの瞳には感情がない。
これに似た目を、フレデリックは知っている。
(公爵様に、似てる……けど、こいつのは……違う……)
フレデリックの好きな瞳ではなかった。
フレデリックは、ジェシーと視線を交えたまま、さりげなく首元に手をやる。
いつもぶら下げているネックレスにふれた。
これが役に立つはずだ。
フレデリックの命綱。
これも魔術道具のひとつだった。
公爵にもらった特別な品だ。
あえて宝石ではなく、ガラス玉にしてもらっている。
落ちぶれ貴族が高級な品を身につけるのは不自然だからだ。
(これで……しのいで……逃げられれば……)
戦うことなど考えていない。
ジェシー相手に、戦闘で勝てるはずがないのは明白だった。
逃げられさえすれば、フレデリックの「勝ち」だと言える。
しっかりとネックレスを掴んだ。
その手が掴まれる。
「おっと。これ、なに? お前の切り札?」
取られまいと手に力を入れた。
が、瀕死のフレデリックでは抗いようがない。
簡単に、ジェシーに引きちぎられてしまった。
それを、ものめずらしそうに、ジェシーが振って見ている。
「なぁんも感じねーな。たいした魔術道具じゃなさそうなんだケド?」
「そう、思うのなら……返せ……っ……」
悔し紛れに言うが、ジェシーは軽く肩をすくめただけだ。
ガラス玉を覗き込んだりしていたが、やがて手に握り込む。
フレデリックは、その時を待っていた。
ジェシーは、それを壊そうとするだろうか。
「ん? お前、今、ちょっと嬉しそうじゃなかった?」
視線を、ふいっとそらせる。
自分の心を読ませるわけにはいかない。
「あ、そっか! これ壊すと発動するヤツだ。そうなんだろ? だったら、壊してやんないよー」
フレデリックの体が小刻みに震えた。
腹を押さえた手の間から、なにかがヌルヌルとこぼれ落ちている。
「はい、残念。しっかし、お前も頑固だなー。てゆーか、マジで知らねーの?」
「どっちでも……同じだろ……」
知っていようがいまいが、話す気はない。
そのフレデリックの意思を、ジェシーは正しく理解したようだ。
瞳が冷たく光る。
「お前のこと、助けてやりたかったのにサ」
「よけいな……お世話だよ……」
「あっそう。それなら、殺そうっと。おかしな魔術道具で治癒とかされても面倒だもんな。お前みたいなヤツは、殺しとくに限る」
ジェシーの視線が、フレデリックを見据えていた。
全身が凍りつきそうなほどの殺気が満ちる。
パリンッ!!
「な……っ……?」
ジェシーの声とともに、辺りに光が走った。
閃光の隙間から、ジェシーに、にやりと笑ってみせる。
「僕は嘘つきの玄人でね。本命は、こっち」
腹を押さえていた手をずらせ、サスペンダーの金具にふれた。
さらに閃光が走る。
「はい、残念」
しゅんっとフレデリックの姿が、その場から、かき消える。
次に、どんっという衝撃を受けた。
「フレディ!!」
駆け寄ってくる姿に、フレデリックは口元に笑みを浮かべた。
これは「本物」の笑みだ。
もう言葉も出せないほどボロボロではあるが、なんとか持ち堪えている。
(こ、公爵様……し、死なずに……戻り……ました……)
あのネックレスは、フレデリックに向けられる強烈な殺気にのみ反応するように造られていた。
壊されたらどうしようと、実は、心配していたのだ。
ジェシーの瞳は、公爵に似ていたが、それでも違う。
そう感じた理由は簡単だ。
ジェシーには「嘘が通用」する。
そのため本心とは真逆の、壊してほしいという態度で、ジェシーを引っ掛けた。
フレデリックの本命は、サスペンダーの金具。
こちらは、フレデリックが意図的にふれると、必ず公爵の元に飛べる。
ジェシーの言うように、フレデリックは、人よりも魔力耐性があった。
しかも、この公爵お手製の魔術道具は、特別性。
かかる時間は相当に短縮されているものの、最短距離を取らない転移となる。
体にかかる負担を最小限に抑えるために、実際には、いくつかの地点を経由してから公爵の元に辿り着くのだ。
「フレディ、大丈夫かい? いったい、なにがあった? あのネックレスが、発動するのは感じたが……」
緑色の光に包まれ、フレデリックの体が治癒されていく。
腹に空いていた穴も塞がっていた。
公爵が、フレデリックを抱き起こしてくれる。
「ジェシーってヤツに襲われました。アドルーリットの2人は殺されましたよ」
「ジェシーか。それでは、私の渡していた防御道具は役に立たなかったろう?」
「ジェシーをご存知だったとは、さすが公爵様ですね!」
公爵が少し困った顔をしながら、フレデリックの頭を撫でた。
それだけで、すべて報われた気持ちになれる。
フレデリックの意識は、5歳の頃から変わらない。
「きみに伝えておくべきだったな」
「いえいえ、僕のところに来るなんて思いませんよ。あれほどのヤツに見込まれるようなことはしていませんからね」
フレデリックは、きょろっと周りを見回した。
どうやらアドラントに来ているらしい。
公爵の私室のようだ。
「まぁ、かけたまえ。お茶を出してあげよう」
勧められたイスに腰をかける。
公爵が、生成の魔術でだろう、紅茶を出して手渡してくれた。
口にしながら、フレデリックは、にこにこする。
「死にかけた甲斐がありました。公爵様、直々にお茶を淹れていただけるなんて」
「馬鹿を言うものじゃない。きみの命のほうが、よほど価値がある」
「そう仰っていただけると嬉しいですね。情報も、そこそこ手に入りましたし」
「ジェシーのかい?」
「ええ。あいつ、おかしな術を使っていました」
腹に穴を空けられる直前、ジェシーの姿が一瞬だけ見えた。
それで気づいたのだ。
「ご存知かもしれませんが、あいつは、自由に姿を変えられるみたいですね。僕がジョバンニに会ったのも、知られていたのですが、僕だって素人じゃありません。ジョバンニに声をかける前に、道具で魔力感知も行いましたし、人がいないのも、確認していました。絶対に魔術師も人もいなかったと断言できます。でも、いたのですよ。見ていたヤツが」
「黒い烏」
「その通り! やはりご存知でしたか! あいつ、僕の腹に穴を空ける直前、烏の姿になっていたのです。それまで、まったく見えませんでした。で、するっと体に入って……たぶん、抜ける直前に、人の姿に戻ったのじゃないかと思います。僕の体に穴を空けたのは、あいつの足」
公爵が、考えるように、軽く首を傾けた。
フレデリックは、黙って紅茶を口にする。
「私の父や祖父にもあった能力でね。変転という。変転している間は、どんなものでもすり抜けられるらしい。だが、そういう使いかたは初めて聞く」
「へえ。それじゃ、あいつが作った術ってところでしょうか?」
「まぁ、父や祖父が、そうした使いかたをしようとは思わなかっただけだろうね」
「あれ? それだと、ジェシーは、公爵様の縁戚?」
「いいや、あれは違う」
「そうですか。それなら、安心しました。敵対しちゃいけなかったのかと……」
言いかけて、自分が死にかけたことより重要なことを思い出す。
公爵が知るはずのない情報だ。
「公爵様! ジェシーは、サマンサを探していました!」
「サミーを……?」
「ええ、僕に居場所を教えろって迫って来たのです」
「だが、彼女は、きみのところに……まさか、いないのかい?」
フレデリックは、とたん、ぺしょっとなる。
先に伝えておくべきだったのだ。
「申し訳ありません。彼女が訪ねて来たのは、もう6日前になります。すぐに出て行きました。どこに行くかまでは、訊いておりません。当家の御者は、王都の街で彼女を降ろしたという話です」
「いや……私が、きみに訊かなかったのだから、しかたがないさ。きみから、私に連絡することはできないしね」
ラペルは、ローエルハイドに影で従っている。
ラペル側から連絡は取れない。
表立っては、つきあいがないとされているからだ。
「ですが、公爵様……彼女は、公爵様のために、ここを離れたのだと思います」
「私のため……?」
「僕が、公爵様のためだろうと訊いた時、彼女は否定しませんでした」
公爵が、わすかに顔をしかめる。
フレデリックからすると、驚くべきことだった。
会ったことはほとんどないが、公爵が感情を顔に出すとは思わなかったのだ。
「よくやってくれたね、フレディ。私は、彼女を探さねばならない。絶対に」
言う公爵は、すでに穏やかな表情に戻っている。
そして、もう1度、フレデリックの頭を撫でてくれた。




