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対面と邂逅 1

 彼は、私室に独りでいる。

 窓の外を、じっと見つめていた。

 今夜は月が出ている。

 周りが、ぼうっと白く光っていた。

 

 サマンサは、王都から戻って来ない。

 

 フレデリックにも連絡は取らずにいる。

 そのため、彼女がどうしているのかはわからなかった。

 見に行こうと思えば、いつでも行ける。

 見つかりたくなければ、姿を隠せばいい。

 

 わかってはいたが、なにもせずにいた。

 自分の中に迷いを生じさせたくなかったからだ。

 なのに、こうしてサマンサのことを考えている。

 あの薄緑色の瞳を思い出さない日はない。

 

(私が彼女に捨てられた、か……間違いではないな)

 

 王都では、(もっぱ)らの噂なのだそうだ。

 わずかに不快感を滲ませながら報告するジョバンニに、彼は言った。

 放っておけ、と。

 

 彼は、体裁や外聞など気にしない。

 人が自分をどう見ようが、どうでもいいと思っている。

 興味がなかった。

 どうせわかり合えない者たちだ。

 わかってほしいと考えたこともない。

 

 彼は、彼の中の正しさにのみ従う。

 

 そのように生きてきた。

 人に判断を仰ぐことはなく、すべきことをする。

 それだけだ。

 今後も、そうして生きていくのだと思っていた。

 

 なのに。

 

 サマンサの言葉にだけは、心が揺れる。

 迷いが生じる。

 考えないようにしようとしても、思い出す。

 

 自分の手の中に置いておきたくなる。

 

 片づけなければならない問題があり、準備は着々と進んでいた。

 立ち止まっている暇はない。

 彼自身、わかっている。

 自覚しているのに、踏み止まれずにいた。

 

(だが……これが、彼女の望みだ……)

 

 サマンサの手紙を読んだのは、1度だけ。

 それでも、すべての文章が記憶されている。

 文面から怒りは感じられず、淡々としていた。

 彼に、事実をつきつけてくる、といったふうだ。

 

 『私の役目は終わったと思っています』

 

 サマンサは、アシュリーとジョバンニの仲を進展させている。

 ひとつめの役目は終わり。

 そして、街で首尾よくマーカーをつけることにも成功していた。

 ふたつめの役目も終わっている。

 

 あとは、カウフマンに始末をつけるまで安全な場所に隠れていれば良かった。

 具体的な、彼女の役割はない。

 ただ、無事でいてくれさえすればいい、という状態だったのだ。

 

 『安全というなら、あなたから離れるのが最も安全だと言えるでしょう』

 

 その通りだった。

 カウフマンは、彼がティンザーと懇意になるのを嫌っている。

 だから、婚姻の阻止をするためにサマンサを狙うのだ。

 彼と親密になればなるほど、彼女への危険性は増す。

 

 もちろん、サマンサは、カウフマンを釣り出すための「囮」と成り得た。

 だが、半月以上、カウフマンに動きはない。

 加えて、彼に、サマンサを危険に(さら)す気はなくなっている。

 これでは、囮にならないのだ。

 

 そこからくる、当然の帰結。

 

 アシュリーのこともある。

 カウフマンは、彼がアシュリーから手を離したとたん、関心を失っていた。

 手を出す気配すらない。

 サマンサとて同じだ。

 

 彼が関心をなくせば、カウフマンも、それに(なら)う。

 なにしろ狙う理由がない。

 もとより、カウフマンは、彼とティンザー引き離したかったのだ。

 結果、サマンサは危険から解放される。

 

 彼が、アドラントにサマンサを(とど)めていたのは、彼の執着に過ぎない。

 

 どこかでわかっていたのに、見えない振りをしていた。

 彼女を手放し難くて、手元に置くことを選んでいたのだ。

 当然の手段を取らず、にもかかわらず、サマンサを放置した。

 

(なぜ、私は、きみが、私から離れないと思っていたのかな……)

 

 彼が「王都に帰れ」と言うまで、彼女は留まる。

 勝手に、そう思い込んでいた。

 それが条件であったのは確かだ。

 サマンサは、彼の「駒」であり、彼の意思に従うべきでもある。

 

 だが、支払いは済んでいると言われれば、それもまた間違いではない。

 本当には、もう彼女を留めておく理由はなかったのだ。

 

 むしろ、早く彼との関係を終わらせて、王都に帰すのが正しい道と言える。

 彼とて、自分と同じ船に乗せてはいけない、と思っていたのだから、留めておくほうがおかしい。

 そのことに、彼は気づかずにいた。

 

 自分の言動が「おかしい」ということに。

 

 サマンサに背を向けられて、初めて気づいている。

 彼が、今まで取ってきた、どんな言動とも違っていた。

 

(理屈が理屈にならないようなことを、私がするとはね)

 

 サマンサが手紙に書いていた通り、彼の(そば)にいないのが彼女の安全を担保する。

 だから、すぐにも追いたくなる感情を抑えつけていた。

 フレデリックと楽しく過ごしているのなら、邪魔はしない。

 胸の奥が、じりじりとはしても、それを彼女に押しつけることはできないのだ。

 

 サマンサとは、便宜上の婚約をしただけで、本物ではなかった。

 正式な婚姻も、結果としては、彼が撤回している。

 サマンサも望んではいなかった。

 

(やはり……きみの姿を変えることに、手など貸さなければ良かった。それなら、きみの魅力に気づいたのは、私だけだったろうに)

 

 サマンサを侮辱しているのではないが、誰も彼女の魅力に気づかずにいた頃が、懐かしく思える。

 あのままでいれば、サマンサを自分の腕の中に閉じ込めておけたのに、と。

 

(……きみの幸せを願わないではないが……(ろく)でもない考えだ……)

 

 サマンサの幸せが自分とともにあるものでなければ、納得できない。

 なぜほかの者に渡さなければならないのかと、理不尽なことを考えてしまう。

 サマンサの手をいずれ離すと決めていたのは、彼自身だ。

 

 出会った頃は、サマンサが、これほど大きな存在になるとは思っていなかった。

 面白いとは感じたが、いつでも手放せる、いっとき「駒」にできる相手。

 そういうふうにしか捉えていなかったのだ。

 

(今さら、きみが私をどう思っていたのかが気になるなんて、思わなかったよ)

 

 ほとんどの者を、彼はどうでもいいと思っている。

 サマンサも同じはずだった。

 だが、彼の心は、サマンサの不在を嘆いている。

 

 サマンサが自らの手で新しい愛を見つけようとしている今になって。

 

 彼は、サマンサの怒った顔を思い出し、少し笑った。

 彼女は、フレデリックに怒ったりはしないのだろう。

 それだけは、自分に才能がある。

 

(きみのせいで、本当に、おかしな嗜好があると思われるじゃないか)

 

 またサマンサに脛を蹴られたい、だなんて、我ながら呆れた。

 いかに、彼女が特別であったかを、つくづくと思い知る。

 どうしても、サマンサの存在を無視できないのだ。

 

 『いいこと? たとえ彼が聞く耳を持たないからといって、私は彼に忠告するのをやめたりしない。なぜかと言うと私が我慢ならないからよ。彼は、自分の決めたことを覆すような人ではないわ。でも、やりかたを変えさせることはできるもの』

 

 声が聞こえたような気がして、ハッとする。

 それは、苦笑に変わった。

 

(なんてことだ……私は……彼女が、どう思うかを訊きたいのか……)

 

 自分が考えていること、しようとしていること。

 なにもサマンサには話していない。

 が、話した時、サマンサはどう反応するか。

 どんな忠告をするのか。

 

 彼は、サマンサの意見が訊きたいのだ。

 

 それが、どういう意味を持つかを、彼は知っている。

 自らの心を晒す、ということだった。

 

 彼は、キリッと歯を軋らせる。

 認めてはいけない心なのだ。

 そう自分に言い聞かせた。

 

 窓辺から離れ、イスに腰を落とす。

 背もたれに深く体をあずけ、目を伏せた。

 その目を片手で押さえる。

 感情の抑制が難しくなっているのを、不快に感じる。

 

(あなたは教えてくださらなかった……父上……名づけてはいけない想いを、どう切り捨てればいいのか……あなたは、なにも……)

 

 彼が、ずっと遠ざけてきた「愛」という感情。

 父や祖父、それに、曾祖父も持っていたものだ。

 たった1人に縛られ、ほかはどうでもよくなる。

 そんな囚われの身になることを、彼は避け続けてきた。

 

(私は……あなたがたとは違う……愛は……必要ない……)

 

 手をおろし、目を開く。

 揺らいでいては、なにもできない。

 すくっと、彼は立ち上がった。

 

(失うことを恐れていては、今までと同じだ。どの道、彼女との未来はない)

 

 どれほどサマンサが恋しくても、それは認めてはならない心なのだ。

 彼は、生きかたを変えられない。

 彼女に「意見」など求めない自分で在り続ける。

 

 サマンサは去った。

 

 これが自分の選択なのだと、彼は心を定める。

 この戦いには勝たなければならないのだ。

 ローエルハイドに「負け」は存在しない。


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