表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/160

線引きは誤らないよう 2

 彼が向かい側に座るのは、久しぶりだ。

 なにか物足りなさを感じはするが、あえて、その感覚を封じ込めている。

 寄り添って話がしたいなどと思ってはいけない。

 彼とは距離を置くと決めたのだ。

 

「それにしても、私が前に言った通りになっているじゃない」

「ああ、あのダンスの時の?」

「そうよ。あなたは大袈裟なことにはならないって言っていたけれど、これって、なかなか大袈裟なことだと思うわよ?」

「私ときみとでは、認識の規模が違うのさ」

 

 軽口を叩いているようでいて、彼の口調が、いつもと違っているのに気づく。

 容赦なく利用すると言っておきながら、躊躇(ためら)いがあるに違いない。

 サマンサの身に危険がおよぶのは、どうやら避けられそうにないので。

 

「私の家族はどう? 私を言うなりにさせるための人質にされるとか」

 

 自分に対する危険は、しかたがないと思っていた。

 彼に味方をするのなら「殺される覚悟」が必要なのだ。

 そうはならないとの、彼の言葉を信じている。

 サマンサとて、死ぬつもりでいるわけではない。

 

 とはいえ、さっきの話からわかっていた。

 カウフマンは、人を人とも思っていない。

 意図的に、血を交わらせ、自らに都合のいい「人を創る」など、狂気の沙汰だ。

 サマンサからすれば、頭がおかしいとしか考えられなかった。

 そういう相手を敵としている。

 どんな手を使われるか、わかったものではない。

 

「それはないよ、サム」

「どうして、そう言い切れるの? アシュリー様は脅されたらしいじゃない」

「きみが、ティンザーだからさ。いっとき言うなりになったとしても、いつ反撃を食らうかわからない。常に気を配っておくなんて、面倒じゃないか」

「ありがとう。殺すほうが手っ取り早いと教えてもらえて、気が楽になったわ」

 

 皮肉っぽく言ったものの、本心では安堵していた。

 家族が巻き込まれないのなら、安心して彼の「駒」になれる。

 

「ところで、街に出るというのは、どういうこと?」

「根を断つにしても、とっかかりは必要でね。それを探しに行く」

「街に行くだけで、見つかるものなの?」

「確実とは言い難いが、おそらく見つかるだろう」

 

 彼の瞳の黒に、深みが広がっていた。

 初めて見る色だったが、恐ろしいとは思わない。

 きっと、これは彼が「人ならざる者」になる予兆に過ぎない。

 サマンサは、彼の本当の姿も力も知らないが、より深く濃い闇の黒が、その瞳の奥にある気がした。

 

「そのとっかかり、というのは、人なのね?」

「そうだ」

「私は、ついて行くだけ?」

 

 ことさらに、なんでもなさそうに言う。

 彼に躊躇わせないためだ。

 ただでさえ、彼は独りで事を進めたがる。

 それだけの力があるからなのだろうが、置き去りにされるのは嫌だった。

 

「いや……できれば、その相手にマーカーをつけてほしい」

「マーカー? 印をつけるということ?」

 

 彼が、小さくうなずく。

 あまりやらせたくないことのようだ。

 その「とっかかり」とサマンサを接触させるのは、本意ではないらしい。

 

「あなたができない理由があるのでしょう?」

「私は魔術師だからね。向こうにも、魔術師がいる。脅威ではないが、少しばかり面倒でね。私が印をつけると、魔力感知に引っ掛かってしまうのさ」

「私は、魔術師ではないから、その目をかいくぐれるってわけね」

「ただし、相手は魔術師だけでもない」

 

 互いに、魔術師とそうでない者の駒がある。

 魔術師を騙すには「持たざる者」のほうが、都合がいい。

 だが、街に出れば、そこいら中に「持たざる者」はいる。

 むしろ、魔術師ではない者のほうが多いのだ。

 

「きみがマーカーをつけたと分かれば、たちどころに、こちらの動きが悟られる」

「先手を打てなくなっては意味がないわ」

 

 思っていたより、簡単ではない。

 重要任務と言える。

 サマンサがしくじれば、彼は不利に立たされるのだ。

 それでも、怯んではいられなかった。

 

「その印だけれど、どうやってつけるの?」

 

 彼が、わずかに顔をしかめる。

 やはり躊躇っているようだ。

 彼らしくもなく、言い淀んでいる。

 

「なによ?」

「……きみに、ちょっぴり痛い目に合ってもらわなくちゃならなくてね」

「痛い目? その人物に殴られでもしろってことかしら?」

 

 サマンサの言葉は、意外にも予想外だったらしい。

 普通「痛い目に合う」と言えば、想像する結果は2つくらいしかないはずだ。

 暴力的な意味合いか、教訓的な意味合いか。

 見ず知らずの相手に説教をされる謂れはないので、サマンサは前者だと思った。

 

「きみを殴るような奴がいたら、私は、そいつの骨を残らず粉々に砕くだろうよ」

「そんなことをすれば、その人、立って歩けなくなるじゃない」

「物を掴むこともできなくなるさ」

「私が殴られても、あなたが治癒してくれればすむわよ」

「そういう問題ではない」

 

 大真面目に言う彼に、少し笑ってしまいそうになる。

 とはいえ、深刻な話の最中(さいちゅう)に笑うわけにはいかないので、我慢した。

 彼は、人でなしの(ろく)でなしではあるが「過保護」には違いない。

 

「でも、私が殴られるという話ではないのでしょう?」

「きみの血が、ほんの少し必要なだけで、殴られる必要はないね」

「痛い目って……指先を針で、ちょんと突くとか、そういう……」

 

 いよいよ、笑いそうになるのを(こら)える。

 その程度、サマンサにすれば、痛い目のうちには入らない。

 以前の体型だった頃、絶食してぶっ倒れ、何度、床に体を打ち付けたことか。

 膝を擦り剝いて、だらだら血を流したこともあった。

 

「あなたと私の、大袈裟の認識の違いを痛感したわ」

「少なくとも、きみの体を、故意に傷つけなければならない」

「必要なだけの血が取れたら、治癒してくれるのよね?」

「当然だよ、きみ」

 

 針で指を突いたくらいなら、舐めておけば治る。

 

 などとは、とても言えそうにない。

 サマンサは、肩をすくめた。

 尖塔を昇り降りしていた頃に出会っていたら、とんてもなく小言を言われていただろう。

 兄が、彼を信頼するのもわかる。

 

「その血を、相手につければいいのかしら?」

「できれば、服などではなく素肌が望ましいが、無理はしないでくれ」

「わかったわ。相手に警戒されないことが、重要だもの」

 

 あまりにわざとらし過ぎると、相手に警戒されてしまう。

 本人は気にしないかもしれないが、どこで監視されているかわからないのだ。

 商人は、どこにでもいる。

 カウフマンの手先が潜んでいることを、忘れてはならない。

 

「準備は、いつ頃になりそう? 街には、あなたと一緒に出るのよね?」

 

 アドラントの街に出るのは、初めてだ。

 というより、街に出ること自体が初めてだった。

 王都で劇場には行ったが、馬車だったため、街を歩き回ったりはしていない。

 街の風景を、馬車の窓から見ただけだ。

 

 危険が伴うとわかっていても、少しわくわくする。

 そこで、ふと思った。

 

「あなた、すごく目立つと思うのだけれど、それは、かまわないの?」

「きみのほうが目立つと思うけれどね。それは、かまわないよ」

「お忍びでは行かない、ということ?」

「私は、自然な姿の、きみを好んでいる。髪や目の色を変える気はないな」

 

 サマンサは、小さく彼をにらむ。

 ちょっとした警告だ。

 線引きの「線」を片足で踏んでいる、という。

 だが、彼は平気で、サマンサの視線を無視する。

 

「目立つほうがいいのさ。私は、これでもアドラントの領主でね。街を自由に歩く権利くらいはある。なまじ、こそこそするほうが不自然なのだよ」

「あなたの、領主然とした姿を見られるなんて、貴重な体験ができそうね」

 

 サマンサの言葉に、彼が、わずかに目を細めた。

 なにか居心地の悪さを感じる。

 重要任務について話しているのに、少し軽口を叩き過ぎただろうか。

 以前、彼に「命を軽視している」と指摘されたのを思い出していた。

 

「ねえ、きみ。いいかい」

 

 サマンサは、ひどく戸惑う。

 彼の黒い瞳が、いつかのように揺れていたからだ。

 この反応を、彼女は知っている。

 頬が、勝手に熱くなった。

 

「私が、もっと貴重な体験を、きみにさせてあげられると知っているだろう?」

 

 じっと見つめられ、体が、ぞくりと震える。

 劇場でした口づけが、感覚として蘇っていた。

 サマンサは、男性に、こういう瞳で見られることに慣れていない。

 

「そ、それは……私が望むのなら、ということではなかった?」

「望まない?」

 

 ぎゅっと手を握り締める。

 どうしてこういう話になったのか。

 サマンサが距離を置こうとしていたことに、彼は気づいていたはずだ。

 彼女は、彼も納得しているのだろうと思い込んでいたが、違ったらしい。

 

 彼は、線引きを踏むだけではなく、踏み越えようとしている。

 

 心臓の鼓動が、激しく波打っていた。

 心が、へし折られそうになっている。

 

 彼の座っているソファに移動しさえすれば、彼はサマンサを抱き上げるだろう。

 そして、寝室に連れて行くに違いない。

 サマンサも、その誘惑に乗ってしまってもいいような気分だった。

 が、しかし。

 

「私はティンザーだと言ったでしょう? 見返りに、なにを欲しがるか、わかっているわよね? あなたが、けして差し出せないものよ?」

 

 彼は軽く肩をすくめただけで、危うい雰囲気を断ち切る。

 サマンサは、まともに呼吸をするので精一杯だ。

 油断した自分に腹が立つ。

 それでも、平静さを装いながら、彼に冷たく言った。

 

「おふざけはいいから、打ち合わせをしない?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ