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逸れていく筋書きで 3

 彼は、心ひそかに落胆している。

 自分が、がっかりしていることにも、気づいていた。

 実際には、サマンサに言った以上に期待していたからだ。

 自分都合な話ではあるが、彼女が「愛」を諦めてくれればいいと思っていた。

 

(そういう割り切った関係を望まない誠実さに惹かれているというのにな)

 

 心の中の矛盾を、うっとうしく感じる。

 彼は、これまで割り切った関係しか持っては来なかったし、それで満足だった。

 相手に対し、身分や立場を明かしたことはなく、本来の姿を見せたこともない。

 

 互いに、私的な事柄を詮索しないのが、暗黙の了解。

 中には、夫を持つ女性もいたかもしれない。

 だが、彼は、それすらも確認はせずにいた。

 徹底して、暗黙の了解を貫いていたからだ。

 

 そして、何度かベッドをともにして、きれいさっぱり別れる。

 あとを追ったことも、追われたこともなかった。

 そもそも、どこの誰とも知らない。

 彼は、たいていの貴族が放蕩目的で通うサロンを好まないのだ。

 観光地などの「旅先」で、いっときの情熱を求める女性を相手としている。

 

 彼女らは、出会いを楽しみはしても、別れを惜しまない。

 所詮は、行きずりの相手として、彼を見ていた。

 彼にとっても、都合が良かったのだ。

 ベッドでの関係を、愛だと思い込まれても困るので。

 

 とはいえ、サマンサに、そうした関係を求めたのではなかった。

 彼女は、信頼と尊重の気持ちを持って、つきあえる女性だ。

 単にベッドをともにするだけの関係ではなく、永続的なパートナーとして、(そば)にいてほしいと思った。

 

 愛が介在していなくても、うまくやっていける。

 

 そう考え、婚姻を本物にしてもいいのではないかと提案しようとした。

 言う前に断られてしまったけれども。

 

「私が、きみに愛想をつかされて終わる、というのは、当初の筋書きと同じでね。劇場でも噂になっていたようだし、そのまま使っても良かったのだよ」

「マチルダ様がいらした時、自分の評判を落とすような真似をしたのは、そのためだったのね。別れの口実まで、先作りしておくなんて、手回しがいいこと」

「私の体裁や外聞など、どうでもいいさ。どうせ貴族社会に身を置く気はない」

 

 ローエルハイドは、貴族らしくない貴族なのだ。

 貴族的な風習を重んじてはいなかった。

 むしろ、できる限り距離を取っている。

 だから、ほとんどの夜会に出席しないし、(まつりごと)にも関わらない。

 

「だが、きみには社交の場が必要だ。ある程度の体裁は整えておかなければね」

「わかっているわ。でなければ、私が新しい愛に巡り合うのは、難しいもの」

 

 サマンサは、彼の提案を軽く蹴飛ばし、新しい愛に期待を寄せている。

 そのために、苦痛に耐えてまで容姿を変えたのだから、当然だ。

 だが、胸の奥が、ちくりとする。

 

 次こそ、彼女は「正しい相手」を選ぶだろう。

 愛を差し出すに相応しい相手だ。

 その時、隣に立っているのは自分ではない。

 それは確定している。

 

(とても、残念だよ、サミー)

 

 彼は、溜め息をつきたくなった。

 サマンサが聡明な女性であることは、疑うべくもない。

 なのに、彼女はティモシー・ラウズワースの不誠実さに、まったく気がつかず、時を無駄にしている。

 

 別邸にしても、少なからず金をかけていたはずだ。

 そこから外にも出ず、ティモシー・ラウズワースだけを待っていた。

 聡明さとは、ほど遠い思考と行動のように思える。

 

 だから、愛は厄介なのだ。

 

 彼が称賛する知性の持ち主でさえ、愛の前では愚か者に成り下がる。

 自分となら、サマンサは聡明さを保っていられるに違いない。

 愛が介在しないからこそ、賢明な判断ができる。

 安定した関係を築ける。

 それを蹴ってまで、彼女が愛にこだわる理由が、彼には理解できなかった。

 

「ただ……」

 

 サマンサが、うつむき加減で歩き出す。

 彼は、ズボンのポケットに両手をつっこみ、隣に並んだ。

 そうでもしていないと、彼女の肩を抱きたくなってしまう。

 とはいえ、サマンサが、そういう気分ではないのも察していた。

 

「正直、落胆しているのよ、私」

「きみの容姿に釣られる男に辟易しているのかい?」

「そんなところね。劇場で、つくづくと感じたわ」

 

 長く、サマンサの内面を気にかける者はいなかったのだろう。

 容姿に囚われ、彼女を「まとも」に扱わずにいた。

 なのに、見た目が変わったとたん、手のひらを返してきたのだ。

 内面など、どうでもいいと思っている者が、どれほど多いか。

 そのことに、サマンサは、がっかりしている。

 

「グラスが変われば、注がれたワインの味が変わるとでも思っているみたいよね」

「きみの落胆はわかるが、気の持ちようというものもあるさ。花瓶に飾られている花と、庭に咲く花が同じでも、庭に咲く花のほうが美しく感じたりするだろう?」

「否定はしないわ。貴族は、外見にこだわるものよ。身に沁みていたから、変わることを望んだわけだし」

 

 サマンサの口調には、自嘲じみた響きが漂っていた。

 想定していたよりも、周囲の反応が大き過ぎたようだ。

 一変した世界に、サマンサは戸惑っている。

 

(この姿であれば……奴の態度も違っていたと考えているのか……?)

 

 今さら、元には戻らない。

 サマンサの外見の変化も、破談もなかったことにはできないのだ。

 ティモシー・ラウズワースを、2度と彼女は信頼しない。

 というより、できなくなっている。

 

(復縁はない……別邸は消し飛ばした……あとは彼女に見合う相手を待つだけだ)

 

 ただし、サマンサは簡単に人を信用できなくなっていた。

 嘲られていた時以上に、警戒心が強くなっている。

 誰も彼もが、容姿目当てではないかと疑ってしまうだろう。

 なにしろ、今の彼女は、目を奪われずにいるのが困難なくらい美しいのだ。

 

「あ!」

 

 不意に、サマンサが足を止め、手をパンッと打ち鳴らした。

 なにやら瞳を輝かせ、彼のほうへと体を向ける。

 

「フレデリックがいたわ! ほら、彼は以前の私を知っているでしょう? でも、私を気に入ったって言ってくれたのよ?」

「ああ……フレディは……まぁ……そうだね」

「なによ? お追従(ついしょう)だとでも言いたいの?」

「違うさ。彼は、きみを本当に気に入っていると思う」

 

 歳も近いし、話も合うはずだと、彼自身が考えていたことだ。

 それに、フレデリックは女性の扱いにも慣れている。

 馬車で見た光景からしても、あれは「お追従」などではない。

 2人が、気さくに話していたのを覚えている。

 

「きみの次の標的は、フレディにするかい?」

「嫌な言いかたをしないでちょうだい」

 

 無意識に、あてこすってしまった。

 確かに、フレデリックならサマンサの外見にこだわったりはしない。

 似合いと言えば、似合いの2人だ。

 

「言いかたに語弊があったのは、認めるよ。私がしたかったのは、きみが彼を気に入ったのかどうかって話さ」

「彼が嘘つきだから、心配しているのね?」

「きみは、不誠実さを嫌うだろう?」

 

 サマンサは思案しているそぶりで、口元に人差し指を当てている。

 視線は、空に向いていた。

 サマンサの瞳に、自分が映っていないことに、微かな苛立ちを覚える。

 今、彼女の頭の中にいるのは、フレデリックなのだ。

 

「嘘をつくということと不誠実さは必ずしも一致しないわ。彼の場合は、そうね。それに、フレデリックは……」

 

 サマンサが思い出したように、小さく笑った。

 とても楽しげな様子が、気に入らない。

 

「彼が、どうかしたかい?」

「いいえ、別に。気にしないで」

 

 気になるから訊いているのだけれど、追求するのも不自然だ。

 彼は、しかたなく諦める。

 代わりに、別の話題を振ってみた。

 

「少し落ち着いたら、きみとフレディが会える機会を作るとしよう」

「いいわね。とても楽しみだわ」

 

 サマンサの他意のなさそうな返事に、苛々する。

 彼は、ポケットから手を出し、彼女の肩を抱き、歩き出した。

 

「そろそろ屋敷に戻ろうか」


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