人でなしの心の裡は 1
フレデリックは、嘘をつくのが得意だと思われている。
だが、そうではない。
彼は、根っからの「嘘つき」なのだ。
それが悪いことだと思ったこともない。
物心がついた頃には、息を吐くかのごとく、嘘が口から出ていた。
周囲が、それに気づかないのを不思議に思ったほどに、フレデリックにとっては「自然」なことだったのだ。
だが、5歳になる前あたりからだろうか。
周囲の、自分に対する態度がおかしいと気づき始めた。
冷たい視線だけではない。
父も勤め人も、彼に「嘘をつく」ようになったのだ。
とはいえ、フレデリックには、それが簡単に見抜けてしまう。
誰も彼もが、口で言うことと思っていることが違うと、わかる。
幼かったフレデリックからすれば、彼らのほうが、気味が悪かった。
自分のついた嘘には気づかず、すぐにばれるような嘘ばかりつく人々。
正直、彼らがなにをしたいのか、意味がわからずにいた。
なのに、フレデリックは、いつも、わかっていた。
彼を大事にしているという顔で、実は毛嫌いしている父。
彼を尊重しているという態度で、実は蔑んでいる勤め人。
さりとて、フレデリックは、そのことで傷ついてはいない。
なぜなら、彼は自我に芽生えてからずっと「そう」だったからだ。
なにかがあって「嘘つき」になったのではない。
ただ、周囲が自分とは違う言動であるのを不思議には思っていた。
が、5歳を迎える頃には、理解している。
彼らは「頭が悪いのだ」と、フレデリックは結論していた。
彼の嘘に軽々と引っ掛かることも、自らがついた嘘がばれていないと思っていることも、馬鹿だからだ、と。
そういう中、公爵に出会ったのだ。
公爵からは、嘘が見えなかった。
なのに、なにを考えているのかも、わからなかった。
そして、フレデリックは本能的に、自分の嘘が通用しないのを悟っている。
『僕は嘘をつかない』
『それは、嘘だな、フレディ』
『どうしてさ』
『だって、私が、きみに嘘をつけと言ったのじゃないか』
そう言って、公爵は笑った。
そのあと、フレデリックの頭を撫で「才能がある」と言ってくれたのだ。
単純に、嬉しかったし、嬉しいという気持ちを初めて知った。
以来、フレデリックは、公爵に心酔している。
本人に自覚はないが、この時、フレデリックの中に、嘘のない自分が生まれた。
彼は、息を吐くかのごとく嘘をつくが、公爵にだけは嘘をつかない。
最近、もう1人増えたのだけれど、それはともかく。
「おい、フリッツ!」
突然に、腕を引っ張られ、フレデリックは体をよろめかせる。
実は、これも嘘のひとつだ。
弱々しい振りをしているに過ぎない。
そのフレデリックを、サロンの個室に引きずりこんだ者がいる。
「や、やあ、マックス……いったい、どうしたっていうのさ?」
フレデリックは険しい表情のマクシミリアンに、媚を売るような笑みを浮かべてみせる。
室内には、マクシミリアンのほかに、妹のマチルダもいた。
とたん、フレデリックは、わざとマチルダに欲のある視線を向ける。
「お前に話がある。いいから、座れ」
高圧的な態度に、首をすくめつつ、それでもいそいそとマチルダの横に座った。
サロンでは、フレデリックが「赤毛好き」だと有名なのだ。
もちろん、故意に作った嗜好だが、周りは完全に信じている。
証拠に、マチルダは自信たっぷりに、フレデリックに微笑みかけてきた。
その上、体をぐっと寄せてくる。
興味の有る無しに関わらず、チラっとマチルダの胸元に視線を落とした。
だが、すぐに慌てた様子で視線を逸らせ、気まずそうに笑ってみせる。
すべて嘘だけれど。
「ええっと……それで、僕に話ってのは……」
マチルダを意識している振りを続けつつ、マクシミリアンに顔を向けた。
もちろん、ちらちらと視線を動かすのは忘れない。
2人は、フレデリックを「落ちぶれ貴族」の愚か者と思っている。
表情からも醸し出されている雰囲気からも、手に取るようにわかった。
(嘘どころじゃないな、これは。馬鹿っていう看板でも下げているみたいだ)
内心では、そう思いながら、表情にも態度にも、いっさい出さない。
フレデリックは本物の「嘘つき」なのだ。
その上、己の「嘘」に飲まれたりもしない。
本当か嘘かわからなくなる、なんてことは有り得なかった。
「最近、お前のところに、サマンサ・ティンザーが出入りしているそうだな」
フレデリックは、サッと顔色を変える。
そういうことも、自由自在にできた。
なにか、自分に悪いことが起きるのではないかと、心配でもしているかのような空気をまとわりつかせながら、2人の顔色を窺う。
「ど、どこで……それを……」
「どこだっていいだろう! あの女が、どういう女かわかっているのか?」
「で、でも、マックス……彼女は、その……ほら……わかるだろう?」
媚びた態度で、マクシミリアンを上目遣いに見上げた。
同時に、マチルダの反応が気がかりというように、体を、わずかに寄せる。
気づいたマチルダが、わざとらしく、フレデリックの腕に胸を押しつけてきた。
フレデリックは、すぐさま、そわそわとした態度を取る。
「そうね。彼女は公爵様の愛妾をしていた女だもの。簡単にベッドに引き込めると思うのも無理はないわ」
「ああ……まぁ……試しに、ね……だって、公爵様の愛妾だったのだぜ? どんなふうかって、きみも思うのじゃないか、マックス?」
マチルダの「加勢」に勇気づけられたとばかりに、少し強気に出た。
マクシミリアンは険しい表情を崩し、口元に嫌な笑みを浮かべる。
(僕をフリッツと呼ぶ奴に、碌な奴はいない。こいつが命を失うはめになっても、僕は木の葉が落ちるほどにも感傷的にはならないな)
フレデリックの目的は、サロンでの情報収集だ。
貴族らは、誰もフレデリックを警戒しない。
いてもいなくてもどうでもいいという扱いをしている。
だからこそ、こういう「重要そう」な場面にも出食わすのだ。
「それで、どうだった? あの女の味は? 公爵が入れ込むほどだったか?」
「うーん……まあまあだったけどなぁ。僕の趣味には合わないっていうか……」
言いながら、マチルダに、さらに体を寄せた。
自分はサマンサよりマチルダに興味があるという態度を取っている。
マクシミリアンから視線を外しては、マチルダの体に視線を這わせていた。
腕を動かし、故意ではないという体裁を取りつつ、胸にふれる。
「だと、思ったわ。たいしたことなさそうだったもの、あの女。見た目が変わったからと言って、調子に乗っているだけよ」
「まったくだね。彼女……たいして経験はないと思う。どうにも、男の悦ばせかたなんて知っているふうでは……」
言いかけて、ハッとしたように口を閉じた。
ばつが悪そうな表情を浮かべる。
「マックス……頼むから、今のことを公爵様に告げ口なんてしないでくれよ……? 彼女と会っているのは、公爵様もご存知だけれど、ただの退屈しのぎの話相手ってことになっているのだから……」
ぼそぼそと歯切れ悪く言った。
マクシミリアンは、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。
マチルダは愛想のいい笑顔を見せているが、上辺だけのものだとわかっていた。
(誰があなたとなんかつきあうものですか、いやらしい目で見ないで!ってね)
マチルダの本心など、フレデリックには、みえみえだ。
だが、不愉快にも思わない。
馬鹿の看板を首から、ぶら下げているような者に、どう思われようが、どうでもいいからだ。
「言うわけがないさ。心配するなよ、フリッツ」
「そうよ。私たちは、あなたが害されるのを望んでいないもの」
実際には、2人は、フレデリックが死んでもかまわないと思っている。
とても見え透いていた。
透け透けだ。
マチルダがフレデリックの手を握ってきたので、ぼうっとして見せる。
すっかりマチルダに心を奪われている、といったところだ。
ぎゅっと体を押しつけられた時には、喉まで上下させ、いかにも欲を感じているとの演出をする。
「お前に頼みたいことがあってね」
「た、頼み……? 僕に、なにができるって……」
マクシミリアンではなく、マチルダに気を取られているという様子で答えた。
そのせいだろう、マクシミリアンではなく、マチルダが「頼み」を口にする。
「彼女を公爵から引き離してほしいの。あなたに夢中にさせてちょうだい」
「ぼ、僕がかい? でも、彼女、公爵様と婚約したって……」
「ティムのことを、考えてみろよ? あの女は婚約していようが、平気で別の男と寝る女だ。今は、公爵よりお前に興味があるから、通っているに違いないさ」
「で、でも……いったい、どういう……」
「ねえ、フリッツ。あなたなら、私が、どれほど彼女に侮辱されたかわかるのではないかしら? 劇場では、あなたも恥をかかされたものね」
マチルダが、ひどく優しい声で語りかけてきた。
その間も、フレデリックの手を撫で回している。
「あ、ああ、もちろん……彼女は、きみに、あんな真似をすべきじゃなかった」
「それだけじゃない! 私は、ティンザーに、和解の交渉をしに行った。腹に据えかねてはいたがな! 貴族同士、諍い合うのを避けようとしたってのに!」
「ティンザーは、アドルーリットより格下じゃないか、マックス」
「その通りだ! それでも譲歩してやったのさ! なのに、レヴィンスの奴……」
「ええと……レヴィンスっていうのは、サマンサの兄の……?」
マクシミリアンが瞳に怒りを宿し、声を荒げた。
「奴ら、ローエルハイドの後ろ盾があると思って調子に乗っていやがる!」
「だから、僕に、公爵様とサマンサを破局させろって? きみの気持ちは、わからなくないけれど……それは……」
フレデリックが渋ったとたんだ。
マチルダが、フレデリックに抱きついてくる。
芝居もここまで下手だと、笑わないようにするのに苦労する、と思った。
「お願いよ、フリッツ。このままでは、私、2度と社交界に顔を出せないわ」
「しかし……相手が相手だろ……僕だって、命は惜しいし……」
「あなたが悪いのじゃないでしょう? 彼女が不逞をはたらいただけ。違う?」
「……まぁ……そう、かな……今も彼女は婚約している身で僕と……」
「そうよ。だから、公爵様が、あなたを責めるなんてできないはず」
フレデリックは、マチルダを抱きしめ返す。
さりげなく、体を手でなぞった。
「万事うまくいったら、モードは、きみに感謝の気持ちを伝えるだろうな」
どうやってかは、言わなくてもわかるだろうという言い草だ。
フレデリックは、欲望で頭がいっぱいという顔つきで言う。
「彼女を落とすくらいわけはないさ。だから……僕との約束を忘れないでくれよ?」




