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思いもよらないこと 4

 予定通り、サマンサは、サハシーを離れている。

 朝には辻馬車を雇い、辺境地に向けて出発した。

 夕方までには、辺境地の町に着けるだろう。

 なんとか無事に辿り着けそうなことに、安堵している。

 

(私がアドラントを出てから5日。何事も起きていなければいいけれど)

 

 途中の街でも、サハシーでも注意深く動いてきた。

 この馬車に乗った時にも、誰かに尾行()けられている気配は感じていない。

 あえて人の波に身を置き、サハシーの街を歩き回ってもいる。

 同じ店には、2度と立ち寄らなかった。

 

 いくつかある馬車溜まりも、1番、人が大勢いる場所を選んだ。

 誰もが急いでいて、サマンサも、その中の1人になった。

 さっさと馬車に乗り込み、ほかの馬車に紛れるようにしてサハシーを出ている。

 御者も慣れているのか、金だけを受け取り、すぐに馬車を出してくれた。

 

 フレデリックに借りた物の中で、まだ身につけていない服を着ている。

 冬だったのは不利益もあったが、利になることもあった。

 手袋をはめていても不自然ではないことだ。

 サマンサの手は、令嬢らしく綺麗に整えられている。

 爪先まで、手入れがいきとどいていた。

 

(見られると、服装にかかわらず、貴族だとばれてしまうものね)

 

 辺境地で住処を決めるまでは、気をつける必要がある。

 どこにでも目ざとい者はいるのだ。

 カウフマンの手先かどうかはともかく、商人は、その際たる者と言える。

 そもそも、目ざとくなければ、商人としてやっていけない。

 

「お嬢さん……っ……!」

 

 急に、御者がサマンサに声をかけてきた。

 その声音に、緊張が走る。

 切羽詰まったような口調だったからだ。

 なにかがあったのは、間違いない。

 

「ちょっと飛ばします! しっかり掴まっててくださいや!」

「な、なにがあったのっ?!」

「野盗のようです! くそ……っ……真昼間だぞ……っ……」

「任せるから、なんとか逃げて!」

「そのつもりですよ! こっちも命は惜しい……っ……」

 

 馬車の速度が上がる。

 大きな揺れに、サマンサは小さく悲鳴を上げた。

 備えつけの手すりにしがみつく。

 それでも、体が左右に振られた。

 

(や、野盗だなんて……っ……ああ、ついていないわ!)

 

 サマンサには、なんの力もない。

 彼なら一瞬で事をおさめてしまうのだろうけれど、その彼はいなかった。

 自分から離れたのだ。

 それを悔やんではいないが、こういう事態になるとも思ってはいない。

 

 ここまで順調に来たので、安心していた。

 だからと言って、注意を怠ったつもりもない。

 朝の出発も、危険を避けるためだ。

 野盗が出るかもしれない可能性を考えた。

 御者だって完全には信用しきれないので、今までも夜に出たことはない。

 

 ガタンッと、ひと際、大きく馬車が揺れる。

 サマンサは、荷袋の肩提げ紐を片手で、ぎゅっと握った。

 これは、サマンサの命綱なのだ。

 失うわけにはいかない。

 

(で、でも……もし野盗に出せと言われたら、大人しく出すしかないわ……)

 

 命をとられるよりはマシだろう。

 カウフマンを釣り出した結果の死であればまだしも、「たかが」野盗に殺されるわけにはいかない。

 とはいえ、サマンサにできることはなかった。

 御者が頑張ってくれるのを願うばかりだ。

 

 悲鳴を上げる気はないのだが、勝手に声が出る。

 車輪があちこちにぶつかっているらしく、馬車は揺れっ放しだった。

 このままでは、車軸が折れるのではなかろうか。

 そう思えるくらい酷い揺れだ。

 

「あ……っ……」

 

 体が、横に投げ出される。

 というより馬車が横に倒れかけていた。

 扉が、バタンッと音を立て、勝手に開く。

 サマンサの目に緑と茶色が映っていた。

 

 なにが起きたのか、わからない。

 体に、大きな衝撃が走る。

 同時に、馬車から放り出されたのだと理解した。

 馬の蹄の音が聞こえてくる。

 

 サマンサが落ちたことに、御者は気づかなかったのかもしれない。

 気づいていたとしても、止まることはできなかっただろうけれども。

 

「おい……っ……んな……っ……たぞ!」

 

 遠くから複数の声が聞こえた。

 サマンサは痛む体を、無理に引き起こす。

 幸い、荷袋も手放していなかった。

 すぐに駆け出す。

 

(サハシーを出てから、半日は走ったから……もう辺境地に入っているはず……)

 

 町に辿り着くのは無理だが、辺りは森だ。

 地図を頭に思い描く。

 馬車の速度と距離を考えれば、湾を少し過ぎたところにある森に違いない。

 ここを越えれば、辺境地の町があった。

 

(私がいくら走っても、森を抜けるのは無理だわ。とにかく、野盗から身を隠して夜になるまで待つしかないわね……隠れられそうな場所を探すのはあとだわ……)

 

 まずは、野盗から逃げなければならない。

 サマンサは、後ろも振り返らず、まっすぐに走る。

 周囲を見回している暇もなかった。

 後ろからは、まだ声が聞こえてくるのだ。

 離れることだけを考える。

 

(枝が茂っているほうに行ってはいけない……枝を折ったら、目印になってしまうもの……履いているのが布靴で良かった……っ……)

 

 なるべく枝にふれないよう、サマンサは駆けた。

 やわらかな布靴なら、それほど踏み跡はつかないはずだ。

 枝の少なそうなほうに向きを変えながら、走り続ける。

 声が、少し遠のいていた。

 そのまま諦めてくれればいい、と思う。

 

(ああ……あの御者、殺されていなければいいけれど……)

 

 自分に選ばれて、辺境地になんか向かおうとしたから野盗に襲われたのだ。

 サマンサ自身、余裕はないのに、御者のことが気になった。

 自らの命を守るためでもあっただろうが、御者は、できるだけのことをしてくれようとしている。

 

(私を野盗に引き渡して逃げることもできたのに……)

 

 一緒に逃げようとしてくれた。

 結局、別々になってしまったが、サマンサは逃げられる可能性を掴んでいた。

 御者も、そうであってほしい。

 捕まって殺されたりしていなければいいと思わずにいられなかった。

 

「……どうしよう……最悪だわ……」

 

 ザッと走り出たところは、予想外に拓けていた。

 それもそのはずだ。

 目の前には川が流れている。

 とはいえ、引き返すことはできない。

 野盗と鉢合わせるかもしれないからだ。

 

 荷袋の紐を両手で握り締め、サマンサは川に入る。

 水は澄んでいて、川底が見えていた。

 川幅は、それほど広くはない。

 急げば渡り切れそうだと判断している。

 

 音を立てるのは不安だったが、進まないわけにはいかないのだ。

 ざぶざぶと音を立てながらも、川を渡る。

 

「いたぞ! あそこだ……っ!」

 

 見つかった、との焦りから、サマンサは川の中を走った。

 目に涙が浮かんで来る。

 怖くてたまらない。

 捕まったら、なにをされるかわからない。

 殺されるのも嫌だが、殺されないのも嫌だ。

 

「追えっ! 早くしろッ!」

 

 声に、いよいよ恐怖が募る。

 もっと早く走ろうとした時だ。

 爪先が川底の石に突っかかる。

 あっと思う間もなく、頭から川の中に倒れ込んでいた。

 

 がぼっと水を飲む。

 立ち上がろうとしたが、倒れた方向が悪かったらしい。

 水流が速くなっていて、立ち上がれなかった。

 それどころか、川底に引き込まれそうになる。

 

 立っていれば、膝ほどまでしかないのに、サマンサは流されていた。

 川底の石を掴もうとしても、水に押され、伸ばした手は石を掻くだけだ。

 頭を水の上に出しておくことすら難しい。

 がぼがぼと浮き沈みしながら、下流に押し流されて行く。

 

 息も苦しい。

 ひっきりなしに、水が口から入ってくるからだ。

 荷袋を捨てるべきかもしれない。

 金貨や銀貨が重いのは間違いないのだ。

 

 とはいえ、水に濡れた袋は、さらにずっしりと重くなっている。

 頭から抜こうとしても、持ち上げることなどできない。

 複数の男たちが水しぶきを上げながら走ってくる姿が見えた。

 瞬間。

 

 ガツッ!

 

 サマンサは、体が重くなるのを感じる。

 川底の大きな石に頭をぶつけたのだ。

 水流と相まって、あっという間に、サマンサの意識を刈り取っていた。

 なんの抵抗もできず、水に流されていく。

 

 水面が、昼間の太陽に、きらきらと輝いていた。

 一瞬、それを見上げたあと、サマンサは目を閉じる。

 水の冷たさも、痛みも、なにも感じなかった。

 

 『サム、サミー……私は、きみを愛している……』

 

 意識を失っているのに、サマンサは笑みを浮かべる。

 なによりほしかった言葉だけれど、彼女は、それを否定した。

 

(いいえ、駄目よ……あなたは、私を愛しては……いけないの……)


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