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終わりはきっぱりと 3

 彼は動揺していた。

 噂が流れているのは予測ずみだったが、ティモシー・ラウズワースが現れることまでは考えに入っていなかったのだ。

 ラウズワースの夜会で、サマンサはティモシーと決着をつけている。

 最早、ティモシーが現れる理由はないはずだった。

 

 彼は、遠眼鏡(とおめがね)でサマンサを見ていたのだが、少しだけ目を離している。

 ホワイエに移動してからだ。

 フレデリックが飲み物を取りに行った。

 その後、彼は舞台のほうや別のホワイエを観察するため、()を切り替えている。

 

 サマンサに言い寄る男が多く、嫌気がさしそうだったからだ。

 いちいち苛々していたのでは、物事に集中できない。

 そう判断し、サマンサから目を離した。

 彼女なら、うまくあしらえるだろうと、そう思ってもいた。

 

 実際、最初の1人、2人は、彼も見ている。

 サマンサを美しいだの、綺麗だのと、どちらも褒め称えていた。

 彼らは、以前の無礼について謝罪はしている。

 その上で、次の予定はあるのか、などと訊いていた。

 

 フレデリック・ラペルは公爵家ではあるが、落ちぶれ貴族との評判が高い。

 下手(へた)をすれば、伯爵家以下の財政状況だと思われている。

 実際は違うのだが、動き易いように、あえて「落ちぶれ」ているのだ。

 そのため、公爵家だろうと、ラペルよりはマシだと、彼らは考えたに違いない。

 

 だが、サマンサは、簡単に彼らを「後ろ脚」で蹴飛ばしている。

 またいつ体型が元に戻るかわからないだとか、食べるのが好きだとか。

 彼らを怯えさえ、追いはらったのだ。

 所詮、外見に惹かれている男たちは、サマンサが元に戻るのを肯とはしない。

 可能性があるというだけで、近づかなくなった。

 

 そういう光景に苛立ちもあったが、彼は安心もしていた。

 彼女なら、うまく(かわ)せると確信したのだ。

 ならば、苛立ちを紛らわせていたほうがいい。

 たとえ躱すとわかっていても、男たちに囲まれているサマンサを見ていると気分が悪くなる。

 

 やはり自分が同伴したほうが良かったかもしれないと、思い始めていた。

 それも危険だったのだ。

 フレデリックを押しのけて、姿を現しかねない。

 サマンサの印象づけの場を荒らすのは、本意ではなかった。

 

 彼は、感情を抑制できなくなるのを嫌う。

 サマンサには、1度、制御しきれず口づけていた。

 同じことを繰り返してはならない。

 そう思ったのだ。

 

 だから、遠眼鏡を切り替え、サマンサのいるホワイエは映さないようにした。

 カウフマンの配下が、どこかに潜んでいる可能性もある。

 舞台を含む、劇場中をくまなく見て回った。

 

 サマンサが狙われるとすれば、芝居終わりの帰り際。

 アシュリーを(さら)った際には、魔術師まで動かし、粗っぽい手立てを取っている。

 近くに魔術師の気配がないかどうかも確認した。

 とはいえ、すでに使った手が、2度も通じるとは向こうも思っていないはずだ。

 だから、外周りも、ぐるっと映し出して見回っている。

 

 魔術師が通じないなら、外に出たあとで襲われるかもしれない。

 貴族が野盗に囲まれるのは、よくあることだ。

 フレデリックは騎士の称号を持っているし、腕も立つ。

 それでも、人数によってはサマンサを奪われることも考えられた。

 

 周囲に、それらしき姿はなかったが、逆に、それが気になったのだ。

 直接、辺りを見に行けば探せたかもしれない。

 音と映像しかわからない遠眼鏡では、限界がある。

 気配が察せられないからだ。

 

 やはり、帰りは自分が隣に立とうか。

 サマンサの姿は、十分に印象付けられている。

 噂は、すぐに広まるはずだ。

 これからしばらく、ジョバンニは、彼女宛の手紙の仕分けに苦労するだろう。

 

 彼は、サマンサが「危険」でなければいい、と考えていた。

 その危険を排するための備えは怠っていない。

 だが、心が傷つく可能性については、考えに入れていなかったのだ。

 

 そして、ティモシー・ラウズワースの存在を見落とした。

 

 気づいたのは、しばらく経って、遠眼鏡をホワイエに戻した時だ。

 そこに、彼女の姿はなかった。

 フレデリックと席に行ったのだろうかと思ったが、時間までには、まだ早い。

 なにかあったのだと気づいた時には遅かった。

 

 遠眼鏡で拾った音に「ラウズワース」の言葉が混じっていたのだ。

 彼は急いで、フレデリックに即言葉(そくことば)で連絡をしている。

 彼女は魔力がないため、魔力感知には引っ掛からない。

 彼女にも即言葉を使って呼び掛けたが、返事はなかった。

 

 瞬間、彼は、自分が「間違えた」ことに気づいたのだ。

 ティモシー・ラウズワースは、サマンサに危害は加えない。

 だが、傷つける。

 必ず、傷つける。

 

 サマンサは、ティモシーを愛していた。

 彼も、それを知っていた。

 

 なのに「万が一」に備え損ねている。

 ティモシーが劇場に現れたのは、噂によるものだろう。

 どこかからか聞きつけて、サマンサに(すが)りつこうと現れた。

 ティモシーは、ティンザーを取り込むのにしくじったことで、ラウズワースから追い出され、とっくに姿を消していてもおかしくないのに。

 

 貴族は体裁を気にする。

 とくに、ラウズワースはティモシーのせいで大恥をかいた。

 噂を耳にすることなく辺境地に行かされ、王都を離れていた可能性のほうが、遥かに高いくらいだ。

 あの夜会から、ひと月以上が経っているのだから。

 

 つまりは、偶然。

 

 ティモシーが、未だ王都にいたのも、その耳に噂が入ったのも偶然に過ぎない。

 どういう偶然の重なりかはともかく、彼の想定になかったティモシーが現れた。

 こんなことなら、姿を消し、彼女の(そば)に寄り添っていれば良かったのだ。

 遠くから見守るなどという回りくどい真似に、どんな意味があっただろう。

 

(わかっているさ……私が、自分の感情から逃げたせいだ……)

 

 サマンサといる時の感情の乱れ。

 それを、彼は最も危惧した。

 今は、弱味を作ることはできない。

 

 サマンサ以外どうでもいいと考えるようになっては、父や祖父と同じだ。

 問題を先送りすることになる。

 加えて、彼は、大きな問題をかかえてもいた。

 そのため、人を愛してはならないのだ。

 

 にもかかわらず、サマンサに対して日増しに思い入れが強くなっている。

 これ以上、踏み込みたくはないし、踏み込まれたくもない。

 サマンサが距離を置こうとしている間に、カウフマンのことだけは、片をつける必要があった。

 それさえ片付けば、サマンサを帰せる。

 

 感情を抑制できないのなら、離れてしまえばいい。

 彼は、サマンサが「新しい愛」を手に入れる道筋さえつけられれば良かった。

 どの道、彼女との未来はないのだから。

 

(公爵様! サマンサを見つけました!)

 

 フレデリックの声に、彼は安堵とともに胸の痛みを感じた。

 自分の誤りを痛感している。

 

(すぐに席に案内してくれ。私が行く)

(かしこまりました)

(彼女の様子は……いや、いい。自分で確認する)

 

 ぷつりと即言葉を切った。

 確認するまでもない。

 きっとサマンサは深く傷ついている。

 ティモシーに縋りつかれ、だが、最後通告を突きつけなければならなくなったに違いないのだ。

 

 サマンサを、身体的な意味で言えば守ったと言える。

 しかし、心までもは守り切れなかった。

 

 パッと、彼は転移する。

 観客席の2階中央にある個室を仕切るカーテンの前だ。

 その個室に、外から見聞きされることを防ぐ塞間(そくま)という魔術をかける。

 それから、カーテンを手でよけ、中へと入った。

 

 サマンサは席に座っていない。

 立ったまま、彼を見ている。

 

「誰に会ったか、知っているみたいね」

 

 ふれなくても、彼女の体が震えているのが、わかった。

 サマンサの考えていることも、わかる。

 彼女が、彼の即言葉に応じなかった理由が、そこにあった。

 

「これも、あなたの計画のうちなのでしょう? あなたは冷酷な人でなしだもの。必要があると判断すれば、どういうことでも躊躇(ためら)わずにするのよね?」

 

 故意にティモシーと鉢合わせをさせたと、サマンサが考えてもしかたがない。

 偶然ではあるが、そう言っても信じられるような状況ではなかった。

 そもそも、彼がサマンサを1人にしたのが間違いの元でもある。

 その判断が「計画のうち」だと言われれば、否定はできない。

 サマンサをカウフマンの「囮」にしたのは事実だ。

 

「あなたは約束を守り、破談を成立させてくれた。文句を言える立場ではないわ。私は、あなたの駒だもの。それは、わかっているのよ?」

 

 サマンサの薄緑色の瞳が、大きく揺れる。

 ぱたぱたっと涙がこぼれ落ちた。

 

「でも……これはないのじゃない? あんまりだわ……」

 

 彼は、反論も言い訳もできず、サマンサを見つめる。

 慰めの言葉も見つからなかった。

 なにを言っても、サマンサを傷つけたことに違いはないのだ。

 実際的に手をくだしたのがティモシーであったとしても。

 

 その時だった。

 

 ふ…と、サマンサの瞳が色を変える。

 そして、大きく見開かれた。

 涙のこぼれ落ちる瞳のままで、言う。

 

「……あなた……知らなかったのね……ああ、ごめんなさい、私、てっきり……」

 

 なぜ彼女が謝るのかと思った。

 どうして、これほど自分の心がわかるのかと、胸が苦しかった。

 

 彼は、サマンサに駆け寄り、その体を抱きしめる。

 その肩に顔をうずめた。

 

「サム……サミー……」

 

 きみほど素晴らしい女性がいるだろうか。

 

 心の中でだけ、サマンサに、そう言葉をかける。


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