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新しい道を前にして 2

 いくつかの情報を前、カウフマンは考えている。

 まだ、仕掛ける時期ではない。

 その時は、己の命を懸ける覚悟で臨む必要があるからだ。

 

 人の命は、ひとつしかない。

 

 失えば終わりになる。

 死は、カウフマンにとって恐れるべきものではなかった。

 むしろ、前提となっている。

 死が確約されているからこそ、限られた時間をどう使うか。

 カウフマンが恐れるのは「無意味な死」のみだ。

 己の死をもって得られるものがあるのなら、死すらも利用する。

 

 それが、商人カウフマンという男だった。

 

「あの馬鹿、殺されちゃったな」

「だが、あれは現れなんだか」

「赤髪の奴に、やられたっぽい」

 

 ジェシーは床に座りこみ、顎だけをカウフマンの膝に乗せている。

 まるで主人の元を離れたがらない犬のような仕草だ。

 カウフマンは、ジェシーのブルーグレイの髪を撫でる。

 ジェシーが気持ち良さそうに目を伏せた。

 

 ジェシーは、カウフマン以外、どうでもいいと思っている。

 祖父と孫という関係が、その理由なのかは、カウフマンにもわからずにいた。

 カウフマン自身は、父や祖父を知ってはいても、懐いたことなどないからだ。

 血筋に、それほどの価値を感じてはいない。

 

 自覚の有る無しに関わらず、カウフマンの血族は、かなりの数になる。

 いちいち血縁を意識する意味はなかった。

 貴族らが躍起になっている、血筋を遺す必要性が、最早、カウフマンの一族にはないのだ。

 

 誰でもいいのなら、後継はいくらでもいる。

 ただ、当然、誰でもいいわけではない。

 後継の資質があるかどうかが重要だった。

 選り分けると、候補と成り得る者は、ほとんどいないのだ。

 

(私は、ほかの祖より恵まれておる。選ばずとも、結果が出せた)

 

 あとは、己の命を、どうジェシーに使うか。

 これからは、それを考えていかなければならない。

 

 幼い頃からジェシーには、カウフマンがいずれ死ぬことを教えこんできている。

 なぜなら、身近な者の死は、恐れや弱さに繋がるからだ。

 間違った選択、誤った判断をしがちにもなる。

 自分の死が、ジェシーの動揺を誘わないよう「当然」のこととして叩き込んだ。

 

「あの子を、あっさり赤髪の奴にくれてやったみたいだし、やっぱり、そんなには大事じゃなかったんだろね」

「セシエヴィル子爵家に価値がないのは確認が取れた。ヘンリーの命も、無駄ではなかったと言えような」

「ま、じぃちゃんの役に立ったんなら、良かったんじゃねーの?」

 

 ジェシーは、同じ孫系列であったハインリヒの死を、どうとも感じていない。

 その辺りの小石が蹴飛ばされて川に落ちた、くらいの感覚なのだろう。

 あってもなくても、なんの興味にも繋がらないのだ。

 ジェシーの思考は、カウフマン以上に潔い。

 次代にカウフマンに相応しい資質でもある。

 

「てことは、公爵の“本命”は、ティンザーの娘?」

「まだだ」

「でも、手元に置いてんじゃん? ラウズワースとは破談になったんだから、もう必要なくね?」

 

 カウフマンは、やわらかく微笑む。

 ジェシーにだけ向ける笑みだ。

 

「あれは、まだ落ちきってはおらん。おそらく、セシエヴィルの娘が引っ掛かっておったのだろう。ゆえに、あの執事の手に、セシエヴィルの娘が渡った今からだ。あれの感情を引きずり出し、弱味を作ってやらねばな」

「そんなにうまくいく? 公爵だって、自分の弱点を知ってるから、今までずっと警戒してきたんだろ?」

 

 ジェシーが、もそっと顔を上げる。

 ブルーグレイの瞳が、カウフマンを見つめていた。

 とくに心配しているふうでもない。

 ジェシーは、いつも感情があるのかないのか、わからないような瞳をしている。

 

「もとより、あれは愛に飢えておるのさ。警戒はしておるだろうが、そんなものはこちらが背を、とんっと突いてやればよい」

 

 ジェシーが、ははっと軽く笑った。

 笑うと、とたんに年相応の少年に見える。

 不思議に思えるくらい、表情の変化が大きかった。

 

「じぃちゃんは、次の手を打ってんだな。揺さぶり? 駆け引き? 追い込み? どれも常套だけど」

「お前なら、どれにする?」

「オレぇ? 追い込みは早過ぎかなー。あっちが、なに企んでるか、はっきりしてねーからサ。 駆け引きってのは悪くねー……ちょっと弱いか。こっちが動いてんのがバレてるのに、のらくらやっててもなー。揺さぶりってのが、妥当かな」

 

 カウフマンは、ジェシーの頭を撫でる。

 

「お! せーかい?」

「概ね、正解と言えような」

「なーんだ、全部じゃねーのかよ」

 

 ちぇっと、ジェシーが舌打ちをした。

 とはいえ、あまり悔しがっている様子ではない。

 カウフマンの反応を見たかっただけで、本当には、正解を出しているのだろう。

 確かに経験不足ではあるが、それ以上に、ジェシーはカウフマンに「未熟」だと思われていたいのだ。

 そのほうが甘えられるので。

 

「ティンザーの娘が王都に戻って来る日があろう?」

「ああ、芝居を観に行くんだっけ? 劇場の席を押さえてるって話じゃん」

 

 物が動く、なにかが売れる、誰かが雇われる。

 そうしたことには、必ず商人が絡んでいた。

 つまり、カウフマンの耳に、即座に情報が入る。

 

「誰の名義で買ったか、ふわっと噂を流したってわけかー」

「物見をしたがる貴族は多いでな」

 

 席の名義は、サマンサ・ティンザー。

 ローエルハイドではない。

 貴族らは、そこに関心を寄せるはずだ。

 ティンザーの娘が「誰と」来るのか。

 

 もちろん、アドラントから王都に来るのに馬車を使うはずがなかった。

 だが、公爵が同行するのであれば、公爵名義で席を取る。

 隠しても、どの道、劇場で知れるのだから、名義を変える必要がない。

 

 それでは、誰と来るのか。

 

 ラウズワースの夜会以来、サマンサ・ティンザーの名は、あちこちで囁かれ、噂されていた。

 最近では、ローエルハイド公爵の「怪しげな嗜好」も取り沙汰されている。

 当事者が現れるとなれば、貴族たちが、話題に取り残されまいと、押しかけるに決まっていた。

 芝居が始まる前に集まるロビーは、さぞかし賑やかになるだろう。

 

「ジェシー、この世で最も恐ろしいものはなにか、わかるか?」

「恐ろしいもの……権力や力じゃねーな。なんていうか、こう……わけわかんねーもんが、1番、おっかない」

「良い答えだ。ほとんど正解しておる」

「えっ? マジ? すげぇテキトーな答えじゃん」

 

 ジェシーは、感覚で「適当」に答えたらしい。

 だが、その感覚こそが正しいのだ。

 

「なぜそうなったのか、なにが原因だったのか、わけがわからんものは恐ろしい。不確定要素というやつだ」

「ぐーぜん、ってことだろ?」

「そうだよ、ジェシー。この世に、偶然ほど恐ろしいものはない。どれほどの策を練り、予定を積み上げても、たったひとつの偶然で、すべて消し飛ぶのだからな」

 

 サマンサ・ティンザーが、それを証している。

 彼女が、ローエルハイドに赴くなど、予想もしていなかった。

 おかげで、大事な駒を失うという、十年かけた労苦が吹き飛んでいる。

 その後に予定していた計画も、全部やり直しだ。

 

「じぃちゃん、なにすんの?」

「同じさ。私も、あえて不確定要素を取り入れる。どちらに転んでもかまわんようにはしておるがな」

「ああ、それで、揺さぶりと追い込みの両方を準備しとくんだ」

「そのどちらも躱されたとてかまわん。一定の確認さえできれば結果は利となる」

「欲がないなー、じぃちゃんは。どうせなら徹底的にすればいいのにサ」

 

 カウフマンは、ジェシーの頭を軽くこづく。

 ジェシーが、きょとんとした顔で、見上げてきた。

 

「欲をかくと碌なことにはならんのだ。それを覚えておかねば、しくじるぞ」

「そーいうもんか。よくわかんねーけど、覚えとく」

「ツキが回ってきた時ほど慎重にならねばな。知らぬ間に、相手に踊らされていたということになりかねん」

「あの馬鹿みたいに?」

 

 ハインリヒのことで、公爵のやり口が少し見えたのだ。

 公爵は先読みをし過ぎるきらいがある。

 そして、その「先」は、公爵自身が作り上げているようだった。

 

「あれは、偶然を嫌っておる。ゆえに、己で筋書きを作り、こちらを、そこに誘導しておるのさ」

「儲けてるって思わせといて、あとから破滅させるなんて、賭け師みたいだな」

「勝つ勝負しかせんのだよ、ローエルハイドは」

「じぃちゃんも、そーいうトコあると思うケド?」

 

 カウフマンは、細く薄く笑う。

 負ける勝負をしないなどというのは、当然のことだ。

 勝つために備え、罠を張り巡らせ、相手を誘導する。

 自ら書いた筋書きであれば、間違いようがない。

 

 ただし、それを一瞬で瓦解させる「偶然」という名のカードがある。

 

「勝ちに固執する者ほど、偶然を嫌う。だがな、私は、そこまで勝ちにこだわっておらん。ならば、偶然を放り込んでやろう。揺さぶりには、ちょうど良い」

 

 カウフマンは、長い年月で物事を考える。

 自分の代でできないことがあってもかまわないと考えていた。

 

「私には、お前がおる」

 

 自身の命が、ジェシーの糧となるのなら「無意味な死」にはならない。

 ジェシーに「カウフマン」を繋ぐことが、なにより重要なのだ。

 思いながら、カウフマンは微笑みを浮かべ、ジェシーの頭を撫でる。


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