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人でなしの心の裡は 2

 サマンサは、彼の顔を眺めていた。

 最初に会った時から変わらず、甘さの漂う、けれど精悍な顔立ちをしている。

 彼は、やはり隣には座らずにいた。

 街から帰り、サマンサの私室に来てはいるが、向かい合って座っている。

 

 初めて彼に会ったのは、この別邸の客室だった。

 同じように向かい合って座っていたものの、緊張していたのを覚えている。

 あの日、彼女は、彼の反応を見て思った。

 

 彼は、会話から、心を読まれるのを避けている。

 それは、自らの弱点と成り得る「心」を隠蔽し、守るためだ。

 

 だからこそ、なおさら「人でなし」だと思った。

 人の心は暴くくせに、自らの心は(さら)さない。

 未だに、彼は少しも本音を見せずにいる。

 

 彼らしくない態度を取ったのは、あの劇場での「動揺」だけだった。

 

 あの時の彼は、確かに、なにか「おかしかった」のだ。

 故意にティモシーと鉢合わせをさせたと、サマンサが勘違いしていることには、気づいていただろうに、黙っていた。

 サマンサが気づかなければ「濡れ衣」を受け入れていたかもしれない。

 

「まだ手が痛むのかい?」

「え……? いいえ、もう平気よ? なぜ?」

「きみが、口づけでも待っているみたいな顔をして、私を見ていたからさ」

「そんな顔をした覚えはないわね」

 

 すぐさま否定したが、内心では、ぎくっとしている。

 劇場でのことを思い出していたのを、見透かされたように感じたのだ。

 だが、彼は軽く肩をすくめ、サマンサの言葉を受け流す。

 

(あの時からだわ……また彼が私を誘うようなことを言ったりしたりするようになったのは……お互いに距離を置こうとしていたのに……)

 

 あげく「正式な婚姻」だのと言い出した。

 サマンサには、自分が彼の心を動かすようなことをした記憶はない。

 サマンサも彼も、互いに求めるものは、はっきりしている。

 相容れないものだともわかっていた。

 だから、無理をして彼に愛想をしたり、気に入られようとしたりはせずにいる。

 今では、サマンサのほうが、彼とは距離を取ろうともしていた。

 

(それだって気づいているのに、彼は、たびたび踏み越えようとするし……)

 

 以前の彼は、サマンサが線引きを示すと、あっさり引き下がっていたのだ。

 思えば、すでに「正式な婚姻」を撤回していても、おかしくない。

 なにかが変わったのだろうか。

 

 サマンサの心が、小さく揺れる。

 

 駄目だと感じているのに、ほんの少しの期待が生まれていた。

 ふと、彼が街で女の子の頭を撫でる姿を思い出す。

 フレデリックのことも、そうだ。

 幼いフレデリックを、彼は認め、心の支えになっている。

 

「意外だったわ」

「なにがだい?」

「あなたは、子供が嫌いではないのね」

「嫌う理由がないだろう?」

「そうかしら? 面倒に感じたり、世話を嫌がったりする人は大勢いるわ」

「見えているものが違うのは、赤ん坊も子供も大人も同じさ。自分に見えていないものを面倒だとするなら、自分以外、全員、面倒じゃないか」

 

 正直、サマンサは、彼が「自分以外は面倒」だと感じているのかと思っていた。

 彼には、物が見え過ぎる。

 多くの情報を持ち、人の心を読むことにも長けているからだ。

 

「……そうよね。あなたは、過保護だもの」

 

 考えてみれば、彼が周りを面倒に感じているなら、そもそもサマンサの面倒事を背負いこんだりはしなかっただろう。

 たとえ駒として必要だったとしても、体型を変えたり、彼女の評判の回復に努めたりする必要はなかった。

 どれも手間のかかることなのだから。

 

「ねえ、もし私があなたと婚姻した場合、子供はどうするの?」

 

 彼が、サマンサに視線を向け、首をかしげた。

 きっと「婚姻」に前向きにでもなったのかと、不思議に思っているのだ。

 

「どうするもなにも、当然に、できるのじゃないかね?」

「つまり……あなたは子供を成す気がある、ということ?」

「それ以外の返事に聞こえるとは思わなかったな」

「違うわ。もっと積極的な意味で……そうね。あなたは子供がほしいと思っているのか、という意味で聞いたのよ」

 

 サマンサの心臓が鼓動を速めている。

 彼は、少しの迷いもなく、子を成す気があることを示したのだ。

 それは、ベッドで関係を持った結果としてではなく、家庭を築くという意味での「当然」なのではなかろうか。

 

「ほしいか、と聞かれると難しいな」

「え……? だって……子を成す気はあるのでしょう?」

「あるかないかで言えば、あるさ。だが、それとほしいかどうかというのは、別の話でね。むしろ、私より、きみが、どう思うかのほうが大事だということだ」

「私がほしいと思えば子を成すけれど、そうでなければいらないって話?」

「だって、きみの意思に反して子を成す意味があるかい? きみがいらないと思うなら、私は協力する。ほしいと思う場合も同じくね」

 

 サマンサは、ひどい違和感を覚える。

 彼の考えかたは、ものすごくずれている、という気がした。

 論理的には、納得できないことは、なにも言われていない。

 子供は1人ではできないのだから、彼の言うことは正しいのだ。

 

 サマンサがほしいと思うか否かは、大事な指標と成り得る。

 そして、その意思を尊重するという彼の態度は間違ってはいない。

 少なくとも、ティモシーのように、彼女の意思を無視して「子を成す気はない」と言われるよりは、ずっと誠実だと言える。

 

 だが、なにかが変だ。

 

 理性ではないどこかで「間違っている」と感じていた。

 矛盾はないはずなのに、引っ掛かりがある。

 サマンサは、その「なにか」を必死で探った。

 彼との関係を決定づける大事な部分だったからだ。

 

 そして、ハッとなる。

 

 わかりたかったはずなのに、わかりたくもなかった。

 気づかないほうが良かった、と後悔する。

 

「……あなたがほしいかどうか、という問いに、あなたは、まだ答えていない」

 

 ほしいかどうかについて、彼は難しいとは言った。

 子を成す気はあるが、それとは別の話だとも言った。

 けれど「ほしい」とも「ほしくない」とも答えていない。

 言葉の「ペテン」だ。

 

 これは、彼が自らの心を「隠蔽」しようとしている証。

 

「つまり……あなたは……子供ができても……その子を愛さない、ということね」

 

 彼は「愛は不要」としている。

 それは、サマンサに対してだけではなかった。

 子を成したとしても、その子を愛する気はない。

 だから、ほしいかどうかと聞かれても答えられないのだ。

 

「愛することはできなくても、大事にすることはできる」

 

 サマンサの言葉を肯定する彼に、愕然とする。

 それは、サマンサが両親に愛されて育ったからだ。

 彼女自身、親になったことはない。

 それでも、子供を愛さない親というものが、想像できずにいる。

 

「私を愛することも、子供を愛することもしないくせに、大事にするって……なんなの? 意味がわからないわ」

「きみを傷つけないよう努力をし、子供が泣けばあやすという意味だ」

「それなら、私が、あなたの愛を諦めれば、それで万事解決?」

 

 彼の言動は、限りなく「愛」に近い。

 彼が、サマンサに「本心を明かさない」ということを除けば、だけれども。

 

「いいや、それでは不足だね」

「ああ、そういう意味……私にも愛するな、ということでしょう?」

「そうだ。でなければ、公平さに欠けるだろう。対等でない関係になるのを、私は望まない。きみに心をあずけろと言ったことはないはずだ」

 

 サマンサには、彼の言うことが、まったく理解できない。

 そんな(いびつ)な関係があるだろうか。

 子供ができてさえ、お互いに愛を不要としなければならないなんて。

 しかも、彼は子供も愛さないのだ。

 

「それでも、もし……万が一、私があなたを愛してしまったら、どうなるの?」

「訊く必要があるかい? きみには、わかっているのじゃないか?」

 

 彼の言う通りだった。

 訊くまでもない。

 

「問題に解決がついたら、私は配役を降りる。元の筋書きに沿って、王都に帰る」

「そうだ」

 

 あっさりと認める彼に、サマンサの中にあった期待が消えていく。

 サマンサは、サッと、心を翻した。

 彼女の予測は当たっていたのだ。

 

 自分だけが傷ついて終わり。

 

 改めて、それを痛感している。

 やはり彼との未来は望めない。

 どこまでいっても相容れることはない。

 

「それなら、あなたは気をつけたほうがいいわよ? あまり踏み込まれると、私はあなたを愛してしまうかもしれないから」

 

 彼が、眉をひそめる。

 サマンサだって、望まれていないと知りながら、彼に詰め寄るようなことは言いたくもなかった。

 

「でも、今のところ心配は無用だと言っておくわ。人でなしより嘘つきのほうが、まだ可愛げがあるもの」

 

 彼が、スッと立ち上がる。

 いつになく無表情で、サマンサを見下ろしていた。

 静かな怒りが伝わってくる。

 だが、少しも怖くはなかった。

 寂しさと悲しさのほうが、勝っている。

 

「正式な婚姻についての提案は、撤回しよう。きみは望みを叶えた。おめでとう、サマンサ・ティンザー」

 

 サマンサは、わざとらしく肩をすくめてみせた。

 そして、彼の冷たい瞳を、じっと見据える。

 

「だが、私とフレディを比較するのはやめたまえ。不愉快に過ぎる」

 

 言って、彼は姿を消した。

 サマンサは、独り、私室の中を見回す。

 今まで、どんなことがあっても変わらなかった習慣が変わっていた。

 

「……花を……入れ替えては、くれなかったのね……」


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