悩むより進むこと 3
予想しても意味はないが、想定していたよりも、上手く事は進んでいる。
ティンザーは、頑なに昔気質のロズウェルド商人を使っているため、情報が取りにくい。
だが、アドルーリットやラウズワースは、ほとんどカウフマンの手の内だ。
いくらでも情報を仕入れられるし、手間なく与えるべき情報を伝えられる。
「落ちた木の実に驚いて兎が走り、走った兎が蹴散らした石粒が馬車馬を驚かせ、馬が駆け出し車軸が壊れ、放り出された馬車が木にぶつかり、乗っていた者が命を落とす。偶然というのは、そのようなものだ」
「でも、木の実を落としたのは、じぃちゃんじゃんか」
ジェシーが立って、カウフマンを見つめていた。
両腕を頭の後ろで組み、足を軽く交差させている。
「公爵とティンザーの娘の婚約が気に入らんようだな」
カウフマンは、さらりと言った。
情報の出どころは、アドルーリットだ。
マクシミリアンが妹のマチルダに「恥をかかされた」と激昂していたらしい。
とはいえ、その2人は、カウフマンが動かしたのではなかった。
カウフマンが取った行動はひとつ。
ラウズワース公爵夫人の信頼を得ている宝石商に、軽く耳打ちをさせている。
子息が公爵から愛妾を奪ったら、さぞ気分がいいだろうと。
そのあとの、それぞれの者の動きは、カウフマンもあずかり知らない。
ジェシーの言うように「木の実」を落としたに過ぎないからだ。
母親に追い立てられたからなのか、自らの意思なのかはともかく、ティモシー・ラウズワースは、ティンザーの娘を取り返そうとし、失敗している。
(己が気に入りの女が傷つく様に感情は揺さぶられたか? ジェレミア・ローエルハイド。する必要もない婚約をするほど、入れ込んでおるのだろう?)
どうやらマクシミリアンが、ティンザーを脅したらしいが、それも失敗。
どちらにも、公爵が関与していた。
その結果として「婚約」の話が持ち上がっている。
公爵が冷静であれば、もっと違った対処をしていたはずだ。
ローエルハイドの当主として、ティンザーを守ることも、マクシミリアンを追いはらうことも容易にできる。
が、公爵はティンザーの娘に執着するあまり、正しさを見誤っていた。
「だって、婚姻されたら困るんだろ?」
「こちらも、それなりに急がねばならんが、そうせっかちになることはなかろう。もっと、あれの頭の中を、ティンザーの娘のことでいっぱいにしてやらねばな」
「早目に始末しないの?」
「ジェシー、ティンザーの娘の使い途は決まっておるのだ」
自分が直接に手を下さずとも、人の心は操れる。
長年、カウフマンはそうやって、人を思い通りにしてきた。
公爵は筋書きを作り、そこに相手を誘導する。
だが、カウフマンは、無理に筋書きを作らない。
人を操ることで、筋書きが勝手にできるからだ。
そのほうが、自由度が高い。
人はなにをしでかすかわからないし、予測のできないこともある。
ティンザーの娘がローエルハイドに駆け込んだのも、思いがけないことだった。
予定は覆され、その道は行き止まりになったが、ならば、別の道を進めばいい。
状況や環境、とくに人の感情は、偶然を生み易いものだ。
都度、対処し、動かすべき者を動かして、欲しい結果を得る。
それが、カウフマンのやりかただった。
偶然は取り除くことができず、いつ引くかもわからないカード。
最初の偶然は、カウフマンの不利に働いている。
今は、公爵にとって不利に働いていたが、それにはまだ気づかれていない。
その「木の実」を落としたのがカウフマンだということも。
「その前に、あっちが先に動くかもしんねーじゃん」
「かもしれんな。ティンザーの娘を守ろうと、あれは事を急ぐ」
「皆殺しにされちゃうんじゃねーの?」
「できるものなら、そうしたいだろうが、ばら撒かれた我らの血を探すには時間がかかり過ぎよう。かと言って、商人を皆殺しにはできんさ」
ジェシーが両腕はそのままに、首を横に傾ける。
なにか気になっていることがあるらしい。
今日は、カウフマンに甘える仕草を見せずにいた。
カウフマンは、緩く微笑む。
「私が殺されると思っておるのか?」
ジェシーには、カウフマンの死に動揺しないよう教育してきている。
目の前で人質に取られても、平気で見捨てるはずだ。
そのように、育てた。
「じぃちゃんが死ぬってのは、わかってる。けどサ、オレにはわかんねーことも、まだたくさんあるだろ? あんまり早死にされると、オレが困るんだよ」
ジェシーの潔い言葉を、カウフマンは寂しいとは感じない。
どれほど甘えていても、ジェシーはカウフマンを糧にする。
木を育てるための水であり、肥料なのだ。
そうした判断のできるジェシーは、やはりカウフマンの宝だった。
「必要なことは学んだろう。ジェシー、1番、大事にせねばならんのはなんだ?」
「オレが死なないこと」
「そうだ。どんなしくじりを冒しても、かまわん。逃げ隠れしてでも、誰を犠牲にしてでも、お前は生きねばならんのだ」
ジェシーの血を絶やすことはできない。
ほかの者とは比較にならないくらい貴重だからだ。
ジェシーには、さらなる血脈の根を伸ばさせる。
そのために、カウフマンと同じか、それ以上に子を成す必要があった。
(だが……ジェシーには、なかなか子ができん……血の濃さゆえであろうか)
14歳になった時から、より良い血を持つ女をあてがっている。
にもかかわらず、2年経った今でも、ジェシーに子はできていない。
少し方向性を変える必要があるかもしれないと思った。
これだけは、カウフマンの寿命が尽きる前に成し遂げなければならないのだ。
曾孫の顔を見てから死にたい、などという感傷的な理由からではなく。
「ひとつ、わかんねーコトがあるんだけどサ」
カウフマンの死以上に、気になっているらしい。
ブルーグレイの瞳が、いつになく揺れていた。
ジェシーには「人並み」の感情など、ほとんどないに等しいのに。
「なんで、オレを、こーしゃくサマに会わせたんだよ?」
半月以上前になるだろうか。
公爵がカウフマンを訪ねたことがある。
その時、公爵に促され、カウフマンはジェシーを呼んだ。
会わせる必要はなかったと言えば、そうかもしれない。
「1度は、顔を合わせておいても損はなかろう?」
「そんだけ?」
「私の宝を自慢したかったのだよ、ジェシー」
カウフマンの一族に煮え湯を飲ませてきた、ローエルハイド。
その現当主が、どういう反応を示すか見たかった。
ジェシーの姿は、ジェレミア・ローエルハイドの祖父に似ている。
ブルーグレイの髪も瞳も、仕草も口調も、そっくりなのだ。
若かりし頃、カウフマンは、その人物に、何度か会っている。
商人として、アドラントのローエルハイドの屋敷に入り込み、直々に、その目で確かめていた。
「あれは、驚いておったろうな」
「でも、そのせいで、オレに、あっちの血が混じってるのもバレたじゃん」
ジェシーが腕をほどき、自らの髪を、くしゅっとかき回す。
カウフマンに呼ばれた時に、髪と目の色を変えておけば良かったと思っているのかもしれない。
だが、それでは「自慢」にならない。
「なにも変わりやせんよ。お前の能力が下がるわけではないのでな」
「まぁね、わかってんだけどね」
ようやくジェシーが、カウフマンに近づいてくる。
定位置とばかりに、膝に座ってきた。
その頭を撫でながら思う。
70年前、アドラントの併合により、多くの商人が、いったんは締め出された。
カウフマンの一族も例外ではない。
アドラントが国として存在していた頃の影響力は剥奪され、長年の苦労は水泡と帰している。
もう少しでアドラント王族を掌握できるところまできていたのに。
そこからだ。
ローエルハイドをなんとかしなければ自分たちの「芽」が摘まれると、対抗策を模索し続けてきた。
アドラントを、再び自らの影響下に置きつつ、着々と準備を進めている。
およそ50年の時を要した。
当時、カウフマンは14歳。
非常に重要な役割を任せられていた。
それが、成し得られるかどうかで、次代の「カウフマン」として選ばれるというほどの役目だ。
カウフマンは、ジェシーを見つめつつ、その目を細める。
かつての友人を思い出していた。
もちろん、本当の意味での「友人」ではなく、なるべくしてなったのだけれど。
(チェット……きみは私に宝をもたらした。手は焼かされたが、その甲斐はあったと言えような)
ガルベリー13世こと、チェスディート・ガルベリー。
現国王の、一世代前の国王だ。
チェスディートは自由気ままな性格をしており、12歳の時に家出をしたきり、譲位がなされるまで王宮には戻らなかった。
そんなチェスディートに、カウフマンは近づいたのだ。
もちろんチェスディートは、カウフマンの本性は知らず、ただの商人の息子だと思っていた。
年頃になったチェスディートに、次々と女を紹介したのもカウフマンだ。
だが、チェスディートは知らずにいた。
認知していない自らの子が何人もいた、ということを。
カウフマンが、効果のない「避妊薬」を渡していたからだ。
当然、女にも言い含めてあり、場合によっては金銭で子を取引したこともある。
そのチェスディートの母こそが、大公の娘シンシアティニー・ローエルハイド。
カウフマンは、チェスディートを通じてローエルハイドの血を手に入れたのだ。
そこからは、アドラントの契約婚を利用し、ひたすら血の交わりを重ねている。
本国で行わなかったのは、目立ち過ぎるからだった。
貴族よりも平民のほうが、目立たず「交配」ができる。
立場や身分などおかまいなしなのだから。
「なぁ、じぃちゃん」
「どうした?」
「オレ……スゲー退屈なんだケド!」
むぎゅっと抱き着いてくる姿に、カウフマンは薄く笑った。
ジェシーの出番は、遠からずやってくる。
(そのために、もう1手を打っておくとしようか)




