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真実に向き合うこと 4

 

「その夜会の帰りの馬車で、彼から婚約と婚姻についての話をされました。彼が、ティンザーの養子になりたいと言ってきたのも、その時です」

 

 サマンサの顔は、蒼褪めている。

 その最悪な夜会を思い出し、ショックがぶり返しているのだろう。

 彼は、じっとサマンサを見つめていた。

 同情はしていない。

 これで「なにもかも」だと、判断しているだけだ。

 

「きみに愛想をつかされてもしかたがないな」

 

 彼の言葉に、サマンサの手が、ぴくっと反応する。

 彼女は、涙もこぼさず、潤ませてもいない瞳を、彼に向けた。

 

「あなたは、私が彼に報復したがっていると思っているようですね」

「違うのかい? 破談は、彼にとって、なによりの打撃になるじゃないか」

「それは、単なる結果です。私が嫌なのはティンザーが利用されることです。今、お話したことは、彼の本心に気づいたきっかけに過ぎません。そもそも、本題には関係ないと思っていましたので話さずにおりました。そういう誤解をされるのも、私にとっては、不本意です」

 

 話したくて話したのではない、と言いたいらしい。

 もちろん、そうだろうと思う。

 サマンサの心情を鑑みれば、話したくなるような内容ではなかった。

 

「それに……薄々は気づいていらしたのではありませんか?」

 

 サマンサが、強い口調に戻っている。

 緑色の瞳にも険があった。

 追い込まれてなお、意志を曲げようとはしていないのだ。

 

「どうかな。なんでも見通せる眼鏡を持っているわけではないのでね。私は直観を信じるには、経験値がなさ過ぎるのさ」

 

 頬杖をついたまま、彼は、無遠慮にサマンサを眺める。

 自らの体の上を滑っていく視線に、彼女は憤慨しているようだ。

 普通の貴族令嬢のように、羞恥心から頬を染めているのではない。

 

「対価は?」

 

 彼は、あえてサマンサと視線を交えずに言う。

 彼女が支払える対価は限られているのだ。

 言うまでもなく、(まつりごと)での力や金など、ローエルハイドが必要としていないのは、わかりきっているだろうし。

 

「私のすべてです」

「へえ。すべてねえ。それは、ベッドでのことも含まれているのかな?」

「あなたが必要な時に、私はいつでも駒になる、ということです」

「質問に答えたまえ、サマンサ・ティンザー」

 

 そっけなく、彼女の返答を無視する。

 サマンサが、さらに怒りの度合いを強めたらしい。

 このあと、もっと彼女を怒らせることになるのだが、それはともかく。

 

「私は真面目に話しているのですよ?」

「私も、真面目に訊いているのだがね?」

「そのようなことを、あなたが、私に求めるはずがございません」

「なぜ?」

「その気になれば、お相手には事欠かないでしょう? なにも、わざわざ……」

 

 頬杖をやめ、彼は、スッと立ち上がった。

 同時に、テーブルが消える。

 そういえば、と思い出した。

 せっかくメイドのミレーヌが用意してくれていた茶を出していない。

 

(このあと、彼女は激昂するだろうから、その時にでも出すとしよう)

 

 思いながら、彼は、サマンサに近づく。

 彼女は両手を膝に置いていたため、肘置きが空いていた。

 そこに、彼は、自分の両手を置く。

 上半身を前にかしがせ、サマンサを腕に閉じ込めるような格好だ。

 

「きみが、自分をどう評価しようと、かまわないがね。私の評価とは違う」

「私に諦めさせようとして、このような真似をなさって……」

「いいや、それも違うな。きみが望むのなら、私は、いつだって、きみのベッドにもぐりこむだろうよ。もちろん愛とは別種のものだがね」

「私に……」

「同情? それは本気かい? 私が、きみに同情するなんて有り得ないと、きみはわかっているのじゃないか?」

 

 きゅっと、サマンサが唇を横に引いた。

 彼は交えていた視線を外し、ゆっくりと、もう1度、彼女の体に滑らせる。

 

「……面白がっているのでしょう? 私が、こんなだから、女性的な魅力があると信じ込ませるのは簡単だと? お生憎様、1度、熱いものにふれれば、子供だって同じ過ちをおかそうとはしないものですわ」

「ふぅん。きみは、そのティミーだかティムだかという男に、女性的な魅力を否定されて、すっかり臆病になってしまったというわけか。実に、つまらないな」

 

 彼は、サマンサの瞳に視線を戻した。

 緑の中に、わずかな逡巡が見てとれる。

 

「仮に……そうすれば、私の願いをきいてくださるのですか?」

「いいかい、きみ。すべてを差し出すと言ったのは、きみであって、私ではない」

「では、やはり本気ではないと?」

「さっきも言っただろう? きみが望むのなら、とね」

「……すべてという中に、そのことを含めるな、と仰っておられるのですね」

 

 彼女の父が自慢していただけのことはある。

 サマンサは、聡明な女性だ。

 そして、ティンザーらしい実直さも兼ね合わせている。

 家を守りたいとの彼女の気持ちは、本心に違いない。

 

「ともかく、私は、きみに女性的な魅力を感じている。きみからの誘いであれば、いつでも歓迎する、と言っておくよ」

 

 言ってから、パッと離れる。

 再び、テーブルを戻し、今度は茶を用意した。

 生成の魔術を使えば、準備がなくとも出せるのだが、作られたものを移動させるほうが、手間がないのだ。

 

「ところで、ねえ」

 

 彼は、両手を軽く組み、胸の前に置く。

 いかにも「心が痛む」といった仕草だった。

 

「実は、本邸には、婚約者とされる女性が住んでいてね」

「な……っ……」

「いやはや、きみの提案が、あまりに興味深かったものだから、うっかり伝え忘れていたよ」

 

 サマンサの唇が、わなわなと震えている。

 体中から、怒りの炎が噴き上がっているかのように見えた。

 さっきまでとは、比較にならない。

 

「なんて人っ!! あなたみたいに冷酷な人、この世にいないわよ!」

「同感だ」

「この人でなしッ! (ろく)でなしッ! 冷血漢ッ!!」

「否定はしないさ」

 

 彼は、軽く肩をすくめてみせる。

 サマンサが怒るのは、予測していたので、少しも驚かない。

 むしろ、彼女から「令嬢らしさ」を奪えたことに、満足していた。

 サマンサの、よそよそしく礼儀正しい振る舞いが、少しばかり気に食わなかったからだ。

 

「人を弄んで楽しんで……悪趣味もいいところだわ! さっきの話は忘れて!」

「おや、いいのかい? きみには頼る相手が、私しかいないというのに」

「婚約者がいるなんて知らなかったのよ! 私は、そこまで冷酷ではないの!」

「きみのティンザー気質(かたぎ)を、大いに称賛する」

「あなたに褒められたって、少しも嬉しくはないわね! これで失礼するわっ!」

 

 サマンサが立ち上がろうと、イスから腰を上げる。

 すかさず、待ったをかけた。

 

「きみの目的に手を貸そう、サマンサ・ティンザー」

 

 サマンサの目が、見開かれる。

 とは言っても、腫れぼったい瞼が、わずかばかり持ち上がっただけだれども。

 

「確実に破談に追い込むと約束をする。だから、そう怒らずに、腰を落ち着けてはどうかな? まぁ、お茶でも飲みたまえ」

 

 とすん…と、サマンサがイスに腰を落とした。

 が、疑わしいと言う目つきで、彼を見ている。

 

「とても簡単な話でね。便宜上の婚約は、今のところ無理だが、別の方法がある。きみが、私の“特別な客人”になればいい」

「……私に……愛妾になれ、と……」

「どう呼ぶかは自由だ。ただ、それを受け入れさえすれば目的を達せられるということだけは確かだよ。選ぶのは、きみだ」

 

 サマンサは、目を伏せて、うつむいた。

 ティンザーの資質と、必死に戦っているのだろう。

 しばらくの間のあと、彼女は目を開いたが、顔は上げずにいる。

 

「わかりました……あなたの提案を受け入れます」

「きみは首を絞められた鶏みたいな顔をしているが、それほど悪い話ではないさ。ああ、そうだ。交渉成立とする前に、2つほど条件を付け加えさせてもらうよ? なに、当然のことだから、心配はいらない。ひとつ、このことについては、誰にも話してはならない、ふたつ、私に対して礼儀正しく振る舞わないこと」

 

 サマンサは顔を上げ、打ちのめされたような、怒りに震えているような目をして彼をにらみつけてきた。

 それでも、絞り出すような声で「わかったわ」とだけ答える。

 彼は、サマンサに、微笑んでみせた。

 

「よろしい。交渉成立だ」


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