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新しい道を前にして 4

 サマンサは、どきどきしている。

 彼に「納得していない」とは言えなかった。

 

「本当に、お美しいですわ、サマンサ様」

 

 ラナが、うっとりしたような声で言う。

 以前の自分を知っているラナからの言葉に、気恥ずかしさを感じた。

 あのまま体型は変わらないのではないかとの心配は杞憂だったのだ。

 彼女は、すっかり見違えている。

 

 変わり始めたのは、5日ほど前からだった。

 みるみる体が痩せ始め、あらかじめラナに打ち明けていなかったら、確実に病気だと心配されただろう。

 それくらいの変わりようだ。

 

 全体的に、ほっそりしている。

 腰には「ちゃんと」くびれがあった。

 胸は、以前の体型に見合った「ぱんぱん」といった感じから、形の良いふっくらしたものになっている。

 寸詰まりに見えた首も、すらりと長く、バランスを保ちながら頭を支えていた。

 

 頬の膨れも取れ、瞼の腫れもない。

 日増しに「自分の目は、こんなふうだったのか」と思ったものだ。

 甘さはないが、大きくて目の端まではっきりしている。

 垂れても、吊り上がってもおらず、真横へと綺麗に広がる形だった。

 

 最も気にしていた鼻筋もスっと高くなっており、ふんわりとした唇と調和が取れている。

 顔全体が小さくなったように見え、輪郭もすっきりとしていた。

 手足も、もう「ぶにゃぶにゃ」とはしていない。

 

「ねえ、ラナ。本当に、お化粧は、このくらいで大丈夫?」

「お顔立ちが美しいのですから、薄いくらいのほうが引き立ちましょう」

 

 以前は、少しでも目を大きく見せるためだとか、鼻が高く見えるようにだとか、サマンサは化粧に関しても苦労していたのだ。

 厚塗りだとわかっていても、やめられずにいた。

 だから、薄化粧には慣れていない。

 ちょっぴり不安だったが、ラナの言葉に安心する。

 ラナは、言いにくいことでも、ちゃんと言ってくれる人なので。

 

「私、楽しみにしておりましたの」

「なにを?」

「当日のお楽しみを、です」

 

 ラナが、にこにことしていた。

 そうだった、と思い出す。

 

 サマンサは着替えをすませてから王都の屋敷に来ていた。

 彼ではなく、ジョバンニが点門(てんもん)で連れて来てくれたのだ。

 そのことに不満はない。

 彼には、なにか考えるところがあり、その「準備」でもしているのだろう。

 

(……ラナ……教えてあげたくても、私も知らないのよ……未だに!)

 

 パートナー待ちのため、サマンサは、小ホールにいる。

 急に落ち着かなくなり、そわそわして立ち上がった。

 なにしろ、今時点でも、サマンサはパートナーが誰かを知らずにいる。

 場違いなドレスだったら、どうしようと不安になった。

 

(これも、私が望んだことだから文句は言えないけれど……)

 

 体型を変える「処置」後、唸りもできずにいた彼女に、彼は「なにがしたいか」と問うている。

 サマンサは「大胆なドレスが着てみたい」と答えた。

 それは、実際的なことが思い浮かばず、捻り出した答えに過ぎない。

 

 だが、彼は本気にして、しかも覚えていたようだ。

 いつの間にか寝室に置かれていたドレスは、とても「大胆」なものだった。

 

 細く均一な折り山が真っ直ぐ縦に入る襞加工された布地は、1枚1枚がレースのごとく薄い。

 重ね合わせることで、全体が淡い虹色に見える仕様となっている。

 

 透けていないのはわかっていても、透け感があるのは、重ねられた布がぴったりとはくっついていないからだ。

 サマンサが動くたびに、ひらひらと揺れ、その部分が薄く見える。

 華やかで、すっきりとした印象はあるのだが、どこか艶めかしい。

 

 本来、首元を隠す襟は、首全体ではなく、その半分も隠していなかった。

 自分が犬なら「首輪」と称されてもしかたがない程度のものだ。

 だが、大胆さは、これだけではない。

 その「首輪」部分から、2枚の布地が三角の形を取りながら、幅を広げつつ腰に繋がっている。

 袖はなかった。

 

 つまり、肩も背中も丸出し。

 それどころか、三角形の内側である、胸元から、お腹にかけても「布」がない。

 一般的に、女性の「胸」とされる部分を、がっちり覆っているだけなのだ。

 というより、がっちり囲われているがために、形まで見て取れる。

 

(いくらぼんやりしていたからって……あんなことを言うのじゃなかった……)

 

 後悔しても、このドレスを着て行かないとの選択肢はなかった。

 これは彼が用意してくれている。

 案内はともかく、芝居は彼と観るのだ。

 着て行かなければ、どんなふうにからかわれるか想像できる。

 臆病だとか、もっと大胆な服が良かったのかとか。

 

(最悪なのは、“私を怒らせてドレスをむしりとられたがっているのかな”なんて、言いそうなところよ!)

 

 彼は、自らが用意したドレスをサマンサが着ていなくても、驚いたりしない。

 軽口を叩き、逆に彼女を苛つかせるはずだ。

 だから、意地でも、このドレスを着ていく必要がある。

 かなり気後れするというか、恥ずかしくてたまらなくはあるのだけれども。

 

「それじゃあ、早くお披露目をしなくちゃね」

 

 サマンサは心を落ち着かせ、ラナに笑いかけた。

 そろそろ出かける頃合いだ。

 相手も屋敷を訪れているだろう。

 小ホールを出て、玄関ホールに向かった。

 

 ジョバンニと、もう1人、男性が立っている。

 サマンサが近づくなり、胸に手をあて、少し仰々しいくらいの仕草で深々と頭を下げた。

 

「フレデリック・ラペルにございます、サマンサ姫。ご同伴いただけるとのお返事をいただいた時には、息が止まりそうなほどの胸の高鳴りを感じました」

「お芝居に行くだけですのに、大袈裟ですわ」

 

 芝居がかった台詞に、サマンサは、少したじろいでいる。

 貴族の子息ならば、この程度は「普通」なのかもしれない。

 だが、彼女は「普通」に口説かれたことがないのだ。

 彼に口説かれたことはあったが、あれは「普通」の数には入れられなかった。

 

 フレデリック・ラペルが頭を上げる。

 薄茶色のゆるい巻き毛と薄青色の瞳は、平凡ではあった。

 なのに、目鼻立ちのバランスが良く、顔立ちは整っている。

 柔和で優しそうな雰囲気が漂う、品のある男性だ。

 

(でも、この人……どこかで見たような……)

 

 フレデリックにある既視感に、サマンサは、ハッとなる。

 咄嗟に声を上げるのは(こら)えたが、少しだけ混乱していた。

 とはいえ、すぐに気づく。

 

「せっかくのお芝居に遅れてもいけませんから、そろそろまいりませんか?」

「そうですね。あなたの美しさについては、馬車の中でゆっくりと語りましょう」

 

 フレデリック・ラペルは、ラウズワースの夜会に来ていた。

 あのいけ好かないハインリヒの隣にいたのを思い出したのだ。

 ハインリヒが殺されたというのに、芝居見物に行くということは。

 

(この人も、彼の配下ってことね。あの従兄弟のことにも噛んでいるのだわ)

 

 ジョバンニとラナに見送られ、屋敷を出る。

 馬車に乗る際には、フレデリックが手を貸してくれた。

 あくまでも、フレデリックはにこやかだ。

 サマンサは、馬車が動き出すなり、切り出す。

 

「彼、今度は、なにを企んでいるの? なにかあるのでしょう?」

「さすが公爵様が気に入られるだけのことはありますね、サマンサ姫」

「あなたこそ、さすがね。あなたが私に手紙を出していたと、ラナに思わせることには、成功したと思うわよ」

「恐縮にございます」

 

 遠く離れたアドラントで、サマンサがどうやってパートナーを見つけたのか。

 ラナにとって、それはひとつの謎だったはずだ。

 フレデリックは簡単な台詞で、その疑問を払拭している。

 鮮やかなお手並みと言えた。

 

「でも、堅苦しいのはやめてほしいわ。あなたも、彼の指示で動いているのなら、取り繕う必要はないでしょう?」

 

 フレデリックが、楽しそうに笑う。

 優しそうな印象が、ガラリと変わり、理知的ではあるが意地の悪さも感じられる雰囲気になっていた。

 

「いいね。気に入ったよ、サマンサ。ああ、人前じゃ、ちゃんと、きみに(かしず)くから心配はいらない」

「あなたは、とんだ嘘つきのようね、フレデリック」

 

 ぴくっと、フレデリックの形のいい眉が吊り上げる。

 まだ彼ほど「鍛錬」ができていないようだ。

 ジョバンニと同じで、表情の作りが甘い。

 

「あなたは、彼に見込まれている。きっと、とても優秀なのね。なのに、心配いらないですって? 心配があるから、あなたはここにいるのではないの?」

「なるほど。これかあ」

「なによ?」

「いえね。公爵様に、後ろ脚で蹴飛ばされないようにと言われていたものだから」

「嫌な人! 彼ったら、面識もない相手に、そんなことを吹聴していたのね!」

 

 フレデリックは笑っていたが、サマンサはむすくれる。

 そもそも「後ろ脚で蹴飛ばして」などいない。

 言いたいことを言っているだけだ。

 

「僕が、あなたに失礼をしないようにという配慮だから、怒らないでくれよ」

「違うわね。彼は、私が怒るところを、あなたに見せたかったのよ。そのために、前もって、あなたが驚かないようにとの配慮をしたのだわ」

「そうなのか。へえ。確かに、いきなりだと驚いていたかもしれないな。きみは、そこいらのご令嬢とは違うようだ。とても聡明だね」

「それしか褒めるところがないみたいに言わないでちょうだい」

 

 つんっとして言ってから、サマンサは、ほんの少しだけフレデリックに親近感を覚えた。

 同じ「駒」としての立場だからかもしれないが、気心の知れた仲のように思えたのだ。


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