嫉妬と誤解 4
「ああ、もう!」
サマンサは、上掛けを跳ねのけて、起き上がる。
今夜は早めにベッドに入った。
だが、少しも眠れないのだ。
ただでさえ、ここのところ「正式な婚姻」問題で頭を悩ませていて、眠りにつくのが遅くなっている。
とはいえ。
「なんだっていうのよ。あの子が、彼の私室にいようと、私には関係ないわ」
サマンサは便宜上の婚約者でしかない。
本物の婚姻については、サマンサのほうから「お断り」だ。
彼が、どこの誰となにをしていようが、彼女が気にする必要はない。
まったく。
なのに、頭の中を「気がかり」が、うろちょろしている。
たとえば、リビーは何歳なのだろうか、とか。
サマンサより年下、アシュリーより年上なのは間違いない。
だとすると、15から17歳ということになる。
「でも、アシュリー様が少し幼く見えるかただから……あの子が大人びて見えるのかもしれないし……私と同じ歳……とは考えにくいけれど……」
口に出している自分に、ハッとなった。
室内にはサマンサ1人だというのに、慌てる。
「どうだっていいじゃないの! あの子が何歳でも! 年端もいかないメイドを、部屋に連れ込んでいるって言われて困るのは、私ではないもの!」
言ってはみたものの、気分は晴れなかった。
夕方、別邸の大掃除を手伝いに来たリビーと、彼の言葉を思い出す。
『さようにございます。旦那様と2人で、お話をさせていただきたいので、今夜、お部屋に伺わせてください』
『かまわないとも』
言葉遣い自体は、さして変わらなかったが、サマンサと彼とでは、リビーの声音は、明らかに違っていた。
本邸の勤め人に、良く思われていないのは知っている。
だから、冷たい態度にも驚きはしなかった。
サマンサは、元は「特別な客人」だったのだ。
それが、そのまま居つき、婚約者の座におさまっている。
アシュリーのことがなかったとしても、良く思われるわけがない。
マチルダではないが、主を「たぶらかしている女」と見られているのだろう。
「……本当に……アドルーリットは碌なことをしないわね」
マチルダがアドラントに来たり、その後、劇場に姿を現したりしなければ、兄のマクシミリアンはティンザーに乗り込もうとはしなかったはずだ。
マクシミリアンが兄を脅かしたせいで、サマンサは追い込まれるはめになった。
婚約も「正式な婚姻」も、予定にはなかったのだから。
「2人で、なにを話しているのかしら……なぜ、あの執事がいてはいけないの?」
サマンサに聞かれたくない話があっても、それは不思議でもなんでもない。
リビーは、本邸に勤めている。
本邸でサマンサへの不満が高まっており、それを報せに来たとも考えられる。
サマンサの前ではできない話だ。
だが、ジョバンニは、ローエルハイドの執事だ。
別邸より本邸にいることのほうが多い。
アシュリーとは婚姻を約束している立場でもあるし、本邸の勤め人とは、気心も知れている。
ラナや別邸の勤め人が、ジョバンニを避けて話したがるのなら理解もできた。
王都にいた勤め人たちは、ジョバンニとは、それほど懇意ではないからだ。
「それに、どうして夜なのよ? 明日の朝でもいいでしょうに……わざわざ、夜に行くことないじゃない」
だが、リビーは「今夜」と、はっきり言っている。
対して、彼も「かまわない」と答えた。
常識的に考えれば、彼が「明日の朝」を、提案をすべきだったのだ。
しかも、婚約者の目の前でするような会話ではない。
「便宜上とはいえ、あの子は、それを知らないはずなのだから、少しは気を遣ってほしいものだわ。あれでは、私の立場がないわ」
サマンサは、ちょっぴり不愉快になる。
本邸では、彼がサマンサを「大事にしていない」と囁かれているかもしれない。
ふっと、いつぞやのジョバンニの言葉が頭をよぎった。
『旦那様は、悪ふざけが過ぎるおかたですので』
悪ふざけ。
本邸では、そんなふうに言われているのだろうか。
考えると、以前の自分に戻ってしまったかのような気持ちになる。
嘲笑と蔑みの中に、サマンサは長く身を置いてきた。
それでも、耐えられたのは、当時はまだ、ティモシーにだけは、好意を持たれていると信じていたからだ。
今は、それもない。
彼は「正式な婚姻」などと言うけれど、サマンサを愛しているわけではない。
ティモシーの時のように、いずれ愛に変わるかもしれないとの期待もできない。
こんな状態で、嘲りに、どうやって立ち向かえばいいのか、わからなかった。
外見が変わっても、結局、なにも変わっていない気がする。
容姿に釣られる男性が増えたことで、落胆しただけだ。
「彼は、いつだって正しいのよね……あれほど容姿に意味はないって言われていたのに……愚かだったわ……」
外見が変われば、自分に自信が持てる。
そうなれば、きっと輝くような未来が待っている。
周りも認めてくれて、新しい愛だって見つけられるに違いない。
そんなサマンサが期待した未来は、訪れる気配すらなかった。
逆に、なにも変わっていない、ということを思い知らされている。
せっかくフレデリックと話して楽しい気分になっていたのに、滅茶苦茶だ。
サマンサは、すっかり落ち込んでしまう。
こんな時こそ、彼に、ふらっと現れてほしかった。
彼は、サマンサの悩みが、いかに些細なことかを、軽口めかして、笑い事にしてくれる。
そして、腹を立てているうちに、いつだって気持ちが慰められていた。
「知らない間に、彼の策にはまっていたっていうのは、本当のようね。頼ることに慣れてしまっているもの」
それに、自分だけが、特別な存在でもあるかのような勘違いをしかけている。
もちろん、ある種の特別さがあるにはあった。
契約をしていることとか、秘密を共有していることとか。
だが、彼女の思う「特別さ」とは意味が異なる。
自分の立場を見失ってはいけない。
サマンサは、そう思い直した。
すべてが便宜上のものであり、彼がどう言おうとも、カウフマンとのことに片がついたら、終わりにするのだ。
また新たな「駒」としての役割ができたとしても、その配役からは降りる。
「実感はないけれど、私は命を懸けているらしいから、支払いをすませたことにはできるはずよ。彼も、無理強いはしない」
サマンサは、大きく溜め息をついた。
彼の味方であり続けたいとは思う。
だが、長く彼の傍に居続けるのは危険だ。
今でさえ、これほどに、彼を頼りにしている。
身近な存在になってしまっている証拠だった。
心の裡を語ったことも、1度や2度ではない。
最初は強引に引きずり出されたが、それ以降は、サマンサの意思による。
リビーが彼の部屋を夜に訪ねていることも、気にしてしまうくらい、彼の存在は大きくなっているのだ。
なにしろ、サマンサは、彼の私室に入ったことは、1度もない。
彼の部屋がどんなふうで、どんな様子でくつろいでいるのかも知らなかった。
彼の私室は、本邸にある。
そのため、今までは、気にせずにいられた。
本邸は、サマンサが足を踏み入れるべき場所ではない。
そう思ってきたからだ。
そもそも、彼の私室に招かれたこともなかった。
サマンサが正面きって本邸の扉をくぐることができないとしても、彼に招く気があったなら、簡単だっただろう。
点門を使えば、直接、私室にサマンサを迎え入れられるのだから、勤め人たちに知られることもない。
つまるところ、それが答えなのだ。
ほかの人たちはともかく、彼は、サマンサに自らの領域を冒されたくないと考えている。
愛だと勘違いさせないためでもあるのだろう。
彼には、愛は不要であり、与えることも、与えられることも望んではいない。
「でも……私は、やっぱり愛が必要なの……ただ安定しているだけの関係なんて、寂しいじゃない。友人としてならともかく、生涯をともにする相手としては、ね」
リビーが、彼の部屋にいる。
2人きりで話している。
たったそれだけのことで眠れなくなるほど、落ち着かない。
心が乱されている自分に、サマンサは不安を感じた。
「このままでは、私も藁の橋を渡ることになる」
彼との関係を崩す気はなかったが、良好過ぎてもいけないのだ。
なまじ居心地がいいから、勘違いをしそうになる。
サマンサは、彼と、もっと距離を取ることに決めた。
そのためには、自分がここにいる必要性を明確にしておく必要がある。
「3ヶ月ほどで、カウフマンとの問題を片づけると言っていたわよね。なにをするつもりなのか、話せるだけは話してもらわなくちゃ」
その上で、サマンサの「配役」はなんなのかも、はっきりさせるのだ。
3ヶ月後、問題が片付いたら、サマンサは、ここを去るつもりでいる。
別れの筋書きは、作られたものではあったが、まるきり「口実」とも言えない。
「……今の私は、王都に帰りたいっていう気持ちが強くなっているもの。ここに、長居をするのは……気が進まないわ……」
これ以上、無意味な期待を持ちたくはなかった。
無意味だとわかっていて期待をするなんて、馬鹿げている。
サマンサにできるのは問題解決に手を貸し、一刻も早くアドラントを去ること。
それだけだ。
サマンサは立ち上がり、窓から外を眺める。
けれど、本邸のどこに、彼の私室があるのかも、彼女は知らなかった。




