芝居と茶番 2
やっとサマンサが舞台に上がる気になったようだ。
彼女の性格を思えば、こういうやり方は好まないとわかっている。
だが、やられっ放しではいけない。
今後、サマンサは「表」に出て行くことになる。
今までと同じように、夜会会場の片隅で、ひっそりとはしていられないのだ。
「私が、ティミーとの婚姻を夢見ていたのは事実よ?」
彼は、わずかに眉を寄せる。
マチルダは、してやったりといった顔をしているが、それは勘違いだった。
彼は、本当に、いささか不愉快な気分になっている。
サマンサの口から「ティミー」なんていう呼び名が出たのが、なにか気に食わなかった。
「でも、女性なら誰でも夢を見ることはあるでしょう?」
「現実とは違うってことかい?」
「そうよ。今は、夢から目覚めているわ」
彼は、サマンサの肩に、軽く頭を乗せる。
甘えるように、上目遣いでサマンサを見つめた。
彼女は緩やかに微笑んでいるが、内心では苦い顔をしているに違いない。
2人きりだったなら、彼を押しのけていただろう。
もっとも、2人きりだったら、彼もこうした危険は冒さなかった。
「きみが目覚めてくれたのは、私にとっての幸いだな。おかげで、こうしてきみを手に入れられたのだからね」
「公爵様!」
マチルダは、容姿で見劣りしているはずのサマンサが、彼を操っていることに、我慢がならなかったらしい。
声を上げ、会話に割って入ってきた。
良い感触を得ていると感じていただけに、自制が効かなくなっているのだ。
そう仕向けたのは彼だけれど、それはともかく。
彼は、サマンサの肩に頭を寄りかからせたまま、視線だけをマチルダに向ける。
「公爵様は、彼女に騙されておいでなのですわ!」
「だが、実際、サミーは、ここにいるじゃないか」
「サマンサ様は、本気で彼との婚姻を考えておられました。けして、夢を見ていたわけではありません! あの夜会で婚約を発表するはずだったのですよ?!」
「なんだって? 夜会で婚約を発表するなんて話は聞いていなかったな」
その話を、直接、彼に伝えてきた者はいない。
ゆえに、当然、誰からも聞いていない。
単に、推測していただけだ。
「ねえ、きみ」
マチルダに、声をかける。
最初に「ティモシーは、少しばかり知っている兄の友人」と自ら話したことを、もう忘れているのだろう。
ラウズワースの内情を、マチルダは、ぺらぺらと話していた。
「だとすると、私は、あの日、会場中の者たちに、彼からサマンサを奪った男だと思われていただろうか」
「思うはずがございませんわ! 彼女が公爵様をたぶらかしたのですもの!」
彼は、内心では笑っている。
サマンサに「たぶらかされて」みたいものだ、と思っていた。
彼女が、女性としての魅力を武器にできないと、マチルダは考えていたはずだ。
己の思考の矛盾にも気づかないほど、感情的になっている。
「どうだろう。彼が夜会で求婚する気があったのなら……」
「ティムは、彼女に、すでに求婚したと聞いております! ですから、あの夜会で、婚約を公にする予定にしていたのです!」
彼は、サマンサに寄りかかったまま、その手をとった。
軽く指を、自分の指先で撫でる。
「だそうだけれど、きみは、彼の求婚に返事を?」
「当日は保留にしたけれど、ここに来てから手紙を出したわ」
「断った?」
「当然よ。きっぱりとね。別邸に出入りしないようにと書いたし、あなたを選んだことも、ちゃんと書いたわ」
手紙は、彼が王都にいる勤め人に届けさせたが、内容は知らなかった。
サマンサに話した通り、盗み読みなどしていない。
初めて知る内容に、彼は、気分が良くなる。
少し首を伸ばし、サマンサの頬に口づけた。
(芝居も悪くはないな。彼女に叱られることもない。まぁ……腹の中は、煮えくり返っているかもしれないが)
しばし、マチルダを忘れる。
もとより、サマンサのことがなければ、どうでもいいような相手だ。
気が逸れてしまっても、しかたがない。
「安心したよ、サミー。私は出会った日から、きみが誘ってくれさえすれば、いつでもベッドに飛び込むつもりでいた」
「あなた、そういうことばかり言っていたわね」
「だってねえ、きみほど魅力的な女性がいるだろうか。私のする、どのような要求にも、きみは応じてくれるじゃないか」
サマンサが、彼と視線を交え「にっこり」する。
今にも、手綱を引きちぎって「暴れ馬」になりそうだった。
だが、彼は、しっかりと手綱を握り、「にっこり」し返す。
「もちろん、あなたのお望み通りよ」
サマンサは、そこで、不意にマチルダへと顔を向けた。
そのおかげで、彼もマチルダの存在を思い出す。
サマンサとの「芝居」が愉快で、視界にも入っていなかったのだ。
「こう言っては失礼ですけれど、マチルダ様には難しいと思いますわ」
「あなたにできることが、私にできないと仰るの?」
「ええ。彼は、苦痛を与えるのも好む人ですから」
ちらっと彼を一瞥したあと、サマンサはマチルダに視線を戻す。
彼は、あえて黙っていた。
「若い女性にお話するには刺激が強過ぎるかもしれません。ですが、現実を知っていただく必要がございます。たとえ自分が望んだことでも、時には、数日、寝込むことも……まぁ、私は横になっていただけですけれど」
マチルダは顔を蒼褪めさせながらも、なんとか対抗しようとしている。
どんな、いかがわしいことを想像しているのかはともかく、必死で、己にできる「精一杯」を探し回っているに違いない。
「わ、私は、それなりに経験がございます! あなたに男性経験がおありだとは、とても思えませんわ! ベッドをともにすれば、私のほうが、公爵様を満足させてさしあげられるのは間違いありません!」
「どうでしょうか。彼は、そう……非常に独特なのですよ? それにしても、マチルダ様は、お若いのに、男性経験が豊富とは存じませんでしたわ」
マチルダは、一瞬、ハッとした表情を浮かべた。
失言に気づいたのだ。
それでも、まだ食い下がってくる。
「何人かの男性と、親密な関係になったことはあります。でも、それこそ、“特別なお客”に、求められるものではありませんか」
「仰る通りですわね。ただ、先ほども申し上げましたように、彼は独特で、ほかの男性と比べられはしません。常に、苦痛が伴う覚悟が必要となります」
マチルダの醜く歪んだ顔と、サマンサの、しれっとした顔。
どちらが魅力的かは、明らかだった。
「私は、人より体力があるものでね。魔術を使えば、その体力もすぐに回復する」
「そ、それは、ええ、わかりますわ……」
マチルダの顔色が、さらに蒼褪めていく。
やはり「いかがわしい」ことで頭がいっぱいの様子だ。
サマンサも彼も、なにも「いかがわしい」ことなど言っていない。
事実を、淡々と語っているだけで、脚色さえしていなかった。
せっかくの「芝居」なのだから、もう少し「芝居がかった」調子でもいいのに。
「この前は、丸1日近く、きみと寝室に籠っていたっけ。横たわるきみの体の中をまさぐっていてさ。あとできみが苦しむのはわかっていたが、そうせずにはいられなかった」
「あなたが、横になっていればいいと言ったのよ?」
「私の好きなようにしたくてね。あれは、なんとも刺激的な体験だった」
彼は、サマンサの体に、ぴったりと体を寄せる。
すでに、目の前の女性が帰ったあとのことを考えていた。
引っ叩かれるくらいではすまないかもしれない。
当然に、引っ叩かれる気はないけれど、それはともかく。
「なにしろ、魔術を使う気にもなれないほどヘトヘトになるなんてなあ。私の人生において初めてのことだったよ」
「そうだったの? 知らなかったわ」
「きみの中は、とても繊細で、ほんの少しでも気を緩めると……」
彼は、わざとらしく首をすくめる。
そのせいで、サマンサの肩に頭をすりつける結果となった。
「私は、自分の体力や気力に自信があったが、きみのせいで粉微塵さ」
「あなたが、それほど頑張ってくれていたなんて」
「きみは、素晴らしかったよ、私のサミー」
最後の言葉は無視される。
意図的に、サマンサは返事をしなかったのだろう。
不要な女性を追いはらったら、美味しいケーキとお茶を用意しようと思った。
きっとサマンサは、野生馬みたいに暴れるに違いないので。
「せっかく私を案じてくれたのに、無駄足を踏ませたようだ。だが、きみでは私を満足させられはしない」
「お、お試しになられずに結論を出されるのは……」
「きみ、本当に試してみたいのかい? サミーは3日も立ち上がれなくなって、ひどく体調も崩したのに?」
相手は頭の中で、あらゆる「特殊な嗜好」を思い巡らせているだろう。
勝手に。
「要求に応えられるのは、私のサミーだけさ。きみが満足させられるのは、せいぜい“ティム”くらいだろう。“多少”は知っているみたいだからね。と言っても、私の認識する“多少”と、きみのそれとは、ずいぶん隔たりがあるようだが」
室内の空気が、冷たくなる。
サマンサは慣れているからか、平然としていた。
対して、彼が声をかけた女性は、真っ青になっている。
「彼女、具合が悪いらしいね。そうだ。気晴らしに、帰りは馬車を使うがいいよ? ああ、ジョバンニが、とっくに手配をしていたな」
彼は、最早、相手を見もしなかった。
あえて、サマンサに問う。
「ところで、私のサミー、彼女、名をなんというのだったっけ?」




