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終わりはきっぱりと 2

 ホワイエの奥のほうに、サマンサが立っている。

 今は1人で、大きな絵画を見ていた。

 その横顔は、信じられないくらいに美しい。

 

 何人もの男が、彼女に声をかけている。

 そのたび、彼女は適当にあしらっているようだった。

 男たちは、皆、すぐサマンサの(そば)を離れて行く。

 同じようにあしらわれるわけにはいかない。

 

 このホワイエは、ほかの場所にあるものとは、少し趣が異なっていた。

 休憩室らしさのあるイスはなく、テーブルだけが、いくつか置かれている。

 壁には絵画がかかり、周囲にも彫像や彫刻が並んでいた。

 それを見ながら、立ったまま、談笑できる造りになっているのだ。

 

 飲み物は、少し離れた場所にある、専用の場所に取りに行かなければならない。

 たいていは、パートナーの男が、その役割を担う。

 頼めば給仕係が持ってきてはくれるのだが、ここでは見ない光景だ。

 貴族の子息は、女性に恰好をつけたがる。

 サマンサのパートナーも、飲み物を取りに行ったと、わかっていた。

 

 彼女に声をかけたそうにしている男も、まだかなりいる。

 急がなければ、パートナーが戻ってきてしまうだろう。

 足早に、サマンサに近づき、腕を掴んだ。

 彼女が驚いているうちに、細い通路へと連れ出す。

 

「なにをするのっ?!」

「大きな声を出しても、ここでは声が漏れない。そういう仕組みになっている」

 

 劇場は、外の通りに声が漏れないよう全体的に音を遮断する造りになっていた。

 舞台用のホールよりは通るだろうが、大声には聞こえない。

 そして、さらに遮音される物置に、サマンサを連れ込む。

 さっきのホワイエにあった絵画などを、入れ替える際に使う部屋だった。

 

「やめて! あなたと私は、もう関係ないはずよ?!」

「少しでいい。僕の話を聞いてくれ、サマンサ!」

 

 ティモシーは必死だ。

 なんとかサマンサの気持ちを(なだ)めようと、肩に両手を伸ばす。

 が、彼女は、夜会の日と同じく、その手から逃げるように体を後ろに引いた。

 結い上げた髪から落ちる、横髪が小さく揺れる。

 

「話すことはないわ。そこを退()いてちょうだい」

 

 サマンサは、自らを守るように両手で両腕を掴んでいた。

 顔は横に向けていて、ティモシーを見ようとしない。

 視線を合わせようとしないことに、わずかな希望をいだく。

 

 なにも感じていないのなら、目を見て話せるはずだ。

 そっけない口調で「話したくない」と言うのも、同じ。

 サマンサの心の(うち)はわからないが、自分に、なにがしかの感情はいだいている。

 ティモシーは、そう思った。

 

「僕は、とても愚かだった。そのせいで、なにもかも失った。ほかのものは、どうでもいい。だが、きみのことは失いたくない」

 

 サマンサは黙って、顔を背け続けている。

 なにも言い返してこなかった。

 少しは、話を聞いてもらえるかもしれない。

 いよいよ、ティモシーの中に希望の光が射しこんでくる。

 

「確かに、きみの言う通り、僕は……きみと子を成す気はなかった。婚姻にしても母に言われてのことだ。僕が16、きみが8歳の時にね。僕の選択は、決められていたのさ。最初は、乗り気ではなかったよ」

 

 ティモシーは、自分の心を正直に打ち明けた。

 選択肢を取り上げられ、母の言う通りにしなければならなかったことの不満。

 絵画には興味もなかったのに、勉強してまで彼女の父親に近づいたこと。

 サマンサとの婚姻は、彼にとって「母の決めたこと」に過ぎなかったこと。

 彼女が努力していないと思い、腹を立てていたことも話した。

 

「ただ、僕は、きみと一緒にいるのが好きだった。別邸にいる時だけは、気持ちが楽で、安心していたと思う。きみは、僕がティンザーを乗っ取ろうと思っていると考えていたようだが、それは違うよ。それだけは違う」

 

 わずかに口調が強まる。

 サマンサに、婚姻後も利用し続けようとしていたと誤解されたくなかった。

 

「僕がティンザーの養子になりたかったのは、むしろ、ラウズワースと縁を切りたかったからだ。きみだって、僕がラウズワースにうんざりしていたのは知っているだろう? 母に操られるだけの生きかたより、勘当されてもティンザーの家の者になりたかったのだよ。僕は、あの家が好きだったから」

 

 サマンサが、ようやくティモシーのほうに顔を向ける。

 薄緑色の瞳が、よく見えた。

 ゆらゆらと揺れている。

 彼女の瞳は、こんな形をしていたのか、と思う。

 

「きみとやり直せるのなら、僕は家を捨てる。どこへなりと行く。平民に身をやつしてもかまわないよ。一緒に、野菜や果物を育てて、つましい暮らしをすることも(いと)わない。きみを失って初めてわかった。僕が、どれほど愛されていたか」

 

 サマンサの揺れる瞳を見つめた。

 彼女は、とても美しく輝いている。

 なにもかも完璧だ。

 友人として好ましいと思っていたのが、信じられない。

 サマンサは、これほど女性としての魅力にあふれていたのに。

 

「きみだけだった。僕個人を、愛してくれていたのはね。きみだけだったのだよ、サマンサ。きみの愛を失いたくない。どうか、僕とやり直してほしい。お願いだ」

 

 サマンサの唇が、細かに震えていた。

 (まばた)きも多くなっている。

 あの腫れぼったい瞼に押し込まれていたのだろう、今の彼女の睫毛は長く、綺麗に目を縁取っていた。

 髪と同じ金色をしているのまでもが、よく見える。

 

「どうしてなの、ティミー……」

「きみが必要だからだよ、サマンサ」

 

 サマンサの心を掴み取りたくて、ティモシーは少し前に出た。

 同じだけサマンサが下がる。

 もどかしくてたまらない。

 すぐ近くにいた時には、ふれる気にすらならなかった。

 だが、ふれたくなった時には、彼女は遠ざかっていく。

 

「私が、あなたを愛しているから必要なのね」

「そうだ。きみだけだから、僕を……」

「あなたは、私を愛しているとは言っていないわ」

 

 ティモシーは、ハッとなった。

 サマンサの気持ちを取り戻すことに必死で、自らの気持ちがどうなのかを伝えていなかったのだ。

 

「もちろん、愛し……」

「嘘よ。わかるでしょう? もし、あなたが私を愛しているなら、ここに来た時、それを、最初に口にしたはず……あなたは私が指摘するまで、そのことに気づきもしなかった……私を愛してはいないからよ、ティミー」

 

 ティモシーの背中に冷たい汗が流れる。

 サマンサの心が離れていくのを身近に感じ取っていた。

 

「あなたは愛してくれる人を必要としているだけ……私でなくてもいいのだわ」

「そうじゃない! 僕は、きみを……」

「やめてちょうだい! 自分でだって信じてはいないくせに、その言葉を口にするのは間違っているわ!」

 

 ティモシーは、焦っている。

 サマンサを取り戻せないことに気づき、怯えてもいた。

 彼女を失いたくない気持ちは、本当だからだ。

 誰にも愛されていない暗闇に落ちたくないあまり、焦りが口をついて出る。

 

「それなら、公爵はどうだ? 奴は、きみを愛しているのか? ほかの男との芝居見物を許す程度じゃないか! きっと奴はきみを捨てる! いや、もう飽き始めているのかもしれないな! 愛妾なんて、そういうものだ。それでも、かまわないと言うのか、サマンサ?! 僕には愛を求めておきながら……っ……」

「彼は……あなたとは違うわ……」

「ああ、違うさ! 僕なら、きみの評判を落とすような真似はしない! してこなかっただろう! 初めてきみをエスコートした日から、1度だって、不逞なことはしてこなかった! 夜会でのファーストダンスも誰とも踊らずにいた! きみを、ないがしろにする真似を、僕がしたことがあったか?! いつだって、僕は……」

「あなたに、ダンスに誘われたのは、1度きりよ」

 

 ずくっと、胸が痛んだ。

 テーブル席に、いつも独りでいたサンサを思い出す。

 ダンスホールに、彼女と行った記憶はなかった。

 夜会には、ただ「連れて行った」だけだった。

 

「だが、だが……僕は……僕は、きみが……」

 

 ティモシーは、確かにサマンサを必要としている。

 家も、女性からの関心も、穏やかな時間も失った。

 ティモシーが(すが)れるのは、サマンサしかいない。

 

「もうやめて。もう遅いのよ。今から、あなたが、私を愛してくれると言っても、私は、それをどうやって信じればいいの?」

 

 サマンサが、厳しいまなざしで、ティモシーを見ている。

 その突き放す瞳でさえも、美しかった。

 

「あなたと、やり直すことはできない。終わりよ、ティモシー・ラウズワース」

 

 ぴしゃりと扉を閉められたのが、わかる。

 それでも、ティモシーは諦めきれずにいた。

 無意識に、サマンサに手を伸ばす。

 

「人のパートナーを、勝手に連れ出されちゃ困るな」

 

 背後から肩を掴まれた。

 ぐいっと引っ張られ、サマンサから遠ざけられる。

 振り向いた先には、彼女を伴ってロビーに入ってきた男がいた。

 

「フレデリック!」

 

 サマンサが、その男に駆け寄る。

 自分から離れていく姿に茫然となった。

 頭に、声が響く。

 

 『昨日ね、新しく花の種を蒔いたの。あなたの誕生日に飾る予定なの』

 『あら、ティミー、髪に落ち葉がついているわよ? 気づかなかった?』

 『なにも心配することはないわ。少なくとも、私は信じているから』

 

 聞き流していたはずの、数々のサマンサの言葉だ。

 いつもいつも、ティモシーのことばかりが、その話題の中心だった。

 そして、最後も。

 

 『終わりよ、ティモシー・ラウズワース』

 

 サマンサがフレデリックとともに、部屋を出て行く。

 ティモシーには、引き()める言葉が、もうなかった。


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