嫉妬と誤解 1
彼は、あまり考えないようにしていた。
今日は、サマンサがフレデリックと会うことになっている。
サマンサに、あれこれ「約束」させられているので、なにもできない。
2人が会っていても、彼は、その輪には入れないのだ。
(彼女は、今頃、ラペルの屋敷に向かっている)
劇場でのことを考えれば、フレデリックがアドラントを訪れるのは不自然になる。
そのため、サマンサがフレデリックを訪ねることになった。
唐突に見えないようにするため、彼女は、3日ほど前から王都にいる。
ティンザーの屋敷ではなく、ローエルハイドの屋敷だ。
のちのち2人が別れることになった時の、小さな布石でもあった。
サマンサが、アドラントに飽きつつある、という印象付けをしている。
昨日は、王都の屋敷の勤め人やラナと、街に出ていたと知っていた。
フレデリックと会う時以外、彼が護衛することには、サマンサも納得している。
なにしろ、カウフマンの次の手が読めない。
アドラントを諦めていないのは確かだが、なんの動きも見せていなかった。
彼が会いに行ったあとも、変わらず静かな日が続いている。
とはいえ、サマンサを標的としているのは間違いないのだ。
いつ、どこで仕掛けてくるか、わからない。
彼は、アドラントの私室で、イスに座っている。
ジョバンニは、執事として大掃除の準備などで忙しくしていた。
なにをするつもりかはともかく、カウフマンですら忙しくしているに違いない。
することがないのは、自分だけのように思えた。
この2日ばかり、彼はサマンサのいない日を過ごしている。
それが、どうにも落ち着かない。
半年ほどの間に、サマンサが別邸にいるのが、あたり前になっていた。
ほとんど、毎日、通っているのだから、そうなってもしかたがない。
あげく、彼女に知らしめるように、会えない日でも花を置いて行く。
サマンサがアドラントに来た当初から変わらない習慣だ。
いや、変えられない習慣だった。
サマンサに自分を意識させたくて、やっている。
その自覚はあった。
最初は、ほんのいたずら心に過ぎなかったのだけれども。
(やれやれ……退屈でたまらない)
彼は、今年で32歳になる。
もうすぐ33だ。
16歳でアドラントの領主になって以来、独りで過ごしてきたと言ってもいい。
当時は、まだジョバンニもいなかった。
勤め人たちと気軽な会話をしつつも、独りだったのだ。
テスアを離れると、誰1人、彼と「対等」に話す者はいなかった。
あの日、サマンサが訪れるまで。
サマンサは、彼を恐れることはなく、怯みもしない。
言いたいことを言う。
時には、やりこめられることすらあった。
それが楽しく、心地いい。
彼女といると、退屈するということがないのだ。
始終、べったりしていたいわけではない。
だが、いざ傍にいないとなると、落ち着かない。
その上、ほかの男といると思うと、気分が悪い。
(相手はフレディだぞ? なにも起きるはずがない……いや、起きてもいいのか)
サマンサが「愛」を諦めないのなら、彼に「出番」はなかった。
むしろ、諦めがつくまでは、積極的に、彼女の手助けをする役と言える。
元々の筋書きでは、ジョバンニへの当てつけが終わり次第、支払いは終了となるはずだったのだから。
ここまで引っ張っているのは、彼の都合に過ぎない。
カウフマンが絡んで来たことで、予定が崩れてしまった。
それでも、早々に囮役から解放し、王都帰すつもりでいたのだ。
(彼女に、後ろ脚で蹴飛ばされるのも、道理だな。正式な婚姻だって? まったく馬鹿げている。碌でなしにも、ほどがある)
彼も、サマンサとの関係の危うさには気づいていた。
もうずっと前からだ。
そのたびに、距離を取ろうともしている。
うまくいっていた時もあった。
マチルダが来て、芝居をする前までは、一定の距離を保てたのだ。
それが、芝居をして、サマンサとの距離の近さに居心地の良さを感じた。
次に、劇場でのことが起き、いよいよ彼女を手放し難くなっている。
正式な婚姻などと言い出す引き金になったのは、サマンサの他意のない言葉だ。
フレデリックに会わせると言った時、彼女は「楽しみ」だと言った。
サマンサの「新しい愛」を、彼は、とても不愉快に感じている。
彼女が当然に手にすべきものだと思ってもいるのに、苛々した。
そして、今も苛々している。
(フレディは、彼女の相手としては悪くない。だが……彼は、女性を愛することができるのか? 訊いたことはなかったが……)
サマンサに必要なのは「愛」なのだ。
フレデリックは悪くない相手ではあるが、彼女を愛せないのなら対象外となる。
体だけの関係など、サマンサは望まない。
上っ面だけのものであってもいけない。
彼は、頭の中を引っ繰り返す。
彼の知らない貴族などいないからだ。
どこの家門の、どの子息なら、不足なくサマンサに見合うか。
その相手を探してみる。
(アドルーリットとラウズワースは除外だな。碌な奴がいない。ウィリュアートンかシャートレーとしても、ウィリュアートンの息子は4歳だ。シャートレーには、確か28歳の双子がいたっけ……次期当主のほうは護衛騎士だったか。もう1人は旅に出ているって話だったな。となると、次期当主のほうか……)
シャートレーは、代々、騎士の家系で、ティンザーに負けず真面目な家門だ。
愛妾や側室などの話も聞かないし、息子たちにも浮いた話はなかった。
サロン通いをする姿など見たこともないと言われている。
問題は、ただひとつ。
(歴代の正妻は……控え目で大人しく、どちらかというと、いつまでも幼さの残る純真な……アシュリーのような雰囲気の女性が多い)
つまり、シャートレーの男性が好むのは、そういう性質の女性なのだ。
じゃじゃ馬のサマンサを気に入るかどうか。
逆に、サマンサも、そういう性質の女性を好む男性を気に入るかどうか。
要は、相性がよろしくない。
下位貴族の子息の情報も引っ繰り返してみようかと思ったが、やめておいた。
サマンサ自身は気にしないだろうし、ティンザーの面々も気にしないはずだ。
だとしても、周囲の口さがない者は、こぞって噂をするに違いない。
元愛妾であったがため、下位貴族に嫁ぐしかなかったのだと。
それでは、サマンサの評判を回復したとは言えなかった。
ならば、自分と婚姻したほうが「マシ」だ。
サマンサには、きちんと体裁も整う相手でなければならない。
(フレディは……私が指示すれば、彼女を愛するだろうか……)
一瞬、考えたものの、露見すれば、サマンサを傷つける。
単なる「過保護」ではすまされない。
結果として、サマンサに見合う相手を、彼は思いつけなかった。
大きく溜め息をつく。
ある程度の道筋は作ったのだから、あとは自然に任せるしかないのだろう。
もとより、サマンサの気持ちを無視して進めても意味はないのだし。
(少し彼女のことばかり考え過ぎだ。ほかにも考えるべきことはある)
彼は、イスに深く背をあずけて目を伏せた。
サマンサが、どういう結論を出すにせよ、カウフマンの問題は片をつけなければならない。
なるべく早急に、だ。
(まずは、1人。その最初の1人を誰にするか。そこからだな)
目立つ真似はできない。
事を起こす前に、カウフマンに手を打たれる。
やるときは、一瞬で、すべてに始末をつける必要があった。
サマンサが言うように「少なくない数の人を殺す」必要だ。
絶対に、先手を取ると決めている。
そのための下準備に入ることにした。
相手が動いていないうちに、ひっそりと動くのだ。
もちろん、カウフマンも影で動いている可能性はあるけれども。
(私と奴と、どちらがチェクメイトをかけるかではない。どちらが、キングを盤上から叩き落すか。細い根の1本でも残せば、あの手の芽は、すぐ繁殖する)
すべての根を断ち切ってしまわなければ「綺麗」にはならない。
ジェシーは、その象徴だった。
第2、第3のジェシーが生まれることを、彼は嫌悪する。
偶然ならまだしも、ジェシーは「意図的」に創られたのだ。
商人が影響力を伸ばそうとするのは、かまわない。
彼らが、人を殺すための毒を売ろうが、武器を売ろうが、無関心でいられた。
商人がいなくても、人を殺したい者は殺すからだ。
契約婚とて似たようなものだった。
どうしてもアドラントの領民になりたい者は、どうにかしようと画策する。
たまたま、そこにカウフマンがつけ込んだだけだ。
彼にとっては、どうでもいい出来事のひとつに過ぎない。
だが、カウフマンは、アドラントというローエルハイドの足元を荒し、ジェシーという「異端」を創り出している。
それだけは、許しておけなかった。
(アシュリーを、私がアドラントに連れて来た時、奴は孫の頼みを無視することもできた。にもかかわらず、あえて介入してきている。私の目を、王宮から逸らせるためだったのだろうが、サマンサが私の持ち駒になったことで無意味になった)
そのせいで、カウフマンは、これまでのように、影に潜んでもいられなくなったのだ。
残された道としては、打って出るよりない。
ジェシーという最強の駒だってあるのだから。
彼の読みは、外れていないはずだ。
なのに、カウフマンは、一見、動いていないように見える。
(……なにかあるのか? なにかを見落としている……? サミーのことか? いや、それは、こちらも想定済みだ……だが、彼女に、危害を加えずにいるのは、なぜだ? 私と彼女が婚約したことは、もう王都中に知られているのに)
なにか動けないような理由があるのかもしれない。
だが、考えても、解は得られなかった。
不気味ではあったが、今は、こちらの準備を万端にするくらいしかできることがない。
彼は、立ち上がり、窓の外を眺める。
(これほど苛々させられるとは……サミーに会ってから、人生初が多いな)
サマンサは、もうフレデリックと会っているだろうか。
思いが、ひと巡りして、また苛々した。




