決断したからには 4
ティモシー・ラウズワースは、少しばかり不機嫌だった。
眉をひそめ、高級なワインを口にしている。
隣にいる幼馴染みが、ニヤついているのも気に食わない。
どうせ、すぐにもからかってくると、わかっていた。
「いやに不景気な顔をしているじゃないか、ティム?」
案の定だ。
理由がわかっていて、面白がっている。
が、ティモシーからすれば、少しも面白くない。
だから、不機嫌なのだ。
「別邸に行っていたにしては、お早いご帰還だったけれど、それと関係が?」
「マックス、僕が、あまり愉快な気分ではないとわかっているだろう?」
ティモシーとマクシミリアンは、同じ歳で、長いつきあいになる。
もとより、ラウズワースとアドルーリットは家同士も親しくしていた。
ティモシーは次男で、マクシミリアンは三男ということもあって、お互いに気の置けない関係であるのは間違いない。
マクシミリアンは、金色の髪を手で軽くかきあげる。
青い瞳には、悪びれた様子はなかった。
ティモシーの、薄い金色でしかない髪と、平凡な茶色の瞳に比べれば、いかにも貴族好みの容姿と言える。
だからといって、引け目を感じたことはない。
お互いに良いところ悪いところがあると知っている。
やれやれと、ティモシーは溜め息をついた。
マクシミリアンは、こういう時、追求の手を緩めないのだ。
しつこく食い下がられると、よけいに苛立ちが募る。
それよりは、むしろ話してしまったほうが気が楽になるかもしれないと思った。
「サマンサがいなくてね」
「いない? 街にでも出ているのか?」
「街と言えば、街だが……アドラントまで出かけているらしい」
「は? アドラント? いったいまた、どうして?」
「旅行をしたくなったそうだ」
ティモシーは通い慣れた、ティンザーの別邸を昼前に訪ねている。
昼食を一緒にとるつもりだったのだ。
だが、サマンサはおらず、アドラントに旅行に行ったと、彼女の母親から聞かされている。
1日の予定が台無しになった。
そのせいで、ティモシーは不機嫌になっていた。
彼は、どちらかと言えば、予定を組み、それを予定通りにこなすのを好む。
適当で、いいかげんなマクシミリアンとは真反対の性格なのだ。
もっとも、世渡りという意味では、マクシミリアンのほうが上なのだが、それはともかく。
「旅行くらい誰でもするじゃないか。そうピリピリするなよ」
「行くなら行くで、彼女は、事前に僕に連絡をすべきだった。これからのことで、こっちは予定を立てていたっていうのに」
ティモシーは、自分を知っている。
臨機応変さに欠けると、わかっていた。
なにが起きようとも、するりするりと躱してのけるマクシミリアンが身近にいるため、よけい自覚せずにはいられないのだ。
だから、目的を決め、予定をしっかりと立て、行動をする。
ティモシーの性に合った生きかただったし、間違いがない。
貴族は、体裁を重んじる生き物だ。
無様を晒した者には容赦がなかった。
ティモシーは、ちらっとマクシミリアンに視線を向ける。
幼馴染みが、こういう性格なのは、ティモシーよりも身に迫るものがあったからかもしれない、と思えるのだ。
何世代か前に、次期当主とされていた者が、アドルーリットの主催した夜会で、大恥を晒した。
そのせいで次期当主の座から転げ落ち、辺境の地に蟄居させられている。
その後の消息は不明だったが、家門の誰も気にしてはいない。
次期当主でさえも、その有り様なのだ。
三男であるマクシミリアンの立場は弱く、なにかあれば即座に同じ末路を辿るに違いない。
ティモシーも似たり寄ったりと言えなくもないが、それほど差し迫った状況を、肌身に感じたことはなかった。
「いよいよ、婚約を発表することになったのだっけ?」
「母がうるさく、せっつくものでね。これ以上は、引き延ばせない」
「それなら、しかたないさ。きみの母上に逆らうと碌なことにはならないものな」
ラウズワースは、女性の力が強い家系だ。
本家の正妻を筆頭に、分家の側室に至るまで結束している。
貴族としては異例であると言えるほど、特殊な家風と言われていた。
なにしろ、正妻が自分の立場に、強い執着を持たない。
必要があれば、平気で分家に家督を譲る。
それは、夫である当主が「言うことを聞かない」場合だ。
彼女らの意思に沿わない当主はいらない、ということなのだろう。
あらゆる手を使い、内々で自らの夫の足を引っ張り、当主の座を空けさせる。
その際、正妻の子に適当な後継者がいなければ、分家に家督を譲るのだ。
彼女らにとって、夫は、ただの記号に過ぎない。
当主という記号であり、個は無意味。
彼女らの都合の良い者であることのほうが、重要だと考えている。
「うまくやれよ、ティム」
「わかっているさ」
ラウズワースの男たちは、彼女らに頭が上がらないのだ。
言う通りにしていれば守ってもらえるが、抵抗すれば切り捨てられる。
夫であろうが、子であろうが、その考えは一貫していた。
とはいえ、そうした家風が繁栄をもたらしている。
ラウズワースは、大きな蜂の巣なのだ。
女王も働き蜂も、雌で構成されている。
雄は、ただただ彼女らのために存在していた。
ゆえに、ティモシーは母親の言うことに、けして逆らわない。
サマンサのことにしても、彼自身の気持ちとは、まったく無関係なのだ。
「きみから、サマンサの話を聞いてから十年になるな」
「あの時には、ずいぶんと世話になった」
「たいしたことじゃない。当家にある絵画を見せただけじゃないか」
「きみは、存外、絵画に造詣が深くて助けられたよ」
サマンサ・ティンザーと婚姻しなさい。
母からの、そのひと言で決まっている。
言われたのは、ティモシーが16歳の時だ。
そこから、サマンサの父と懇意になるべく努力した。
興味のなかった絵画を、どれほど勉強したことだろう。
ティモシーは、8歳の彼女にいきなり近づくよりも、長期的な「予定」を立てて行動することを選んだのだ。
サマンサの両親は、彼女を深く愛していると、知ってもいた。
その「予定」は、すべて予定通りに進んでいる。
ただひとつ。
ティモシーには、母親に隠していることがあった。
(分家とはいえ当主になるなどごめんだ。ラウズワースに死ぬまで縛られるより、ティンザーの家の養子になったほうが、どれほど気楽に生きられるか)
とはいえ、それを表だって口にはできない。
マクシミリアンにも話さずにいする。
当然、母親に対しても、きちんとした理由づけが必要だった。
それを信じさせるため、のらりくらりと婚姻を引き延ばしてきている。
ティモシーは、母親やラウズワースの呪縛から逃れたかったのだ。
ティンザーに入ってしまえば、あとはどうにでもなる。
最初は乗り気でなかったサマンサとの婚姻も、今となっては好機と捉えていた。
「具体的には、いつ頃になりそうだ? 確か、ひと月後くらいに、きみの家が主催する夜会の招待状が届いていたが」
「そこで婚約を発表して、婚姻は、その3ヶ月後になる」
「その話は、サマンサにしているのかい?」
「当然だ。この前、リディッシュの夜会があっただろう? その帰りに、彼女には話しておいた」
思い出して、また少し不機嫌になる。
サマンサが、はっきりと答えなかったからだ。
両親に話してから返事をする、と言われている。
彼女が両親と仲がいいのは知っているので、理解はしていた。
それでも、自分より両親を優先させたことが、不愉快なのだ。
サマンサは18歳になっており、自らの意思で選択できる。
ティモシーも婚姻を引き延ばしてきた自覚はあった。
だから、婚姻の話に、彼女が大喜びすると思っていたのだ。
いちもにもなく、承諾するだろうと。
「ああ、そういうことか」
「なにがだ?」
「突然の旅行の意味さ」
「意味があるのか?」
「女ってのは婚姻が決まると、情緒が不安定になると、聞いたことがある。最後の息抜きがしたくなるのだそうだ」
そういうものか、と思ったが、サマンサの行動の意味には納得する。
彼女はティモシーの邪魔にはならなかったし、別邸は居心地が良かった。
旅行することで情緒が安定するのなら、我慢してもいいと思える。
予定は組み直せばすむのだから。