真実に向き合うこと 1
サマンサは、体中から血の気が引く思いをしている。
目の前いる男性の冷酷さを、甘く見ていたのだ。
彼は「それで?」と言った。
つまり、サマンサの話した「破談にしたい理由」に納得していない。
心の底まで暴く気でいる。
サマンサが話したくなくて隠していた部分だった。
彼には容赦がない。
彼女の「話さない権利」など認めないのだ。
「それで、とは、どういう意味でしょう?」
「きみがわかっていないとは思わないね」
サマンサの必死の抵抗も、彼は一蹴する。
わずかにも表情を変えず、口調も淡々としていた。
サマンサを見据え、けれど、微笑みを浮かべて言う。
「私は、きみの聡明さを高く評価しているのだよ、サマンサ・ティンザー」
彼が真実、そう思っていたとしても、なんという嫌な人だろうと思った。
サマンサの逃げ場を確実に潰しにきている。
彼の言葉を理解できない振りをすることはできた。
だが、そういう「馬鹿」ならば、話は終わり。
さっきまでの話で押し通すことだって、できる。
が、隠し通すというのなら、同じく話は終わり、
「なにを、お聞きになりたいのですか?」
「なにもかも」
なぜ、隠していることがあると見透かされたのか。
サマンサの説明した内容に、偽りはない。
両親を、ダシにはしていなかった。
親や兄、そして家を守りたいとのいうのが、破談の理由の大半を占めている。
残ったわずかな理由まで語らなかったのは、それは、サマンサ個人の心情のみによるものだからだ。
私情を語ることに意味はない。
私怨を含むのなら話は別だが、それはなかった。
サマンサが破談したい理由の中に「報復」は含まれていないのだ。
人の心を縛れはしない。
ティモシーが自分を愛していないからといって、責めることはできずにいる。
すなわち、報復目的でない以上、彼女の私情は、破談とは無関係と言えた。
なにがなんでも明らかにする必要はない。
(私の心まで暴かなくてもいいはずよ)
このまま黙って、痛む腹を探られるのは嫌だ。
サマンサは、会話の方向性を変えてみる。
彼から主導権を奪うのは難しい。
ただ、今の状態では、圧倒的に情報が少なかった。
「なにもかも、というのは抽象的に過ぎます。具体的に、なにがお聞きになりたいのか、教えていただけますでしょうか? 私の好きな花や、好きなダンスの曲から話されても困ってしまわれるのではありません?」
「花やダンスは、破談の件と関係ありそうにないね」
「決めつける根拠はおありになるの? 私がなにか隠している、というのも根拠のない決めつけでは?」
ふっと、彼が笑った。
瞬間、サマンサは悟る。
なにをもってしても、隠しおおせない。
狭い路地を逃げ回ったあげく、辿り着くのは行き止まり。
「確かに、花とダンスについては決めつけだったかもしれないな。だが、きみには話していないことがある、という点では、根拠があるのさ。きみほどではないが、私も、そこそこ頭がいいのでね」
あれほど慎重に話されなければならないと思っていたのに、どこか失敗をした。
それは、サマンサが探さなくても、彼が披露してくれるだろう。
彼女から逃げ場を奪いきるまで、彼はやめないのだから。
「彼は、ティンザーを操ろうとしている。そのためだけに、きみとの婚姻を求めている。きみは、婚姻とは、愛あるものであるべきだと考えている」
総括とでも言うように、サマンサの説明を完結に、彼はまとめる。
彼が、ほんの少し目を細めた。
「だが、なぜ、きみは彼がこの先もずっときみを愛することはないと“決めつけ”ているのかね? 政略的な婚姻であれ、愛が育まれることはある。実際に、きみの両親が証しているのに、娘のきみが信じないなんてのは、おかしな話だね」
ティモシーの目的を話すことに集中していたせいで、自分に関わる部分の話が、疎かになっていた。
彼女は、無意識に「生涯ティモシーは自分を愛さない」ことを前提として語っていたのだ。
「時間が経てば愛が芽生える場合もありますが、この場合は……」
「それでも期待があったから、別邸に彼を招いていたはずだ」
「まだ16歳でしたし、物事の判断が……」
「サマンサ」
口調が淡々としたものから、冷ややかなものに変化している。
サマンサ自身、自らの言葉が弱々しくなっているのを感じていた。
彼が納得するはずがないとわかっていての、最後の足掻きというところだ。
「なにもかも話す気がないのなら、これで終わりだ」
「お待ちください! 待ってください……」
サマンサは肩を落とし、うなだれる。
本当に、なんという冷酷な男だろう。
ほとんど無関係な私情まで暴いて楽しんでいる。
いっそ、ひと思いに、交渉結果だけを告げられていたほうが良かった。
だが、サマンサには諦められない事情がある。
そのためには、彼の協力が、どうしても必要だった。
なにもかも差し出せ。
彼の要求に答えなければ、先には進めない。
諦めて、サマンサは、口を開く。
「今さらではありますが、彼は私を愛してはいませんでした。それは私もわかっていたことです。ただ、私を見ても嫌な顔をしなかった人は少なくて……ですから、彼も少しは好意を持ってくれていると信じていたのです」
サマンサは、夜会に行けば必ず嘲笑される体型の持ち主だ。
それでも、時々は、ティモシーのエスコートで夜会に出席している。
連れているだけで、ティモシーまで揶揄されるというのに、だ。
「別邸を頻繁に訪れてくれているのも、好意があるからだと……そこに期待を見い出せておりました。いつか好意が愛に変わるかもしれないと思えたのです。彼は、いつも私の他愛もないおしゃべりにつきあってくれていました。でも、思い返していて、気づいたのです」
ティモシーはサマンサとの会話を「聞き流して」いた。
ただ相槌を打っていただけで、聞いてはいなかったのだ、いつも。
同じ話を繰り返しても、それに気づいたのはサマンサ自身。
謝罪をする、その言葉すら、ティモシーはうなずくだけで、聞いていなかった。
「無関心」
彼に核心を突かれ、心臓が痛くなる。
そう、ティモシーは、サマンサに、まったく無関心だったのだ。
「彼は、その日に私がなにをしていたのかすら、聞いたことがありませんでした」
昼食を取ったり、音楽を聴いたりと、一緒に過ごす時間は多かった。
けれど、それ以上の親密さは、なにもない。
部屋で2人きりだというのに、ティモシーは、手を握りもせずにいた。
いくつかの夜会に連れて行ってもらったが、ダンスに誘われてもいない。
ほかの女性を誘ったりはしていなかったので、気にしていなかっただけだ。
ティモシーの「まだ婚約前だから」との言葉を、馬鹿みたいに信じていた。
「私は、ただの置物だったのです」
そこに置いてある、というだけの存在。
1人の人間として、女性として見られていたのではない。
話していても、胸が苦しくなる。
初めて会ったのは、サマンサが8歳、ティモシーが16歳の時だ。
年上のティモシーは、ずいぶんと大人に見えたのを覚えている。
すでに自分が「貴族らしくない」体型だと知っていたサマンサは、人に対しての警戒心が強くなっていた。
「壁にかかっている絵画と同じですわ。彼は絵画を見て、様々な講釈をいたしますけれど、絵画からの返事を待ってはいません」
「きみにとっても彼は置物だったのではないかな。まぁ、うなずくことしかしない置物より、話す置物のほうが、価値はありそうだがね」
「どうとでも、お好きに仰ってくださいな。ですが、実際的な話、そもそも、彼は絵画など好きではないと思っております」
絵画の話で懇意になったというティモシーを、父がサマンサに引き合わせている。
ティモシーは、ほかの人とは違い、彼女を笑わなかったし、変な目で見ることもなかったため、何度か屋敷で顔を合わせるうち、少しずつ警戒心が緩んだのだ。
そして、年頃と言われる歳になると、心惹かれるようになっていた。
「だが、それは決定打ではないね?」
彼の言葉に、本当にどれほど残酷なのかと思いながら、サマンサは目を閉じる。
決定打となった、あの日のことを思い出していた。