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冷酷な手のぬくもりが 4

 

(よろしいでしょうか、我が君)

(王都の屋敷に誰か来たのかい?)

 

 彼は、サマンサの私室でくつろいでいる。

 さっきからずっと、サマンサに悪態をつかれているところだった。

 正直、ジョバンニからの連絡に、少し気分を害している。

 かなり体調の良くなってきたサマンサとの会話を楽しんでいたからだ。

 

 あれから半月ほどが経っている。

 目に見えてというほどではないが、彼女の体型は少しずつ変わり始めていた。

 サマンサは、毎日、鏡を見て落胆しているが、彼には変化が見えている。

 だから、彼女が食事の量について言及しようとするたび、跳ねつけていた。

 

 今もそれで、悪態をつかれていたのだ。

 とはいえ、食事の量を減らすことには賛成できない。

 適切にとらなければ、ぶっ倒れるどころではすまなくなる。

 急な食事制限で体質が変わり、摂食障害を引き起こす可能性があった。

 

(アドルーリット公爵家のマチルダ姫にございます)

(どうしてまた、私を訪ねようなどと思ったのだろうね)

(それは、お分かりかと)

 

 貴族令嬢の持つ、彼の「好まざる」資質に、うんざりする。

 アドルーリットには、(ろく)な者がいないと思った。

 

(ラウズワースの子息に見切りをつけて、標的を変えたわけだ)

(サマンサ様のことがあるからでしょう)

(まったく。私は、誰かれとなく“特別な客人”にしたりはしないのだがね)

(マチルダ・アドルーリットは自信家のようです)

(あのティムだかティミーだかいう奴のせいだな)

 

 はた迷惑もいいところだ。

 ラウズワースの子息のツケを払う筋合いはない。

 追い返してしまえ、と言いたくなる。

 が、ふと、思い(とど)まった。

 

(昼食後に出直させてくれ)

(そちらに、お連れすればよろしいのですね?)

(わかってきたじゃないか、ジョバンニ)

(日々、学ばせていただいております)

(よろしい。では、そのように)

 

 即言葉(そくことば)を切り、ソファから体を起こす。

 サマンサが、非常に疑わしげな目で、彼を見ていた。

 

「どうかしたかい?」

「あなたが、どうも嫌なことを考えているような気がするのよ」

「きみの直観は、非常に優れていると言わざるを得ないな」

 

 サマンサは、ソファに足を乗せて座っている。

 膝を立て、その上に本を広げていた。

 ぱたんという音とともに、本が閉じられる。

 

「それで? なにを企んでいるのかしら? 私も巻き込むつもりでしょう?」

「よくわかったね」

「いつだって、そうだったじゃない? アシュリー様のことだって」

「きみの働きに満足しているよ」

「あなたの手のひらで踊るのは不愉快だけれど、しかたがないわ。そのために私はここにいるのですもの」

 

 ちくっと、胸に棘が刺さるような感覚を覚えた。

 サマンサがアドラントに留まっているのは、彼が望んだからだ。

 交渉の結果として、ここにいるに過ぎない。

 

 それは、彼も承知している。

 サマンサの態度は正しく、不満はないはずなのだが、なにか引っ掛かっていた。

 だが、あえて深く考えず、本題を切り出す。

 

「このあと、マチルダ・アドルーリットが、ここに来る」

「え? マチルダって、マクシミリアンの妹の?」

「そうだ」

「なにをしに来るの?」

「私を口説きに」

 

 サマンサが、ぽかんとした顔をしていた。

 まだ頬は膨れていて、瞼も腫れぼったいが、なかなかに可愛らしい。

 たいてい彼女は、キリリとした表情を崩さないのだ。

 すぐに、からかいたくなる。

 

「そんな魚をぶつけられたみたいな顔をして、どうかしたかい?」

「それがどんな顔だか知らないけれど、これでも驚いているのよ」

 

 サマンサが、ムッとした表情を浮かべた。

 それはそれで、愛嬌がある。

 彼は、どういうわけだか、サマンサの怒った顔を好ましく感じるのだ。

 笑った顔よりも魅力的に見える。

 

「私が口説かれるのが、それほど驚くべきことだったとはなあ」

「なによ、私も、あなたを口説いたとでも言いたいの?」

「現に、口説いたじゃないか。熱烈に」

「あれは交渉であって、口説いたというのとは違うわ」

「マチルダ・アドルーリットの意図と違うのは認めよう」

 

 マチルダは、サマンサを馬鹿にしているに違いない。

 外見だけで彼女を判断する、大半の貴族と同じだ。

 サマンサが選ばれたのなら自分も、と考えている。

 というより「自分のほうが」と考えているのだ。

 

「私は、放蕩に興味はない」

「知っているわよ。あなたが女性には飽き飽きしているってことはね」

「まったくね。私には、きみがいれば、十分だ」

「あなたの冷酷さに、感嘆符もつける気になれなくなってきたわ」

 

 サマンサは、彼のしようとしている行動を理解しているらしい。

 呆れたように溜め息をつく。

 

「私は、あなたの駒だから、文句は言わない。でも、故意に女性を傷つけるのは、感心しないわよ?」

「ありがたい忠告、痛み入る」

 

 彼は、軽く肩をすくめてみせた。

 サマンサの言うことは正しい。

 だが、相手による。

 誠実さを必要としない者も、世の中にはいるのだ。

 

(マチルダは野心家だな。ラウズワースを狙ったのも、あの家の女性が、権力志向だからだ。奴が分家を継ぐ芽がなくなって見切ったというところか)

 

 そして、サマンサに口説き落とせるほど簡単な相手だと、見込まれたらしい。

 彼は、サマンサの外見には、さしたる興味をいだかずにいる。

 変わらなくてもいいとさえ思っていた。

 交渉にのったのも、その内面に惹かれたからだ。

 

 実直で誠実で、物怖じしない。

 意志が固く、己の正しいと信じることをしようとする。

 そのために、サマンサは心の底にある感情まで、彼に差し出した。

 ティンザーの家、そして家族のため、自らを犠牲にするのを(いと)わなかったのだ。

 

 マチルダには、そのような性質はない。

 

 彼にとっては、無価値な存在だった。

 だからこそ、身の程を思い知らせたくなる。

 サマンサとは違うのだ、と。

 

「気乗りがしないのなら、追い返せばすむ話でしょう?」

「同じことを繰り返されるのは煩わしいのだよ」

「彼女は見せしめ?」

「私が、いかにきみに夢中かを、大いに喧伝してほしいと願っている」

 

 サマンサが嫌そうな顔をした。

 彼女と気まずくなったあと、彼は、サマンサを誘うようなことはせずにいる。

 一定の距離を保つためだ。

 その考えは変わっていない。

 だとしても「芝居」の上なら許される。

 

「なにも嘘をつけとは言っていないよ、サミー。きみが、私の“特別な客人”だというのは本当だ。私は、必ずしも交渉に応じるとは限らないのでね」

 

 そう、彼女は「特別」なのだ。

 最初は、ティンザーの娘という理由で興味を惹かれた。

 だが、知れば知るほど、サマンサの魅力は増していく。

 夜会では、あれほど毅然としていたのに、本質は、か弱くて脆いところとか。

 

 ティモシー・ラウズワースは、本物の馬鹿だ。

 サマンサから、惜しみなく愛を差し出されていながら受け取ろうとしなかった。

 

(私が、こうでなければ、とっくに(ひざまず)いて懇願していただろうさ)

 

 だが、彼の中に流れる血が、それを許さない。

 サマンサに愛を乞うことはできないのだ。

 

 人ならざる者は、たった1人の愛する者のために存在する。

 

 いったん愛を手にしたら、絶対に手放せない。

 ほかのこと、ほかの者はすべて、どうでもよくなってしまう。

 父や祖父が踏み止まれたのは、愛する人の子が遺されていたからだ。

 そして、彼らは「人ならざる者」ではなかった。

 

 それでも、愛を失ったあとで取れた行動は、最低限のことに限られている。

 アドラントは、その象徴なのだ。

 長らく放置され続けてきた。

 

(私が片づけなければ、この先はもっと厄介なことになる)

 

 すでにカウフマンに、かなり侵食されている。

 望んでアドラントの主になったわけではないが、ここに住む民への責任は果たす必要があった。

 そう思うのは、彼がテスアで育ったからだ。

 

(きみを尊敬するよ、ラス。国ひとつ、まるごと1人で背負っているのだからな)

 

 彼は、彼の父や祖父とは、違う方向に思考を進めている。

 愛だけを軸にする生きかたの危うさを知っていた。

 そうした道に進むことはしたくない、と思う。

 少なくとも、アドラントが自分の手を離れるまでは。

 

(いっそカウフマンにくれてやりたいくらいだが、そうもいかない)

 

 弱味を作るわけにはいかないのだ。

 だから、今は「芝居」で、感情のやりくりをするしかない。


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