冷酷な手のぬくもりが 2
「お待たせをいたしました、我が君」
ベッドには、サマンサが横になっている。
ほんの少し前に、テスアから帰ってきたところだ。
あのあと、やはり半日ほどサマンサは苦しんでいた。
だが、体の熱がおさまり、山場を越えた頃、眠りに落ちた。
それを見計らい、彼女を連れ帰っている。
目をぱっちり開けられると、ロズウェルドでないことがバレてしまうからだ。
ラスとノアには、挨拶は不要と言われていた。
彼が、テスアの存在を隠すため、最善を尽くしていると知っていたからだろう。
彼は、ベッドの端に半身で座っている。
サマンサの意識は戻っていた。
なのに、ジョバンニが来ると言ったとたんに、頭まで、すっぽりと上掛けにくるまってしまったのだ。
アシュリーのことがあるため、彼女はジョバンニを嫌っている。
なにがしかの解決がつくまで、サマンサが警戒を緩めることはなさそうだ。
「私たちも、さっき帰ってきたところでね」
彼の足元に、跪いているジョバンニには、思うところもあるに違いない。
なにしろ3日近く、まるきり連絡が取れない状態となっていた。
テスアの雪嵐は、伝達系魔術を軽く断ち切る。
ジョバンニは、さぞ不可思議に感じただろう。
彼が拒絶しているわけではないのに、即言葉が通じない。
それほど強力な魔力疎外をできる魔術師は、そうはいないのだ。
なにが起きているのかわからず、苛立つ気持ちは理解できる。
アシュリーが危険に晒されたとなれば、焦りもあっただろうし。
訊かなくても結果はわかっていたが、あえて問う。
ジョバンニがしたことを、本人の口から語らせる必要があった。
それにより、どう受け止めているかも、わかる。
「それで?」
「ハインリヒ・セシエヴィルを殺しました」
サマンサがいるとわかっていて、ジョバンニは、その言葉を口にした。
彼も、サマンサに聞かれることを肯としている。
彼がどういう性質の人間か、彼女は知っているし、彼もまた然りだ。
彼女は、大公のしたことについて「自らが恩恵を享受しているのに非道とは言えない」と語った。
そして、彼もまた同じ理由から、人を殺すのだと、明確に言葉にしている。
サマンサの中にある正義は、上っ面のものではない。
やたらと正義感を振り回し、できもしないことを望む者たちとは違う。
「セシエヴィルが、どういう家かは知っているね?」
「存じております、我が君」
それだけ訊けば、十分だった。
セシエヴィル子爵家は、平たく言えば、ローエルハイドの遠縁にあたるが、彼にとっては、どうでもいい部類に入っている。
アシュリーが特別なのであって、それ以外の者たちには興味がない。
ハインリヒは、ローエルハイドが、セシエヴィルに手を出すことはない、とでも思っていたのかもしれない。
たいした勘違いだ、と思う。
ジョバンニが手を下さずとも、早晩、彼が始末をつけるつもりでいたからだ。
「ところで、フレデリックは、いい働きをしてくれたかい?」
「とても良い働きをしてくれました。おかげで、姫様のご両親を、無事に保護することができました」
フレデリックは、彼の言いつけ通り、ジョバンニの「手助け」をした。
詳細な報告を聞くまでもない。
ジョバンニがフレデリックと会ったとすれば、ハインリヒの近くにいたことになる。
彼の留守を狙い、アシュリーを攫いでもしたに違いない。
フレデリックは、ハインリヒが「やらかす」ことを見越して見張っていたため、アシュリーの両親が人質に取られていたのを知っていた。
そこに、なにも知らないジョバンニがアシュリーを取り戻すため、ハインリヒの元を訪れたのだ。
だが、ジョバンニがハインリヒに始末をつけたのは、アシュリーの両親を助けたのちのことだろう。
異変に気づかないように、ハインリヒの気を逸らせ、フレデリックが時間稼ぎをしたというのは、想像に容易い。
新調した正装で臨んだであろうフレデリックを思い浮かべ、小さく笑う。
「あの子には、ずいぶんと苦労をかけた。さぞ嫌な思いをしてきただろうなあ」
「フレデリック・ラペルとは、お知り合いだったのですね」
「当時の当主が、曾祖父の逆鱗にふれただけのことさ。それでも、ラペルは、今も残っているわけだから、彼らがありがたがるのもわかる気はするがね」
大公の時代、ラペル公爵家はハインリヒと同じ間違いをした。
セシエヴィルとの関係から、大公が手出しをするまいと考えたのだ。
大公が最初に迎えた妻、エリザベートの実家がセシエヴィル子爵家であり、その上位貴族がラペルだった。
当時のラペル公爵家当主と三男は、セシエヴィルを利用しようとし、大公の逆鱗にふれている。
結果、その2人は自死をしたのだが、大公が「手を加えた」のは確かだ。
その後、長男が家督を継ぎ、今に至るまで、ラペルはローエルハイドに、裏から付き従っていた。
「私がいたらないばかりに、お手を煩わせてしまい、申し訳ございません」
ジョバンニが、深く頭を下げている。
自らが「しくじった」ことを悟っているのだ。
そして、彼が事前に手を打っておいたのは、ジョバンニの失敗をあらかじめ想定していたからだとも、気づいている。
「万が一に備えるようにと、厳しく言われてきたせいかな。私は、心配症になってしまっているのだよ。きみよりも、ずっとね」
穏やかな口調で、けれど、厳しさをもってジョバンニの未熟さを指摘した。
ジョバンニには、まだ備えも覚悟も足りていないのだ。
今回のことで反省もしただろうし、学ぶこともあったに違いない。
彼とて、4年で期待通りに成長しきれるとは思っていなかった。
総合的に判断すれば、ジョバンニは、かなり優秀だと言える。
(あと3、4年……いや、2、3年で、私の期待に近い執事に成長するさ)
などと、彼が考えていた時だ。
もそっと、サマンサが、わずかに動いた。
まだ上掛けはかぶったままだ。
「ハインリヒって、あのいけ好かない従兄弟のことでしょう」
「そうだよ、サム」
「そこの執事は、言わなくてもいいことを、彼女に言ったのではない?」
「そうなのかね? ジョバンニ」
ジョバンニからの、返事はない。
それが、返事ということだ。
(アシュリーに隠し事をしたくなかったのだろうが、彼女の言う通り、言わなくていいことを言ってしまったようだな。アシュリーは、まだ14歳だ。人殺しを受け入れられるほど大人ではない)
彼は、アシュリーを大事に思っている。
できるなら、傷ついてほしくなかった。
だが、ジョバンニが話してしまったのならしかたがない。
アシュリーの様子を見ながら、必要があれば、心を支える心づもりはある。
「ほら、やっぱりね! だから、言ったじゃない! いつか、この野暮な執事が、彼女を傷つけるに違いないって! 馬鹿正直に、君の従兄弟を殺したよ、だなんて言う必要がある? ええ、言うのなら、言ったってかまわないわ! だとしても、言った責任も取りやしないのよ、そこの野暮執事は!」
上掛けを引っかぶり、丸まったままのサマンサが、棘々しい言葉をジョバンニに投げつけた。
会話自体は、彼に向けられたものだが、実際はジョバンニをあてこすっている。
「サム、サミー、きみ、そんなに怒ると、ますます体調を悪くするよ?」
宥めるように言っても、サマンサは止まらない。
芯から怒っているらしく、いよいよ口調を強めた。
「とっくに悪いのだから、放っておいてちょうだい! あなただって気づいているはずよ! そこの野暮男が自己満足に陶酔して、彼女の手を振りはらったってことくらい! 本当に腹が立つわ! どうして、そう中途半端なのよ!」
「まあまあ、そう怒るものではないよ。なにしろ人を殺して……」
「だから、なんなの? 人を殺すからには、それなりの覚悟をすべきでしょう! 殺したあとで、申し訳ありませんなんて、通るわけがないわ! 彼女にまで罪悪感を押しつけておいて、選択肢まで取り上げたのよ? それが、自己満足でなくて、なにがあるって言うの? せめて彼女に選ばせるべきでしょうに!」
彼の言葉すら、一刀両断。
すっぱりと叩き斬られた。
それはかまわないのだが、サマンサは怒り過ぎている。
怒りはエネルギーを使うのだ。
「ああ、そうだね、サミー。きみの言うことは正しい。うん。もっともだよ」
宥めようとすると怒りを煽るので、ことさらに、なんでもなさそうに言う。
体型は変わっても、性格は変わりそうにない。
サマンサは、相変わらず、じゃじゃ馬だ。
「もう2人とも出て行ってちょうだい! 体調が、ますます悪くなったわ!」
「私にまで、とばっちりかい?」
「とばっちりではないわよ! あなたは、“全部”わかっていたくせに! なによ、この冷血漢! 人でなし!!」
具合が悪いはずなのに、罵声を浴びせる時には元気になるらしい。
彼は、声を上げて笑う。
だが、ジョバンニは、どうやらサマンサの言葉に打ちのめされているようだ。
「私は、彼女のご機嫌取りをする。さて、きみはどうする?」
黙って頭を下げ、ジョバンニが姿を消す。
おそらく、答えを出すまでには、まだ時間が必要なのだろう。
それでも、悪いほうには進まない予感があった。
彼は、丸まっているサマンサを見つめる。
意図してはいなかったのだろうが、彼女は筋道をつけてくれた。
曖昧さを許さない断固とした態度が、ジョバンニの心をこじ開けている。
とはいえ、ジョバンニの「人殺し」を聞いたアシュリーが、どう判断するかが、最も大事なことなのだけれども。
彼は、ジョバンニよりアシュリーを優先する。
アシュリーには望む通りの幸せを与えたいからだ。
こればかりは譲れない。
アシュリーの中に「エリザベートの欠片」があるのか、曾祖父の願いに、囚われている。
「アシュリーを放っておく気はないよ、サム。だから、きみは体を休めてくれ」
声をかけたが、サマンサは、くるんっと、さらに丸くなり、彼に背を向ける。
その背を撫でたかったが振りはらわれそうなので、やめておいた。




