逸れていく筋書きで 2
サマンサは、彼に腰を抱かれたまま、中庭を歩いている。
マクシミリアンを追いはらえたことで、彼には感謝していた。
そのために便宜上の「婚約者」にまで格上げをしてくれたのだ。
とはいえ、真実を話す日は、やがて来る。
それを思うと、気が重くなるのは、しかたがなかった。
「レヴィは、立派にティンザーの当主になれるよ」
「私も、そう思うわ」
兄は、彼とサマンサとの本当の関係を知らない。
そのため、本来、ローエルハイドに対し、甘えても良かったのだ。
いずれ姻戚関係になるのなら、別邸のひと棟やふた棟、普通は黙って受け取る。
なにしろ、ローエルハイドは、ほかの貴族とは別格。
一大観光地のサハシーを丸ごと買い上げられるくらいの資産家なのだ。
だが、兄は、ちゃんと断りを入れている。
ローエルハイドを「後ろ盾」にする気はないと、明確に示した。
それを見越していたのだろうが、結果として、彼が下手に出る形になっている。
ローエルハイドが、ティンザーを対等に見ているとの意思表示でもあった。
「ただ……やっぱり、お兄様は私のことを持ち出されると弱くなる」
「そのようだね。カウフマンが、きみに狙いを定めたのも、そのせいだな」
「……これからも、こういうことはあるかしら?」
「今回の件は、カウフマンとは関係ないだろうが、きみの価値が上がったのは否めない。標的として、間違いなく重要度は増したね」
「それは、いい兆候と言えるのじゃない?」
ティンザーに要求をつきつけるためには、まずサマンサという駒が必要なのだ。
そして、現状、サマンサを手にいれるには、ローエルハイドを相手にしなければならない。
危険は増したのかもしれないが、サマンサは、さほど危機感をいだかずにいる。
彼が勝算のないことはしないとわかっているからだ。
「きみの心配は、我が身のことではなさそうだ」
「家族を落胆させるのが、つらいのよ……わかるでしょう?」
ティモシーの話を打ち明けるのですら、心が痛む。
父は、ティモシーをサマンサに引き合わせたことを、悔やむに違いない。
ただ、それは、サマンサの心がティモシーから離れたという結末により、多少は緩和されるはずだ。
問題なのは、彼との「婚約」に家族が喜んでしまうことだった。
「あなたとの婚姻は有り得ないもの。どれほど、がっかりさせるか……」
「そのことだがね。いっそ便宜上のものだと、先に打ち明けてはどうかな?」
「打ち明けるって……」
「すべてを話すことはできないにしても、特別な客人であったことと、婚約のことだけでも、打ち明けておくことはできる」
もし、そうすることができるのなら、サマンサの罪悪感は軽減される。
少なくとも、無駄に喜ばせることはないのだから、落胆されることもない。
とはいえ、どういうふうに話をすればいいのかは、思い浮かばなかった。
正直、男女の心の機微には疎い。
長くティモシーのことしか見えていなかったので、ほかの人たちの恋愛事情には興味がなかったのだ。
「私は、きみを必要としていた。きみは、私の力になってくれた。これは、嘘ではないだろう? おかげで、アシュリーとジョバンニの仲は進展したのだからね」
「実際には、なにもしていないけれど?」
「2人がうまくいったのは、きみが、ジョバンニにガツンと言ってくれたからさ」
アドラントのローエルハイドの敷地にある中庭より、ずっと狭い庭を、ゆっくり歩いて行く。
見慣れた景色に、サマンサの気持ちも少しずつ落ち着いてきた。
すべてではなくとも、家族に対する隠し事が減るのは嬉しい。
「その延長で、婚約者ということにするわけ?」
「少し違うな。私にも、いい恰好をさせてもらわなければね」
「どういうこと?」
「きみの評判を貶めてしまったので、その回復に努めるという筋書きにする」
「でも、婚姻はしないのよ? 結局、婚約は解消することになるじゃない」
彼が、不意に足を止める。
腰に両手をかけられ、彼のほうに体を向けられた。
じっと見つめてくる黒い瞳に、心臓が鼓動を速める。
サマンサにとっては、良くない兆候だ。
即座に、彼との間の置くべき線を引っ張り寄せる。
「嫌よ」
「まだなにも言っていないじゃないか」
「言いそうなことがわかるから、先に返事をしているの」
「私ときみは、いいパートナーになれると思ったのになあ」
彼が、小さく笑った。
サマンサは視線を外し、彼の手から逃れる。
彼に背を向け、庭の植木の葉にふれた。
冬も間近にはなっているが、温度調節されている庭は、緑に囲まれている。
「私はティンザーだと言っているでしょう? 割り切った関係なんて望まないわ。それが、たとえ正式な婚姻だったとしてもね」
「愛が、それほど必要かい? お互いに気が合って、一緒に、危険にも立ち向かうほどの関係は、簡単には作れやしない。愛という曖昧な感情に振り回されるより、よほど安定していると思えるがね」
彼の言うことに、うなずける部分もあった。
ティモシーの時のように必死になったあげく、愛を失うのは怖い。
相手のことも、自分のことも信じられなくなる。
愛が、不確かなものだと、経験から、サマンサは実感しているのだ。
「尊敬と信頼だけで始まる婚姻はあるでしょうね。でも、私は将来的に愛を求めてしまうと思うの。だから、愛を必要としないあなたに、心をあずけきることはできないわ。あなたは魅力的な男性だけれど、私の婚姻の対象にはならないのよ」
「きみは、そう言うと思っていた」
サマンサは、ムッとして振り返る。
いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべている彼を、にらみつけた。
「あなた、私を試したの?」
「いいや、サミー。きみが、家族への罪悪感から、うなずいてくれることを、少し期待していたくらいには、本気だったね」
「なによ、少しくらいって。試したも同然じゃない、この人でなし」
胸の奥が、ちりちりと痛む。
危うく、うなずいてしまいそうだったとの自覚があった。
彼となら、うまくやっていけるのではないかと、一瞬、頭の端で考えたのだ。
目に見えない「愛」なんていうものに縋る必要はないのかもしれないと。
「最近、貶されるために、きみに出会ったように思えてきたよ」
「これでも、あなたを信頼はしているのだから、文句を言われたくないわ。まぁ、愛せはしないけれどね」
彼が、軽く肩をすくめる。
自分の危うさに気づいているサマンサは、話を打ち切ることにした。
彼といる居心地の良さに慣れるのは、危険に過ぎる。
いずれ、愛されたいと願うようになる気がするのだ。
「それで? 婚約の解消については、どういう口実にするつもり? 単に解消したというだけじゃ、私の評判は回復しないわよね?」
サマンサが、ぴしゃりと線引きをしたのを、彼も察したらしい。
もう、その線を越えて来ようとはせず、話題に乗ってくる。
「まず、きみの別邸の建て直しを年内に仕上げる」
「修繕して2年しか経っていない屋敷を、あなたが壊したことに意味があったとは気づかなかったわ」
「私は、無意味なことなどしないさ」
いつもの軽口が戻っていた。
一抹の寂しさを感じたが、サマンサは、それを振りきる。
愛してもらえない悲しさなど、2度と味わいたくなかったからだ。
「カウフマンとのことに片がつくまで、きみには、アドラントにいてもらうことになるが、それ以降は別邸で暮らしてくれ」
「あなたが通うのは、最初だけ? 少しずつ頻度を落としていくのね?」
「そうだ。きみは王都での暮らしがしたい。私がアドラントにかかりきりで嫌気がさしたってところだな」
「それなら……悪くないかもしれないわね」
彼は、自らが悪くなるような言いかたをしたが、アドラントの領主であれば、領地や領民らにかかりきりになるのもいたしかたがない。
アドラントは特殊な場所でもあるため、サマンサが「土地柄」に馴染めなかったというのも有り得る。
つまり、どちらが悪いという話ではないのだ。
周りも、それなりに理解を示してくれるだろう。
「筋書きは理解したね?」
「細かいところはともかく、大筋では理解したわ」
「きみは私の手助けをしてくれたが、そのせいで評判を落とした」
「あなたは、その償いのため、私の立場を婚約者にすることで評判を回復させる」
「だが、私たちは婚姻しない」
「周りには、距離が、私たちを別れさせたと思わせる」
筋書きを確認し合ってから、サマンサは微笑んだ。
どちらも悪者にならないことに安心している。
「きみの家族も、これで納得してくれるのじゃないかな?」
「たぶんね。がっかりはするかもしれないけれど、納得はしてくれると思うわ」
「それなら、良かった。きみの心の重しも、軽くなりそうかい?」
「そうね。本当の婚約だと思わせるよりは、ずいぶんと楽よ」
問題はいくつか残っているにしても、罪の意識は経験されるだろう。
サマンサは、手を伸ばし、彼の腕にふれた。
「元はと言えば、私が無茶なお願いをしたのが始まりなのに、ここまでしてくれて感謝しているわ」
「忘れてもらっては困るな。私は、きみを利用しているのだよ?」
「まだ、それほど役に立つことはしていないから、なんとも言えないわね」
比べると、彼に助けてもらったことのほうが多いのだ。
ティモシーとの破談も、体型のことも、マクシミリアンのことだって、彼がいなければ対処できなかった。
「私がしたことと言えば、あの無礼な執事を叱りつけたことくらいだもの」
「それは、とても大きな功績だよ、きみ」
「どうかしら? 今後に期待しているわ。私が役に立てるって」
彼の手が、サマンサの金色の髪をすくいあげる。
その髪に、彼が、軽く口づけた。
人が見ていたら、とても親密な関係だと思われたに違いない。
「サミー、きみが思っている以上に、きみは役に立っている」
「そうなの?」
「そうとも」
彼が髪から手を離す。
前も感じたが、自分まで放り出された気分になった。
「私を蹴飛ばす女性は、とても貴重なのさ」
顔を上げた彼は、いたずらっぽく笑う。
なんでも許してしまいそうになる表情だ。
前言撤回したくなるのを感じ、サマンサは慌てて軽口で返す。
「しかたがないわ。あなたが蹴飛ばされたがっているって、私は知っているから」




